〈銀の匙〉の国語授業 (岩波ジュニア新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784005007097

作品紹介・あらすじ

神戸の灘校で、中学3年間をかけて『銀の匙』をじっくり読み込むという驚くべき授業を続けてきた橋本先生の実践的授業。「国語はすべての教材の基本であり、学ぶ力の背骨」だという"伝説の教師"が、国語の学び方を伝える。「学ぶこと」の原点に気づかされる1冊。

感想・レビュー・書評

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    本書(p.5)から抜粋
    「銀の匙」の授業は、傍観するのではなく、入り込んで一緒にやっていく授業です。それは遊ぶ感覚です。見ているだけでは面白くない。自分もその中に関わる、参加して、行動するという遊びの楽しさを学ぶことに取り入れようと思ったのです。
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    先日、あるネットニュースで「中学受験の国語の問題量が膨大になり、受験生は〝飛ばし読み〟の手法で解いている」と書いてありました。試験中の限りある時間の中で要領よく飛ばすのも有りだとは思いますが、情報処理能力の速さであればAIの方が上回りますし、飛ばし読みを主とした選抜で将来を担う人材が育つのかと疑問に思っていました。

    本書の国語の授業は、飛ばし読みとは真逆です。一ページ進むのに一週間も二週間もかかるそうです。ある日、あまりに進度が遅いので「こんな進行では、一冊終わらないのではないか」と生徒が質問しました。
    それに対し、著者の橋本先生は「スピードが大事なんじゃない。すぐに役立つものはすぐに役立たなくなる。」と答えたそうです。

    国語力を身につけるには、即効的な手法はなく、地道にコツコツ取り組むしかありません。下記、取り組み内容の一部を紹介します。

    ・名作を読む。1ヶ月に1冊、橋本氏の推薦図書。
    ・文章を書く。(読後感など)
    ・一つの言葉に対し、横道へ逸れながら知識を広げる。(例:漢方医学→大阪船場のお宮 神農さん)

    国語力とは話が逸れますが、私の英語力が伸び悩んでいるのは書く作業が圧倒的に足りていないと、本書から気づけたのが一番の収穫でした。

  •  中勘助さん著『銀の匙』が読むべき良本という情報が頭の中にあり、長年うじうじと先延ばしつつ、やっと読み始めました。少し読んで、夏目漱石の『坊ちゃん』みたいだな、というのが率直な感想でした。『坊ちゃん』を読んだ時もその面白さがわからず、忍耐を重ねて読んだくらいだったので、この本をやはり面白いと思えない自分がいて、どうしたものかと思っていたら、この本の存在を知りました。

     灘高で国語の先生をしていた作者が、『銀の匙』だけを使って三年間、現代文の授業をしたというのです。先にこちらを読んだ方が、『銀の匙』の面白さがわかるのではないかと、『銀の匙』はちょっとお休みして、この本を読んでみました。

     実際に、どんなふうに授業を進めていったか、その際に使用したプリントなどもわかりやすく載っていました。さらに、橋本武先生が、国語をどう捉え、何を大切にして授業をしていたかなども書かれています。

    気になった文をいくつか…
    ◯今いわれている「ゆとり教育」は遊び時間を増やすことなのかと思いたくなりますが、そうじゃなくて、水準以上のことをやっているから心にゆとりが持てる、そうあるべきです。もっとも先生が大変ですけど。

    ◯私は、国語の基礎学力を涵養する根源は「書く」ことにあると思っています。

    ◯国語勉強の7つのポイント読む書く話す聞く見る味わう集める。

     『銀の匙』を読んでいた時、読みやすいように沢山言葉の意味が注記として書かれている版を選んで読んでいても、よくわからない言葉が沢山出てきてウンザリしていました。橋本先生の授業では、その一つ一つの語句の意味を理解し、できるものは授業で実際体験し(凧揚げなどなど)、生徒自身がこの物語に参加するような形で丁寧に読み解いていきます。そして、生徒の知識が、教材を限定することで狭まることのないように、事あるごとに横道にそれ、新たな世界を知るように配慮されています。

     この本をじっくりと読み終えた生徒たちの達成感や自信はどれほどのものだったでしょう。そして、手をかけてプリントを作ってくれ、生徒以上の好奇心と熱量で学ぶ姿勢を見せ続けた先生の姿はどう子供たちの目に映ったでしょう。

     本当の学びとはこういうことなんだ、と教えられました。気持ちを新たに、『銀の匙』をまた読み始めたいと思います。

  • 臨時休校中で「何か本を読みたいけど、何を読めばいい?」と悩む中学生に推薦します。
    「国語の勉強の役に立つから」とかそういう視点じゃなくて、当たり前にとらわれない物の見方とか、物事を広げて考えるということの実例がいっぱい書いてあるから。

    第1章では「土曜講座―27年ぶりに教壇に立つ」と題し99歳にしてかつての勤務校で「銀の匙」の特別授業をした様子が描かれているが、もうこの章だけでも一読の価値あり。

    冒頭、橋本先生はこう切り出す。
    -「『銀の匙』の授業は、傍観するのではなく、入り込んで一緒にやっていく授業です。それは「遊ぶ感覚」です。見ているだけでは面白くない。自分のその中に関わる、参加して、行動するという遊びの楽しさを、学ぶことに取り入れようと思ったのです」
    そして先生はおもむろに黒板に<あそぶ><まなぶ>と書き、こう尋ねた。「あそぶとまなぶ。このふたつに共通するものはなんですか。どんなことでもいいから、言ってみなさい。」
    ある生徒が答えた。「あそぶもまなぶも、どちらにも<ぶ>が付いています。」
    少し受け答えがあってから、先生は生徒のみんなに言った。「<あそぶ><まなぶ>は動詞です。ほかにも<ぶ>が付く動詞は多い。書き出してみなさい。」-

    従来の「国語の授業」の型をひらりと飛び越え、脱線もかまわずに授業を進めながらも「国語」から逸脱した形では終わらず、気が付けば「国語」を学べているという、まさに絶妙な匙加減。

    それとこの本では、橋本先生が特別授業のために作った「プリント」も掲載されている。その手書き文字が「美しい」。
    ここで言う美しいとは、書道有段者のようないわゆるきれいな字と言えるものではなく、長年板書やプリント作成で鍛えられたと言える、人が書く文字としての均整の取れた個性的な美しさとでも言おうか。「フォント」に見慣れた今の中学生に、橋本先生の書き文字をぜひ見てもらいたい。

    そして橋本先生の書き文字の美しさは、罫線を引き縦に手書きされた「あとがき」で極致に達していると思う。
    手書き文字に旧字や古めかしい言い回しが使われていないことから、時代が変わろうとも常に漢字や言葉の正しい使い方へ目配せし続けてきたことがうかがえ、てらいのない文章の若々しさと併せて「若々しく年を重ねる」見本とも言えるのではないか。橋本先生が書く「若い人たちはもちろん、年配の方々にも読んでいただきたいと思っています」にも同意したい。


  •  教育界隈では、言わずと知れた伝説の授業、「中学校3年間で『銀の匙』のみを徹底して読解する、現代文」の作者自信の解説書です。

     〝大事なのは答えてばなく過程です。早急に答えを求めてはいけない、すぐに役に立つものはすぐに役立たなくなる。〟

     と、著者がのべるその内実を解説してくれています。

     まず思い出してほしいのが、自分の中学校3年間の国語授業、読書体験。国語が好き、読書が好き、という人なまだしも、標準的な中学生が、『銀の匙(中勘助)』を読むのは難しいのでは‥と思ってしまいます。。

     しかし、本書に載せられた、教材を見ると、ここまでやるのか!と驚くべき精緻さで読解が進められていきます。

     まず、骨子である[注意すべき語句]が、全てと言っていいほど、凄まじいです。2頁の中から百に渡る、語句を徹底的に抜き出して、意味を把握させる。

     これには、著者が『銀の匙』作者に、直接手紙で語句の意味を尋ねるなど、想像を絶する教材研究に裏打ちされており、生徒が、このプロでも難しい教材研究を追研究していくという、型の伝承こそ、国語力の涵養に繋がったのだと気付かされます。

     次いで「短文の練習」「鑑賞の手がかり」「サブタイトル作成」「内容の整理」「二百字要約」と進み、「雑録ノート」「鑑賞ノート」と横道に逸れるのですが、何一つ、真新しい物がない。これほどオーソドックスでありながら、これほどき基本に忠実に、一つの作品にあたることもないのではと驚かされます。

     通常、国語の授業では、一つの作品に当てるべき時間が予め決められており、それも、作品の一部分のみしか扱わない。惰性でそれらを〝消化〟していくスタイルが、一般的ではないでしょうか。

     だからこそ、この授業の異質さが際立つ。一つの作品の真の読解とはを、これでもかと見せつけられるのです。

     教育者ではない方にも、本書のエッセンスは響くと思います。

     私自信、読書の際、感想文まで書きますが、分からない語句などを、そのままに読み飛ばして放置。など、恥ずかしい読み方をしていました。

     一冊の読書体験の質量の最大化。

     これこそ、本書の真髄だと思われます。〝読後感まで書いて、読書が完成する〟とありますが、それだけじゃ決してない。

    ①分からない語句は、徹底的に調べる。
    ②語句を使えるように作文も行う。
    ③題名を考える(まとまった文へのタイトル作成)
    ④引用作品などが有れば、それにも徹底して調べて体験できるものは体験する。

     これらが自分の読書からどれだけ足りていなかったのかとがっかりしてしまいました。
     「殆ど読めていない」というのが、透けて見えてしまいますね。

     多読ではなく、深読。これを徹底して行おうと思いました。こうしてみると、自分なりの読書の仕方を決めてもいいかもしれませんね。
     あとは、追われて行う読書。隙間を埋める読書では、足りませんね。
     一冊でいい。一頁でいい。一行でいい。一文でもいい。学ぼうと思えば、そこから汲み出せるものの多さに、無為な百読は負けるのではないかと思い改める次第でした。


     個人的に、以下が実践のメソッドになる部分です。

    ①読後感を書くこと(読書の完成)
    ②日記をつけること(思索の深度を増す)
    ③詩や歌を作ること(流暢な表現の体得)

    ★百論は一作に如かず
     〝いくら文章作法を説いて見ても、文章は書けもしないし上手にもならない。書いて書いて書きまくって、書くことの拒絶反応を払拭した上で、はじめて文章作法が自然に身についていく。運動選手が絶えずトレーニングき励み、技能にたずさわるものが、たゆみなくケイコにうちこみワザを磨く。書くことも技術であり習慣である以上、実践を措いて上達の道はあり得ない〟

     〝国語に対する努力が、国語とあなたとをかたく結合してくれます。正しい努力は、目の前に即効があらわれなくても、けっしてむだにはなりたせん、国語とは生涯つきあわなければならないのです。早く好きになっておいた方が得策というものです。〟


    ★国語教育の「七つのポイント」
    ①読む
    ②書く
    ③話す
    ④聞く
    ⑤見る
    ⑥味わう
    ⑦集める

  • 先生に向けても書いてあったので学校の先生の方にも読めます

  • なんというか久しぶりに国語の授業を受けた気分になった。
    ・横道にそれる楽しさ
    ・すぐ役立つものはすぐに役立たなくなる
    ・話し上手になるには書き上手であることが必要
    ・労働に対するささやかな感謝の気持ちの有難う

    最後に一歌
    コツコツと いろんな本と 巡り合い
    今年のゴール 目指せ100冊

  • 物心ついた時から、読書は好きだった。それだけで、勉強できるんでしょうと、よく言われた。でも、勉強はできなかった。
    特に、国語は苦手だった。

    この時の気持ちを答えよ。

    これが、最大の難関。
    私だったらと想像して、気持ちを書く。×を食らう。
    どうして、気持ちが否定されるのか一向にわからない。
    悔しいときは、握りこぶしをぷるぷると震わせてなければならないのか。
    そんな事、実際にしたことがある人が多いのか?私は、多分、したことがない。
    それが、私の国語苦手の理由。

    それは、橋本先生の著書を読んだだけでは解決しなかったけれど、
    とにかく、楽しみましょうという気持ちは伝わってきた。
    授業は、やっぱり、受けてなんぼ
    本で読むより、受けてみたかったな。

    橋本先生の授業は、とっつきやすい、小説を題材に、
    横道にそれて知識を身につけて行きましょうというものだ。
    その授業に使用したガリ版の資料や、横道へのそれ方を教えてくださる2章。
    昨今はやりで、私はメリットがわからない速読に正反する"スローリーディング”を勧めていらっしゃる。
    国語は人格形成に重要であるという3章。
    4章では、灘校での教師生活から始め、趣味の話など。

    私は実は、橋本先生の本を学生の時に使用したことがあり、
    まだ手元に置いてある。
    百人一首の本だ。
    中学か高校か覚えていないけれど、冬休みに暗記する様にと配られたのだ。
    暗記に使用したので、それはそれはボロボロだ。
    でも、今、改めて、開いてみると、この本で出会った橋本先生らしさが溢れていた。
    文法解説が極めて小さく脚注に書かれており、3章で提唱していらっしゃる「味わう」に主眼が置かれている。
    カルタ会のしかたなど、著者の人柄も少しだけれど滲み出ている。

    偏差値の高い学校へ行く、
    このメリットは、素晴らしい先生と出会える、これだと思う。
    大学で、ノーベル賞をとっても不思議はないと言われた教授がいらっしゃった。
    白髪で穏やかな語り口、手書きの化学記号だけで構成されたプリント。
    説明はゼロ。授業の話は、細切れで、正直よくわからなかった。
    割り当てられたが使ったこともない教科書と、唐突で脈絡のないノート。
    テスト前にとても困った。
    ドイツ語の先生で、風変わりな先生がいらっしゃった。
    活用を覚える歌を自作したとのことで、それを授業で流して、歌わせようとする。
    でも、大学生は見栄っ張りな年頃なので、あまり歌わず、先生のカラオケの録音だけが流れていた。
    熱心だったんだと思う。
    先生、ごめんなさい。

    残酷に時は流れ、今の母校では、出席もカードリーダー、
    期末にとられる学生アンケートがシビアらしく、教科書に沿っていないと文句が出るらしいです。
    学校前の古本屋でパラパラした教科書は、記入式で、説明が丁寧過ぎて、びっくりした。
    説明が足りず、それだけでは理解できない教科書の補填に、図書館に行く必要などもおうなくなってしまったのだろう。
    時代は、残念ながら、橋本先生のご指導とは異なる方向に向かってしまっている気がします。
    灘校が公立に劣る学校としてスタートしてから、東大合格率1位の学校になった頃、
    橋本先生含め、5教科の先生が執筆された「灘校式勉強法」という教科書が、4万円とかでオークションに出ている。
    その当時は、マスコミに、詰め込み式灘校方式と、現実とは異なる決めつけをなされて叩かれて、
    悔しい思いをされたそうです。挽回の機会がこうして来て、他の先生も喜んでいらっしゃったでしょう。
    私も、数学がほしいけど、4万の勇気がでません(笑)

  • 人生の道のりの長さ、いつからでも人は輝けることを知った。
    一生勉強。

  • 学生時代、坊主の兼業教師が『学問のすすめ』と『般若心経』で、1年だか2年だか授業をやった
    本書を読んで初めて本を読むと言うことが分かった気がした
    理系だからでも無いが、文章を体系化、数式化して理解したがる
    そうではないんだ

  • 灘校がいわゆる進学校とは一線を画す教育システムをつくってきたかというのがよく分かる。自由闊達に自学出来る人へと教え導くというのは、実に根気のいる取り組みなのだと。教育論に留まらない、組織やコミュニティづくりにも大いに気づきを与えてくれる内容でした。

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著者プロフィール

明治40年(1907年)生まれ。大正12年(1923年)、母の身上をご守護いただきお道を知る。14年、創設された天理外国語学校へ第1期生として入学。華南伝道庁長、宣教部海外課長、亜細亜文化研究所(後のおやさと研究所)主任、道友社長、にをいがけ委員会広報放送係主任など歴任。昭和30年(1955年)、本部准員。37年、斐山(ひざん)分教会長。46年、65歳で出直し。

「2021年 『出直しの教え 死の救い』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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