中東から世界が見える――イラク戦争から「アラブの春」へ (岩波ジュニア新書 〈知の航海〉シリーズ)

著者 : 酒井啓子
  • 岩波書店 (2014年3月21日発売)
4.25
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  • レビュー :10
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784005007677

作品紹介

デモによって独裁政権を倒した「アラブの春」から数年。中東地域は、ますます混乱し、テロや内戦が続いている。なぜそんなことになったのだろう。国際社会や宗教は、どう関係したのか。また、中東政治のカギを握る若者たちは、デモや戦場で、何を求めて動いているのか。中東問題を「ちゃんと」知りたい人のためのはじめの一冊です。

中東から世界が見える――イラク戦争から「アラブの春」へ (岩波ジュニア新書 〈知の航海〉シリーズ)の感想・レビュー・書評

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  • 高校生対象なので平易に書かれていてわかりやすい。
    テロの構造や、アラブの世代に触れれまで書かれているので、911やアラブの春かなぜ起きたか、アメリカの攻撃がいかに成果がないものだったかがよくわかる。

    「ジュニア文庫」ゆえ、大人が手に取るチャンスが減りそうなのか残念。

  • 「岩波ジュニア新書」という青少年向け(?)のシリーズの中のタイトルながら、私のような中東をよく知らない大人にとっても充分に読み応えがあります。
    中東…アラブ、パレスチナ世界での出来事についてニュースでは耳にするものの、それぞれが「点」としてしか認識できていなかったものが「線」で繋がりました。
    読後感は一言で言うと「なるほど、そういうことだったのか。そういう流れだったのか。」
    最終章では、不幸にも戦乱に明け暮れることになってしまった地域の中東の人たちから見た「日本への期待」もその一端ながら提示されていて、考えさせられます。
    新書というカテゴリーにおける制約と役割をともに踏まえた名著と思います。

  • (2017.02.28読了)(2017.02.20借入)
    副題「イラク戦争から「アラブの春」へ」
    図書館で見かけたときから気になっていた本です。いつの間にか3年が過ぎてしまったようです。「ルポ難民追跡」坂口裕彦著、を読んだついでに読んでみることにしました。
    アメリカが介入したアフガニスタンもイラクもなかなか平安が訪れません。さらにシリアは最悪の状態でいつ治まるかの見通しが立ちません。
    著者は、アラブ世界における三つの問題について論じています。
    1.民主化と外国からの圧力の問題
    2.宗教と政治の関係をめぐる問題
    3.若者、そして彼らの社会に対する異議申し立てという問題
    それぞれの問題に1章ずつあてて述べています。
    アラブ世界の人たちが暴力を用いずに解決できるようになる日がいつか来るでしょう。

    【目次】
    序章 イラク戦争から「アラブの春」へ
    第1章 アラブに民主主義はやってくる?
    1 「アラブの春」が始まった
    2 アラブでは民主化は起きないと思われていた
    3 イラク戦争と「民主化」
    4 「アラブの春」の混沌と外圧
    5 軍への依存
    第2章 イスラームと政治
    1 宗教が国を割る?
    2 イスラーム主義はなぜ生まれたか
    3 イスラーム政党の台頭
    第3章 中東の若者が目指すもの
    1 若者たちのフラストレーション
    2 なぜ若者が「テロ」に走ったのか
    3 新たな運動の形成
    終章 日本とアラブ
    あとがき
    参考文献
    関連年表
    アラブ・中東諸国 国別紹介
    地図

    ●アラブの春(22頁)
    チュニジアやエジプトで起きたデモが目的としたのは、自分たちの国を牛耳る長期政権に反旗を翻し、人としての誇り、権利を取り戻すことだったのです。
    ●イラク戦争(56頁)
    イラク戦争の経験は、「外国軍に依存して民主化してもうまくいかない」という失敗例として残ってしまいました。
    ●シーア派(88頁)
    「シーア派だから」というよりは、「これまで疎外されてきたから」ということが原因なのです。
    ●法体系(91頁)
    イスラームという宗教は、宗教であるとともに、法体系でもあります。コーランとハディース(預言者の言行録)を社会規範の根幹に置き、そこからさまざまな解釈を繰り広げて判例を重ねていく。それが、イスラーム法なのです。
    ●宗派対立(92頁)
    スンナ派対シーア派、と見えるイラクでの対立も、その実は、シーア派対イスラーム主義の政治家たちがイランと密接なつながりを持っていること、そしてイランがイラクに影響力を強めていることに対する反発が、宗派対立のような様相となって浮かび上がってきたというわけです。
    ●イスラーム主義(100頁)
    「イスラームという宗教を国家の統治の軸に置くべし、という考え方がイスラーム主義であり、それを実現した政権がイスラーム政権だ」
    ●規律を守るか(101頁)
    イスラーム教徒として生まれたということと、イスラーム教で定められているさまざまな規律(断食や礼拝や巡礼など)を守って暮らすかどうかということは、別のことです。
    ●改革運動(107頁)
    スンナ派の間では、初期イスラーム時代の社会を理想化して、その純粋さを取り戻そうと厳格な方針を取る路線(サウディアラビアのワッハーブ派など)もあれば、イスラームに基づいた社会をいかに近代文明と調和させるか模索する、イスラーム改革運動もあります。改革運動の流れを汲むのが、ムスリム同胞団や、パレスチナのハマースなどです。
    ●昔のイラク(141頁)
    1970年代のイラクは、日本以上に裕福な生活を送れるほど、豊かだったのです。

    ☆関連図書(既読)
    「原理主義の潮流」横田貴之著、山川出版社、2009.09.30
    「現地発エジプト革命」川上泰徳著、岩波ブックレット、2011.05.10
    「革命と独裁のアラブ」佐々木良昭著、ダイヤモンド社、2011.07.14
    「中東民衆革命の真実-エジプト現地レポート-」田原牧著、集英社新書、2011.07.20
    「レバノン混迷のモザイク国家」安武塔馬著、長崎出版、2011.07.20
    「アラブ革命の衝撃」臼杵陽著、青土社、2011.09.09
    「グローバル化とイスラム」八木久美子著、世界思想社、2011.09.30
    「アラブの春は終わらない」タハール・ベン=ジェルーン著・齋藤可津子訳、河出書房新社、2011.12.30
    ☆酒井啓子さんの本(既読)
    「イラクとアメリカ」酒井啓子著、岩波新書、2002.08.20
    「イラク 戦争と占領」酒井啓子著、岩波新書、2004.01.20
    「イラクは食べる」酒井啓子著、岩波新書、2008.04.22
    「〈中東〉の考え方」酒井啓子著、講談社現代新書、2010.05.20
    「〈アラブ大変動〉を読む」酒井啓子編、東京外国語大学出版会、2011.08.10
    (2017年3月6日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    デモによって独裁政権を倒した「アラブの春」から数年。中東地域は、ますます混乱し、テロや内戦が続いている。なぜそんなことになったのだろう。国際社会や宗教は、どう関係したのか。また、中東政治のカギを握る若者たちは、デモや戦場で、何を求めて動いているのか。中東問題を「ちゃんと」知りたい人のためのはじめの一冊です。

  • 最新の中東情報(2014.3)、なおかつわかりやすい。
    ジュニア新書だが、大人にとって必要な情報。
    2010の「アラブの春」以前に、レバノンで2005「杉の木革命」があり、ベイルートからシリア軍を撤退させたという。こちらもメディアの力。スンナ派とシーア派の関係、なぜイスラム国家樹立を望むのかなど、よくわかる。

  • うーむ、イスラム関係についてはもっと勉強が必要だなぁ…

  • あとがきより
    中東という、対立と共存がないまぜになっている地域をまなぶことは、私たちと違い、違う人たちのことを学ぶことではありません。ちょっとずつ違うけれども基本は同じはずの、世界のさまざまな人たちと、どのようにおりあって平和を築いていくか、そんな根源的な課題を学ぶことなのです。

  • 登録番号:11068 分類番号:312.27 サ

  • 《帯》
    アラブを読み解く3つのカギは外圧、宗教、そして若者!

    《序章 イラク戦争から「アラブの春」へ》
    【若者は何を求めているのか】p13
    「暗い時代」のなかから登場したのが、明るい「アラブの春」でした。そこでは、テロではなく平和裏のデモが多くみられました。なぜ若者はテロではなく、デモで政府を抗議するようになったのでしょう。そこでは、ネットや携帯が大きな役割を果たしたとよく言われます。

    《第1章 アラブに民主主義はやってくる?》
    <1. 「アラブの春」が始まった>
    【2011年の大政変】
    アラブ民族が人口の主流を占める、パレスチナを含むアラブ諸国22カ国のなかで、反政府デモが起きなかったのは、カタールとアラブ首長国連邦だけだった、と言われています。両方とも、人口が極端に少なく、その社会、経済は外国人労働者に依存している国です。そして、膨大な石油収入を抱えて、国民は平均しても非常に高い収入を得ています。p20

    【欧米が「アラブの春」と呼んだ】
    これを見た欧米の政治家やメディアは、「これは『アラブの春』だ」と言いました。これより43年前の1968年、当時社会主義政権下にあってソ連の衛星国だったチェコスロバキアの、首都プラハで、自由を求める運動が高揚していたことがあります。それが「プラハの春」と呼ばれたものですから、欧米の人はつい、それと同じような運動だろう、と理解したのです。社会主義による統制社会にあったチェコの人たちが、西側資本主義社会のような自由主義、民主主義を求めて立ち上がったのと同じように、アラブの人たちも独裁からの民主化を求めたに違いない、と。
    とくにアメリカのブッシュ政権支持者のなかには、「アラブの春」はイラク戦争のおかげだという人たちもいました。2003年にブッシュ政権がイラクを軍事攻撃し、長期にわたって独裁をしいていたフセイン政権を倒した背景には「イラクに民主主義を導入して、中東全体を民主化するキッカケにしたい」という考えがありました。ですから実際に「アラブの春」が起きると、「イラク戦争に刺激を受けて、他のアラブ諸国も民主化に向けて立ち上がったのだと」彼らは言ったのです。2005年、当時のライス国務長官は、「これでアラブにも春が近い」などと、予言めいたことを言っています。
    それは本当でしょうか?そうではありません。むしろイラク戦争は、「アラブの春」にとって反面教師となりました。イラク戦争を見て、アメリカを嫌うようになったアラブの人たちは、少なくありません。多くの国ではそうした人々が、反戦・反米デモを繰り返し行いました。そんなデモ経験が「アラブの春」での大衆動員の成功につながったと言われています。
    そもそも、「アラブの春」は民主化を目指した運動だったかといえば、それは必ずしも正確ではありません。とりあえずここで言っておきたいことは、「アラブの春」が、東欧やソ連などの社会主義国家で起きた「民主化革命」と違って、民主化を第一に目標としていたわけではなかった、ということです。チュニジアやエジプトで起きたデモが目的としたのは、自分たちの国を牛耳る長期政権に反旗を翻し、人としての誇り、権利を取り戻すことです。
    ですから、アラブの人たちは、実際は「アラブの春」という言い方をしません。むしろ、それぞれの国の人たちは、これをもっと大きな事件、「革命」である、と考えています。イラク戦争のように、外国からの押しつけによってではなく、自分たちの力で政権を倒したという達成感が、「これは革命だ」と信ずる背景にあるといっていいでしょう。
    ただ、「春」という言葉の温かさ、喜びはこの一連のできごとの本質を象徴するものですし、アラブ各国にわたったそれぞれの「革命」を総称する名称は、定着したものがありません。p20-23

    【そしてエジプトへ】p27
    当時さかんいネット上にアップされていた動画を見れば、それがいかに楽しい集まりだったかがわかります。金曜日、モスクに礼拝に行ったあと、気楽な気持ちで参加する。ピクニック気分で、座り込みを続ける。集会やデモは、政治活動というより自己解放の場として、たくさんの人々を魅了したのです。
    イラク戦争がそうであったように、外国軍によって強制的に排除しないと倒せないと思っていた自国の権威主義政権を、自力で、しかも比較的平和裏に、民衆の力で倒すことができた。そのことは、アラブ社会全体を強く力づけるできごとでした。まさに、アラブ社会のエンパワーメント、つまり人が自律性を持って、自分自身の人生の主人公となるような自覚を呼び起こすことが、できたのです。p27-28

    〘まとめ〙p28
    ・「アラブの春」は、最初から「民主化」を目指した運動ではなく、長期独裁政権にうんざりした人々が、政治意識に目覚め、自分たちの力で政府を倒して「革命」を起こそうとして始まった。
    ・まずチュニジアでデモによって政権が倒れ、ついでエジプトでもデモが起こり、平和裏に大統領を退陣させた。
    ・政権が倒れたチュニジアやエジプトでは、実質的に少数の支配者に権力が集中する権威主義体制が長く続いてきた。特に、エジプトでは、息子に権力を世襲しようという大統領の思惑に、民衆の不満が高まっていた。
    ・デモには、さまざまな出身や思想を持った、ふつうの人々が数十万人も集まり、自分自身の自己発現、自己解放の場を作り上げた。

    <2. アラブでは民主化は起きないと思われていた>
    【「民主化」とはなにか】
    (歴史上のエピソードとして)18世紀後半、アメリカがイギリスの植民地だったとき、イギリスがアメリカの人々に重税を課しました。そこで、これに反発した人々がボストンでイギリス船に侵入し、積荷の紅茶を海に投げ捨てるという「ティーパーティー事件」を起こしています。世界のどこでも、民主化要求運動というのは、多かれ少なかれ「ティーパーティー事件」にように、支配者が国民の財産や意見、ひいては生命をほしいままにすることに反発して、起きるのです。p30

    【建国の父としてのナショナリスト政権】
    中東の独裁、権威主義体制が長く続いてきた理由には、それらの政権が正統性を持っていたことも忘れてはいけません。チェニジアやエジプト、リビア、シリアなど「アラブの春」で激しく攻撃された権威主義体制は、いずれも1950〜60年代に起きた軍主導の民族革命に起源を持つ、ナショナリスト政権です。
    クーデターを起こして、外国の支配下にあった政府や王政を倒して共和制を樹立したのです。エジプトやシリア、イラク、チュニジアやリビア、アルジェリアで、クーデターが起こりました。軍が中心に起こしたクーデターでしたが、多くの民衆が支持したため、それは「革命」と呼ばれました。そして、「革命」の中心的な役割を果たした軍人は、大統領などの指導的な立場につき、「独立の父」、「民族解放の英雄」と呼ばれたのです。p37-38

    ⇒これらのナショナリスト政権がもっとも大きな課題として取り組んできたのが「パレスチナ問題」でその起源にイギリスの三枚舌外交があった。p39~

    【「大義」から「口実」へ】p43
    アラブ諸国vsイスラエル(第一次〜第四次中東戦争、1948年、1956年、1967年、1973年)
    ⇒しかし、1979年になると、エジプトが他のアラブ諸国に先駆けて、イスラエルとの和平を結びます。パレスチナ人のために戦争を続けることで、自国の領土をイスラエルに占領されたり、軍費がかさむのは困る、と考えたからです。その後、アラブの他のナショナリスト政権も、似たような考えになっていきました。その結果、エジプトについで、対イスラエル姿勢を変えていくアラブ諸国も出てきます。パレスチナに協力する、と言いながら、自国の利益を優先させて、その協力は形式的なものにとどまるようになっていったのです。p43

    〘まとめ〙p45
    ・冷戦時代、欧米諸国は、ソ連が中東諸国、特に石油産出国に進出することを恐れていた。そのため、欧米諸国は産油国が民主的でなくてもこれを支援してきた。
    ・連戦後、欧米諸国は、中東でイスラーム政党が台頭することを心配するようになった。そのためには、やはり中東は民主化するよりも、軍事政権が続いたほうが都合がよいと思っていた。
    ・中東で長期にわたって政権についたナショナリストたちは、もともと植民地からの「独立の父」「建国の英雄」であり、それなりの正統性を持っていた。
    ・彼らは、同じアラブの同胞として、パレスチナに協力して戦うことで、人々の支持を得てきた。だが、時が経つにつれてアラブの諸政権のパレスチナへの支援は風化し、ただ民主化を後回しにして長期政権を担うための口実にされていった。

    <3. イラク戦争と「民主化」>
    〘まとめ〙p58
    ・アメリカは9.11事件が起きたことで、遠く離れたところからでもアメリカに敵対する勢力から攻撃を受ける危険性がある、ということがわかった。
    ・ブッシュ政権は、それを避けるためには、中東が民主化されなければならず、そのためには軍事力で中東の国々の政権を転覆させてもかまわない、と考え、アフガニスタンとイラクを軍事攻撃した。
    ・こうしてブッシュ政権が始めた「テロとの戦い」は、これまでの国対国の戦争と異なり、非国家の国際ネットワークを相手にしたので、「新しい戦争」と呼ばれた。
    ・イラク戦争は、外国軍の手を借りて民主化してもうまくいかない、という反面教師になった。そこから、非暴力を基本とする「アラブの春」が生まれた。

    <4. 「アラブの春」の混沌と外圧>
    【NATOによるリビアへの介入】p59
    【「保護する責任】p60
    ↔内政不干渉の原則
    【シリアでの」代理戦争」】p63
    ある意味で、イランとサウジアラビアの代理戦争。
    【バハレーンの「春」と宗派】p65
    バハレーンでは国民の大半がシーア派だが、王政に座るのはマイノリティであるスンナ派。イスラームの盟主を自認する隣国のサウジアラビア(スンナ派、とくに厳格なワッハーブ派国家)はシーア派反政府を看過できず、周辺湾岸国家と共に合同軍を派兵し、介入した。

    〘まとめ〙p68
    ・チュニジアとエジプトは自力で政権を倒したが、リビアでの政権転覆は、NATO軍の介入があって可能となった。
    ・シリアでは、政府軍と反政府軍との戦いが泥沼化したが、国際社会は積極的に介入せず、サウジアラビアやイランなど、周辺国の覇権争いの代理戦争となった。そのなかには、アルカイダのような武装したグループも入り込んでいる。
    ・紛争が起きたとき、国際社会が「保護する責任」を果たして人道的介入すべきか、ある国の内政には干渉してはいけないという原則を守るべきかの判断は、非常に難しい。紛争地域に国際社会がどう手を差し伸べるべきか、答えは私たちが考えていかなければならない。

    <5. 軍への依存>
    【「軍隊を取り込む」という思想】
    インキラービーユーン(ひっくり返す人たち)p73
    Ex. 日本でいえば2.26事件

    【バアス党政権とエジプトの政権との違い】
    イラク戦争前のイラクと、アサド政権のシリアに共通していることは、どちらもバアス党という政党の一党独裁体制だったということです。
    バアス党は、アラブ・ナショナリズムと社会主義を掲げ、宗教と政治を切り離して考える政党です。p73-74

    【2013年7月のエジプトのクーデタ】
    ※2011年2月からの流れの振り返り。p75
    【知識人はクーデタを支持する?】p78
    欧米のメディアは、2013年7月にエジプトで起きたクーデタを「民主主義に反する行為だ」という論調で一斉に報じました。しかしそれに対して、エジプトの知識人たちは流暢な英語で「これはクーデタではない、民意を反映した革命だ」と主張して、軍政権を養護したのです。

    〘まとめ〙p80
    ・イラクでは、亡命してたシーア派イスラーム勢力が、強力な独裁政権を倒すためにアメリカの力を利用し、その後自分たちの政権を樹立した。
    ・イラクやシリアでは、政権がしっかり軍を把握していたため、国内での政治闘争では政権を転覆することはできなかった。
    ・反対に、エジプトでは、軍は政府からある程度独立していたたので、「アラブの春」に際して軍が政府を見限ることができ、自力で政権転覆することが可能だった。
    ・「アラブの春」のあとに樹立されたムルスィー政権は、民衆の期待に応えられなかったため、辞任を求めるデモが行われた。軍はその機会を利用し、クーデタを起こした。
    ・イラクのシーア派イスラーム勢力も、エジプトの反ムルスィー派の知識人も、政権を倒すのに軍を頼るという、力への依存が見られる。

    《第2章 イスラームと政治》
    <1. 宗教が国を割る?>
    【スンナ派とシーア派】p84
    【イランへの反発】
    アヤットラー・ホメイニー「イスラーム法学者の統治」p90
    【湾岸諸国へ広がるイランへの警戒心】p92
    【定着する中東の「宗派対立」】p94
    「イラン、イラク」vs「サウディなどの湾岸君主国」
    Cf. シリアの内戦:前者がシリアのアサド体制を支援するのに対し、後者は反体制派を支援した。
    ⇒「イランを核としたシーア派勢力」vs「サウディを核としたスンナ派勢力」
    【アイデンティティを利用する政治】
    Cf. アイデンティティ・ポリティクス

    〘まとめ〙p98
    ・イラクではもともと宗派対立は激しくなかったが、イラク戦争後に激化し、内戦となってたくさんの死者が出た。
    ・イラク戦争後、フセイン政権のもとで起用されてきた人たちが政権から排除されたが、その多くはスンナ派だった。そのため、シーア派の新政府と、新政府で登用されなかったスンナ派との間の対立を生んだ。
    ・イラクのシーア派イスラーム主義者の多くは、以前からイラン革命の考え方に共鳴しており、イランとの関係を密接に持っている。そのことがイランの干渉を嫌う人たちの反発を呼び、宗派対立の性格を強めた。
    ・イランの影響力の増大は、イラク国内だけでなく、以前からイランの覇権を恐れていたペルシア湾岸君主国の警戒心を強めることになった。
    ・民主化されたことで、選挙において、必要以上に宗派や民族の違いを強調して票を得ようとする「アイデンティティ・ポリティクス」が行われ、そのことも宗派対立を深める一因になった。

    <2. イスラーム主義はなぜ生まれたか>
    【イスラームとイスラーム主義】
    イスラーム主義とは、一言でいえば「イスラームという宗教を国家の統治の軸におくべし、という考え方がイスラーム主義であり、それを実現した政権がイスラーム政権だ」と。p100
    【イスラーム政党とは】
    「イスラームの理念を掲げ、最終的にイスラーム法によって秩序づけられた国家を建設しようとする政治運動」を担う政党。(Cf. 『岩波 イスラーム辞典』)p103
    【イスラーム主義のいろいろ】
    シーア派イスラーム主義はイラン革命のときに説明したホメイニーの考え方が典型。(90頁参照)
    スンナ派の間では、初期イスラーム時代の社会を理想化して、その純粋さを取り戻そうとする厳格な方針をとる路線(サウジアラビアのワッハーブ派など)もあれば、イスラームに基づいた社会をいかに近代文明と調和させるかを模索する、イスラーム改革運動もあります。改革運動の流れを汲むのが、ムスリム同胞団(114頁参照)やパレスチナのハマース(123頁参照)などです。p107

    〘まとめ〙p111
    ・19世紀、近代化を果たしたアジア、アフリカに進出していった西洋の脅威に、イスラーム社会は衝撃を受け、改革が必要だという認識が強まった。
    ・加えて、第一次世界大戦でオスマン帝国が崩壊し、それまで1000年以上も続いてきた、イスラームによる統治体制が失われた。
    ・その結果、中東地域では、①西欧式の国民国家の建設を目指す考え方と、②硬直化したイスラームを改革し、新たにイスラーム国家を目指そうという考え方が生まれた。②の考え方がイスラーム主義である。
    ・1950〜70年代には、西欧式のナショナリズムを掲げるナショナリスト政権が主流となった。彼らは欧米の援助を得られないため、ソ連に近づき、左派と接近した。
    ・共産主義や社会主義などの左派思想は、アラブの知識人をひきつけたが、ナショナリスト政権と寄り添ったことで、貧困層からの支持を失なった。代わりに貧困層に支持されたのが、イスラーム政党である。

    <3. イスラーム政党の台頭>
    【民主主義のジレンマ】
    「自由のない民主主義が良いのか、それとも民主主義のない自由が良いのか?」これは、実は民主主義が抱える本質的な問題でもあります。民主化によって自由に活動することができるようになった勢力(この場合はイスラーム政党)が、個人の自由を侵害する可能性があるときに、どうすべきか。この問題に、近代社会は歴史的に繰り返し直面してきました。
    そこで常に引き合いに出されるのが、ドイツのワイマール共和制のもとでナチスが台頭してきた、という史実です。もっとも民主的な憲法と言われるワイマール憲法のもとで、ナチスは選挙で選ばれ、勝利しました。民主的な憲法が、ナチスという全体主義の出現を許し、結果的に周辺国への軍事侵攻や、ユダヤ人に対する大量虐殺を生んだのです。だとしたら、たとえ民主的な道筋を辿ったとしても、その勢力を阻止しなければならないケースはある、ということになるのでしょうか。
    この議論が中東に当てはめられた最初の例が、1990年、アルジェリアの地方議会での、イスラーム救国戦線の勝利です。(36頁参照)このときさかんに主張されたのが、イスラーム主義勢力が政権を取ると民主主義が否定されるというh議論でした。p119
    【イスラーム主義と民主主義は両立しない?】p120
    【武装抵抗組織から政党へ―ヒズブッラーとハマース】p122
    ヒズブッラーにしてもハマースにしても、最初は、対立する相手(イスラエル)の暴力に向き合って、武装抵抗運動に重点を置いて成立しました。しかし、90年代以降選挙制度が導入されるとこれに参加し、民主的手続を経て合法的に政治参加していったのです。
    【イスラーム政党の持つ機能】p124
    【ナショナリスト政権の衰退】p126
    【イスラエル攻撃による支持拡大】p128
    【トルコの存在感】p130
    【階層間の対立?】
    貧しい層に支持基盤を持ち、イスラーム国家の樹立を目指すイスラーム政党か。それとも、ナショナリスト政権と寄り添うことで経済的・社会的にもそこそこの地位についている左派・リベラル派か。この対立は、大衆政党と前衛政党という形で、日本も含めて多くの途上国が経験してきたことにほかなりません。p133

    〘まとめ〙p136
    ・エジプトでは、イスラーム政党が選挙で政権を取ったが、ムルスィー政権が思想や信仰の自由を制約するのではないか、と恐れた左派やリベラル派の人々は、軍がイスラーム政権を倒すことを支持した。
    ・軍によるクーデタは、民主主義を否定することであり、それを支持した左派・リベラル派の人たちは、自由のために民主主義を否定するというジレンマを生んでいる。
    ・イスラーム主義は、民主主義と相容れないものではない。民主化して選挙が実施されると、選挙でイスラーム政党が選ばれ、イスラーム政権が誕生する例が増えた。
    ・イスラーム政党が支持を伸ばしたのは、政府に代わって国民に福利厚生をもたらしたからである。また、それまでのアラブ・ナショナリスト政権が堕落し、パレスチナ問題などアラブ全体の問題で有効な解決策を取ることができなくなったためである。

    《第3章 中東の若者が目指すもの》
    <1. 若者たちのフラストレーション>
    【サドル潮流】p139
    イラクのシーア派の都市貧困層を支持基盤に持つネットワーク。
    【膨張するアラブの若者たち】
    イラクと同じように他のアラブ諸国もまた、若者の多い国々です。10歳代、20歳代が占める比率は、エジプトで4割、チュニジアで3.7割となります。さらに30歳代を加えると、いずれの国でも半分を少し超えます。
    このように、高齢化と反対に、人口ピラミッドの山が若年層にかたよっている現象は、ユース・バルジ(若者の膨張)と呼ばれます。p143

    〘まとめ〙p150
    ・アラブ諸国は全体に、若者の人口が多い。
    ・イラクでは、イラン・イラク戦争が始まった1980年以来、戦争と制裁が続いて、「暗い時代」を送ってきた。その時代に苦しんできた若者たちは、イラク戦争後、政権が変わったことで、一気に活動を活発化させた。
    ・湾岸戦争以降の20年間は、他のアラブ諸国にとっても「暗い時代」だった。
    ・アラブの人口の半数近くが、イスラエルと直接戦った経験を持たず、その代わりにアメリカ軍がアラブの土地に駐留し、戦争を行った記憶を鮮明に持っている。
    ・「暗い時代」を経験して鬱屈した若者のなかからは、暴力に頼り、「テロ」にあこがれる者たちが現れた。

    <2. なぜ若者が「テロ」に走ったのか>
    【アルカイーダの誕生】p158
    武闘派国際ネットワーク。
    【イラク戦争後に増殖した武闘派】p163
    【ふつうの若者がテロに走るとき】p165
    さらにアルカイーダには、少なくない数の欧米出身の若者も参加していました。意外に思えるかもしれませんが、アルカイーダが惹きつけたのは、高学歴でも自分に合った仕事が見つからず、社会全体に対して不満を持つ若者だったとすれば、そのような若者は、アラブ社会だけではなく、欧米諸国にても不思議ではないでしょう。彼らを勧誘・動員するのに、ネットが果たした役割は、大きかったに違いありません。
    Cf. アルカイーダ『インスパイア』という英語のオンライン雑誌はアメリカ人によって発刊された。
    世界中で話題になっている「ホームグロウン(地元育ち)」:欧米で生まれ育ったテロリスト。p166
    NY警察の調書によると:35歳以下で、イスラーム教徒、西洋的自由民主主義のもとで暮らし、移民二世か三世、中流家庭出身で、学歴は最低でも高卒、最初から信仰熱心だったり過激だったりするのではなく、日常でもごく普通。
    【テロではない道へ】p168
    2001年の9.11事件当時、そうした中東・特にアラブの判官贔屓の人々を、ある雑誌の記事は、「安楽椅子テロリスト」と称しました。
    何不自由ない生活を送りながら、テレビやパソコンのモニターを見て、現状打破の希望のない不定愁訴を抱える。クリックひとつでテロリストサイトに「いいね!」を送り、インターネットバンキングで支援金を送る。
    そんな状況を打ち破り、新たな地平を開いたのが「アラブの春」でした。戦う相手は外国ではない、目の前の自分の国の政権だ。テロではなく、自分たちの力で、目の前の望みを掴み取ろう―。2010年末から2011年にかけて路上に飛び出した若者は、このように考えたのです。彼らは「暗い時代」に鬱屈しながらも、アルカイーダの理念と空中戦の10年を、飛び越えていこうとしたのです。

    〘まとめ〙p170
    ・メディアは、中東で起きる暴力的なできごとのすべてを「テロ」と呼びがちだが、これは間違いだ。
    ・1950〜1970年代のナショナリストやイスラーム主義運動の中心にいた軍人や大学生たちは、国の将来を支えるエリート意識を持っていたが、教育が進み、高学歴の若者が増えると、彼らの失業や就職難という問題が生まれた。
    ・「暗い時代」しか経験していない若者が武闘路線にひきつけれられたのは、学歴が高くても自分の能力を発揮できなかったり、社会から差別されたりして、社会に不満を抱えているからである。欧米に住んでいる若者も、それは同じである。
    ・79年のソ連のアフガニスタン侵攻をきっかけに組織されたアルカイーダは、自国の政府を相手に戦うのではなく、他の国にイスラーム国家をつくろうとした。
    ・アメリカのアフガニスタン攻撃やイラク戦争は、戦争や内戦などで崩壊した社会を増やし、国際的ネットワークをもった武装組織が活動するのに都合の良い空間を作った。

    <3. 新たな運動の形成>
    【レバノンの「杉の木革命」】p172
    アラブの春の先駆け、種。
    【「アラブの春」の新しさ】p173
    ①衛星放送やインターネットを通じて、自由な報道と意見表明が市民社会の間に広がったこと。
    ②人々が国民としての自覚、自尊心を強く持つようになったこと。
    ③自国の政府に対して数万、数十万という大人数が抗議活動に参加し、路上に繰り出したこと。
    ④それが少なくとも最初は、平和的に始まったこと。

    【意識を変えた「リアリティ番組」】p175
    政治、報道番組だけでなく芸能番組も。特に「リアリティ番組」と呼ばれる視聴者参加番組が、爆発的な人気を得た。「スター・アカデミー」や「スーパースター」、「アラブ・アイドル」といった歌謡コンテストでは、アラブ各国から参加する歌手を、視聴者が人気投票します。これこそ、アラブ人に、自由に「選ぶ」ことの楽しさを教えた番組だったのではないでしょうか。

    【アラビア語は国境を越える】p178
    【ネットがつなぐ運動】p181
    【「恐怖の壁」が崩れた】p183
    2010年夏に起きた「ハーリド・サイード事件」
    グーグル社のエジプト支局に勤めていたワーイル・グネイムがこの事件を取り上げる。→その年のノーベル平和賞候補に。
    【新しい民主主義の可能性】p185
    アラブの春→(触発)ウォール街を占拠せよ→(触発)反原発デモ
    【暴力と非暴力の間で】p187
    パワーバランスの変化、武器の流出→(日本人を含む)アルジェでの外国人人質拘束事件
    【革命はまだ暗中模索】p189

    〘まとめ〙p192
    ・「アラブの春」や、その先駆的な運動であった「杉の木革命」での、インターネットや衛星放送が大きな役割を果たした。
    ・衛星放送は、それまで統制された国営放送しか知らなかったアラブの人たちに、表現や意見の自由、批判的精神を生みだした。特に、視聴者参加番組は、アラブの人たちに新しいナショナリズムを生じさせ、若者の自己発現の場となった。
    ・ツイッターなどのソーシャル・ネットワークは、デモに参加する人々が情報を共有し、団結するのに効果的だった。ネットを通して人々が繋がることで、体制に対する恐怖感が払拭された。
    ・非暴力で始まった「アラブの春」は、やがて暴力の連鎖を生み、政権転覆は暴動の頻発につながった。そのため、秩序と安定を取り戻そうと、革命を逆行させる動きも見られる。アラブの革命は、まだ長い過程の途中にあり、試行錯誤が行われている。

    《終章 日本とアラブ》

    <メモ>
    国際正義に重要なのは想像力を持つこと。
    「世界がつながっていることを理解すること」p212
    Cf. バタフライ・エフェクト

  • イラクでは宗派が原因で紛争が激化したことはない。
    イスラムとは宗教であるとともに法体系でもある。イスラム法学者とは法を作るもんかのこと。もっとも法律に詳しい人が政治を導くのがもっとも正しい道だとホメイニは考えた。

  • 青い地球の何処かで、必ず血で赤くなっているところがある。誰が赤くしているのだろう?

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    https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-500767

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