漱石先生の手紙が教えてくれたこと (岩波ジュニア新書)

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  • / ISBN・EAN: 9784005008582

感想・レビュー・書評

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  • ○読者の意見にはきちんと耳を傾けるが、迎合せず、おもねらず。
    ○若い人たちへの手紙がほんとにやさしい。これは惚れられますわ。
    〇漱石先生はベーカーストリートを訪れていた!
    ←『クレイグ先生』

    ◎はじめに
    夏目漱石は畏るべき“手紙魔”であった。
    若い人たちに肉筆で思いを綴ることの素晴らしさを知ってもらえば

    序章 吾輩は手紙好き人間である
    ・夏目家に電話が引かれた日 大正元年
    ・漱石が書いた手紙の数 2500通以上
     5000字にのぼる手紙を一日のうちに出したことも
    ・漱石山脈と木曜会
    ・癇癪持ち漱石の包容力
    ・漱石が小学生に送った手紙
    ・『坊ちゃん』「清」から「坊ちゃん」への手紙
     名作の力
    ・手紙は漱石を知るキーワード
     「人に手紙を書く事と人から手紙をもらうことが大すき」
    ・漱石が若い人たちに送った多くの手紙を通して、人はいかに生きるべきかを考えていきたい

    1:孤独と向き合う…顧みるもの一人も無
    ・俳句を介した漱石と寺田寅彦の縁
     漱石先生は明治の年数が満年齢(明治元年の前年生まれ)
     明治26年(1893)東京大学英文科を卒業、大学院に進む傍ら、東京高等師範学校(現・筑波大学)の教壇に立つ
     明治28年(1895)愛媛県尋常中学校
     松根東洋城、眞鍋嘉一郎
     明治29年(1896)熊本五高
     寺田寅彦
     全集に残っている約2400首の俳句のうち三分の二が松山・熊本時代のもの
    ・気の進まぬロンドン行き
     明治33年(1900)文部省よりイギリス留学の命
     「秋風の一人をふくや海の上」
     「夢覚メテ、既ニ故郷ノ山ヲ見ズ。四顧渺茫タリ。乙鳥一羽波上ヲ飛ブヲ見ル。」
     書物に対する飢餓感
      支給の官費が足りず、大学の講義にも満足できず、シェイクスピア研究家に個人教授を受ける
     第一の目的であった書籍を満足に購入できない
     鏡子夫人への手紙
      ロンドンの物価への愚痴、衣食住をおさえ書籍代に回したい。他の遊んでいる留学生や官吏への愚痴
     下宿に籠もり、読書とノートづくりに没頭
     「クレイグ先生」シェイクスピア研究家
     ロンドンから妻に宛てたラブレター
      鏡子夫人が手紙をくれないことへの愚痴
      頻りにあなたが恋しい
      臨月であった夫人への気遣い
      少ないお給料でのやりくりへの心配
     漱石の下宿を訪れた日本人化学者
      池田菊苗(「味の素」うまみ成分の発見者)
       英文学研究への行き詰まり
       科学の魅力にはまる
      科学への関心の高まり
       文学書を読まず、科学書を読み漁るようになる
      “血”(文学書)をもって洗えなかった“血”(文学研究)
     ロンドンに届いた子規の訃報
      「僕ハトテモ君ニ再会スルコトハ出来ヌト思ウ。」子規からの手紙
       ←慰めの返信ではなく、にぎやかなロンドンの雑踏の光景を子規に送った
      「柿食ふも今年ばかりと思ひけり」子規
     子規追悼の句
      筒袖や秋の棺にしたがはず
      手向くべき線香もなくて暮の秋
      霧黄なる市に動くや影法師
      きりぎりすの昔を忍び帰るべし
      招かざる薄に帰り来る人ぞ

     「倫敦に住み暮らしたるにねんは尤も不愉快の二年なり。」

     泉下の子規に宛てた“手紙”
     「水の泡に消えぬものありて、逝ける汝と留まる我とを繋ぐ」
     「汝が水の泡は既に化して一本の棒杭たり」
     
    ※漱石の理想の美人
     池田博士と頭の中の理想の美人と自分の妻を比べて「まったく似てないなあ!わははは」みたく大爆笑。たぶん、あちらの世で叱られてる
     漱石先生の作品から類推すると
     「蒼白い肌をした潤んだような黒い大きな瞳をもった女性。淋しさと憐れさ」

    2:人生の決断に迷ったとき…死ぬまで進歩するつもりでやればいい
     帰国後、熊本に戻らず、東京大学講師と一高英語嘱託になる
     明治36年(1903)
      東大講義…不評
       英語講読
       テキストを読ませ発音を直し、訳読の誤りの指摘
       英文学概説
       理論的、分析的に過ぎた
       前任者ラフカディオ・ハーンとの違い
      …辞任を考える、大学長に引き留められる
      ←軌道修正
     漱石のシェイクスピア講義(一般講義)~明治40年(1907)…大人気
      「漱石先生の沙翁講義振り」布施知足
      『漱石のオセロ』野上豊一郎
      「『オセロ』講釈」小宮豊隆
     明治38年(1905)…『ホトトギス』に『吾輩は猫である』の掲載をはじめる
      寺田寅彦宛の手紙
       吾輩は猫であるの自画自賛
      次々に作品を発表、英文学者と作家の二足のわらじ
     『坊ちゃん』の登場人物のモデル探し…読者
      赤しゃつも野田もうらなりも、皆空想的の人間に候
       イギリスに行くのが嫌だった気持ちを重ねた?
     作家の考えと批評家の見識
     鈴木三重吉からの5.5㍍にもおよぶ手紙
      ほぼ漱石先生のことで埋まっていた
     ←門下生を褒めおだてるだけでなく、きちんと才能を評価した

     ・命のやりとりをするような維新の志士の如き烈しい精神で文学をやってみたい
     ・僕は死ぬ迄進歩する積りでいる
     ・鈴木三重吉からの約5.5メートルにも及ぶ手紙
      内容はほとんど漱石先生が大好きてきなの
     ・死ぬまで進歩するつもり

     夏目漱石の卒業論文講評→一人一人に卒論の講評を書き送る
     丁寧な講評と激励

     ・やめたきは教師、やりたきは創作
      講義を作るのは死ぬよりいやだ
      あれもこれもはムリだ!創作がしたい
      ←学校三軒掛け持ち
     
     「余は吾文を以て百代の後に伝えんと欲するの野心家なり」
     新聞社からの声がけは嬉しいが、やりたい仕事はコラムではなく小説

     「入社の辞」1907.5.3東京朝日新聞

    ※漱石の声、再生の試み
     ←失敗

    3:決めた道で困難に出会ったとき…自分は自分流にするのが義務
    ・「虞美人草」の執筆と漱石の逆鱗
     “博士”の権威
    ・「猫」の死亡通知
     此の下に稲妻起る宵あらん
    ・引っ越しの度に大量の書籍に苦労する
     …持ち家が欲しくなる・生涯借家

    ・『文学評論』
     大学の講義、「十八世紀英文学」をまとめたもの
    ・門下生が流した三十年後の涙
     林原、一高合格を漱石先生に報告にいくも、ぽつりと「良かったね」とだけ言われる。拍子抜けに思う。
     二十年後、知り合いに教えられ全集の日記を読むと「定めて嬉しかろう」と記されていた。

    ・科学の指南役、寺田寅彦
     作品中の科学系のエピソード
     韓国帰国直後、伊藤博文暗殺に触れた手紙
    ・修善寺大患
     三人の子どもたちへの手紙←凄くよい
     病床から新聞社へ執筆をゆるゆる再開
    ・漱石の死生観
     長閑な春
     「あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい」草枕
    ・長与病院長の死
     逝く人に留まる人に来る雁
    ・大塚楠緒子の死
     友人の妻、才色兼備の佳人
     在る程の菊投げ入れよ棺の中

    ・博士号辞退騒動
     1911.2.26
     文部省より文学博士号授与の通知
     ←舌鋒鋭い辞退の手紙を送る
      文部省の福原鐐二郎は予備門時代の同級生
     ←学位授与は発令済みなので辞退出来ないとの手紙
     ←漱石先生激怒
     ←学位送付を見直し、文部省預かりに

    ・湯川胃腸病院に入院・大阪
     寺田寅彦に早く東京に帰りたいとハガキを送る
     東京に帰ると痔の手術

    ・雛子の市と『彼岸過迄』
     1911.11.29 五女雛子が1歳8ヶ月で突然死
     自分の胃にはひびが入った。自分の精神にもひびが入ったような気がする。
     愛はパーソナルなものである。
     「子供に逝かれるというものはいやなもんだなあ」
     『彼岸過迄』「雨の降る日」…雛子への供養
    ・明治から大正へ
     1912.7.30明治天皇崩御
     胃の不調
     「何だかもう長くはないような気がします」
     『行人』執筆

    ※博士号辞退騒動の後日譚
     明治大学から“文学博士”として卒業式の招待状が届きご立腹

    4:戦うよりも許すこと…それが人間の修養
    ・安部能成の結婚
     その他、若い門下生たちの生活を心配
     著作の校正の仕事の斡旋

     安部能成…後の学習院初等科学習院長
     「人間、正直でなくてはいけない。正直者がバカを見るなどということは間違っても思ってはいけない」
     寺田寅彦の長男・寺田東一 学習院高等科物理学担当

    ・岡本一平『探訪画趣』漫画家 朝日新聞で連載
     アインシュタイン来日時、随行して漫画と文で紹介

    ・見知らぬ読者へ送った手紙
     小学生に送った手紙
     作家を目指す人に送った手紙、人生相談
     「…外の人のものを御読みなさい。手の届く限り何でも御読みなさい。時間の許す限り。」
     突然訪ねて来た女性の人生相談
     「そんなら死なずに生きて居らっしゃい」

    ・まだひょろひょろしている
     1914.9 胃潰瘍再発 自宅で病臥
     中勘助『銀の匙』

    ・“パトロネージ”の精神
     ファンにも門戸を広げ、丁寧に接する

    ・1915 京都おしのび旅行で胃痛 
     ←京都に遊びに行きたいとおねだり
     鏡子さんに迎えに来てもらう
     ←東京に戻ると令状や手紙を書き倒す

    ・武者小路実篤に宛てた手紙
     『白樺』創刊号送付へのお礼
     当時は無名の新人
     「武者小路さん。気に入らない事、癪に障る事、憤慨すべき事は塵芥の如く沢山あります。それを清める事は人間の力で出来ません。それと戦うよりもそれをゆるす事が人間として立派なものならば、出来る丈そちらの方の修養をお互いにしたいと思いますが、どうでしょう。」

    ・『道草』の連載
     タイにいる物集芳子に手紙 門下生、探偵小説家
     ←娘がピアノを弾いていること、子どもたちが自転車を素っ裸で乗り回していること、シャム猫の所望(「シャム猫は是非下さい。待っています。忘れては不可ませんよ。」)⬅かわいい!!! 

    ・ある女の告白と『硝子戸の中』


    ※漱石は愛犬家
     二代目の犬ヘクトー
     嚙みつき犬…警官に怒られるが反論する
           あやしいから吠えるねん←無茶苦茶
     その後、漱石先生がヘクトーに噛まれる

    終章 吾輩は自己の天分を尽くすのである
    ・いつまでも生きる気でいる
     物集芳子に
     「もう五十になりました。白髪のじじいです。」
     「腹の中では何時迄も生きる気でいるのだから、其実は心細い程でもないのです。」

    ・芥川龍之介への手紙
     1916.12『新思潮』(第4次)創刊号 「鼻」
      木曜会に芥川龍之介と久米正雄が加わる
      「あなたのものは大変面白いと思います。落着があって巫山戯ていなくって自然其儘の可笑味がおっとり出ている所に、上品な趣があります。夫から材料が非常に新らしいのが眼につきます。文章が要領を得て能く整っています。敬服しました。ああいうものを是から二、三十並べて御覧なさい。文壇で類のない作家になれます。然し「鼻」丈では恐らく多数の人の眼に触れないでしょう。触れてもみんなが黙過するでしょう。そんな事に頓着しないで、ずんずん御進みなさい。群衆は眼中に置かない方が身体の薬です。…」

    「君方は新時代の作家になる積でしょう。僕も其積であなた方の将来を見ています。どうぞ偉くなって下さい。然し無暗にあせっては不可ません。ただ牛のように図々しく進んでいくのが大事です。文壇にもっと心持の好い愉快な空気を輸入したいと思います。」

    「牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬にはなりたがるが、牛には中々なり切れないです。僕のような老猾なものでも、只今、牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。
    あせっては不可ません。頭を悪くしては不可ません。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。決して拵えてそれを押しちゃ不可ません。相手はいくらでも後から後から出て来ます。そうして吾々を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。」

    ・『明暗』の推敲を示す手紙
    ・トルストイ流と漱石流

    ・漱石の漢詩
     上田敏氏の死

    「子供は大きくなりました。長女は十八です。そろそろ御嫁にやらなければなりませんが、私のような交際の狭いものは斯ういう時に困る丈です。然しまだ学校へ行っていると思って、まあよかろうという積で吞気に構えています。夫でも此間、口が一つ二つあったには驚ろきました。あれでも此方から懇願しないで嫁に行けるかと考えると、多少気丈夫になりました。」
    ←筆子ちゃんは、漱石先生が亡くなってから、1918年に門下生の松岡譲氏と結婚
    久米正雄と三角関係で、芥川龍之介も巻き込まれていた

    ・絶筆

    主要参考文献 一部
    津高青楓『漱石と十弟子』芸册堂
    夏目伸六『父・夏目漱石』文春文庫
    小山慶太『漱石が見た物理学_首縊りの力学から相対性理論まで』中公新書
    鈴木英男「蠟管に記録された夏目漱石の音声再生の試み」『千葉工業大学研究報告 理工編』
    ハヤシバラ耕三『漱石山房の人々』講談社

  • 夏目漱石は生前ものすごい量の手紙を書いたという手紙マニアだったらしい。膨大な漱石の書簡から見る物語。

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著者プロフィール

1948年生まれ。早稲田大学名誉教授。理学博士。著書に『寺田寅彦』『入門 現代物理学』『科学史人物事典』『科学史年表』『どんでん返しの科学史』(中公新書)、『ノーベル賞でたどるアインシュタインの贈物』(NHKブックス)、『ノーベル賞で語る20世紀物理学』『光と電磁気─ファラデーとマクスウェルが考えたこと』(講談社ブルーバックス)『エネルギーの科学史』(河出ブックス)など多数。

「2020年 『高校世界史でわかる 科学史の核心』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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