「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)
- 岩波書店 (2019年6月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (248ページ) / ISBN・EAN: 9784005008964
作品紹介・あらすじ
家族や友人などの繋がりをすべて断ち切って,オウムに入信し,凶悪な事件に手を染めていった若者達.一連の事件がどうして起きたのか,彼らは特別な人達だったのか.オウムを長年取材してきた著者が,若い世代に向けて事実を伝えるとともに,カルト集団に人生を奪われない生き方を示す.巻末に年表を付し,当時の社会も見える化した.
感想・レビュー・書評
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かつてオウムに殺されかけたこともある著者を迎えて、若者に「いかにカルトにのめり込まないようになれるか」を説いた書物。「のめり込むなんて、そんなことあるはず無いじゃないか」と若者は思うかもしれない。しかし、事実としてオウム事件で死刑になった当時の青年たちの多くはみんな、「あるはずない」と思うような青年だった。
死刑になった12人は、高卒もいれば、教授に将来を嘱望された科学者もいれば、医者も2人いる。みんな「真面目な」若者だった。
特に中学生、高校生にも読んで欲しいけど、実はオウム事件を経験してきた大人に、改めて「あの事件はなんだったのか」知ってもらいたい。殺人こそ犯さないけど、現代もマインドコントロールされる人たちが後を絶たない。そういう意味では、誰にとっても、危険はすぐ隣にあるだろう。
初めて知ったことが多い。
私はマスコミによって、逮捕劇とか空中浮揚とか絵になる事柄だけに詳しくなって、その概要を全然知らされていなかったのではないか?と思う。
松本智津夫(麻原彰晃)の人生も、死刑囚の人生も、次第とエスカレートしてゆく初期の数多くの(殺人を含む)犯罪も詳しくは知らなかった。
警察が初期捜査の段階で、如何に数多く犯罪を見逃してきたのか(ここに記述あるだけでも5件)。
オウムが登場してきた頃、マスコミが如何に麻原彰晃を面白おかしく宣伝していたのか(「ビートたけしのTVタックル」「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」「朝まで生テレビ!」)。
指摘されて初めてあったかもしれないと思い出した。
オウムを産み出した社会背景もいろいろと思い出した。オウム事件は95年だが、彼らが過ごした少年時代はどんな時代だったのか?73年のオイルショック、狂乱物価、「ノストラダムスの大予言」と「日本沈没」そして超能力。それらの爆発的ヒットの年だった。その頃小学生だった彼らは、やがてバブル期に青年になる。彼らが入信する80年代後半は「24時間戦えますか」「いじめ自殺」「過労自殺」が出現する。そして1999年の「終末」が近づいてくる。
はっと気がついたのは、オウム真理教の柱の教義に「ハルマゲドンが起こる。それまでに最終解脱する人を3万人作らないと間に合わない」というのがあった。「人類救済計画」と呼ばれていた。これって、エヴァンゲリオンの「人類補完計画」と大差ないではないか。96年がエヴァンゲリオンのテレビ初登場。エヴァの背景にオウムがあるのは聞いていたけど、庵野秀明はまるまる25年をかけて「オウムの呪い(のろい)」から解放される「呪い(まじない)」を探していたということになるのか。
一応カルトの条件と、カルトから逃れる方法も書かれている。しかし、カルトには「タイミングさえ合えば、誰もがのめり込む」とも書いている。
もう、そういうことが起きないような社会にするしかないのかもしれない。けれども、戦争という人類史上最高度のカルトを無くさない限り、それは無理なのかもしれない。
2021年4月19日読了 -
1995年3月、有毒ガスサリンがオウム真理教信者によって東京の地下鉄にばらまかれ、13人が死亡、多数の重傷者が出た。23年後の2018年、教祖の松本智津夫被告をはじめ、数々の事件に関わった信者13人に死刑が執行された。
この本は、オウム真理教を追い続けてきたジャーナリストの江川紹子氏が、事件に関わった信者たちへのインタビューをもとに、彼らがなぜカルトに引き寄せられたのか、同じような過ちを繰り返さないために大事なことは何かについてまとめた本である。
事件の主犯格で一番若かった井上嘉浩死刑囚。彼がもう少し社会経験を積んでいればこんなことにならなかったのか。社会人になってから入信した杉本受刑囚。彼が健康で円満な両親の元育てられればこんなことにならなかったのか。
ある信者の生い立ちを読み、原因を求めようとすれば必ず次の信者の生い立ちで否定される。広瀬死刑囚にいたっては、仲の良い両親のもと、学生時代は学級委員として活躍し、大学院で将来を嘱望されるほどの研究を行っており、新興宗教には非常に懐疑的であった。それでも、彼が不思議な現象を「体験」したがために、オウム真理教の教義に興味を持ってしまうのである。
彼らの人生を追っていると、まさに入信するかしないかは「タイミングと運」に過ぎないことがよくわかる。そして、当時世間を騒がせた世紀末の終末論、バブルの崩壊。社会に閉塞感が漂い、出口のない答えを求めた若者がオウム真理教の扉をたたいてしまった。
私も今思うとかなり危ないな、と思う体験をしたことがある。転勤で土地勘も知り合いもない地域に引っ越し、慣れない仕事をしていた時、手相の勉強をしています、とかわいらしい女の子に声をかけられた。あなたはすごくいい手相をしている、ぜひ先生に見てもらった方がよい、と言われ、その気になったことを覚えている。なぜ私がその時危険を回避できたのかというと、先生のいるという場所が不案内で行くのがめんどうくさいと思ってしまったからで、まさに運に救われたのである。
『日本書紀』の時代にも問題になっていたほどカルトは根が深い問題である。そしてそれはわかりやすい形で近づいてくるわけではない。ヨガや自己啓発セミナー、大学のサークル活動の中で勧誘されることも多いという。
この本では、カルトを見分けるポイントとして次の点を挙げている。第一に、「お金の話が出たら」注意すること。第二に、「話が最初と違っていたり、何らかの嘘が含まれている場合」は注意すること。第三に、「「これは誰にも言っちゃいけない」など、秘密を守らせようとしている場合」は注意すること。そして「情報をしっかり集めること」。少しでも疑いを持ったら「自分の感性を大事に」すること。また、友人が取り込まれてしまったら近づかず、大人に相談すること。
経済的に苦しく、孤立する人が多くなっているコロナ禍の今、この本を少しでも多くの若い人たちに読んでもらいたいと思う。 -
普通の若者たちがいかにしてオウム真理教に入信して凶悪事件の一端を担うに至ったかを示し、カルトにはまり込む危険は誰にでも潜むことを注意喚起する目的で書かれている。若い読者に向けられた文章で、とても読みやすい。自身も被害者にもなった著者によるものだが、主観的な意見は控えてオウム真理教や教祖の来歴や言動、信者の手記などを丹念に紹介することを通じて、カルトの恐ろしさと一連の事件の教訓を導き出す。
教祖である麻原彰晃(松本智津夫)の情報をまとめて得たのは今さらながら本書が初めてだった。若い頃からの野心家で詐欺まがいの商売を営んでいたこと、自分では直接手を汚さないこと、倫理観が欠落しており、逮捕後は手のひらを返す卑怯さなどからは、「北九州・連続監禁殺人事件」の犯人との共通点を見いだす。本来は人望のない人間が人の上に立つ(というより支配する)ことにこだわり、目的を達成するために洗脳という手段を見い出す経緯は両者に当てはまりそうだ。
オウム真理教というひとつの組織を構成するメンバーであっても、教祖と信者たちについては分けて語られるべき存在だろう。それでも両者に共通点があるとすれば、自分が描く理想と現実のギャップを埋めるためのショートカットが可能だと信じた点は挙げられる。ただし、本書を見る限り信者たちの理想が現実の社会への疑念や人生への迷いなどから生じたのに対し、教祖の目的は他人への被害も顧みない利己的な自己の拡大に尽きていたことは大きな違いである。一連の関係者の逮捕後、死刑囚を含む信者たちが改心して反省の弁を述べるのに対し、教祖は最後まで事件への直接の関与すら否定し続けた。裁判の経過からも、教祖にとって信者たちが手段に過ぎなかったことがわかる。
本書で掲載される、逮捕後の信者たちの手記からは得るところが多い。一部を引用する。
「一番大きな理由は私が自分の頭で考えることを放棄してしまったことだと思います」
「本来は断定できないことを断定・断言していないかどうか、注意することです」
「自分の感受性を信じるべきだった」
実際にカルト宗教にはまる人間の割合自体は決して多いものではなくとも、組織や指導者の論理を無自覚に受け入れることの危険という意味では、本書が指摘する問題には基本的に全ての人々に該当する一般性がある。終盤で著者が示唆する通り、ナチス・ドイツの国家による大規模な蛮行も、人がカルトにはまる経過と相通じる。カルトに限らず個人個人が「疑問を持つ、考え続ける」ことの大事さをわかりやすく説いてくれる一冊だった。 -
現在二十歳の私は、私が生まれる前にオウム真理教という存在、そして地下鉄サリン事件という現代日本史上最も恐ろしいテロ事件の一つが起きたという事実はメディアや歴史の授業で学んでいた。また、私の祖母は事件当日、何となくに早めに出勤をしようと家をいつもより早く出た結果、幸いサリン事件に巻き込まれずに済んだという話を聞いたこともある。この本を読んで、私はこのオウムに引き寄せられた若者たちを他人事とはとても思えなかった。オウム真理教が生まれた当時の社会は、右肩上がりの成長を続けてきた高度経済成長がオイルショックによって崩壊し、狂乱物価や物不足などで社会が混乱し、人々の将来への不安が芽生えてきた。そんな時、『ノストラダムスの大予言』などのオカルトや超常現象を取り扱う映画や番組が流行した。またバブル景気による豊かさの陰で、会社員の過労死や学校でのいじめ問題が深刻化していた。そんな中で本当の豊かさとは何か、モヤモヤとした不満や不安に駆られる若者も多く、そんな思いで未知の世界へ引き寄せられていったのである。今の時代はどうであるか。バブル崩壊で不景気が続き、就職氷河期に突入、その後リーマンショックや新型コロナウイルス拡大の影響で多くの企業は打撃を受け、現在第二次就職氷河期と言われるまでになっている。それに加えて、東日本大震災から続く大地震、各地で豪雨などの異常気象は毎年のように我々を震撼させている。また、近い将来ほぼ確実に起こると言われる南海トラフ地震は東日本大震災の被害の10倍が予想されている。インターネットの発達により、匿名での誹謗中傷、いじめも深刻になっており芸能人の自殺などがメディアを騒がせている。そんな中2019年に10代を対象に行われたネットアンケートでは8割の人が将来に対する不安を持っていた。アメリカでは、コロナウイルスの影響で学校に行けなくなり、部屋に籠もりがちな多くの若者が鬱病や精神病に悩まされ自殺するケースが増加している。日本も同様にほとんどの大学がオンライン授業になり、入学生は一年間学校に通えない状態が続いている。私自身も将来に不安を持つ若者の一人であり、就職に希望も見えない。私自身も含めこの現代に生きる若者たちはこの著書に出てくるような若者たち同様オウム真理教のような未知の人生に答えをくれそうなカルト集団に惹かれてしまう可能性がある。だからこそカルトはすぐ近くにあることを自覚して、巻き込まれないように考えていかなければならないと感じた。
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子どもながらに衝撃を受けた事件でした。自分自身は事件後の番組などで少なからず事件の恐ろしさを知ることができたけど、自分の子供世代は全く知らずに育つんではないかと思い、購入しました。読み始めると止まらなくなりますが、途中本当に現実で起こったことなのだろうか、、と目を背けたくなるような辛い部分も多くあるので休憩を挟みながら読むことをお勧めします。
どんな時も自分のアタマで考えることやめてはいけない、自分の感性(違和感だったり)を大事にする。この本で学ばせていただきました。 -
オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた1995年、私は中学2年生だった。最も多感な時期で、この年に阪神大震災もあったこともあって強く記憶に残っている。エンタメで言えばエヴァンゲリオンが放送された年であり、まさに世紀末感があった。
改めてショックを受けたのが広瀬健一の項目だった。中学生で学級委員を務め、担任教師から通信簿に「クラス内で絶対的な信頼を得ています。級友の面倒みがこんなにもいい学級委員は今まで見たこともありません。健一君のような生徒、学級委員に出会えたことは私にとっても幸せなことでした」とまで書かれた真面目な人格者。早大理工学部を主席で卒業し、指導教授からは「研究を続けていれば、世界の物理学はさらに進歩した」とまで言わしめた頭脳の持ち主。おまけに彼は、宗教を疑うことから入っていた。それがどうして、と思わざるを得ない。あまりにも真っすぐで純粋で真面目な青年の末路が悲しすぎた。
また、「理系の秀才や医師、経済センスのある人間、法律の専門家、美人を集める」といったやり方の巧妙さ、洗脳の手口、井上嘉浩の例に見る飴と鞭を使い分けて崇拝させる方法など、改めてカルトの手口の怖さもよくわかる。
本書はジュニア向けの新書なので、事件のことを知らない10代、20代の人にこそ読んで欲しいと思う。 -
オウム真理教は無害で愉快な新興宗教と思われていた。麻原彰晃や弟子たちは普通にテレビ(ユニークな教えで今若い人に人気の宗教という軽めの立ち位置)に出ていたし、一般雑誌の表紙になっていたこともあった。その事で安心して気軽にオウムのヨガ教室に参加し、取り返しのつかないことになった人もいた。(この本にも書かれている通り、マスコミにも責任があると思う)江川紹子さんはそれより前からオウムの危険性を察知していた。本当に長い間、真剣に、実際殺されそうにもなりながらオウムと関わっていたわけである。
当時から江川さんの見た目はあまり変わってない印象を受けるが、オウムがマスコミで話題になっていた時、実はまだ30歳をちょっと過ぎたくらいだったということをこの本で(書いてある訳ではなく、経歴から計算して)知った。浮ついたところやが全くなく、凄く落ち着いていたので、年配の人だと勝手に思い込んでいたが、若かったのだ。変わらないのも、見た目が中身に追いついたせいかもしれない。余談だが。
この本は、若い人に向けて書かれているため、当時の社会状況なども丁寧にわかりやすく説明されている上、オウム真理教に関しても、膨大な量の情報を持っているだろうが、大変バランスよく整理されている。整理されているとは言っても、犯罪行為を行った信徒の心情なども手記などをベースにきちんと描かれているので、本当にぐっとくるものがあった。人を殺めたということを、マインドコントロールから抜けて初めて自覚し、後悔と自責の涙に暮れても、遅いんだ。殺しちゃったら。
真面目で、世の中のことを真剣に考える人が、もし麻原彰晃と出会わなければ、社会で人を助けるような立派な仕事ができたかもしれないと思うと、やるせない。
土谷正実や端本悟の両親は、とても良い人達で、息子を脱会させよう、犯罪行為を止めさせようとできる限りのことをしたと思う。土谷も端本も、親を愛し大切に思っていた。それでも、殺した。親からしてみたら、たとえどんなことをしてでも、自分が死んでも、それだけはしてほしくなかっただろう。結局本人が自分でまやかしに気づく以外方法は無いということなのだろうけど、親としては辛すぎる。優秀で真面目で優しい、大事な息子だった。その息子が人殺しで死刑。殺された人への謝罪の気持ちがあるから、自分の悲しみを公にもできない。どれだけ辛いことかと思う。
麻原彰晃を(テレビや雑誌で)見た限りでは、どうしてこんな胡散臭い汚らしいおっさんに夢中になるのか、全く分からなかったけれども、実際に会ったら魅了される何かがあったのだろう。また、人心掌握に長けていたことは間違いない。洗脳されて、グルのやることは絶対に正しいと思い込んでいたのだろう。それにしても、何度かおかしいと感じたことはあったわけで、そこで引き返せば良かったのに、と思わずにはいられない。
まっとうな宗教とカルトはどう違うのかとダライ・ラマに訊いた時の答えを心に刻んでおきたい。「studyとlearnの違い」。「studyには「研究する」という意味もあります。研究するには、疑問を持ち、課題を見つけ、多角的に検証することが必要です。一方のlearnは、単語や表現を教わり、繰り返し練習して記憶する語学学習のように、知識を習い覚えて身につけることを言います。「studyを許さず、learnばかりをさせるところは、気をつけなさい」一人ひとりの心に湧いた疑問や異なる価値観を大切にしなければstudyはできません。それをさせない人や組織からは距離を置いた方がよい、というのが、法王からの忠告です。」(P208) -
善良な若者がカルトに囚われる様子がホラー小説ばりに恐ろしい
オウムをたまに放送される特番くらいでしか知らない私と同世代の若者たちにぜひ読んで欲しい
特に5章の引き寄せられる前には必読だと思う -
「オウム」の一連の事件について、テレビで見る程度の知識しかなく、関わった人々は自分とは遠い存在のような気持ちでニュースを見ていました。この本を読み、ごく普通の真面目に生きようとした若者が入信、犯罪を犯すことになったと知りました。身近にあるカルトについて知り、引き込まれないためにも読んでおいてよかったと思いました。
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オウム真理教というと、どこか人ごとで自分とはかけ離れた人たちが起こした凶悪な事件だと思いがちだ。でも実際に入信した人たちを知ればそうでもない、つまりごくごく普通の人(ただし、優しく少し考え過ぎになる面はありそう)がカルトにハマるのだということが分かる。
オウム真理教について、麻原や入信者や彼らが起こした事件やカルトにはまらないためにはどうしたらよいかなど、基本的なことがこの本から学べる。 -
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以前から「人はタンポポの種」という仮説が頭にある。
運命という風向きで落ちた場所に花を咲かせるしかない。
誤った指導者に巡り会ったのが不運の始まり。むしろ良心的で利他的な人々が極刑に処せられてしまった。(A級戦犯や極左ゲリラにも似た事例がある)。
オウム事件の後にも、カルト宗教の被害者は数知れない。彼らにしてみれば「オウムなんて邪教にハマった奴らはバカだなぁ。その点、うちは大丈夫」という確信があったのだろう。
参考文献に『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』が入っているのは、江川さん、目が行き届いている。
自分は浮き世離れした人種が好きで「よく宗教勧誘に来る人」も部屋に招き入れて、話をうかがったりするのだが、「この人がオウムに入っていたら、喜々としてサリンをバラ撒いたんだろうな」という所感を抱いたことがある。
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江川さんの名前は、恥ずかしながら死刑報道のあとに初めて知った。信頼できるオウムジャーナリストである、という評判も聞いていた。
彼女が、子供のためにかいた本であり、まだ新しい本だというので、本書を手にとってみた。
面白い。
一気に読んだ。
誰もが思う疑問、なぜ社会的に成功したひとや、高学歴者、人格者までがオウムで中心的な犯罪に手をそめたのか。
そこに迫る。機能不全家族で育ったのか、と短絡的な想像をしたけど、そんな事はない。ごく普通の家庭のひと、裕福な人、貧しい家庭の人、両親不和の家庭、円満な家庭、さまざまだった。つまり、誰もが陥る世界、ということ。
70年代以降の経済成長のなか、オカルトブームや環境問題、人間関係の急速な変化も背景にあったらしいけれど。
作中で、運転手を務めたオウムの準幹部の手記が面白かった。サリンの製造やバラマキ計画を知らされていないまま、幹部たちを乗せて移動する日々。
数人の人物を名指して、あの人なら、学者肌だし、告げ口をしないタイプの人だったから、今やっている(犯罪の匂いのする)計画について聞いてみた、と。
答えは、「ある実験、かな、」と。
同僚にもこんなふうに人柄を信頼されていたのに、凄まじい犯罪を実行した人物でもある不思議。
人間というのは、どこまでも複雑で、多面的だ。
そういう意味でも本書は考えさせられる本だった。
オウムを知らない若い世代にこの本が作られたことを評価したいし、オウム報道を知っている世代にも改めて、なぜあんなことが起きたのか、を知るために読んでほしい本だった。
彼らは特別ではない。
まさに、すぐ隣にあるカルトの恐ろしさが身にしみた。
00年代にも大学サークルにも、隠れカルトはたくさんあった。後から正体が判明したのだから、知らずに自分が入って深みにハマっていたかもしれない。怖かった。
ちなみに、本書は身近な人がカルトに入ったらどうするか、も少し触れてあった。大事なことですね。 -
「オウムに引き寄せられた若者たち」は、みな、社会の理不尽さに疑問を持ち、自分が何かできないかと悩み、真剣に考えるような善良な人たちだった。サリン事件などの加害者でありながら、被害者だったんだと思う。教祖の行き当たりバッタリな言動行動に翻弄され、真相究明がなにもなされないまま、教祖含む実行犯を死刑に処してしまって本当に良かったのだろうか…。なぜ死刑実行してしまったのか。今もモヤモヤしている。 カルトはすぐ隣にあることを子供達たち、大人にも広く伝えたい。人は誰しも悩みをかかえ、それを解決しより良くしたいとかんがえる。それを利用するのは簡単なことだと思うと、自分も含めて周りもこの事件についてちゃんと伝えていかなければいけないだと思う。
死刑求刑で終わりではないはず。 -
教団の中におられた方々により生々しいエピソードが語られている。生きづらさを感じやすい現代社会において、特に未熟な若者の拠り所となってしまうのだろう。
入信し、犯罪に加担してしまった方々が共通していうのは、『何か違うかもしれない、という自分の感覚を信じればよかった』ということ。そう思う瞬間はあったということだ。
もちろん健康セミナー、瞑想、ヨガなどが全てカルトではない。
友人関係とと同じように、つかずはなれずができるような距離感が大切。
信じすぎるのも要注意なのである。 -
世代ではないものの今でも語り継がれる大きい事件だったので気になって読んだ。
オウム設立付近のことしか知らなかったので麻原の生い立ちやその前の立ち振る舞いなど知れてよかった。昔からお金に対する執着心と自己顕示欲と支配欲の高さからカルト以外にも罪を犯しててゴリゴリの犯罪者なんだなと思った。
インテリの人から真面目で正義感の強い人がどんどん騙されのめり込み心身共におかしくなっていく様は恐ろしくて他人事ではないと思った。 -
借りたもの。
オウム真理教が起こした事件の概要、経緯、そして実行犯らの反省や証言を簡潔にまとめた一冊。
その上で、日常に潜むカルトの脅威、その手段を説明する。
カルト全般の話かと思ったが、違った。
麻原彰晃こと松本智津夫の半生と事件を起こす経緯は、直感的で後先を考えず、誇大妄想だった。
しかし、それらを実行できてしまった……
数々の犯罪、その犯行時の事を後の証言からまとめており、その過程に戦慄する……
中高生向けの本なので、生々しい描写は書かれていないが。
さらに実行犯らの証言から、彼らが何故その狂行に走ったのかを著者は紐解こうと試みている。
世紀末思想やオカルトブーム、浮かれたバブルの中で冷やかな眼差しをおくり、それに続くバブル崩壊後の不景気と閉塞感……
思春期や青年たちへの注意喚起でもある。「自分探し」をしながら、そのためのガイド(師匠)を探していたら、まるで罠にはまり視野狭窄に陥る(洗脳)……
更に悪いことに、時の行政の対応の不味さがあったこと、当時の空気感としてオカルトブームに乗っかってマスメディアがオウム真理教を面白おかしく取り上げていたこと(事実を検証や取り上げてこなかった事)を具体的に紹介している。今ではどのメディアでも取り上げなくなってる問題……
著者の憤りが文章の端端から伝わってくる。
あの当時は「テロリズム」という言葉が浸透していなくて、反新興宗教的な面が大きく報道されていたような印象。その後、宗教というよりはカルトに、そして一連の犯罪が911以降テロリズムに分類されたように記憶している。
このカルトの手腕は、カルロ・ゼン,石田点『テロール教授の怪しい授業』( https://booklog.jp/item/1/4065139899 )にも手口が紹介されている。
「カルトはカルトの顔をして近づいてこない」
人生の窮地や失意などに見舞われ、傷ついているとき、
1.お金の話が出てきたら要注意
2.話が最初と違っていたり、何らかの嘘が含まれてい
る場合(オウムの場合、ヨガ教室やサークルが隠れ蓑だった)
3.口止めをして秘密を守らせようとする
そして閉鎖的な集団の中で(外界とのコミュニケーションを絶たせる)ゆがんだ価値観に支配される……
ダライ・ラマ法王の言葉を借りて、まっとうな宗教といかがわしい宗教の違いを「study(研究)とlearn(学び、反復練習)の違い」(p.208)とする。「studyを許さずlearnばかりさせるところは、気をつけなさい」と。 -
どこにでもいる普通の人が重大犯罪を犯し死刑囚になってしまう、
という話が淡々と綴られていて
想定している若い読者に向けて明瞭なメッセージが伝わると思う。
オウム真理教について全く知らない人が読むにはいいかも
結構色々知ってる人からすると、えっこの人の話ここで切り上げちゃうの?
となるのでより深く知りたい人はルポとか読んだほうがいいかも -
オウム真理教についてまとめた本
宗教とはやっかいなものだなと。新興宗教は時間の洗練がない分危険度が高い
答弁がうまいことと正しいことは違う。
昔の人はコックリさんやノストラダムスの大予言を信じ、テレビでオカルト超常現象やオウムを楽しんでいた
答えが出ない問題に答えがほしい人に、うまく答えてあげていた
「自分の頭で考えることを放棄してしまう」信者
問題のある集団、断言したりできないことを断言していないか
オウムの中にも学歴社会はあった
情報を遮断しようという試み -
中高生向けにカルトの怖さを説く。
判断を誰かに委ねることの危険性,「人生の意味」に思い悩むことのリスク,社会への素朴な違和感につけこむ洗脳の手法等をあの大きな事件に基づいて紹介してくれる。
心が揺れ動く思春期に良いワクチンと思う。
↓広瀬健一の体験談。惜しい…
“オウムに出会ったのは、大学院一年生の時でした。本屋で麻原の著書『超能力「秘密の開発法」』を手に取ったのがきっかけです…しかし表紙に麻原の「空中浮揚」写真が掲載されていることに、いかがわしさを感じ、買うのはやめました”p.109 -
江川さんのオウム本は初めて。
書かれた犯人たちの真面目さが読んでいて辛い。
加害者側の本ではあるが、こういう本がジュニア新書から出ることに意味がある
著者プロフィール
江川紹子の作品

真面目な人程、一途にのめり込んでしまうのかなぁ?
侮れないQアノンとオウム真理教の不気味な類似性|ニューズウィーク日...
真面目な人程、一途にのめり込んでしまうのかなぁ?
侮れないQアノンとオウム真理教の不気味な類似性|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
https://www.google.co.jp/amp/s/www.newsweekjapan.jp/amp/stories/world/2021/02/q-4.php
そうなのかもしれませんね。
私なんか、
運が良かった、だけなのかもしれません。
そうなのかもしれませんね。
私なんか、
運が良かった、だけなのかもしれません。
その運に感謝します(笑ってはいけません)
その運に感謝します(笑ってはいけません)