ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

著者 : 多木浩二
  • 岩波書店 (2000年6月16日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006000196

作品紹介・あらすじ

「複製技術時代の芸術作品」はベンヤミンの著作のなかでもっともよく知られ、ポストモダン論の嚆矢とも言われてきた。礼拝される対象から展示されるものとなり、複製技術によって大衆にさらされるようになった芸術。アウラなき世界で芸術は可能なのか。近代に訪れた決定的な知覚の変容から歴史認識の方法を探る挑戦的読解。

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 複製技術の発達により、芸術が礼拝的価値から展示的価値を持つものへと変容する。ダダイズムを評価している。

  • 古典。

    「精読」部分はノーコメント。
    原典はいたって普通の本で、何故ここまでありがたがられているのかよく分からなかった。

    「アウラ」という手触りをそれっぽくテキトーに記したがために、学者先生とか文化気取りが論じる題材として適当だっただけではなかろうか。

  • (メモ)
    筆者の解説を読んだあと,後半についているベンヤミンの本文を読むと
    分かりやすい.

    アウラの喪失=芸術作品のオリジナルが「一回限り存在する」「いま,ここに在る」ことの真正性がもたらす権威,重みが,写真や映画といった複製技術の登場により,感じられなくなってしまうこと.

    多くの人は「アウラ」を芸術作品そのものに備わる性質だと認識しているが,筆者は社会的条件に注目し,受容者の「心的現象」,われわれが集団内で抱く一種の「共同幻想」ととらえている.

    芸術作品は,原始の魔術的・宗教的儀式にあった「礼拝的価値」から,
    複製技術時代の「展示的価値」に重心が移り,同時に伝統に支えられていた共同体に代わって大衆が中心となる.

    写真は芸術作品を複製するのに対し,映画は機材やセットや俳優含めて複製技術の一部であり,ばらばらのフィルムをモンタージュする.そのためより改良可能性に富む反面,永遠の価値を断念することを意味する.

  • とても面白かった。複製技術はどんどん進歩を経ているが、また我々は同じような課題に直面しているのではないか。今読んでも充分価値はある。

  • 2-3-1 メディア論

  • ベンヤミンのテクスト自体は50ページほどで、簡易にまとまっている。

    これを執筆した20世紀前半というのは、生産側が複製技術を用いることによって大量生産を行うことが可能になり、その結果として資本主義的な世界が発展していった時代だった。
    そして、今現在の21世紀においては、「消費者が」複製技術を用いる事が可能になった時代であり、情報化された商品ははじめから複製される事を前提に作られる様になってきている。

    ニコラス・ネグロポンテの『ビーイング・デジタル』と併せて読むと、現代の情報化社会についてより理解を深められるかも。

  • 文字を追うのと平行して今までの自分の経験に基づく映像が浮かんできた。

  • 今さらながら、ベンヤミン。
    なにか一部の人にはバイブルのような扱いを受ける、複製技術時代の芸術作品です。その人がちゃんと読んだかは、アウラについていかに話せるかでわかる。
    アウラは集団内で芸術に抱く信念、共同幻想。

  • はじめてベンヤミンの世界を知るには良い本かもしれないが、これで終わってはいけないと感じた。

  • ベンヤミン入門書として最良のものなのでは。最後に付随されている翻訳原版を読んでから、多木さんの精読を読んでもう一度原版を読むと、わかった気になれる。

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