ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫 学術 19)

著者 :
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006000196

作品紹介・あらすじ

「複製技術時代の芸術作品」はベンヤミンの著作のなかでもっともよく知られ、ポストモダン論の嚆矢とも言われてきた。礼拝される対象から展示されるものとなり、複製技術によって大衆にさらされるようになった芸術。アウラなき世界で芸術は可能なのか。近代に訪れた決定的な知覚の変容から歴史認識の方法を探る挑戦的読解。

感想・レビュー・書評

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  • ベンヤミンのほうも併録されていることを知らなかった、まさにアウラを作品の持つ雰囲気みたいなふうに捉えていたし、受容する共同体に重きを置いて読んでいなかったので、そうなのか〜と思った、ただベンヤミンのほうを読んでよくわからないなと思っていた幾つかの部分がそのままの引用や言い換えですまされていて、(あくまでも個人的に勝手に)そこをわかりやすくときほぐしてくれることを期待していたから、そうか〜と思った

  • 『芸術と政治』という自分の人生のテーマに、深い洞察を与えてくれる本だった。
    なぜ逆にここまで出会ってなかったんだろう。

    作者のベンヤミンは、ナチスドイツの時代に生きたドイツ出身ユダヤ人で、フランスに亡命したが、フランスがナチの手に落ちるころスペインに逃げようとしてそこでもナチの手にかかりそうになり、最後には服毒自殺をした。

    この時代には写真や映画の技術が栄え、本作『複製芸術時代の芸術』においてベンヤミンは、多岐にわたる考察を披露している。

    複製によるアウラの凋落、芸術の礼拝的価値と展示的価値、遊戯。これらのワーディングは、非常にわかりやすい。
    そして芸術の検討に普遍的な視座を与えてくれる。

    その上で、私はベンヤミンが節々に述べる芸術と政治の問題を深く考えたいと思った。
    例えば、ベンヤミンは映画が鑑賞者に対して考える隙を与えないといった話の中では、大衆と映画の関係の近さを示している。
    たしかに、単純であればあるほど、刺激的であればある程大衆は影響を受けやすいと思う。現代のフェイクニュースの怖さなどにも通ずるところがあるなと思った。
    第二次世界大戦以降最大の安全保障上の危機とも言われる今だからこそ読むべき論考だと思った。先の対戦でどのように映像やメディアが使われていたのかというところも気になる。
    私見に偏らず、今後本作でベンヤミンが述べるナチスと映画の関係についてはもう少し精読して理解を深めたい。

  • ベンヤミンの複製時代の芸術作品についての解説である。しかし、本文の後に、元本の翻訳もついていることから、1度で2度おいしい、という形になる。翻訳、解説付きで900円で購入できることからお買い得である。
     ただし、朝日新聞に書かれていたように、ベンヤミンがメディアは複製である、とした記述は見られなかったので、解釈であろう。

  • 解説本として。

  • ブックトーク選外。ちょっとわかりにくいかなとおもったし、わたし自身これを自分の考えに組みこんで扱うには力不足をかんじたのでやめた。

  • 1 テクストの誕生
    2 芸術の凋落
    3 複製技術というパラダイム
    4 アウラの消える日
    5 知覚と歴史
    6 芸術と政治
    7 映画の知覚
    8 ミメーシスと遊戯空間
    9 触覚の人ベンヤミン
    ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」(野村修訳)

  • あんまり細かく見てなかった注釈のところにとても大事な記述があったとは、、、

    ベンヤミンのミメーシス、面白かった

    でも、多木さん、現代としてこれをどう読むか、もう少し広げて欲しかった
    ベンヤミンの時代から特に前には進まない、まぁ、精読だから?

  • 複製技術の発達により、芸術が礼拝的価値から展示的価値を持つものへと変容する。ダダイズムを評価している。

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著者プロフィール

1928〜2011年。哲学者。旧制第三高等学校を経て、東京大学文学部美学科を卒業。千葉大学教授、神戸芸術工科大学客員教授などを歴任。1960年代半ばから、建築・写真・現代美術を対象とする先鋭的な批評活動を開始。1968年、中平卓馬らと写真表現を焦点とした「思想のための挑発的資料」である雑誌『プロヴォーク』を創刊。翌年第3号で廃刊するも、その実験的試みの軌跡を編著『まずたしからしさの世界を捨てろ』(田畑書店、1970)にまとめる。思考と表現の目まぐるしい変貌の経験をみずから相対化し、写真・建築・空間・家具・書物・映像を包括的に論じた評論集『ことばのない思考』(田畑書店、1972)によって批評家としての第一歩をしるす。現象学と記号論を駆使して人間の生と居住空間の複雑なかかわりを考察した『生きられた家』(田畑書店、1976/岩波現代文庫、2001/青土社、2019)が最初の主著となった。この本は多木の日常経験の深まりに応じて、二度の重要な改訂が後に行われている。視線という概念を立てて芸術や文化を読み解く歴史哲学的作業を『眼の隠喩』(青土社、1982/ちくま学芸文庫、2008)にて本格的に開始。この思考の系列は、身体論や政治美学的考察と相俟って『欲望の修辞学』(1987)、『もし世界の声が聴こえたら』(2002)、『死の鏡』(2004)、『進歩とカタストロフィ』(2005、以上青土社)、『「もの」の詩学』、『神話なき世界の芸術家』(1994)、『シジフォスの笑い』(1997、以上岩波書店)などの著作に結晶した。日本や西欧の近代精神史を図像学的な方法で鮮かに分析した『天皇の肖像』(岩波新書、1988)やキャプテン・クック三部作『船がゆく』、『船とともに』、『最後の航海』(新書館、1998〜2003)などもある。1990年代半ば以降は、新書という形で諸事象の哲学的意味を論じた『ヌード写真』、『都市の政治学』、『戦争論』、『肖像写真』(以上岩波新書)、『スポーツを考える』(ちくま新書)などを次々と著した。生前最後の著作は、敬愛する4人の現代芸術家を論じた小著『表象の多面体』(青土社、2009)。没後出版として『トリノ 夢とカタストロフィーの彼方へ』(BEARLIN、2012)、『視線とテクスト』(青土社、2013)、『映像の歴史哲学』(みすず書房、2013)がある。2020年に初の建築写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』を刊行した。

「2021年 『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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