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- Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006000394
作品紹介・あらすじ
マルクス「物象化論」の方法論的特質とその現代的継承の方向性・可能性を大胆に指し示す思想の冒険。物象化論をすべての経済的・社会的・文化的な歴史的諸形象に敷衍し、現代諸科学の方法論としていかに有効であるかを論証する。「事的世界観」の核心部へと導いていく、独創的な物象化論の全体像を提示する広松哲学の精華。
感想・レビュー・書評
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廣松渉さんのマルクスもの。
マルクスの「唯物史観」を軸に解読と思考を繰り広げていく。
「関係性」を重視していくことには賛成だが、どうもその先の展開が賛同できない。
「「諸関連・諸関係の一総和」としての社会こそが主体=当体」であり、「個々人が究極的な実体的主体なのではなく、諸関係の結節としてそんざいしていること、真の主体的当体は関係態であること」(P68)が指摘される。
つまり、ここでの「関係性」は階級だとか「同胞」「党派」に直結してしまい、そこで最終的には「総和としての社会」が第一目標とされるのだ。
だが「諸関係の総和」などというものを誰が計測できるだろう? 厳密な意味での総和などというものは、神ならぬ人間には把握しようもない。誰もが一面的なパースペクティヴからしか、物事を認知し得ない。「社会」というゲシュタルトは、局面ごと・見る人間ごとに異なってくるのが当然だ。
そのような、計測不能なものを計測し、コントロールしようとするのが共産主義国家の官僚であるから、結局ただの「全体主義」になってしまうのだ。
「関係性」は重要だが、それの「総和」などというものを想定する時点で、マルクス主義は決定的に間違っているのではないだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示
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