生きられた家: 経験と象徴 (岩波現代文庫 学術 45)

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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006000455

感想・レビュー・書評

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  • 家を哲学的対象として、あるいは精神的記号論として、多面的な角度から論じている。一読では、著者の主張を理解出来なかった。

  • [ 内容 ]
    生きられた家とは、居住した人間の経験が織り込まれた時空間である。
    古今東西の家に残されたさまざまな痕跡をテキストとして、人間の多様なあり方を読み取る。
    豊かな文化史的知見を駆使した現象学・記号論の貴重な成果。

    [ 目次 ]
    1 生きられた家
    2 空間の織り目
    3 住みつくかたち
    4 欲動と記号
    5 象徴とパラドックス
    6 時間と記憶

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 多木浩二の教養の広さが光る。
    家を中心に、それを享受する我々からの現象学的分析および、空間を編成する原理の底流となる文化人類学的知見、空間に流れ込み空間を編むことになる言説や無意識の解説など。
    生きられた家の分析によって家は対象ではなく方法となり、まさにこの本によってこそ「家は生きられている」。

  • ハイデガーの「建てること、住むこと、考えること」という講演の「以下」の一節を引用して、このことは日本の古い民家や、かつての農村にも同様の指摘ができるという。
     ハイデガーのシュバルツバルトの古い屋敷評:「(地域住民自らが家を建てる)能力は、屋敷を、風のあたらない南向きの山の斜面に、草地のあいだの泉の近くに建てた。屋根には庇の長い、こけら葺の屋根をつけ、その屋根は適当な勾配をとって雪の重みを支え、深々とかぶさりながら長い冬の夜々の嵐から部屋部屋を守る。聖像の置き場を団欒のテーブルの背後に設けることも忘れない。子供のベットやひつぎを置くための神聖な場所を部屋のなかにあけている。…」
     
     この話を引き合いに、氏は、かつての民家、空間には「住むことと建てること」が不可分であったことを指摘している。これは、汽車から見える農村の風景が実は、その自らが建てる(造る)という部分を失った状態で、成り立っていることを指摘した以下の文章からも伺える。
     「長い旅をしながら窓外をみていると、コンクリート・ブロック、トタン、(中略)が国中にひろがり、家の面影を変えている。いわゆる民家はまもなく消えてしまうだろう。民家がなりたつ条件そのものが社会から消失しているのだ。おそらく農村そのものが消えようとしているのだろう。たとえば屋根を葺く材料もなくなり、屋根を葺くために必要であった共同体(ゆい)もほぼ解体している。いま、このような家を原型のまま維持するとしたら、それは生活でなく文化財として保存が加えなければならない。
     それはもう生きられる家とはいえないのかもしれない。」
     
     以上の「住むことと建てることが一体の生きられた家」を「利用することと造ることが一体の生きられた空間」と読み替えると、今回の震災で問題となる原発や、海岸近くの大型ポンプで排水をコントロールしてきた水田群はまさに、地域住民が自分たちで・管理・修復できない、「利用することと造ること」が分断されたシステムであるといえよう。
     これらのハイデガーの「住むこと=建てること=考えること」という指摘は、環境の研究分野の細分化、地域住民と専門家の2極化が進んだ現代社会に対する1つの批判である。
     地域住民(住まい手)は、専門家に全てを委ね、その意味や、課題を考えず、その一方で、土木、建築、エネルギー等の専門家(造る側)が住まい手のことを考えない状況で、現在の環境が作られたとすれば、その環境が破綻した責任は誰に問えるのか。

     使い手側と計画側の分離は、専門性を高めたシステムを開発し、古い時代にはなかった便利性、合理性を日本中にほぼ平等(悪く言えば画一的に)に提供してきた。しかしながら、一度、そのシステムが破綻すると、その修復には莫大な資金、時間が必要となる。現在、農水省、国土交通省などそれぞれの価値観、立場から復興、再生のための計画を提案している。
     この中で、多木浩二氏が指摘する「生きられた空間」が東北地方に再生されるためには、住民、行政との連携、協議による「住む(利用)ことと建てる(造る)こと」のマッチングのプロセスが必要である。
     あるいは計画者の方に、かつて個々の地域で当たり前に行われてきた地域環境や、歴史的な経験を踏まえた環境デザインが求められているのではなかろうか。
     日本を代表する哲学者としての多木氏は今回の震災とその被害をどのように捉えていたのだろうか。

  • この本が一番多木浩二らしい気がする。
    『肖像写真』もわかりやすくてお勧め。

  • 建築を「記号」として捉え、建築実体を説くのではなく、社会的な生活に関係付けていく複雑なネットワークの中の位置づけについて説いている。記号論や象徴論、構造主義などを用いて、建築の原基である家を現象学的に、哲学的に解読した内容。
    ちょっと難しいけど・・・ぜひ一読を。

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著者プロフィール

1928〜2011年。哲学者。旧制第三高等学校を経て、東京大学文学部美学科を卒業。千葉大学教授、神戸芸術工科大学客員教授などを歴任。1960年代半ばから、建築・写真・現代美術を対象とする先鋭的な批評活動を開始。1968年、中平卓馬らと写真表現を焦点とした「思想のための挑発的資料」である雑誌『プロヴォーク』を創刊。翌年第3号で廃刊するも、その実験的試みの軌跡を編著『まずたしからしさの世界を捨てろ』(田畑書店、1970)にまとめる。思考と表現の目まぐるしい変貌の経験をみずから相対化し、写真・建築・空間・家具・書物・映像を包括的に論じた評論集『ことばのない思考』(田畑書店、1972)によって批評家としての第一歩をしるす。現象学と記号論を駆使して人間の生と居住空間の複雑なかかわりを考察した『生きられた家』(田畑書店、1976/岩波現代文庫、2001/青土社、2019)が最初の主著となった。この本は多木の日常経験の深まりに応じて、二度の重要な改訂が後に行われている。視線という概念を立てて芸術や文化を読み解く歴史哲学的作業を『眼の隠喩』(青土社、1982/ちくま学芸文庫、2008)にて本格的に開始。この思考の系列は、身体論や政治美学的考察と相俟って『欲望の修辞学』(1987)、『もし世界の声が聴こえたら』(2002)、『死の鏡』(2004)、『進歩とカタストロフィ』(2005、以上青土社)、『「もの」の詩学』、『神話なき世界の芸術家』(1994)、『シジフォスの笑い』(1997、以上岩波書店)などの著作に結晶した。日本や西欧の近代精神史を図像学的な方法で鮮かに分析した『天皇の肖像』(岩波新書、1988)やキャプテン・クック三部作『船がゆく』、『船とともに』、『最後の航海』(新書館、1998〜2003)などもある。1990年代半ば以降は、新書という形で諸事象の哲学的意味を論じた『ヌード写真』、『都市の政治学』、『戦争論』、『肖像写真』(以上岩波新書)、『スポーツを考える』(ちくま新書)などを次々と著した。生前最後の著作は、敬愛する4人の現代芸術家を論じた小著『表象の多面体』(青土社、2009)。没後出版として『トリノ 夢とカタストロフィーの彼方へ』(BEARLIN、2012)、『視線とテクスト』(青土社、2013)、『映像の歴史哲学』(みすず書房、2013)がある。2020年に初の建築写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』を刊行した。

「2021年 『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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