挑発としての文学史 (岩波現代文庫)

著者 : H.R.ヤウス
制作 : H.R. Jauss  轡田 収 
  • 岩波書店 (2001年11月16日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006000660

作品紹介

従来、文学と芸術の歴史とは作家と作品の歴史であるとされてきた。このような見方に対して、著者は、作品の生命は作品そのもののなかにあるのではなく、その時代・環境に生きる読者による作品の現実化・再生にこそあると問題を提起し、「受容の歴史」の重要性を説く。ドイツでの激しい論争の火ぶたを切った表題論文の他、新編集により二論文を収め、全面的に改訳した。

挑発としての文学史 (岩波現代文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 2010/06/10

  • 名著。これ1冊で解釈学の流れを汲む受容史を押さえられるでしょう。

    Ⅰ挑発としての文学史
    P29-<受容美学の視点>
    「P31作者、作品、公衆という三角形のうち、公衆は受動的な部分であるばかりか、つまり単なる反応の連鎖をなしているのではなくて、逆に歴史形成のエネルギーにもなっている。文学作品の歴史的生命は、その受取人の能動的な参与なしには考えられない。すなわち、読者の仲介があって初めて、作品は、一種の連続を保ち、絶えず変化する経験の地平の中に入っていくのである。連続していることによって、単なる受容は批判的理解へ、受動的受容は能動的受容へ、承認されていた美的規範は新たなそれを凌駕する生産へと、絶えることのない変転が遂行されていく。文学の歴史性ならびに文学の相互伝達的な性格は、作品、公衆、そして新しい作品が作り出す対話的であるとともに過程的な関係を前提としているが、この関係は情報と受取人の関連および、問いと答え、問題と解決という関連においても捉えることができる。P32それゆえ、これまでの文芸学の方法論がもっぱら活動していた場は、生産の美学とか叙述の美学といった閉鎖的な領域であるが、そこから、受容と作用の美学に向けて通路を開かなければ、文学作品の歴史的継続をいかに文学史の連関として把握するべきかという問題に対して、一つの新しい解答を見出すことはできない。
    P32 文学と読者の関係は、美的な連繁(内包関係)ばかりか、歴史的連繁ももっている。美的連繁は、まず読者がある作品を取り上げるということが、すでに、これまでに読んだ作品との比較で、一種のふるい分けを含んでいるという点にある。歴史的連繁は次の点に見られる。すなわち、最初の読者たちの理解は、世代から世代へと一つの受容の連鎖をなして生き続け、豊かになりうるし、その間に、一つの作品の歴史的意義も決定され、その美的序列が明らかになるからである。・・・P33この過程の中では、過去の作品を再び自己のものにすることが行われるとともに、過去と現在の芸術との仲介や、文学の伝統的な働きと今日のふるい分けとの仲介が絶えず遂行されているのである。受容美学に基礎を置いた文学史の質の高さは、美的経験によってどの程度過去を絶えず全体に組み入れていく作業に、積極的に参加しうるかにかかっている。」

    【文学の<歴史>を生み出すもの】
    P35 「文学の歴史は美的な受容と生産の過程である。この過程は、文学的テクストが、受け容れる読者、反省する批評家、そして自分で再び生産していく作家の三者によって現代に活性化されることによって遂行されていく。」

    【期待の地平は作品の意味の可能性を浮かび上がらせる】
    P49「過去にある作品が作られ受容されたときの期待の地平を再構成すると、他方では、テクストが一つの答えを与えていたさまざまな問いを立てることができる。そしてそれによって、かつての読者がその作品をどのように見たり理解したか、その可能性の範囲を解明することができる。・・・このアプローチは、ある作品に対するかつての理解と、今日との理解との解釈学的差異を明白にし―両者の立場を仲介する―その作品の受容史を意識化する。」

    Ⅲ受容理論
    【受容概念はなぜ必要か】
    「P141 受容が方法の概念として1950年以降最初に登場したのは、法学、神学そして哲学であった。これらの学問分野で、受容の概念は歴史研究の基準が転換したことを明らかに示した。つまり、歴史研究は、実証主義ならびに伝統主義の独断的な設定基準から解放され、いくつかの類似した解釈学的原理のもとに、新たな歴史学方法論を展開し始めたのである。古くからの型を守っていた各国文学研究でも同様な転換が始まったのは、1967年以後、受容と作用の美学という新たな構想が立てられたことによる。この新種の美学が要求したのは、文学および芸術の歴史を、いまこそ、作家、作品、そして受け取り手(読者、聴衆あるいは観察者、批評家ないし読者公衆)という三つの審級(審判段階)が同等に関与している美的コミュニケーション過程として捉えることであった。・・・この転換によって、作用による作品の規定、作用と受容の弁証法、カノン形成とその変更、時間的距離をとって行われる対話的性格(地平の仲介)等などの問題が生じた。⇒この受容理論こそコンスタンツ学派が構想し放置されていた領域を開拓。」

    【解釈学と受容との関係】
    P146「受容とはまず―テクスト解釈の初期の学説においては―、受動的に受けとる行為であるととらえられ、理解とは、すでに認識されていることの再認識、もしくはそれを再び想起させることであると考えられていた。解釈の可能性の差異と多様性が、もはや文書の意味の客観的な内容に基づくのではなく、理解の主観的な諸条件、詳しく言うと、様々な解釈の仕方の働きに基づくということになって、ようやく近代解釈学への転換が始まった。それ以後テクストの意味は、もはや作者の側から前もって与えられているのではなく、生産的な理解をするために探し求めるものだと考えられるようになった。そこで初めて、理解という地平が開かれ、テクストは時代が移りコンテクストが変わると絶えず異なった理解ができるのだ、すなわち、テクストを、その最初のコンテクストではまだ問いかけることのできなかった問いへの答えとして理解できるのだという考え方になったのである。このような受動的な受容から能動的な受容へ、受け取るだけの受容から生産的な受容へといった進展は、受容概念の歴史そのものによって明らかになるので、以下ではその歴史に目を転じる。」

    【中世における受容の考え方】
    P147「reseptioという語が中世ラテン語で最初に現れるのは、スコラ神学のコンテクストにおいてである。受容概念をおそらく最初に特徴づけた言葉は、「何を受け容れるにしても、その受け手の仕方によってしか受け容れられない」とある。神学は聖書の教義的解釈から歴史・批判的解釈学へとその守備範囲を広げていったが、その道程全体を記述するとなればこの規定に出発点をとることができるであろう。
     ・・・聖書のテクストは、註解をほどこされて行くうちにようやく徐々にヴェールが剥ぎとられ、その完全な真理を示すことになる、と考えられた。つまり、それは一種の受容過程であって、この受容は最後の読者による完結を見るに至るまで、神の叡智によって予定され、示唆されていると見なされていた。早くもこのことを証言しているのは、おそらく教皇グレゴリウス1世によって初めて定式化された次の定型表現(トポス)である。「聖書はそれを読むひとびとすべてとともに成長する」」

    【法学における受容の考え方】

    【哲学における受容】
    P156「哲学史および科学史の分野に受容概念を取り入れたのは、ハンス・ブルーメンベルクであって、1958年のことであった。⇒ガダマー:作用史の原理⇒文学的解釈学は、作品を理解するためには、その作用を無視することはできないという、ガダマーの作用史の原理を、受容史という相関関係の原理に拡大した。受容史は、作品とその真理に起点をとるのではなく、美的経験の主体としての理解意識を起点とする。そのため、受容史は(受動的な意味での<地平の融合>の代わりに)能動的な意味で<地平を際立たせること>を求める。こうした作用と受容の相互作用は、今日ではおおむね次のように規定される。すなわち、具体化において、作用はテクストに条件づけられた要素であり、受容は受け取り手を条件とした要素を指す。このようなわけで、テクストの含意と受け取り手の解釈、内包された読者と歴史的な読者とは相互依存の関係があり、テクストも、実際の受容過程を越えて、様々な解釈をコントロールする機関として、テクスト経験の連続性を保証しうるのである。」

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