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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784006000721
感想・レビュー・書評
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#ひとりでも六四天安門事件三十六周年
毛沢東によって発動された大造反運動の恐ろしさ、おぞましさ。
毛沢東の権力欲の凄まじさ、踊らされた民衆の愚かしさ、犠牲となった人々の悲惨と無念。
読後、胸の奥に何かが澱のように溜まる。
群衆と権力。
《何故に人間はかく在らねばならぬのか?》(安部公房『終わりし道の標に』)/
著者の厳家祺(げんかき) は、1942年江蘇省生まれ、中国科学技術大学卒。中国社会科学院政治学研究所所長などを歴任。八九年天安門事件の際民主化を要求し、その後亡命。ニューヨーク在住。著書に『首脳論』『中国への公開状』『亡命までの日々』(以上学生社)。『中国文化大革命: ドキュメント (上・下)』(PHP研究所)。
高皋 (こうこう)は、厳の妻。42年四川省生まれ、北京・第二医学院卒。中国科学院医師。天安門事件後、夫とともに亡命。/
文化大革命は、中華人民共和国で1966年から76年まで続いた、中国最高指導者、中国共産党主席毛沢東主導による劉少奇からの奪権運動、政治闘争。
65年11月、北京市副市長呉晗の戯曲『海瑞罷官』を批判した姚文元の「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」の論文が、新聞『文匯報』に掲載され、これが端緒となり、66年5月、北京大学に反革命批判の大字報(壁新聞)が貼り出され、大学などの教育機関や文化機関を中心に、党・国家機関に対する「造反」が起こり、「赤い政権を防衛し、毛沢東思想の絶対的権威を打ち立てる」べく、「紅衛兵」組織が創設された。/
【八月一日、毛沢東は精華大付属中の紅衛兵に手紙を送り、君たちの行動は「労働者、農民、革命的知識分子、革命党派を搾取し抑圧する地主階級、ブルジョア階級、帝国主義、修正主義およびその手先どもすべてに対する憤りと非難をあらわしている。反動派に対する造反は道理があるものだと言っている。私は君たちを熱烈に支持する」(以下略)と述べた。】/
『人民日報』は、
【「毛主席の著書は、金ではなく金よりも貴い、鋼ではなく鋼より硬い」、「千の河川は大海に帰し、万の真理は『毛〔沢東〕著〔作〕』に帰する」、「毛主席の著書は、一句一句が陣太鼓であり、一句一句が真理である」などの諺を選んで載せた。】/
【八月二十三日午後、北京の紅衛兵は、「四旧打破」(※1)の過程で、(略)作家老舎(略)ら三十余名を、各々の首に「黒い仲間」、「反動的学術権威」、「牛鬼蛇神」などの札をさげて、(略)ひったて、全員をその場で「陰陽頭」に剃り、(略)銅のバックルのついたベルトでひっぱたくということも行なわれた。焼けるような炎夏の季節、六十七歳の作家老舎は、殴られて頭から血を流し、その場に昏倒した。(略)老舎は、ついにこの世の苦難に耐えきれず、八月二十四日の未明、太平湖に身を投げて自らの命を断った。】/
※1 「四旧打破」:旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣を打倒すること。/
紅衛兵が傍若無人な暴力を振るう中、北京市公安部長はそれを黙認するばかりか、
【「警察は紅衛兵の側に立ち、彼らと連携し、友誼を打ち立て、彼らに情報を提供し、五類分子(※)2の情報を教えてやらなければならない」と述べた。】/
※2 「五類分子」:地主、富農、反革命分子、右派分子、悪質分子を指す。「黒五類」とも呼ぶ。/
【北京の暴力行為の高まりのなかで、最も典型的な、最も極端な例は、大興県(略)で起きた「四類分子」(※3)三百余名の殺害事件であろう。
─中略─
八月二十七日から九月一日にかけて、大興県の十三の公社、四十八の大隊で、「四類分子」とその家族三百二十五人が相次いで殺害された。】/
※3 「四類分子」:地主、富農、反革命分子、悪質分子を指す。/
【まさに紅衛兵の暴行が(略)エスカレートしていた九月十五日、林彪は毛沢東の第三回紅衛兵接見大会で、「紅衛兵戦士諸君、‥‥君たちの闘争の大方向は一貫して正しい。毛主席と党中央は君たちを支持する!」(以下略)と宣言した。】/
『人民日報』と『紅旗』は、一九六七年元旦社説で、六七年が「資本主義の道を歩む党内の実権派と社会の牛鬼蛇神に対する総攻撃の年」であり、「ブルジョア反動路線が批判、一掃される年」となるだろうと扇動した。
この(略)扇動下で、北京の大学から集合した数十万人が、天安門広場で劉少奇と鄧小平を糾弾するデモ集会を挙行し、大会では劉少奇の二十大罪状が宣言され、劉鄧打倒のための世論誘導が行われた。/
国慶節の祝賀会で林彪は「文化大革命は国際共産主義運動史上、プロレタリア独裁国家においてプロレタリア階級自らが発動した前例のない大革命であり、マルクス・レーニン主義に対する毛主席の天才的で創造的な新たな発展である」と毛沢東を神格化した。/
一方、国家主席の劉少奇は一切の権力を剥奪され、監禁され、病を抱え衰弱していたが、69年10月、開封に移送された。/
【十月中旬から下旬にかけて劉少奇は断続的に高熱を出した。しかし、適切な治療が受けられないまま十一月十一日の深夜になって、容態が急変した。大きく口を開けて荒い息をしていたが、やがて唇は紫色に変わり、瞳孔の対光反応もなくなった。(略)十二日午前六時四十五分、心臓は鼓動を停止した。救急チームがやって来たのはそれから二時間も後のことであった。
劉少奇が臨終を迎えたとき、彼の傍らには一人の身内も付き添っていなかった。彼は一人きりで人生最後の時を過ごし、一人きりで死出の山に赴いたのである。】詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
文化大革命関連の本は何冊か読みましたがこの本は少し物語形式なことも合ってか中々読みやすかったです。
上巻では、主に劉少奇の文革の最中の活動について。
中巻では、主に林彪の文革の最中の活動について。
下巻では、主に江青の文革の最中の行動について。
全体を通して文革中の迫害された人々の多くにスポットを当てており、その悲惨な末路を読むたびに胸が痛くなりました…
あと周恩来の文革最中の行動についても知りたくなりました。 -
文化大革命が起きた十年間は、中国全土を巻き込むほど、熾烈な派閥闘争が繰り広げられた。これほど強烈で、血みどろな政治闘争はないだろう。上巻では、文化大革命の発端から劉少奇の最期までを解説する。
大躍進政策の失策で、毛沢東は失脚することとなり、代わって劉少奇が国家主席として就任する。
しかし、その後、ソ連との対立や、毛沢東と劉少奇それぞれの路線の食い違いなどを理由に、毛沢東や江青含む四人組たちの大衆を煽動しようと仕向けた。これらの要因が絡まって文化大革命を引き起こした。毛沢東は、自身の個人崇拝を高めるように、自身の思想に共感する紅衛兵を率いたり、劉少奇、鄧小平を中心とした派閥を批判した。権力を取り戻すために、相手を徹底的に叩きのめして、毛沢東が権力を奪い取ろうとする様は恐ろしい。
その一方で、毛沢東の大衆の手懐け方も優れていることも本書を読んで実感した。自分たちの仲間を介して、政敵となる者を着実に潰しながら、大衆を味方につける。さすが戦術に優れた人物であってうまい。
本書を最後まで読むと、劉少奇がいかに悲惨な最期を遂げたかを文章を読むと想像できる。これほど惨たらしい仕打ちを受けた人物はいないだろう。これに続く中巻では、林彪がいかにして毛沢東に近い存在となれたのか、その要因を知ることができる。 -
『ぼくらの頭脳の鍛え方』
文庫&新書百冊(立花隆選)120
現代史 -
これは全部で上・中・下巻の三冊である。内容は惨たらしく幼稚で狭量で悲しくて浅ましい人が書かれている。誰かを重点に書かれてはいない。主として多くの幹部の行動やある程度の思考回路、大学生の暴走具合、市民の動き、毛沢東への崇拝。暗い気分にさせてくれるが、止まる選択肢はなかった。
辻康吾の作品
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