時間の比較社会学 (岩波現代文庫 学術108)

  • 岩波書店 (2003年8月19日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (330ページ) / ISBN・EAN: 9784006001087

みんなの感想まとめ

時間の捉え方の多様性を探求する本書は、さまざまな文化や時代における時間意識の変遷を深く考察しています。著者は原始共同体から近代に至るまでの時間の概念を丁寧に比較し、特に合理主義以降のニヒリズムとその克...

感想・レビュー・書評

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  • 一口に「時間」といっても考え方や捉え方がたくさんあるんだなと思った。私がなんとなく感じている虚無感の原因が見えたような気がした。とにかく難しかったので数年後に再読したい。

  • 「人生はむなしい」
    こう誰もが感じたことがあるのではないか。
    なぜ、そう思ってしまうのか?
    「あの素晴らしい青春」も去ってしまったからだ。
    私の命があまりにも短すぎるからだ。
    そして、この考えの行き着く先が「ニヒリズム」だ。
    「どうせ、全ては消え去るのだ。人類も、地球も、太陽も、宇宙さえも。。。」
    世界は色彩を失い、灰色に見える。
    ミヒャエル•エンデが「モモ」で描いた「灰色の男たち」のもたらした世界だ。

    このニヒリズムは、人類にとって避け難い必然であるように思われる。
    見田宗介という人は、この若者に付きものの、いわば「ナイーブ」なテーマを決して手放さなかった。
    そのテーマを解決するために選んだのが社会学だ。
    何故、哲学や宗教ではなく、社会科学なのか?

    その回答を本書は明らかにする。
    人生がむなしいと感じる時間の考え方(時間意識)は、時間を無限に流れる不可逆な直線と考えるからだ。
    だが、そう考えない時間意識を持つ民族は現在でもいることを文化人類学は明らかにしている。
    そうして、我々が当たり前だと思っている時間に関する考え方が相対化される。
    更に、歴史を遡ると、我々が真理だと感じている不可逆で直線的な時間意識は、一つの時間意識でしかないことが分かる。
    この意識を生み出したのは、ユダヤ教であり、キリスト教だ。
    それを見田宗介は「ヘブライズムの時間意識」と呼ぶ。
    確かに、悲惨な歴史を歩んだユダヤ人、初期のキリスト教徒にとって、現実は否定したいものだったろう。
    そして、期待(救済)を遥か未来に投影するより術(すべ)はなかった。
    そうした時間意識は不可逆で無限に伸びる直線のイメージを生み出すだろう。
    しかし、ギリシア•ローマに目を転ずると全く異なる時間意識を見出すことが出来る。
    それは円環する時間という意識だ。
    では、時間は直線なのか、円環なのか、その結論を出すことはできない。
    この見方は、我々が真理と感じている時間(意識)は、実は真理などではない、ということを教えてくれる。

    見田宗介が、ナイーブな問いを手放さずに挑むのは、我々が真理と感じる時間意識を生み出す<社会構造>だ。
    社会構造のあり方が、時間意識を規定している、そう考えるから、ナイーブな問いの回答が、社会科学と切り結ぶのだ。
    こんな時間へのアプローチがあったのだ。
    驚くべきアプローチと言わなければならない。

    本論文が「思想」に発表された時に、毎月驚きながら読み耽った。
    あれから、実に40年以上。
    しかし、今読んでも全く色褪せない。
    いや、かえって胸に刺さる。
    こうした著作をこそ「古典」と呼ぶ。
    この古典が「永遠に」(とはどんな社会構造に規定それた、どんな時間意識か?)読み継がれんことを。

  • 名著「気流の鳴る音」に続いて、1980年に書かれた本。今年4月に亡くなった東大教授・見田宗介氏がペンネームで書いている。

    用語に硬いところがあり、読むのに最初、骨が折れるけれど、それを乗り越えるととても興味深い。原始社会や古代社会、近代社会の時間意識について述べた本は他にもあるけれど、この本では、それらを人類史の総体を見据えた社会システムの変化(=自然からの離脱と、共同体の崩壊)と関連づけて構造的にとらえ、「時間」と「貨幣」の相似性にも触れながら、近代を越える未来の充実した生のあり方まで展望しているところにある。
    人類学から聖書や和歌、マルクスやプルーストまでカバーする幅広さと、追求するテーマの愚直なまでの一貫性に感心する。
    この長い探究を貫くのは、10代の頃に著者をとらえたという「死の恐怖と虚無感」から解放されたいという問題意識だ。僕自身も子供の頃に「自分が死ぬとどうなるのか、その後も世界は続くのか、人類がいずれ滅びるならなぜ勉強とかするのか」などといった問いに悩まされた時期があった。それを学問の対象にして、そこから人間社会のダイナミズムを総体としてとらえるという離れ業は、著者にしかできない仕事だったと思う。そして結語で著者の熱い思いに触れて感動する。

    著者は、生きる意味を未来に先送りし現在を疎外する近代の生き方から、「現在充足的(コンサマトリー)」な生き方へのシフトを提唱する。本書で紹介される人類社会の歩みをみれば、将来そのような生き方が一般的になるとすれば、自然から離脱し共同体を失った近代から、ふたたび新たな形の自然との交感と共同性の獲得がなされるはずで、それは地域分散の循環型社会になると思われる。著者が生きておられたら、そのことを確認しておきたかった。

    この本に興味を持った方は、ぜひ著者の他の本にも手を伸ばしてほしい。「気流の鳴る音」や「宮沢賢治 存在の祭りの中へ」「現代社会の理論」あたりはもっと読みやすく、しかも本質的な問題意識は通底していることがわかる。

  • 真木悠介になると途端に文体の精度が緻密になるのは気のせいだろうか。
    原始共同体、日本の古代社会、ヘレニズム、ヘブライズム、近代、それぞれの時間意識について骨太な考察をする。
    参考文献を巧みに駆使し、真木流の社会学に仕上げていく様は圧巻。
    時間からの疎外、と時間への疎外 共同態と集合態へのシフトによる時間意識の変遷。
    そして最後に至るニヒリズムからの解放。最後まで読むと感動します。
    時間論、終末論、社会学が好きな人は必携の一冊。

  • 背ラベル:361-マ

  • 時代、文化、環境などによって変わる時間の捉え方を比較しながら、神や哲学などの前提として存在する時間について、また近代、合理主義以降の時間の捉え方と、そこから生まれるニヒリズムについて、またそこからどうしたら逃れることができるのが、逃れるというよりもより豊かに生きることが可能になるのかということを考えた一冊。
    時間の捉え方でさまざまな視点や考え方が生まれることや、時間から疎外と時間への疎外が解放と拘束を同時に生み出すことなど、面白い視点がたくさんある。
    文章は少し難しいので、理解するのに時間を要する箇所がたくさんある。

  • アチェベ『崩れゆく絆』を時間意識に注目して読んでみたい


    memo
    ●アフリカからみた近代人
     はるかな子孫のこととか百年もあとの歴史の問題を、客体視された「時間」の延長線上に幻視して思いわずらう奇妙に神秘主義的な文明、無限につづく「時間」の実在性というフェティシズムにとりつかれた集団
    →ここにない時を崇める
    →年齢に準拠して容貌の老若を判断するのも、「具体的なものを取り違える間違い」
    →そのような共同体における言語は?アチェベ『崩れゆく絆』
    →異なる生態をもつ集団とコミュニケーションするときにはじめて、つねに出来事に結び付いた時間関心が破れて、時間が抽象化・物象化されはじめる(社会構造として共同態(ゲマインシャフト)から集合体(ゲゼルシャフト)に変わったとき、<生きられる共時性>から<知られる共時性>への移行がはじまる)

    ●アフリカの近代化
     土地から引き剥がされて未来の観念が輸入された、未来を渇望するようになってしまう
     近代、自分はここからきたという存在の根拠がない、自分を自分として生きることが難しい、分裂症的
     分裂症患者の時間意識→未来志向(アンテ・フェストゥム) (『時間と自己』木村)



    p. 240
    個我はみずからの主体的な行為を唯一の根拠として存在しうる。近代的自我の、存在論的な自立の宣言。
    →かつて原始共同体の人々が自然のなかに祖先の営為を見てとったのと同じように、近代の人々は自分のまわりに過去の自分の行為を見てとる?
    →近代の人々は、自分がつねに他者化されていくということを前提として(分裂病)、自分の外のモノに自分を読み取る?そのことで自分を保たせている?だがこのとき(かけがえのないものでなくて)頼りないものに頼らざるを得ない?

  • 真木は厖大な資料を博捜し、古(今)東西の様々な共同体・社会における時間了解の形態を比較、そこでの個人が「共同性と自然」それぞれに対し「超越的であるか内在的であるか」により4つの類型に大別する。すなわち反復(原始共同体)・線分(ヘブライズム)・円環(ヘレニズム)・直線(近代)である。直線的な時間感覚は、線分的な時間の「現在を帰無してゆく不可逆性」と、円環的な時間の「数量化・抽象化された無限性」という性質を継承しており、これが近代人を苛む死のニヒリズムを支えている。

  • 冒頭、鼻血出るぐらい衝撃。
    その事実に唖然。
    え、それ、まさに、変えられない真実じゃん
    ってなる。
    一気に読んでその世界に浸っちゃった方が読みやすい

    • kozikasanさん
      冒頭で、鼻血出るぐらいの衝撃
      その事実に、唖然、みたいな
      一気に読んで、この独特の考え方に、浸かってしまった方が良い
      冒頭で、鼻血出るぐらいの衝撃
      その事実に、唖然、みたいな
      一気に読んで、この独特の考え方に、浸かってしまった方が良い
      2021/05/27
  • メルカリで、思ったより高く、しかも早く売れた。意外だった。

  • 当然私たちの寿命は有限だが、私たちの移動に必然的に伴う空間的な制約に比べたとき、寿命のような時間的な制約は過剰なほどに重要視されてきたといえそう。それを思えば一昼夜という標準を設けて時間を計量してきた近代への本書の批判は妥当に思える。終章ではあえてアカデミックな議論から離れたような印象を受けたが、時間の問題から自我の問題への橋渡し的な役割を果たしているようだ。同じ著者の『自我の起源』も読もう。

  • 表現が難解。内容は興味深いのだが、理解しづらい。
    各時代、宗教などによって異なる時間の捉え方を比較している。

  • 2003(底本1981)年刊行。著者は共立女子大学教授。◆本稿を、社会学の本旨として現実社会を切り取ったということには躊躇を覚える。それほど新味のない(円環性と直線性。不可逆と輪廻など)議論、アフリカの例も子供の時間感覚を見れば簡単に理解できそうなものを小難しく展開するだけ。何のために論じているかも不明。社会と時間の多義的関係性なんて、時計のない社会、時間割のない社会を想像するだけで、あるいは農業や漁業を生業にしている人の話を聞きあるいは想像するだけで感得出来そうなのに…。

  • 原始共同体、近代社会、ヘレニズム、へブライズム、それぞれの時間意識の区別と連関という内容は、とても興味深かった。
    ただし、用語や言い回しが難解で、表面上しか理解できなかったのが残念。内容がわからなくても頑張って読んでいたが、近代の時間意識に入ったところで断念してしまった。

  • 未開社会の時間意識との比較で、当たり前に持っていた「時間」や「未来」という概念について捉えなおすことができた。
    時間意識は社会や環境によって異なり、共同体同士の意思疎通のためなど、必要に応じて生成されてきた。未来を思考するようになった私たちは、生の虚無から救われない代わりに、大きな可能性を手にした。

    難しかったが面白かった。読んで良かった。

  • 眼から鱗だった

  • 【選書者コメント】現代人の時間の意識がどのように作られたかを、様々なものとの関係から理解することができる。

  • 「自分が不老不死ではなくそのうち死ぬことに虚しさを覚えないためにはどうしたらいいか」「時間に急き立てられず充実を感じるためにはどうしたらいいか」の本。

  • これはかなりおもしろかった。「比較社会学」ということで、人類学的な知識を縦横に活用するが、「時間」という、もともとかなり哲学的に問題性の高いテーマであることもあり、相当に哲学的な深みのある本だった。
    我々は西欧的な語彙に慣れ、そのパースペクティブに縛られているため、時間というものを数直線的なイメージで物象化してとらえ、「過去ー現在ー未来」という区分を当たり前だと思っているが、ムビティによるとアフリカにはもともと「事実上未来(という概念)が存在しない」。さらに、エバンズ=プリチャードによれば、ヌアー族には「時間という概念が、そもそも存在しない」。
    この本にあげられた「未開社会」では、人びとは過去の祖先や神話などが共時的に混在したものとして「現在」を生きている。彼らは、西欧人のように壮大な未来を描いたりしないから、人類や社会の末路に思いをはせることもない。
    逆に、西欧人はむしろ「未来」ばかりを見て生きることで、「文化の発展」やら「経済的成功」はたまた「人類最後の日」を夢見てばかりいる。
    時間を計測し、分割し、能う限り合理化することにより、西欧の資本主義経済は爆発的に発展し、われわれもその流儀の世界観の中で過ごさざるをえない。
    しかし思うに、「未来」が常に頭から離れないために、うつ病だの統合失調症になるのではないか。空虚な「未来」の前で行動不能に陥るうつ、「未来」に先走ろうという焦燥に身を焼かれる統合失調症。そういえば、つかの間でも「幸福感」を感じるひとときというのは、「未来」に思いをはせている瞬間ではなく、「現在」がそれ自体の充実として実感できるような瞬間なのではないだろうか。
    近代西欧的な「時間の対象化」のなかで、「個人」が解き放たれるとともに疎外される。それは著者によると、カルヴァンの独白に見られるように「地獄」のような体験でもあるのだが、日本人は中途半端に近代化したため、そのような「個人」像とも「時間」観ともあまり密着しないままに現代を迎えた、という指摘はなかなか面白い。
    この本に挙げられているいくつかの文献も読みたくなった。
    「時間」については、今後真剣に考えてみたい。

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著者プロフィール

見田宗介。1937年東京都生まれ。東京大学名誉教授。現代社会論、比較社会学専攻。著書に、見田宗介名で『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来』(1996年)『社会学入門―人間と社会の未来』(2006年)『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』(いずれも岩波書店、1986年)などがあり、真木悠介名で『気流の鳴る音―交響するコミューン』(筑摩書房、1977年)『時間の比較社会学』(1981年)『自我の起原―愛とエゴイズムの動物社会学』(ともに岩波書店、1993年)及び本書『現代社会の存立構造』(初版、筑摩書房、1977年)などがある。『定本見田宗介著作集』(全10巻、2011-12年、毎日出版文化賞)『定本真木悠介著作集』(全4巻、2012-13年、ともに岩波書店)には、半世紀に及ぶ業績が、著者自身による新編集を経て体系的に示されている。本書『現代社会の存立構造』は上記著作集に含まれない。

「2014年 『現代社会の存立構造/『現代社会の存立構造』を読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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