日本文化のかくれた形(かた) (岩波現代文庫)

  • 岩波書店 (2004年9月16日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (180ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006001285

日本文化のかくれた形(かた) (岩波現代文庫)の感想・レビュー・書評

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  • [ 内容 ]
    日本の社会・文化・思想の深層に内在する「かくれた形」(アーキタイプス)とは何か。
    「競争的な集団主義」など五つの特徴を分析する加藤氏、能におけるリアリティの表現から文化を論じる木下氏、歴史意識の「古層」を探る自身の歩みを俎上にのせる丸山氏、そして固有の形の模索から普遍的な規範を見出そうとする武田氏。
    日本文化の「個性」の本質に迫った刺激的な講演会の記録。

    [ 目次 ]
    1 日本社会・文化の基本的特徴
    2 複式夢幻能をめぐって
    3 原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み
    4 フロイト・ユング・思想史―補論

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 講演録ですので、口語調である分読みやすい構成にはなっているのですが、その中で用いられれる特定分野の専門用語などについてはかたわらに辞書か何かを置いておかないと意味を負えなかったりします。その点では、レベルのだいぶ高い講演録(http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/6001280/top.html
    )だとも言えそうです。講話者のラインナップを見ればそれも納得なのですが。

    この公演そのものが1981年に国際基督教大学(http://www.icu.ac.jp/)で開催されたこともありまして、扱われている時代の出来事は、最近のものではありません。しかし、そこで取り上げられているものに古びた感覚は覚えない分、講話者の視点と知性が21世紀の今になってもそう簡単にはさびつかないほど強靭のだろうと思います。

    この本には、4人の方が登場します。加藤周一、木下順二、丸山眞男、武田清子です。うち、現在も存命でいらっしゃるのは武田氏だけです。加藤周一氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%91%A8%E4%B8%80)の話は、日本人と日本がもつ社会的特徴を示しています。そこには、もちろん戦後日本が敗戦の傷をいかに残し、一方で意識的に無視し、またいかにだましながら生きているかをするどくえぐり出す力を持っているように感じられました。そのあたりは、印象的文章をご参照ください。加藤氏の書籍を近々読むのでそこで彼の思考に触れたいと思っています。

    2人目に登場するのは木下順二氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E9%A0%86%E4%BA%8C)ですが、能という理解の深くない芸術の中でも『井筒』と『実盛』という作品の流れに沿った説明は、とても細かく専門的で、読み進めるのに大変苦労した章でした。この人の名前を聞いて思い出すのも『夕鶴』(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%B6%B4)くらいでしたので…。でもそう思っていると意外と重要だということもありますよね。

    私も今回の木下氏の論考を読むに当たっては、多分にもれず、苦労して何もチェックせずに丸山氏の章に進むのですが面白いことに丸山氏の章を読むことで木下氏の講話部分における日本文化の特徴が分かってくる場面がありました。自分であり同時に他人であるという表現は、加藤氏が言うところの全体責任を求め、個人にそれを帰させない点と似ているとも感じられました。その点は、この本の章立てに感謝したいですね。

    3人目の丸山氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9E%E7%94%B7)の講話で目的とした「執拗低音」がようやく登場しますが、政治学を勉強した自分にとっては得るものも共感できるところも一番多い章でした。マルクスが記すところの土台(バージス)と丸山氏の古層とを峻別するために生み出された音楽用語を隠喩として用いた執拗低音という言語的響きには、たしかに時代や体制が移り変わろうともなかなか変化しない日本人的基質のようなものをうまく言い当てているように思えました。

    最後に武田氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%B8%85%E5%AD%90)の論考では、先の3人が日本人と日本文化に焦点を当てた話をユング研究の成果を用いて「人間」を対象とした簡潔な考察を用いて締められています。キリスト教的価値観からみた人間の個性と、社会で生きる上でのある程度の共通性としてのアーキタイプスを考察しており、日本人のそれとどこが同じでどこが異なるのかを少し離れて見つめ直す点では締めくくりに相応しいといえます。

    全体を読むと、その分野分野で著名な功績を残された方であっても、掘り下げていけば日本人とその人間たちにより紡がれる日本文化の実践というものがどのようなものであるかを知るには好材料を提示してくれる刺激の多い書籍です。

  •  この本もなんで買ったか不明。

     日本の文化が西洋化されても、そのうんとそこの方で残っている日本的なものって何かなという問題意識が常にある。

     河合さんはからっぽの中空構造といっていたが、この本の方々は四者四様。

    (1)木下順二さんの複式夢幻能。自分と他、そして運命を一人の役者が演じる。(p85)

     能は、古い古代の芸を伝えるものとして注目に値する。内田樹さんも習っているらしい。よくわからないが、西洋的合理性からは隔絶していることがよくわかる。

    (2)丸山真男さんの、原型、古層、執拗低音。
     いわば、みんな日本文化のそこに続くものなのだが、それをだんだん言い換えていく丸山さんの経緯がわかる。また、丸山さんも古事記、日本書紀の構造、天地創造と一定の領域をもった国土の創造、最高当事者の先祖の創造という三つがセットであることに、世界の神話のなかでもユニークだとする。(p127)

    (3)ユングがいうには、キリスト教は影のアーキタイプ(古層)を抑圧しすぎる。このためキリスト教局の戦争は血なまぐさいという。(p171)

     そえぞれ、おもしろい視点がみちあふれている。大学の教養時代にもどった気がする。

  • 日本の社会・文化・思想の深層に内在する「かくれた形」(アーキタイプス)とは何かをテーマに行われた講演の記録集。評論家の加藤周一氏、劇作家の木下順二氏、政治学者の丸山真男氏の講演と、それを受けた形で主催役の武田清子氏が補論を載せている。

    テーマを決めつつも自由に語らってもらったという講演にも関わらず、講演は相互に響き合い、内容は奥行きのあるものとなっている。とりわけ加藤・丸山のふたつの講演から生まれる倍音は、日本のアーキタイプスをよく理解させる道しるべとなっており、内容もそれぞれ魅力的だ。

    加藤周一氏の講演でまず驚かされるのは、明晰な論理体系とそのわかりやすさだ。これは見習いたい。
    内容としては、日本社会・文化には
    1.競争的集団主義
    2.現世主義(此岸性)
    3.現在主義(国民的健忘症)
    という原理(パラダイム)が見い出せるとし、加えてその集団内部の調整装置として、
    4.極端な形式主義と極端な主観主義
    5.鎖国心理
    を挙げ、それぞれを説得的に論じている。内容については是非本書に当って欲しい。個人的には、3について絵巻物と西洋絵画の比較による時間意識の違いを論じた箇所、4について義理と人情の観点から論じた箇所を面白く読んだ。

    丸山真男氏の講演は「原型・古層・執拗低音」という題で、これ単独で参照されるほどの有名なもののようだ。題の3つの言葉は、氏の言葉における日本のアーキタイプスのことで、名指されているものは同じである。
    内容は古代から現代、日本から西洋まで縦横無尽に論じて日本の「原型・古層・執拗低音」をあぶり出す、という知的刺激に溢れるものとなっている。

    ではその「原型・古層・執拗低音」とは何か。それをざっくりと言うならば、外来思想(中国・西洋)を換骨奪胎して日本化する伝統、ということだ。
    ここで誤解すべきでないのは、ある特殊な日本的「原型・古層」がある(存在する)のではないという点だ。そうではなく、外来思想がやって来た時にその思想や観念を「消去法」(p.142)的に取り除いていく(加えて述べると、そこから余った「サムシングが残」っていく。「古層」はその堆積したニュアンスを指している)。この思想を換骨奪胎する運動こそが、日本的なアーキタイプスであるのだ。

    丸山はその運動を音楽用語「執拗低音(バッソ・オスティナート)」に喩え、「日本思想史を見ると、主旋律は圧倒的に大陸から来た、また明治以降はヨーロッパから来た外来思想です。けれどもそれがそのままひびかないで、低音部に執拗に繰り返される一定の音型によってモディファイされ、それとまざり合って響く。そしてその低音音型はオスティナートといわれるように執拗に繰り返し登場する」(p.147)と述べている。
    その明確な例として、日本史における転換点である、大化の改新と明治維新(また太平洋戦争における敗戦)を挙げている。どちらも対外的な脅威とその思想の受容(中国、西洋)によって思想的に断絶があるにも関わらず、社会として、また実質的な制度も連続性を残している。
    たとえば大化の改新において、国家体制は諸豪族から成る氏姓国家から、律令制を取り入れ天皇を中心とした律令国家になった。にも関わらず、その体制の重要な役職となったのは内大臣や中納言といった「令外官」、つまり律令制の例外的な役職だったというのは実に象徴的だ。

    この「執拗低音」の伝統は現在まで続いているとみてよいだろう。丸山が外来思想のインパクトについて「いわば横からのーいわば大波とか洪水の衝撃」(p.109)といみじくも喩えているように、また3.11の大震災が「敗戦以来の危機」と言われるように、現在まさに日本の転換点であると言っても過言ではなかろう。
    ではこの転換点において、外来思想と担うものは何であろうか。中国への対抗でも、西欧諸国の植民地化の恐怖でも、アメリカによる徹底的な敗戦でも、その脅威の対象国の文化・制度をこそ受容してきた歴史。しかし今回の災害は国家でなく自然である。
    その場合、自然エネルギーを始めとするグリーンニューディールが起こるのであろうか。しかし加藤は本書のなかで「日本では、状況は『変える』ものではなく、『変る』ものです」(p.35)と端的に述べる。昨今の政治的混乱を見るにつけ、その意見にはふかぶかと頷かざるを得ない。ただその後に続く加藤の言葉は一筋の光明か。

    「ただし『ショック』の後の反応は速くて、適切です。鎌倉時代の美術から、今日の外交まで、日本文化の『現在主義』は生きています。」(p.37)

  • 日本人論。

    正直、大物ぞろいなわりにあんまり面白くなかった。

    というか所詮は講演記録なので、各人の著作にあたった方がいいと思った。

  • 丸山真男目当てで購入。講義形式で載っているのでその道のことは知らない素人でも読みやすい。日本文化・日本精神に興味を持ったら読んでみてほしい。

  • \105

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