- Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006001483
作品紹介・あらすじ
よく笑い、子供や動物に触れるのを好み、音楽好きだったレーニン。彼の唯物論は、生の律動に触れる思想だった。ベーメを経由してヘーゲルの論理学に胚胎する東方キリスト教的三位一体論は、マルクスに継承される。西欧哲学の底を突き破る20世紀のグノーシスとしての弁証法的唯物論の可能性。誰も書かなかったレーニン像。
感想・レビュー・書評
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ヤコブ・ベーメについては、中沢新一の『はじまりのレーニン』が面白い。一般的な日本人にとっては、あれが一番の入門書じゃないかな?
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ソ連崩壊で今時流行らない「レーニン」をオウム事件(私が読んだのは岩波同時代ライブラリーで、確か事件前だったが)で評判を下げた「中沢新一」が伝記風にレーニンの笑いに潜む唯物史観を分析しています。
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いやはや、こういったものは学生時代に読んどくもんだ。
さらなるめも
・クルプスカヤ
・ベーメとヘーゲル -
レーニンの唯物論を独自に掘り下げる。
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心に残ったことば
・この目的を達するためには、・・・ヘーゲル弁証法−すなわちマルクスが、彼の『資本論』・・・のなかで実際に適用したしかもみごとに適用したあの弁証法−の唯物論的見地からする系統的研究を組織しなければならない・・・誤りをおかさないのは、なにもしないものだけである・・・(122p)
・商品社会のコスモスにたいして、まるで違和感をいだくことのない意識には、資本主義社会についてのこういう分析をできないし、またできたとしても、そんなことはたいして意味をもたない。そういう意識は、いってみれば、商品という「底」の内側にいても、そのことに気がつかず、自分たちの意識の「底」をつくっているもののむこうに、異質な運動をおこなうリアルが実在することを感知できないのだ。ところが、マルクスの知性は、商品社会のその「底」をはっきりつかみだそうとした。彼の精神は、商品の「底」のむこう側にひろがっている、異質なリアルの実在を、たしかに感じ取っていたはずだ。(180p)
・物質は「底」がなく、根拠もなく、まったき充実としての運動を続けている。その運動の中から自然が生まれ、その自然は大きな脳をもった人間をつくりだす。この脳の動きは、自然の秩序にはおさまらない、異質性をそなえている。そこで人間は、自然とは異なる、歴史をつくりだすことになるが、実現された歴史のなかで人間はいつも疎外された状態にある。(211p)
・死はすべてのおわりではない。死をとおして、人間はふたたびその「物質」の運動のなかにもどっていく。だから、子どもたちは、こううたうことができたのだ・・・レーニンは、恐がらずに墓へ行くのだ、と。(220,221p)
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崩壊したソ連、そのはじまりの頃には、理想としての共産世界を生み出す実践のための、哲学的な理論武装化が行われていた。レーニンが革命を推し進めながら考えていたその思索のあとを辿って見せてくれる。マルクスはもちろん、ヘーゲルやベーメといった人を研究しそこに見ていたもの。哲学の知識を多く持たないので難しいが魅力ある文章・切り口で興味深く読めました。
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理解できるほどの物知りではありません。
ですが、レーニンと言う人物の歴史的な姿、写真のイメージから少しばかり奥に入り込む事ができた気がします。
よく笑うレーニン。
そんな彼が考えた思想に少し感動しました。
彼の後ろにはヘーゲル、マルクスと二人の巨匠の姿があった。
彼の行った笑いを僕らは取り戻せるのだろうか?