□要約
目的:天皇制の権威の観念がなぜ、どのように形成されたのかを究明すること
手法:近代転換期を18世紀末から19世紀末までの一世紀に設定し、思想史的手法を用いること
現代の天皇像の始点としての近代天皇制
安丸の関心は、生身の天皇その人と、権威としての天皇像との間に存在する大きな懸隔である。この権威はどのようにして発生したのか、これが本書のテーマである。
天皇を巡る見解は大きく二つに分かれる。まず一つ目は天皇制をきわめて古い時代からの持続性においてとらえる見解である。これを連続説と呼ぶ。二つ目は天皇制が歴史の中で大きく断絶しているとする見解である。これを断絶説と呼ぶ。安丸は自身が断絶説の立場であることを明らかにする。大きな断絶は、安丸の見解では明治維新をはさんだ18世紀末から19世紀末までの約一世紀に存在するという。現代の権威としての天皇像はこの時期の近代化の過程で形成されたのである。こうして、近代転換期の天皇制を本書の研究対象とすることが示された。
近代天皇像の形成
まず安丸は、近代天皇制にかかわる基本観念として次の四つを挙げる。①万世一系の皇統=天皇現人神と、そこに集約される階統性秩序の絶対性・普遍性、②祭政一致という神政的理念、③天皇と日本国による世界支配の使命、④文明開化を先頭にたって推進するカリスマ的政治指導者としての天皇(P13)。以上四点である。これらの観念いかにして形成され、どのようにして浸透していっただろうか。
近代天皇制は人工的に創られたものである。安丸は近代天皇像の形成を明治維新に求めている。当時、ペリー来航をきっかけとして幕末の政治的激動が開始されていた。そこで、討幕を正当化する根拠が必要だったのだ。そこで創りだされたのが「天皇や朝廷の現状とは切断されたところに成立する疑似宗教的な天皇像(P146)」であったのである。絶大な権威と威力とをそなえた天皇像とそのもとで実現せらるべき新政について、最初にまとまったイメージを提示したのは真木和泉である。だが、生身の15歳の少年自身を天皇の至高の権威性とすることはできなかった。つまり個人カリスマとして根拠づけることはできなかったのである。そこで行われたのが伝統カリスマとして根拠づけることであった。こうして「万世一系」の観念が天皇の権威性の根拠となっていく。
ではなぜこの観念が広く浸透することができたのであろうか。一つの答えは民衆が広く共有した「不安と恐怖」の存在である。18世紀末以降、「近代転換期の日本社会が、極めて強大な威力によって外から脅かされており、それがまた内なる秩序の動揺と結びついて、内外の危機が相乗的に亢進しあって、ついには日本社会の秩序が土崩瓦解するのではないかという、強い不安と恐怖(P27)」である。このような状況の中で、人々は「権威ある中心」を求め始めたのである。したがって、安丸は維新政府によって天皇の権威性は創られたとしながらも、一方で、究極的なところでは人々が望んだから創りだされたと述べるのである。
現代の天皇像に生き続ける権威性
現代の天皇像では、近代天皇制にみられた現人神天皇観や世界支配の使命などという、国体の特殊な優越性についての狂言妄想的側面は消滅した。敗戦を境にして脱ぎ捨てられたのである。それでも、敗戦直後から現在まで天皇制への支持率は圧倒的であり、国民国家の編成原理としていまだに健在であるといえる。安丸は相撲界を例に挙げて説明するが、我が国においては権威づけや価値づけを追究していくと天皇制にゆきついてしまうという。どれだけ文明化、近代化しようとも、天皇制は国民対国家という枠組みの中でもっとも権威的・タブー的な次元を集約し代表するものとして、今も秩序の要として機能しているのである。
このような現代の天皇像にも存続する「圧倒的な権威性」は近代の明治維新の時期に形成されたものであることを本書は論じたのであった。