- Amazon.co.jp ・本 (454ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006001889
作品紹介・あらすじ
政友会、民政党の二大政党が牽引した戦前の政党政治はなぜ凋落し、戦争に抗うことができなかったのか。本書は選挙と金、党勢拡張、政党不信など民衆と政党が関わる諸問題にも着目しながら、テロが頻発し戦争への道を転げ落ちていく激動期における戦前政党の実像を解明する。戦前政党の可能性と限界とは何だったのか。政治家個人をいきいきと描き出しながら戦前政党の崩壊史を通観する力作。
感想・レビュー・書評
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戦前における政党に国家に対する責任を持たせようとするのは難しい話で、そもそも政党の構成員にその自覚が薄い。
地方の普通選挙を通して選ばれることを前提にすれば当然今よりも利益誘導を関心事としている。
省庁や組織の利益に自覚はあれど、国家単位で思考をめぐらすことのできる官僚や軍部のイニシアチブが大きいかたちで国家の運営がなされていた。
そう考えると斎藤隆夫は特殊な存在だったことがよくわかると思う。
ひるがえって現在の政党政治は…と必ず本書を読む我々に問題意識を持って現実に立ち返らせてくれる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
元々昭和の歴史シリーズで書かれた本であるがゆえに、番号による章立てはされていない。章ごとに分かれてはいるが、数字はふられていない。
全体を読んだ感想としては、大正期~昭和初期の政党は民政党と政友会であるが、今の自民党と民主党に大いに似ているようにも思う。もちろん官僚や田舎の町村が政民両党に分かれていがみ合ったりはしないが、政局をしたり、その時のネタを使って政権に揺さぶりをかけたり、意味もなく(?)解散総選挙を要求したりと、今とあまり変わらないようにも思う。もっとも、昔は内閣は閣僚の任免権を握っていなかったこともあろうが、大観としては似ていないこともないように考える。もちろん文民統制があるから、軍部が暴走したりはしないだろうけども。
また日本無産党や社会大衆党などの革新勢力が、イデオロギー対立に振り回されて、政民両党に比べて極めて少数党であったことも似ている。
斎藤隆夫氏のような代議士は、現代において生まれないであろうか。
また最近、田母神俊雄論文騒動や海保の動画流出など、日本は安全保障の領域で、文民の統制を受けないで勝手な行動を取る人間が増えているように思う。考えすぎかもしれないが、なんだか大正期の5・15事件や2・26事件に相通じるものがあるように思う。もちろん人は死んでないが、文民統制を外れた軍人・職員の行動であることに変わりはない。
昭和史に限らず、日本の歴史教育はぶつ切りであるが、このような完全に政治の視点から近現代史を見るのも非常に面白い。この本には対米開戦や敗戦は、軽く触れているに過ぎないし、原爆投下についてはまったく触れられていない。主に議会と内閣の関係が主眼であるが故だろう。このような歴史の本も、かなり面白い。 -
労作。戦前の共産党の極左的性格については、戦前の政党政治がなぜ・いかに没落したかという本書のテーマからしても、もっと突っ込んだ考察がほしかったが。