広告の誕生―近代メディア文化の歴史社会学 (岩波現代文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006002077

作品紹介・あらすじ

近代日本のメディア・消費文化にとって、広告が果たした役割とは何か。広告とは、いかに「意味の媒体」であり続けたのか。存在としての緩さ、過剰な言説との不均衡を解明しつつ、一九二〇年代から現代に至る時代空間の中で、広告の変容を考察する。俊英による刺激的な力作論考。

感想・レビュー・書評

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  • この夏の週刊ダイヤモンドの特集「広告戦争」ではそのすべてがデジタル広告の今とこれからについてであることに「そうだよな…でもそこまで来たか…」という感慨を持ってしまいましたが、まさに私たちは広告空間が変容し《広告である/ない》が溶解している瞬間に立ち会っているのだと改めて感じました。本書が指摘する〈引札〉〈新聞〉〈婦人雑誌〉という広告の地と受け手の成立とか変化の歴史はまさに〈スマホ〉を舞台に進行中なのだと思います。実は本書のキーワード《気散じ》という言葉、知らなかったのですが生活者の視線の《気散じ》が、今は指先の《気散じ》へ移行していると、このレビューをスマホで電車の中で書きながら、思ったりしています。ステマとかアフェリエイトとか送り手のビジネスの変化というより受け手の身体性の変化という方がしっくり来ます。《香具師》であるのは広告の送り出し側ではなく受け手側なのではないか?と思いました。

  • パトナム(水槽の中の脳は)「自分達が水槽の中の脳であると考えたり言ったりできない」p13

    【二つの問題系】p18
    ①《広告である/ない》という二項区分(binary code)の作用をめぐる問題系
    ②受け手の身体性(kinetic aspects of spectator)の問題系

    [方法論①:構築主義]
    外的観察者が一意的に《広告であること》の内実を定義してしまうのではなく、<何が広告か>という広告の境界画定(《広告である/ない》の差異)について折衝しあう当事者(送り手・受け手)へと広告の定義権を譲り渡し、その折衝の過程をつぶさに記述していく構築主義(constructivism)的なスタンス。p21

    [方法論②:モノ的次元の系譜学―受け手の身体性]p23
    ②は広告受容の《現場》の緊張感を記述する。
    a. アクター=図としての広告
    b. 広告が振る舞いをみせる《舞台》=地としての雑誌や新聞、都市といったモノの織り成す空間
    c. その空間に身体を投じる観客=受け手
    という3つのファクターが重層的なせめぎあいをみせる様相(とその変化)こそが、この系譜学が捕捉しようとするものにほかならない。

    【引札】p46
    引札においては、「広告/文学/演劇」といったジャンル差異や、「視覚的/聴覚的/感覚的」といったメディア差異が分化しきっていない―広告コードが自律していない―言説空間のあり方ゆえに、あらゆる「引用」のあり方が可能となり、独自の、渾然とした、いわば《カーニヴァレスク》な様相を帯びた表象空間が現れているのだ。

    意味論的な混濁のなかから、《広告である/ない》の差異をめぐるバイナリー・コードはいかにして立ち上がってきたのであろうか。その二つの成立要件は以下の通り。
    ①受け手が参与する表象(受容)空間が、「広告をみる」「芝居を鑑賞する」「文学を読む」といった形で、相互に自律し・分化し、おのおのに固有の受容様式/身体作法を画定していくこと。
    ②a. 受け手を、限定された共同体の共属者(町人・遊興者)としてではなく、もっと抽象化された「可能的購買者」として捉え、b. 「広告」の持つ「広告」ならではの機能・役割を特定化しようとする思考の回路が、送り手の側に把持されること。p51

    受け手サイドの問題である①は「アクターとしての広告」「広告の現れる《舞台》「広告(受容)空間に投げ出される身体」という3つのファクターが織り成すドラマトゥルギー解読、すなわち「モノ的次元の系譜学」に対応し、また送り手サイドの問題である②は、広告を「広告として」画定する言説の分析(コト的次元の系譜学)に対応するものといえる。つまり送り手と受け手が"共に在る"ことを仮構するような遊動空間に融解している商用情報、「広告」として自律するためには、モノ的/コト的両次元において、広告を他の情報領域から差異化する運動が必要だったのである。p52

    (「冊子型」以降の)新聞というメディアは「近代」的知の体系図を二次元の平明においてモノ的に代理―表象する装置である。枠や欄、異サイズ文字などの視覚的な道具を用いて、情報領域の意味的境界を指し示す<地図>―それこそが新聞が自らの機能を分出した脱皮態にほかならない。p58

    【岸田吟香】p63
    売薬広告の新聞の関係史を語るうえで是非とも欠かせない人物。『海外新聞』『もしほ草』などの冊子型新聞の刊行に携わり、また明治期には『東京日日新聞』という大新聞の主筆記者を務め、更には薬屋楽善堂の経営者=商人でもあった。

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著者プロフィール

北田暁大(東京大学教授)

「2018年 『社会制作の方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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