近代日本の国家構想: 1871-1936 (岩波現代文庫 学術 228)
- 岩波書店 (2009年8月18日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (303ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006002282
作品紹介・あらすじ
近代日本の政治家や思想家は、どんな国家像を描き、それをいかに実現しようとしたのか。現代の政治状況を見据えつつ、廃藩置県から戦時体制成立までの約六五年間の政治史を、政策対立や運動史ではなく多様な政治体制構想の相剋の過程として描き出す。戦前期日本の政治を俯瞰する出色の論考。
感想・レビュー・書評
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井上馨-初期徳富蘇峰-吉野作造-美濃部達吉の政治思想を中心に岡田啓介内閣崩壊までをたどる。帝国憲法を民主的に解釈するか、大権的に解釈するか。政党政治をどう基礎付けるか、どう展開するか。政治の仕組みというのは作られて終わりではないことを痛感。
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140329 中央図書館
廃藩置県から2.26事件まで、政治の流れが大まかにみえてくる。 -
「まえがき」でも述べられているのように、明治から昭和における国家構想を「保守」「中道」「革新」に分けて分析する。そのなかでも「中道」派(=イギリスモデル)の分析に力点が置かれているが、これは「「中道」による格差の縮小は可能か?」という著者の問題意識に支えられているらしいことが「あとがき」で述べられている。
まず明治期の政治構想について西郷らの「新攘夷」派を「保守」(というより右か?)に、板垣ら土佐派による「下からの民主化」派を「革新」に、「上からの民主化」派を「中道」におき、相互に妥協不可能な「イデオロギー」として分析している。もちろん分析の焦点は「中道」である「上からの民主化」派である。ただこのあたりはその後の分析の前置きにあたることから、あまり厳密にカテゴライズしなくてもよいのかもしれない。「上からの工業化」派をどこに位置づけるかもイマイチ分からない。
次に「中道」派の主唱者・イデオローグとして井上馨、福沢諭吉、徳富蘇峰があげられている。このあたりの知識が全くなくなんとコメントしてよいかわからないが、徳富蘇峰の解釈に関してなんとなく、意外だなぁ、と思わせられた。それと井上馨に関する評伝が少ないので希少価値があると思う。
その次は明治憲法の解釈について都築・穂積、美濃部、北・吉野をそれぞれ「大権政治」「内閣政治」「民本政治」に分類して分析している。それぞれが「保守」「中道」「革新」に対応することが容易に読み取れるが、それ以上のコメントは全く知識がなく難しい。北の解釈がなんとなく新しいのではないか、、と思うが的外れかもしれない。
最後は護憲三派内閣以降の政治の動向について「中道」派(=イギリスモデル)の構想という観点から分析する。前半は民政党が「民本主義」(=イギリスモデル)に接近し政権を担ったこと、それにも関わらず「中道」的な政策を実現できずやがて支持を失っていく様子が描かれる。後半は岡田挙国一致内閣の再評価。当時の政治構想を「憲政の常道」「立憲独裁」「協力内閣」に分類し、岡田内閣が内閣審議会に結実する「立憲独裁」的(「中道」的な)政治構想を持っていたことを明らかにしたうえで、いわば「政党なきイギリスモデル」を模索していたものとして描かれている。
以下再読。若干批判めいた文章になる。
「中道派」として分析される美濃部達吉や民本主義に理解を示していた日本労働総同盟とその政党である社会大衆党がそれぞれ「円卓巨頭会議」構想や「国民経済会議」構想を練っていたこともまた、岡田内閣の(立憲独裁の)「中道」性の傍証となっている。
ただ、美濃部が「中道」なのか、吉野が「中道」なのか、、。「上からの民主化」=「中道」派=イギリスモデル=民本主義という等式を読み取らせる一方で、吉野を「民本政治」(=「革新」)として分析するのは一貫性に欠けるとはいえないか。
「中道」の分析をすると述べておきながら、「中道」の定義を曖昧にし、「内閣政治」や「立憲独裁」を「中道」とはっきと明言しないのは、その部分の批判をかわすためではないか勘ぐってしまう。