トランスクリティーク――カントとマルクス (岩波現代文庫)

著者 : 柄谷行人
  • 岩波書店 (2010年1月16日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006002336

作品紹介

カントからマルクスを読み、マルクスからカントを読む。移動と視差による批評(トランスクリティーク)によって、社会主義の倫理的=経済的基礎を解明し、資本=ネーション=ステートを超えた社会への実践を構想する。英語版に基づいて改訂した著者の主著の決定版。

トランスクリティーク――カントとマルクス (岩波現代文庫)の感想・レビュー・書評

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  •  本書は、端的に言えば、著者である柄谷行人が目指そうとしている「世界共和国」という在り方への道標を、丁寧なテクスト読解を通じて示したものである。世界共和国は、哲学者のイマヌエル・カントによる永遠平和の理念に基づいている(cf. イマヌエル・カント「永遠平和のために」)。つまり、世界共和国というのは、今の「国家」(著者の言葉でより厳密に言えば、「資本=ネーション=ステート」)という体制が抱えている問題を乗り越え、人類の永遠平和を目指すために考えられた体制なのだと言っていいだろう。
     世界的な永遠平和は、「国家」間の敵対状態を解消しなければありえない。柄谷によれば、カントの理念を突き詰めていくと、究極的には各国が主権を放棄することで形成される「世界共和国」という枠組みに行き着く(cf. 柄谷行人『世界共和国へ』222ページ)。世界共和国は、一国のみが「国家」を捨て去るという形では成立できず、世界的かつ同時に改革を行わなければ成立しえない。そして、世界共和国の成立の鍵となるのが、後の方で述べる「交換」と「アソシエーション」である。

     ところで、本書では、「世界共和国は達成可能だ」という断言はしていない。しかし、世界共和国を達成するための考え方を提示し、道標を示すことで、達成のために必要となる思考の土台を固めようと試みている。そして、土台固めの要として、本書では2人の思想家が大きく取り上げられている。1人は、先に挙げたイマヌエル・カントであり、もう1人は、資本主義の矛盾や問題点を鋭く突いたことで知られるカール・マルクスである。

    ■カントの著作の読解を通して

     柄谷によるカントの著作の読解で、私が重要だと感じたのは、「普遍性」について触れている部分である。やや長くなるが、該当の箇所を引用しよう。「カントが『普遍性』を求めたとき、不可避的に、『他者』を導入しなければならなかったこと、その他者は共同主観性や共通感覚において私と同一化できるような相手ではないということである。それは超越的な他者(神)ではなくて、超越論的な他者である。そのような他者は『相対主義』をもたらすのではなく、それのみが普遍性を可能にするのだ」(80ページ)。引用した文章の中にある「超越論的な」というのは、徹底的な自己吟味のことである(75ページ)。私の理解の範囲内で説明すると、自己吟味というのは、自分自身の思考や行動などを批判的に見つめ直すことであるが、ただ主観的に見つめ直すだけではなく、他人からの視点も含んだ上で見つめ直すことをいう。
     ここまでのことを私なりに言い直すと、次のように言えると思う。つまり、「普遍性」というものを述べるためには、ただ主観的に反省するだけのものではなく、他人からの視点も含んだ上での反省を促すような「他者」が必要である、と。
     ところで、柄谷がカントを参照して述べるところによると、「普遍性」は「一般性」と区別されるものであるという(147、150、154ページ)。「一般性」は「個別性」と対になるものであり、これらは経験的なものである。一方、「普遍性」は「単独性」と対になるものであり、これらは超越論的である。そして、カントの思考の中において、「普遍性」というのは――同じ時間を生きる他者というよりはむしろ――未来の他者を前提にしている(147、187ページ)。そういう意味では、「普遍性」というのは歴史的なものである。
     世界共和国の成立のためには、各人が他人を手段としてのみならず同時に目的として扱うような経済システムが実現される必要があると述べられている(192ページ)。世界共和国の背景にあるカントの理念は、道徳的な次元に留まらず、政治的、経済的なものとして、歴史的に実現されるべき理念を孕まずにはいられないのだという。ここから柄谷は、マルクスの著作の読解へと移っていく。

    ■マルクスの著作の読解を通して

     ここで、最初のキーワードである「交換」が登場する。
     マルクスは宗教研究を経て経済研究へと移行した人なのだが、彼は経済活動の中にも宗教的な部分があることを見出していた。「広い意味で、交換(コミュニケーション)でない行為は存在しない。国家も民族も交換の一形態であり、宗教もそうである。その意味では、すべての人間の行為を『経済的なもの』として考えることができる」(280ページ)。「貨幣や信用が織りなす世界は、神や信仰のそれと同様に、まったく虚妄であると同時に、何にもまして強力にわれわれを蹂躙するものである」(ibid.)。
     ところで、マルクスの主著であり、彼が資本主義の矛盾や問題点を鋭く突いた本である『資本論』は、経済学の書であるが、柄谷はこの書にマルクスの哲学や革命論をも読み取る(ibid.)。ただし、柄谷は『資本論』を、マルクスの最終的な立場を表すものとしては見なしていない(243ページ)。柄谷がそう述べるのは、この書が断片的で未完成であることもあるのだが、マルクスが支配的な言説に対して自身の思考の「移動」と「展開」を繰り返しながら批判を行ってきたのであり、それが重要なのだと見なしているためである。
     『資本論』が、マルクスのそれ以前の著作と異なる点は、価値形態論が出現することにある(292ページ)。これは、「貨幣」(cf. 282-283ページ)による交換、あるいは「交換の形態」と「価値」の結びつきを系譜学的にたどったものである。マルクスはここで4つの形態を挙げている。すなわち、1. 単純な価値形態(294-296ページ)、2. 拡大された価値形態(296ページ)、3. 一般的な価値形態(296-297ページ)、4. 貨幣形態(297-299ページ)、である。そして、これらの形式は、「1.」から「4.」へと発展していくものとして考えられた。それぞれの内容についての説明は省略するが、これらの形態を見ることで、柄谷は、マルクスが「物を貨幣たらしめる形式、あるいは、物を商品たらしめる形式」(303ページ)を発見したことを指摘する。マルクスが『資本論』で「価値形態」を導入したことは、「物」ではなく、「物が置かれる関係の場」を優位に置くことなのである(304ページ)。
     ところで柄谷は、経済人類学者のカール・ポランニーが主著『大転換』において、市場経済以前の交換では贈与の互酬性と再分配が主要であったと述べている点について触れている。しかし、「『再分配』は本来強奪の一形態であり、継続的に強奪するためになされる」(308ページ)。一方で柄谷は、贈与の強制力についても触れている。「強奪は強制的であるが、贈与の互酬性にも別の強制力を強いる。この強制力は、(中略)心理的な債務感情である」(ibid.)。

     ここで、もう1つのキーワードである「アソシエーション」が登場する。
     マルクスやポランニーなどの読解から、柄谷は、3つの交換形態(贈与の互酬性、収奪と再分配、貨幣による商品交換)を見出してきたが、彼はさらにここから、「アソシエーション」と呼ばれる交換形態を見出す。「アソシエーション」とは、「国家や資本と違って非搾取的であり、また、農業共同体と違って、その互酬性は、自発的であり且つ非排他的(開放的)である」(310ページ)というものであり、それまでに挙げられた交換形態と異なった原理に基づく。
     交換形態の類型を、近代の枠組みにあてはめると、資本制市場経済(貨幣による商品交換)、国家(収奪と再分配)、ネーション(贈与の互酬性)、アソシエーション、となる(415ページ)。資本制市場経済は、放っておくと必ず経済的格差を引き起こして対立に帰結する。ネーションは平等性を志向するため、格差の解決を要求する。国家は格差解決の要求を、規制や税の再配分によって実現する(柄谷行人『世界共和国へ』)。ところで、政治学者のベネディクト・アンダーソンは、ネーション=ステートとは、本来異質なものであるネーションとステート(国家)の「結婚」であったと述べているが、柄谷はさらに踏み込んで、(やはり異質なもの同士である)国家と資本の「結婚」についても触れている(417ページ)。そして、ブルジョア革命によって、資本、国家、ネーションは、互いに切り離せないものとなった。柄谷が、近代国家は「資本=ネーション=ステート」と呼ばれるべきであると述べているのは、それゆえである(31-32ページ)。
     現在の経済活動は、国家内で完結するシステムではなく、国家間の繋がりの中で営まれている。ゆえに、資本と国家の問題を越えるためには(そしてアソシエーションを成立させるためには)、トランスナショナルな改革、つまり、世界的かつ同時に改革が行われる必要がある。
     では、どのようにしてアソシエーション成立のための道筋を導くのか。柄谷は、通貨と商品のやりとりを「交換」という大きな視点から考察することを通じて、「資本に転化しないような代替通貨、そしてそれにもとづく支払い決済システムや資金調達システムが不可欠である」(442ページ)という具体的な提案をする。代替通貨を考える際に、柄谷は、マイケル・リントンが1982年に考案したLETS(Local Exchange Trading System: 地域交換取引制度)を紹介している(445ページ。LETSの詳細については500ページを参照)。また、アソシエーションの「中心」に中央評議会を置き、代表選出の際は(古代ギリシャで行われていたような)くじ引きを導入することをも併せて提案している。

    ■アソシエーションの達成への課題

     アソシエーションを達成するにおいて、私の中にひとつの疑問が湧いた。アソシエーション実現のためには、個々人が自身の行動に対して責任を持つことを強く自覚しなければならないだろう。なぜならば、アソシエーションは個々人の主体性に基づくものであるからだ。それでは、個々人が主体的に行動を起こすためには、個々人がどのような動機づけを行えばよいのだろうか――これが、私の感じた疑問である。
     経済活動のみならず、政治的な行動も含め、社会にコミットするための行動を起こそうとする意思は、個人差がどうしても生じてしまうだろう。このことは、教育によってある程度その差を縮めることはできるかもしれないが、個々人が育つ環境というのがそれぞれに異なる以上、行動意思の強い者もいれば弱い者もいるという状況が出てきてしまうことは避けられない。
     私は、「本当に賢い人はそうそういない(と同時に、本当にバカな人もそうそういない)」という考えを持っているせいか、アソシエーションを執り行う際には、個々人が主体的な行動を起こせるような「アーキテクチャ」(cf. Lessig『Code 2.0』Chap. 7)を構築しなければ実現は難しいのではないかと考えてしまう。ただし、アーキテクチャは、構築がなされる際に、権力の制御を誰がどのように行うのかが問題となるため、非搾取性の実現を目指すアソシエーションとの相性はどうなのかが未知数であるように思われる。とはいえ、今までアソシエーションは国家に匹敵するレベルでは成立したことがない、つまり「やってみなければわからない」という状況であるのだから、「未知数」であるのは当たり前ではあるのだが。

     先にも書いたように、アソシエーションはまだどこにおいても達成されていない。また、本書は世界共和国の成立に向けての「萌芽」でしかないことを著者自身が認めているように、本書で述べられてきたことはまだ議論の発展の余地がある。しかし、私は本書を読むことを通じて多くの刺激を得ることができたし、本書の続編として位置づけられている『世界史の構造』を読む際に、どのように議論が発展したのかを追うことができる地点にようやく立つことができた。一方で、私は本書の濃密な記述を完全に理解できたとは思っていない。ゆえに、機会を改めて、いずれまた本書の再読をしたいと思う。

  • マルクス・カントといった古典的名作を現代から読み直すことで、それらの作品に未来の新たな可能性を見据えた作品。
    本書は非常にわかり易く書かれているように思う。むしろ、重要な概念が繰り返し語られるくらいである。その一方で、非常に読むのに時間がかかった。
    マルクスやカントの概念自体難しいのも一因だが、私自身経済学の著作を一切読んだことが無かったので、「トランスクリティーク」という試み上、どうしてもその無知さが弊害となったのだと思う。
    だが、それでも本書を読むことで大分耐性がついた。
    全く知識の無かった私でも読み切ることが出来たので、そういう意味ではやはり非常に読み易い著作であるのだろう。
    本書の続編として、「世界史の構造」と著作があるので是非とも読んでみたいと思った。

  • 100606朝日新聞書評

  • [ 内容 ]
    カントからマルクスを読み、マルクスからカントを読む。
    移動と視差による批評(トランスクリティーク)によって、社会主義の倫理的=経済的基礎を解明し、資本=ネーション=ステートを超えた社会への実践を構想する。
    英語版に基づいて改訂した著者の主著の決定版。

    [ 目次 ]
    イントロダクション―トランスクリティークとは何か
    第1部 カント(カント的転回;綜合的判断の問題;Transcritique)
    第2部 マルクス(移動と批判;綜合の危機;価値形態と剰余価値;トランスクリティカルな対抗運動)

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 【資料ID】119511
    【分類】134.2/Ka63

  • 柄谷行人による、カントの超越論的な方法からマルクスを解釈し、マルクスの思考の実践性をカントに依拠しつつ明らかにしようとする試み、と言える。彼らのテキストに即しつつ、教条的解釈では見出し得ないような、ある意味でカントもマルクスも意図していなかったような思想をそこから引き出し、それを説得的に展開している。

  • 特にカントに関するところの考察が面白かった(というよりも繰り返し読んでとらえようとした)。マルクスのところはまた読んで整理したい。デカルトやフッサールとかを逆に読みたくなった。

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