発情装置 (岩波現代文庫 学術335)

  • 岩波書店 (2015年11月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (384ページ) / ISBN・EAN: 9784006003357

みんなの感想まとめ

性愛や孤独、文化のカラクリをテーマにしたこの作品は、現代の社会問題を鋭く切り込む内容が特徴です。著者は、豊富なソースを駆使しながらも、短文でスパスパと主張を展開し、読者を魅了します。性愛と孤独の関係を...

感想・レビュー・書評

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  • なんか…そっか…なかなかな単語がいっぱい出てきたな……すげえ……。

  • 個人的な上野千鶴子さんのイメージは
    フェミニズムの急先鋒、といったところで、
    あまりポジティブなイメージはなかったけれど、
    かといって当人の言論を直截見たことはなかったので読んでみた。

    序盤は面白い立ち位置から興味深い言論が展開されていた。
    近代になって“使用禁止の性”が生まれたとあって、
    ほかのところで読んだ“青年期は近代の産物”という話と合わさってとても腑に落ちた。

    売春と買春についても男性の目線が色濃く出た言論が罷り通っているのはその通りだと思った。

    中盤以降は“フェミニズム”と聞いて思い浮かびそうなネガティブな部分が顔を出してくる。

    初めのほうから不要に男女を対立構造にして語っていたけれど、
    男女の性の非対称性というあまりにも自明の部分に噛みついたり、
    個人の恋愛観を有名人であるという免罪符を高々と掲げてこき下ろしたりしている。
    エッセイのような形式で不快感を示すだけならいくらでも好きにやればいいと思うけれど、そこまでの文脈と合わない切り口に感じた。
    男性個人から向けられる視線と社会から向けられる視線をごっちゃにして語っているように感じられた。

    「戦争は女の顔をしていない」というのは最近また脚光を浴びる言い回しになった印象があるけれど、そもそも社会だって女の顔はしていなかった。
    今でも社会での男女の不平等を語るときにまず初めに登場する指標は「賃金差」であって、つまり社会という場は「カネを稼ぐ場」、つまり飯のタネを掴む場、原始的には狩りだったものの代替として語られるものである。
    出産という過程を男性が代わりにできるものでない以上、男女の賃金が完全に平等(見かけ上)な社会というのは、全く子どもが生まれなくなったか、もしくは会社が大きな負担をしている社会ということになる。

    事実誤認もある。
    性の隔離を批判しているところがあるけれど、少なくとも日本における性の隔離は差別ではなく役割による区別による部分が大きい。
    修験道で女体とされる山やほこらが女人禁制になっていることを「逆説」だとしている。
    これは女性である山に女性が入ると山が怒るから、というのが定番の言い回しで、これは女性に対する畏れ、敬意の表れになる。
    また、山という危険な区域に女性を入れてむざむざ喪うわけにはいかない、という事情もあるように思う。

    社会における“男女平等”が金銭面で表現されるうちは、その向かう先はディストピアにしかならないし、フェミニズムの目指すべきところは平等の定義づけだと思う。
    社会がどうしても金銭の多寡でしか語れないのであれば、新生児の金銭的価値を社会的に定義づけするしかないのではないかなー、と思ったりした。

  • 上野千鶴子の主張から垣間見えるのは、もちろん豊富なソースを駆使した主張であることはたしかであるけれど、同時に現代風にさまざまなスパイスを加えて口当たりよくしてスパスパと短文で畳み掛けるように「斬って」いくやり方だ。よく言えば快刀乱麻の斬れ味で斬っていくから(ぼくもつい「斬られる側」にいることを忘れて)魅入ってしまう。反面、その論理(ひいては直感)の乱暴さに辟易したりもする(少なくとも、ぼくは「男」かもしれないが「レイピスト」になりたいと思ったことは1度もないので)。だが、このスパイスは慣れるとクセになる?

  • ヒトを「パンツをはいたサル」と呼んだのは栗本慎一郎だが、パンツ(=文化)という装置がなければ人がまともに発情できないことくらい、良識ある大人なら誰しも薄々感じている。あのパンツが気に入らない、このパンツが窮屈だなどと言い出せば、早晩間尺にあったパンツがどこにもないと途方に暮れるのは見易い道理だ。文化のカラクリを暴くのが社会学の使命だとしても、暴き尽くした果てに広がる荒涼たる砂漠に立ち尽くす覚悟が社会学者にあるか。

    上野にその覚悟がない筈はない。だが性愛を巡る過激な闘いの果てに彼女が漏らした嘆息は限りなく深く、そして重い。「性愛についてありとあらゆる問いが解かれた後に、解くに解けない問いが残った。孤独の問題である。振り出しに戻った思いがする」。近代の「ロマンチックラブイデオロギー」は孤独を隠蔽し、支配と被支配の調和の物語を押し付ける。孤独をくぐり抜けない性愛は他者を要しないオナニストの性欲と変わりない。真の性愛を望むなら孤独を味わい尽くせ、そして他者との葛藤と交通に身を晒せというわけだが、そもそもフェミニズムが告発する「ロマンチックラブイデオロギー」なるものは、都市化の進展と共同体の解体が招いた孤独が出発点ではなかったか。であればまさしく「振り出し」であり、堂々巡りだ。

    ジェンダーフリーとは男が「男」であることを、女が「女」であることを強いられることのない"自由な"社会だ。だがフロイディズムの家父長制的イデオロギーが暴露され、「セックスというお仕事」が市民権を得たとしても、「視る性」と「視られる性」の非対称性は簡単にはなくならない。そのことを知っている上野は自らの党派性をあっさりと肯定する。そして生き延びるために敵と見定めたものにケンカを挑み続ける。上野にとって社会学やフェミニズムはそのための武器であり、それ以上でも以下でもない。だが自らを党派的と公言する者にとことん党派的な者はいない。その挑発的なスタイルにもかかわらず、彼女の思想が清潔さを失わないのはそのためだ。

    ※アマゾンではガイドライン違反として削除(どこが違反なのか分からない)

  • 東大名誉教授として、東大入学生への彼女の祝辞は、東京医科大学の受験における女性差別から、メタ知識の重要性で締め括る、とびきりクールで理知的なスピーチだった。ただのフェミニストではなく、知性を感じる公平な内容。

    本著を開いて一瞬、そのギャップにびびるが、本質は同じ。女性器の名称を連呼し、隠された性の不自然さ、背後の差別意識をとことん追求する。女性の性欲を肯定したい。何故、昔の女性は性行為を苦痛に感じたか。女性が性快楽を自ら求めたら不都合でもあるのか。

    女体が記号化されている、との表現は目を引いた。確かに、陰部だけで、強烈に扇情的な力を持つ女性器だが、それが肉体としての繋がりがイメージされず、パーツだけ、かつ、意味付けや記憶が無ければ、男性は恐らく発情しない。ただの肉の造形だ。しかし、それが発情装置として、文化的意味を持つようになる。性行為や性欲は、文化、制度の延長線にある、というのは共感できる内容だった。

  • 1 おまんこがいっぱい(おまんこがいっぱい;セクシュアリティの地殻変動が起きている;もうひとりの毒婦;こじらせ女子の当事者研究―雨宮まみ『女子をこじらせて』文庫版のための解説)
    2 性愛・この非対称的なもの(裸体の記号学―裸体の文化コードを読む;視線の政治学;オナニストの宿命;「セックスというお仕事」の困惑;想像を絶する大人達の抑圧)
    3 “対”という病(恋愛病の時代;恋愛テクノロジー;「恋愛」の誕生と挫折―北村透谷をめぐって;ベッドの中の戦場;“対”幻想を超えて)
    4 “対”という実験(ジェンダーレス・ワールドの“愛”の実験―少年愛マンガをめぐって;究極の“対”)
    5 グッバイ・ダディ(フロイトの間違い;DADDY’S GIRL;存在する権利)

  • 人は社会的ないきもので、幻想なくして発情することさえできない。「エロスとは発情のための文化装置」なのだ。そんな発情装置のからくりを知れば、性についての神秘性は剥ぎ取られる。

  • 1987-1998年論文をまとめた1998年版に、80年代-2010年代の時局発言を追補、半世紀にわたるセクシュアルティの地殻変動期を性的身体として生きた一人の女の歴史的証言。

    性の抑圧やタブーは、文学やアートの源泉でもある。

  • 自著解題より
    セックス音ハードルはたしかに下がった。女性に性欲があることは当然視されるようになったし、女性が快楽を求めることにもスティグマはなくなった。女性があからさまにセックスやマスターベーションを口にすることへのタブーも、なくなりはしないが、確実に少なくなった。結婚の前にも後にも外にも、女性がセックスを求めることに社会的な制裁はいちじるしく減少した。そうでなかった時代のことを思うと、隔世の感がある。だが、それはほんとうに女性にとって「性解放」だったのだろうか?
    その反面、ジェンダーの非対称性がおどろくほど変わっていないことにも驚く。避妊の知識と技術が普及したのに、無知からではなく遠慮からパートナーに避妊を言い出せない女。「今どこに誰といる?」と恋人に訊かれてしょっちゅう写メを証拠写真としておくらなければならない拘束を、愛情ととりちがえる女。…(中略)…
    性解放は女の性の自立と自律を求めるもののはずだった。だが結局、いくらハダカで向き合っても「ベッドの中」だけが解放区になるはずもない。ベッドの中には、ありとあらゆくる社会的・経済的・政治的な非対称性が持ち込まれるだけにすぎないことが、あれから四〇年経ってみれば、あらためてよくわかる。フェミニズムの標語、「個人的なことは政治的である」は今でも有効なのだ。

  • 後半、漫画の論文、絵画の論文が?

  • これだけ世の中の仕組みが分かっていると、上野千鶴子さんも生きづらかっただろうなぁ。

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著者プロフィール

社会学者。東京大学名誉教授。1948年、富山県生まれ。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。女性学、ジェンダー研究のパイオニア。現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。京都大学大学院修了後、平安女学院短期大学助教授、京都精華大学助教授、メキシコ大学院大学客員教授、コロンビア大学客員教授などを歴任。1994年、『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)でサントリー学芸賞受賞。著書に、『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『女の子はどう生きるか』(岩波ジュニア新書)、『アンチ・アンチエイジングの思想』(みすず書房)など多数。

「2026年 『新版 女の本屋の物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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