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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784006004040
作品紹介・あらすじ
「象徴とは何か、象徴としての天皇とは何か……。この問いにたいして、だれをも納得させるだけの明確な答えは、どこにもない。」昭和から平成への代替わりを眼前にしながら、象徴天皇制に厳しく迫り、あらたなる天皇制論の地平を切り拓いた画期的な論考が、書き下ろしの章を加えて、平成の終わりに蘇る。天皇制論の基本となる一冊。
感想・レビュー・書評
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昭和天皇の死と葬儀そして新しい天皇への代替わりの即位儀礼が行われていた頃、30代半ばの筆者が天皇制を考えたそれまでの論文をまとめたものである。
本人は後で「知の冒険やアクロバット」のような論考であったと書いているが、読む側からはそんなことはまったく感じない。著名な識者の引用とその論評が多く彼自身のオリジナルな主張は伝わってこない。
先学の解釈に自説をまぶし、学者独特の持って回った言い方で自論を組み立てている。
書評書きに頭を悩ましている身には、この微妙な主客混濁は気になるところであり、まとめるのに更なる難渋を強いられる。
1946年、昭和天皇の人間宣言直後に坂口安吾は『堕落論』で天皇制について「貴族や武士の政治支配層は、かれらの永遠の隆盛を約束する手段として天皇を必要とし、天皇を祀りあげることで支配の正当性を獲得しようとした・・・万世一系だの正統だのということは、民衆の自然の感情に相応しているものではなく、ただ原始の呪術的な神秘思想に相応しているだけ・・・」と書いていることを、天皇制を相対化=無化したと評価することから始める。
同じく天皇の戦争責任の有無が最大の争点であった時、擁護する立場の津田左右吉は不親政論で天皇その人には戦争責任はむろんのこと、いっさいの政治的な責任がないことを言い、批判する立場の丸山真男も天皇のおびる伝統的権威を”精神的“とみなす理解については一致していた。
「人間宣言」や「象徴天皇制」についても津田左右吉や和辻哲郎の当時の論考に沿って論を進める。
和辻は「国民の総意」を「総体性としての統一において、個別的意思とは異なる次序に属する全体意思ないし超個人的な意志をさしめすのが”国民の総意“なる言葉である。これは生きた全体性の表出形態としての天皇の究極の形である」と書く。
三島由紀夫が「天皇は”神のおんために死したる者らの霊“を祀る祭司である」と天皇の聖性=超越性を回復しようとするのは時代錯誤であると筆者は言い、和辻が天皇の本質は権力ではなく権威であり、象徴するのは文化共同体としての国民ないし民衆の統一というのを諾う。
・・・・・。
赤坂憲雄という民俗学者の天皇制についての考えを期待して読み出したが、識者の引用や先学の解釈が多く、彼自身の考えはよくわからなかった。
学者レベルの込み入った文章や思考についていけない歯痒さの感じる未充足感の残る読書であった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2019.12―読了
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52pまで
あまりおもしろくない -
神と人間のはざまに
1(象徴;全体意志;不親政;文化概念)
2(村の祭り;天皇霊)
象徴の涯てに
象徴天皇をめぐる祭祀のゆくえ
著者:赤坂憲雄(1953-、東京都、民俗学) -
東2法経図・6F開架:B1/8-1/404/K
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