宮沢賢治: 存在の祭りの中へ (岩波現代文庫 文芸 35)

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  • / ISBN・EAN: 9784006020354

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  • リンゴの中を走る汽車    -2007.06.28記

    こんなやみよののはらのなかをゆくときは客車のまどはみんな水族館の窓になる
    乾いたでんしんばしらの列がせはしく遷ってゐるらしい
    きしゃは銀河系の玲瓏レンズ巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる
    りんごのなかをはしってゐるけれどもここはいったいどこの停車場だ枕木を焼いてこさえた柵が立ち
    八月のよるのしづまの寒天凝膠-アガアゼル

    宮沢賢治の「青森挽歌」という長詩-252行詩の、冒頭の数行。リンゴというものの形態--
    それは丸いものにはちがいないが、閉じられた球体などではなく、孔のある球体であること。それ自身の内部に向かって誘い込むような、<本質的な-孔>をもつ球体。
    「りんごのなかをはしってゐる」汽車とは、存在の芯の秘密の在り処に向かって直進していく罪深い想像力を誘発しながら、閉じられた球体の「裏」と「表」の、つまりは内部と外部との反転を旅するものとなる。畢竟、私たちの身体の、その脊髄内部の中枢神経は、もとはといえば、肺の表面を覆っていた外胚葉の<陥入>によるものである」という。
    いわば、私たちの身体は、内側に向かって、一旦、裏返されているものなのだから、賢治の、このリンゴのなかを走る汽車のように、空間の外部が内部に吸い込まれていくという反転のイメージは、生物の発生学では、なじみの深い形象でもあるのだ。

  • 近代的自我を超える自我の一つの可能性を賢治に見る論考、と言ってしまっては味気ないが、その考証を賢治の人生と哲学へ深く降りて行くことによって美しい文体が生まれている。

    「家」への違和感と「資本主義」への違和感から農村に入った賢治が感じる農村への違和感は、賢治の法華経的潔癖さと、彼の生育環境にある。権力によってつくられた身体=存在を変え、エゴイスムを超えること。他者たちとの生命の交流の中に向けて開いていくこと。賢治の思想と実践は未完のものとして「現代社会」に生きる私につながっている。

    見田先生が含意しているものはかなり深いと思う。再読します。

  • 宮沢賢治の作品を通して「自我」とは何かを論考する。
    著者は「ふつうの高校生に読んでほしい」と思って書いたのだそうだ。
    「自分とは何者か」を考えるのは近現代における人間最大のテーマだからね。だけど「ふつうの高校生」って誰だよって思っちゃう。難しいというか、こういう文章への習熟は必要だよね。
    人が何を見てどう生きたのかのすべてをテキストにすることなんてできるはずもない。表現されたものの背景を読者により感じさせる力が賢治の作品にはある。だから宮沢賢治に魅かれるんだ。

  • 現在の自分には到底理解不可能な書籍。
    然れども多くの啓示を受理し。
    現時点での結論を叙述するとすれば、
    「善とは善が何かを『冷酷に』追い求める態度のことである」になろうか。
    自己犠牲が史上価値とされるこの社会における、
    賢治の真理への情熱。
    それに習い、考えなくてはならない、
    簡略化した世界で淡々と生きていてはならない。
    「正常な」分別には、実践と熟慮と揺らぎを必要とする。
    然るに我はそれを必要とする。

    以下引用。

    『わたしたちはいつのまにかこの凸レンズの中に入って、内側から光る砂粒たちをみている微細なものの目を獲得している。けれどもこのときにまたわたしたち自身をつつむ広大な銀河系宇宙の全体を、その外側からみている巨大なものの目をも同時に「獲得している』

    『幻想―現実 存在否定―存在肯定』

    『主体の存在の危うさに向けられた敏感さ』

    『みられている自我の感覚』

    『私たちにとって修羅の世界に堕ちるというのは客観的な堕落でなく、じつはひとつの認識である。透徹された明晰さである』

    『人はほんとうのいいことが何かを考えないではいられないと思います』

    『けれどもほんたうのさいわいは一体何だろうーぼくわからない』

    『わたしたちが【いいこと】のために自分を犠牲にするというとき、なにがほんとうの【いいこと】なのか、それをどのようにしてわたしたちは知ることが出来るのか』

    『自己犠牲のモラルはそれだけをとりだしてみれば、たとえば侵略の先兵として散華することも、抑圧的な支配のもとで身を粉にして働くことをも美化する道徳として利用される』

    『なにごとの不思議でもないできごとのひとつひとつを不思議なものとして感受し続ける力』

    『感じることが あまりに新鮮すぎるときに それを概念化することは きちがひにならないための 生物体の自衛作用だけれども いつまでも守っていてはいけない』

    『ヨクミキキシワカリとは、小さいもの、醜いもの、いやしめられているものに向かう察知の能力』

    『この生の年月のうちになしうることは、力尽くさずして退くことを拒みぬくこと、力及ばずして倒れるところまで至り抜くこと』

  • 学校で進路レポートを書くために読んだ。
    賢治の生涯というものの全体が、こんなにすっきり分かった気になった本は初めてだった。あとはもっともっと彼の作品に触れて、この本に書いてあることを消化したい。文字通り地に足のついた哲学者である賢治が素敵だなと思う。・・・宮沢賢治の見え方も、現実の見え方も、自分というものの見え方もかわる。/この人の『気流の鳴る音』も気になる。

  • 見田宗介=真木悠介とは!
    真木悠介の時間の比較社会学、抜群に面白いけど難読でした。
    今回も読み切れるのか不安でしたが杞憂。
    あとがきを読んで高校生に向けて書かれたものだと分かり、納得。
    平易な文章の中にもやはり真木節あり。
    自分は宮沢賢治の表層しか見えてなかったんだなと実感しました。が、日本語の美しさを体験出来る、母語で読むことが出来る、これはとても大きな意義があります。
    宮沢賢治の美しい魂が結晶化して、透明になり降り積もる。

  • 記録

  • 美しい文章に魅了される幸せな読書体験でした。

    自己を保存したいという願望と、自己を散開して他のあらゆる生き物とつながりたいという願望の相克。バタイユが追求した思想との類似性を感じました。

  • 純粋なる自己犠牲の結果に早逝した偉人イメージがあった宮澤賢治ですが、死ぬことでしか解消されない問題を、極めて楽観的に選び続けた人生であったと思いました。「生殖と生計の営為にその身を汚さぬということによって、〈子供でありつづけること〉を、賢治はひとつの思想として選んだのである。」(P225)これってピーターパンじゃない!そうか、イーハトーブはネバーランドだったんだ!ってことは賢治は100年前のマイケル?社会の問題、家族の問題、自我の問題、賢治の「少年小説」が今だに普遍性を持っているのは大人と小人の葛藤があるからか…奇しくも賢治の文学のシンボルであるりんごはマイケルが一度は手にし、そして失うアップルというブランドでもあります。世界で一番、成功した中二病は宮澤賢治とマイケル・ジャクソン、とか言ったら誰かに叱られるんだろうな…しかし、本書がそもそもふつうの高校生に読んでほしいと思って書かれた、という点からも「自我」ってテーマ、気になって気になってしょうがありません。筆者の「自我の起源」読みたいリストに入れました。

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著者プロフィール

1937年生まれ。社会学者。東京大学名誉教授。著書に『まなざしの地獄』『現代社会の理論』『自我の起原』『社会学入門』など。『定本 見田宗 介著作集』で2012年毎日出版文化賞受賞。東大の見田ゼミは常に見田信奉者で満席だった。

「2017年 『〈わたし〉と〈みんな〉の社会学 THINKING「O」014号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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