本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784006021726
作品紹介・あらすじ
「嘘ついてやがら。」自分がみた、本当の戦争を伝えるためにこそ、「武蔵」を書くのだ――。厖大な物資と人命をかけて造られた史上最大の戦艦「武蔵」。その建造から沈没に至るまでを支えた人々の巨大なエネルギーとは、なんだったのか。作家を突き動かした『戦艦武蔵』執筆の経緯を綿密にたどる取材日記。(解説=最相葉月)
みんなの感想まとめ
本作は、戦艦「武蔵」の建造から沈没までの過程を、著者が行った取材を通じて描いた記録であり、単なる取材日記を超えた深い人間ドラマが展開されています。著者は自身の戦争体験を交えながら、当時の人々の思いや社...
感想・レビュー・書評
-
「戦艦武蔵」に続けて読んだが、こちらを先に読んだ方が「戦艦武蔵」を理解する上ではいいかもしれない。本作は単なる取材記にとどまらず、氏がなぜに「戦艦武蔵」を書かずにいられなかったのか、その切実さが、そして作者の人柄が実によく分かるからだ。
氏は昭和2年生まれで物心ついた頃から日本は戦争を遂行しており、その中でほぼ全国民がある種の熱狂のうちに戦争行為に加担している。そして敗戦後手のひらを返したかの様に「戦争反対」を叫ぶ人たちに強烈な違和感を感じている。氏のこういった姿勢は私にはとても誠実に好ましく感じられる。
氏は執拗な取材を通して戦艦武蔵の完成から沈没までを描く事で、氏の戦争感を雄弁に語り、戦争の愚かさや虚しさを我々に突きつける。
世界がきな臭い今こそ「戦艦武蔵」とこの取材記はぜひセットで多くの人々に読んでもらいたいと思った。
付記すれば、堅苦しいこと抜きに純粋に読み物としても面白いです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本は、吉村昭が「戦艦武蔵」を執筆する際にその建造に携わった人や乗組員、建造された造船所のあった長崎の市民などから聞き取り調査をした記録である。
取材は昭和40年頃に行われた。終戦から20年という時期なので、現在とは違い戦争中既に大人でそれなりの年齢や地位に就いていた人がまだ健在だった。
そのため、戦艦武蔵の建造や沈没時の様子はもちろんのこと、戦争中10代の少年だった作者自身の当時の記憶や戦争に対する思いが記されている。
私は、戦艦武蔵の建造の過程や進水、沈没時の様子も然ることながら、戦争中における庶民の中に漂っていた空気や、戦中戦後の新聞やラジオ等の報道のギャップ、そしてなぜ戦争に突入したのか、なぜ敗色濃厚なのにすぐ終わらせなかったのか、などを作者自身が分析しているところが興味深かった。 -
吉村昭の、史実への向き合い方、小説を書くことへの姿勢、人とのつながりに対する信念が、とてもよく分かる。戦艦武蔵を読み、次いでこの本を読んだのだが、そのあと武蔵を再読するのもいいかもしれない。
でも、戦争に引っ張られるから怖い。
すさまじいエネルギーが行間からこちらを覗き込んでいる。武蔵が沈んでもなお、それはじっとこちらを見ている。
もう少し、戦争の視線から離れてみて、落ち着いたらまた読んでみた方がいいかもなぁ。 -
やっぱりこの小説はすごい。誰か戦艦武蔵か、戦艦武蔵ノートを映像化してほしい。
-
『戦艦武蔵』を執筆するに至った詳細な経緯。そして、大陸での戦争から、本土空襲まで、戦中の少年時代を過ごした著者の戦争観がひしひしと伝わる本書。友人・泉三太郎氏が託した武蔵の資料が、著者をプロの作家として独り立ちできるだけの出世作へとつながったことを知ることができた。武蔵関係者の語る漢字カタカナ交じり文が、その時の状況をありありと現出させるようで、とても印象的。もともとは虚構の中に小説の真実があるという指向の著者だった。しかし私には、入念な取材によるドキュメンタリー作家という印象が強いし、名作が多いのだ。
-
2023年12月読了。
8ページ
ラディゲの「多くの若い少年達にとって、戦争が何であったかを思い出してみるがいい。それは、四年間の長い休暇だったのだ」引いて、「この表現に強い親近感をおぼえる」というこの感覚が戦果を生き延びた人から出てくる、それも戦争を否定的に捉えている人から出てくる、この辺りの感覚が実に難しい。
-
本当におもしろいなと思うのは、執筆当時のメインストリームの思想に対する懐疑が著作の動機となるところだ。吉村昭が少年期から青年期にかけて体感した時代の空気、誰も彼もが戦争に積極的に参加し、憲兵と同じくらい隣組が怖かった時代の空気。それらが戦後に「本心は戦争に反対だった」と否定されていることへの懐疑から始まることだ。その回答は戦艦武蔵の建造を通して徐々に見えてくる。人々が武蔵の建造と運用を通じて真剣に戦争に参加したこと、また没入したことを見据えることで、はじめて反戦を語ることができる。正直に戦前戦中の国民のエネルギーを描写するだけで、軍国主義者だの戦前回帰だのとレッテルが貼られかねない昭和40年代。戦争の悲惨さを真に伝えるために誠実に事実と向き合おうとした軌跡が、また吉村昭の記録文学たる所以が、戦艦武蔵ノートとしてまとめられている。
-
名著「戦艦武蔵」執筆時の取材ノート。当時まだ無名だった著者の立ち位置や心境、また戦争と戦後への思いが綴られる。軍艦武蔵の輪郭が明らかになってゆく興味深い取材日記と合わせて、名作の裏側はこうなっていたのかと読み飽きなかった。造船という膨大な知識を要する分野に門外漢として立ち向かった姿勢は、大きな殻を破って新境地を開いた成功譚として結実し、それ自体が小説的な内容。出版後、著者が取材した関係者たちが20数年ぶりに一堂に集う場面は、小説の副産物としてはあまりに有意義な出会い(再会)で印象的だった。
-
-
小説が出来ていくまで、小説家・吉村昭という人に迫れたような気がして、何だか幸せ!
-
[ 内容 ]
「嘘ついてやがら。」
自分がみた、本当の戦争を伝えるためにこそ、「武蔵」を書くのだ―。
厖大な物資と人命をかけて造られた史上最大の戦艦「武蔵」。
その建造から沈没に至るまでを支えた人々の巨大なエネルギーとは、一体なんだったのか。
作家を突き動かした『戦艦武蔵』執筆の経緯を綿密にたどる取材日記。
[ 目次 ]
戦艦武蔵ノート
城下町の夜
下士官の手記
消えた「武蔵」
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ] -
「戦艦武蔵」執筆の取材ノート。小説の方と間違えて借りてしまったので、原作を未読だったりするが、十分面白かった。
一本の小説を書くための勉強量と取材量に敬服。ルポルタージュは儲からないというけどホントそうだ。 -
ブログに掲載しました。
「戦争は男という種族が生み出した巨大なエネルギー」という戦争観
http://boketen.seesaa.net/ -
(チラ見!/文庫)
-
小説『戦艦武蔵』執筆の経緯をたどる取材日記。
小説よりも武蔵の生存者の証言、手記がところどころ紹介してあって興味深い。著者自身が描いた図版も貴重。取材に対する執念が凄い。 -
吉村昭の著作の中で初めて読んだのは、零式戦闘機か戦艦武蔵か。ひょっとしたら高熱随道か。よくよく考えてみると死後刊行された死顔、もしくは回り灯籠が妥当。その後、吉村昭という作家にハマッて、文庫化されたものを読んで読んで興味が失せるまで読んだ。
初期の作品ばかり読んで、中期・後期の歴史小説まで行きつかなかった。初期の作品で一番と言われれば、戦艦武蔵。(大和ではなく、なぜ武蔵なのかも疑問だった。このノートの中にちゃんとその答えがある。)淡々とした筆致で書かれ、いたずらに盛り上げようとしない。事実だけでグイグイと読者をひっぱる。こんな小説を読んだことがなかった。
戦艦武蔵のレビューはおいおい。近いうち、戦艦武蔵も読み直すだろう。
戦艦武蔵ノートを読んでいて、戸惑う。後期の随筆しか読んだことのなかった私には、同じ人物が書いたのかと思うほどの熱量に圧倒されるばかり。若い頃の作品もどれも冷静だから、随筆も冷静だと思ったが裏切られた。(しかし、この人平熱が低いので、熱が出てもそれほど高温ではない。熱々ではなく、冷静な中から見え隠れする熱さ。こういう言い方が正しいだろう。)
戦艦武蔵のなかでも印象的だったシーンの
・冒頭の棕櫚縄の莚
・設計図紛失事件
・漁師の戦後20年の恐怖
3つについても取材過程が明らかにされて、詳細に解説される。名小説の副読本としてオススメです。(戦艦武蔵、-ノート、先に小説を読むほうを勧めます) -
本書は、本書の著者が1960年代に著した『戦艦武蔵』という小説を書くにあたり、非常に綿密な取材を行い、なるべく史実に忠実に描こうと努力した、その奇跡をまとめたものである。
歴史モノ、特に第二次世界大戦を扱ったものというと、史実がどうであったかという検証よりも、とかく著者の哲学が先行し(要は右か左かといったこと)、史実そっちのけで自論が展開されるというのがお決まりのパターンである。
しかし、著者は、自分の価値観を抑制し、史実に忠実であろうとした。具体的には、戦艦武蔵にかかわった人物に東奔西走し、聞き取りを行い、それに基づき本書を書いたのである。
これは、本書が書かれた時期がまだ戦後20年あまりのタイミングであったため、比較的関係者が存命であったためになしえたともいえる。
ある人には、40回も重ねて聞き取りを行ったそうである。
やはり、その歴史を実体験した人の言葉に勝る証拠はなかろう。
こんような手法で実証的に歴史を明らかにしようという著者の姿勢は素晴らしい。
また、本書は、武蔵を扱っているが、映画化に適しそうな、いわゆる戦闘シーンなどは全く描かれておらず、武蔵の建造過程にスポットを当てている。
そのため、戦争ものを期待した読者は肩透かしをくらう内容かもしれないが、むろんそれは本質的な問題ではない。 -
「吉村なら書くだろう」
そう言ったのは斎藤という名の『新潮』の編集長だ。吉村は担当編集者の不用意な発言でそれを知った。
大成した後の彼しか知らぬ者には思いもよらぬ事実だが、そのとき彼はまだ全くの無名作家であった。試しに今、書店で新潮文庫のコナーの前に立ってみれば、彼の作品が並ぶ幅は1メートルを超え、書店によっては司馬遼太郎を凌駕している場合さえある。だが、その当時の彼は、四度芥川賞候補となりながら果たせず、前年には女流作家である妻に先を越されていた。
思案橋界隈で、ひとりで飲み歩く彼の頭からは、新潮社というより文壇そのものを牛耳っている斎藤の一言が離れなかった。
幾軒目かの店を出て下り坂を歩くと、見下ろす港の向こうに「灯」が見えた気がした。坂の多いことで知られるこの街である。十日間の取材を終え明日はこの街を去るのだが、明日ではなくもはや今日と言うべき時刻を過ぎていた。あてもなく歩く彼は、下り坂が決まって行き着く方へと自然と向かった。
食い詰めた自分なら、こんな有難い依頼になら飛びつくだろうっていうワケかい。作家として追い詰められた俺なら、新潮ほどの名門文芸誌が異例の一挙掲載だなどという話に乗らない筈はないってか。「いっ」石畳の敷石の何でもない段差につま先があたった。足が僅かにもつれた。
いや、いや違う。俺自身でさえ書く自信がない『武蔵』を、斎藤さんは「書ける」と信じてくれているのだ。頭も、もつれている。
気付くと岸壁まで歩いていた。明け方前だというのに操業中じゃないか、やはり造船所の灯だったのだ。表示を見たら「浪の平」だ。近く見えるのは当たり前で、長崎湾の湾口は狭い。造船所から対岸の浪の平までの幅はわずか680メートル。巨大艦武蔵が浸水の瞬間、起きた津波が浪の平に押し寄せた程だ。その記録を彼は、人に見せられた『戦艦武蔵建造日記』で発見した。『建造日記』は純文学作家の彼には無味乾燥な理科系用語の羅列に過ぎなかったが、唯一「コレは面白い」と思えたのがその津波の記録だったのだ。
「書くのに十年はかかるでしょう」
向こう岸の造船所でそう言われた。素人が手掛けたら、それだけかかるだろうと見くびられた。だが、妻にも兄にもあと1年だけと約束した。彼らへの約束というより自分自身の決意でもあった。岸壁に座る彼は作家としての崖っぷちに立っていた。
書くべき材料は揃った。揃いすぎるほどだ。この浪の平では床上まで水に浸った家の住民の話も直に聞いた。東京で見た面白い記録は、ここでナマの声と顔になった。60人を超える造船所の関係者の間も「歩いた」。戦後20年を経てもなお、特高警察におびえる純朴な漁師夫婦に会ったのは昨日だ。
証言はすべて語る者の真剣さと誠実さを訴えかけてくる。しかし、極端な機密保持体制下での経験だけに、すべてが限定的な部分の証言でしかない。この膨大な数の断片をつなぎ合わせることで、『武蔵』の巨大な全体像を描き上げることがはたしてできるのだろうか。そして、これらの膨大な事実を描くほかないこの『武蔵』を世に問うということは、あくまでも自らが創造した虚構を前提としてきた純文学との決別をも意味する。
じっと眺める彼の目に、対岸で青白い光が滝のように流れた。溶接の火花である。鋲打ちの音もかすかに聞こえる。閃光に浮かび上がるガントリークレーンは、あたかも稲妻に照らされた巨大恐竜の雄姿であるかのようだ。
その瞬間、ジャンパーを頭から被り岸壁に座り込んでいた彼は、見えぬはずの『武蔵』の姿をはっきりとを見た。膨大な記録と証言の中を歩いた彼の目にしか映りえない巨艦を。彼の手でしか描き得ないむなしい戦争の象徴を。
「書いてやろうじゃねえか」彼は立ちあがった。
迷いの消えた耳に、大浦天主堂の鐘が響いた。
見上げると夜は明けていた。
やがて大河となる最初のひと雫のごとき何ものかが、今確かに流れ始めたことを、当の本人である吉村はいまだ気づいてはいなかった。 -
戦艦武蔵とセットと感動2倍。
著者プロフィール
吉村昭の作品
本棚登録 :
感想 :
