小津安二郎の反映画 (岩波現代文庫 文芸 187)

  • 岩波書店 (2011年6月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (350ページ) / ISBN・EAN: 9784006021870

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みんなの感想まとめ

深い洞察と独自の視点が光る批評が展開されており、著者は小津安二郎に対して特別な親しみを持ちながらも、冷静にその作品を分析しています。映画監督である著者だからこそ可能な小津の舞台裏への理解が、作品の魅力...

感想・レビュー・書評

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  • 学生の頃『東京物語』を観て言い知れぬ感動を覚えた。でもそれが何なのかうまく言えなかった。蓮實重彦の『監督小津安二郎』を読んではみたものの、アプローチは斬新だがどこか血が通っていないという印象を拭えなかった。本書は明らかに蓮實の影響を受けているが、蓮實の小津論が腑に落ちなかった評者も、本書に出会って初めて小津映画が掴めたような気がする。

    世界は無秩序である。この世界をレンズで切り取り、一定の解釈を施して物語に仕立てる映画とはそもそも「まやかし」である。小津の映画はその「まやかし」を徹底的に排する。というより「まやかし」に身を委ねつつ、それが「まやかし」であることを露呈させる「戯れ」、これが映画による「反映画」である。蓮實の「表層批評」を彷彿とさせるが、他方で小津は後輩である著者にこうも語る。「映画はドラマだ、アクシデントではない。」小津のこの言葉は著者を困惑させる。ドラマこそ小津が忌避した「まやかし」ではなかったか。

    手掛かりは『東京物語』のワンシーンにある。旅立ちの朝、探していた空気枕が既に旅行鞄に仕舞われていたことに気づく。目の前にありながらそれを見過ごしてしまう愚かで不確かな人間。その人間に事物としての空気枕が深い沈黙のうちに投げかける眼差し。「人間が人間でしかないという否定しがたい眼差しをあらわにすることによって、かえって事物としての眼差しを蘇らせ、以前にも増して数限りない眼差しに包まれ、見守られていることの歓びへと、我々を誘う。」これが「世界の無秩序とともに生き、それを愛する唯一の方法」である。「映画はドラマだ」と小津が言うその「ドラマ」とは、映画の中に描かれるドラマのことではない。映画という表現形式を通じて、無秩序極まりない世界の中で我々を包む複数の眼差しに気づくこと、それは生が無秩序で相対的なものだからこそ、多義的な光に満ちた存在でもあり得ることを見出す瞬間だ。そこに映画による「反映画」としての「ドラマ」がある。

    禅や仏教で小津映画を語ることが「日本的なるもの」に小津を矮小化するものだと言う批評をよく目にする。欧米の小津礼賛に見え隠れする浅薄なエキゾチズムへの反発もあるだろう。ただ、生活様式としてではなく、精神としての禅や仏教が果たして「日本的なるもの」かどうか甚だ疑問であるし、そういう論者も禅や仏教をどこまで理解しているというのだろうか。少なくとも、そのエッセンスをここに紹介した吉田喜重が捉えた小津の世界観は、無を受け入れながら無からも自由な平常心に徹する禅や、一切を空と観じ、転じて一切を光り輝く存在として再び見出す般若思想の「色即是空、空即是色」と極めて親和的なように思える。

  • 意地悪く言えば、冷徹な批評家の手による批評ではない。小津を慕う人物だからこそ書くことができた、小津に寄り添った批評として結実している。だがその読みは決してヌルいものではなく、深遠に(哲学的に?)死生にまで絡めた鑑賞を行っている。吉田自身映画監督ということもあって小津の舞台裏を眺め通すことができた人物なのだろう。この本を片手に小津に入り、小津の世界を堪能したいと思わされる。だがその一方でこの批評が「外」の観客にどこまで伝わりうるものかという疑問も(これもまた意地悪く言えば)思う。なかなか剣呑な1冊だが面白い

  • 自身映画監督でもある著者は、小津安二郎のことを本書の中で終始「小津さん」と呼ぶ。雲の上の人ではなく、かといって距離をおいて冷静に語れる人でもない。そんな距離感。

    もう一つ本書で特異なのは、なんと、俳優の名前が一度も書かれないということ。ひょっとすると小津さん意外、固有名は書かれなかったのではないか。おそらくこれも意図してのことだったろう。小津監督は、いわゆる俳優としての劇的な演技を極力させなかった。

    小津監督は映画の文法に背を向け、例えば有名なローアングルショットなど独自の手法を用いたけれど、本書を読んでひどく納得したのは、小津作品の魅力は、そうしたルールを原則として守りながら、やすやすとそれを「違反」してみせるところにあるのだということ。こてこてのメロドラマを撮っているようで、その話法がキレッキレにアヴァンギャルドであること。

  • 小津安二郎に関する本は多数出版されており、論文や評論や感想文やどうでもいいような駄文や便乗本などなどは、うんざりするほどある。で、この本はというと、ちと難解ではあるが小津安二郎ファンであるなら読むに値する本であると思う。
    もちろん、著者、吉田喜重自身も語るように、この本のような解釈が正解であるという保障はまったくない。私自身も疑問に思う部分が多い。しかし、小津監督と著者の有名な二度の接触シーンは、映画ファンならば誰でも謎解きの誘惑に駆られるエピソードであり、その意味でも、吉田喜重監督はこの本を書かねばならない必然性があったといえよう。

  • 単なる作品解説ではなく、小津監督によって造形された映画の光と影に力点を置いてそれらの作品に対峙した力作である。本文中では時系列に沿っていくつかの小津作品が紹介されているが、そこでは役名どころか演じた俳優の名前さえ記されない。著者の洞察力が高すぎるせいか、理解できない論点もあるが、「東京物語」を映画の黙示録だと論説した部分は見事だと思う。

  • 2-3 映画論

  • 小津映画は見るたびに発見と見ることの自由さを体験させてくれる。小津映画で繰り返される反復とずれとはなんと私たちの人生に似ていることか。誰もが体験する小津映画の平明さと不思議さ、心地よさと居心地の悪さの謎を鮮やかに解読してみせる、これまで読んだ小津監督論で最も分かりやすく納得できる一冊。そして、また小津作品を見たくなる、そんな誘惑の書であります。

  • 映画監督による映画監督評論。
    さすがに深い洞察で、小津監督が初めてカメラに向かい、ファインダーを覗いた時の心情を「深く絶望したのではないか」と分析するあたりは映画監督でないと絶対に無理だと思う。
    深くて重い分、なかなか読み進むことができなくて時間がかかったが、時系列で作品を追い、映画に込めた小津監督の真意はほぼ見きわめられていると感じる。

  • 「序」で語られる吉田喜重の小津の2つのエピソードが興味深い。

    吉田喜重による小津映画の解読。

  • 「諧謔」という言葉がどれだけ出てきただろう。つまり、それが作者が小津安二郎に対するイメージなのかも。
    映画評論でもなく、分析でもない。だからこそ新しい。映画解説でもない。意味を模索しながら、とまどいながら、意思なきところに意思を感じ、ただひたすら、愛すべき小津安二郎に近づこうとしているかのようだ。

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著者プロフィール

(よしだ・よししげ)1933年生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。1955年、松竹大船撮影所に入社。1964年、独立。監督作に、『秋津温泉』(1962)、『エロス+虐殺』(1969)、『戒厳令』(1973)、『鏡の女たち』(2003)など。著書に、『贖罪』(文藝春秋)、『吉田喜重 変貌の倫理』(蓮實重彦編、青土社)、『小津安二郎の反映画』(岩波現代文庫)など。

「2020年 『まだ見ぬ映画言語に向けて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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