エクソフォニー――母語の外へ出る旅 (岩波現代文庫)

著者 :
  • 岩波書店
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レビュー : 23
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006022112

作品紹介・あらすじ

エクソフォニーとは、母語の外に出た状態一般をさす言葉である。長年にわたってドイツ語と日本語で創作活動を続けてきた著者にとって、言語の越境とはまさに文学の本質的主題に他ならない。越境で何が見えてくるか。それは自らの文学をどう規定してきたのか。自己の立脚点を試掘するかのような鋭敏なエッセーが、言葉の煌めきを映し、文学のありようを再定義する。

感想・レビュー・書評

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  • ネットで知り合った、本好きのかたに教えていただいた本。あまり聞かない、「エクソフォニー」というタイトルの響きも気になって、手に取りました。

    「エクソフォニー(英:exophony)」というのは、「外」を表すexo-と「音、声」を表す-phonyが組み合わさった言葉。「母語以外の言語で文芸作品を創作する」という意味の批評用語として、わりあい定着しているものらしい。都甲幸治さん『21世紀の世界文学30冊を読む』に取り上げられたアメリカの作家の多くのように、家族内で使うのは彼らのルーツの言葉だけど、小説を執筆するのは母語じゃなくて英語であったりという状態を指す。彼らはアメリカ文学の作家というよりも、もっと大きく「エクソフォニー」でくくられることになる。

    たまーに外国語を触ることもあったりするけれど、それを「母語の外に出る」と考えたことはまるでなかったから、「エクソフォニー」あるいは同義の「エクソフォン」という状態について、すごく面白く読んだ。それに、自分の母語じゃない言語でものを書くということについてもあらためて考えた。自分のやっていることを考えてみると、それはあくまでも、「母語じゃないものをちょっとのぞいて、手持ちの少ない材料をちょちょちょっと集めて、『らしきもの』をこしらえて、すばやく母語に帰っていく」という感じ。大きく外へ踏み出したという感覚ではなく、その言語のお約束に外れないようにして成果品を作り上げているような気がする。でも、多和田さんのおっしゃるエクソフォンはもっとのびやかで自由。たとえば、セネガルの書き言葉は完璧なフランス語だが、話し言葉としては現地語が別にあるから、フランス語にその感性を加えてもいいではないかという。書くために使う言語の文法や文化的決まりに厳格ではなく、自分の中にある「なまり」をその言葉に反映させてもいいではないか、むしろそうでないと文学ではない、ともいう。自分が文学に携わる人間ではなく、それをただ読みつぶすだけの人間だから、そう考えたことはなかった。語学関係者の中にはそういう視点に怒る人がいるかもしれないが、なくてはならない視点だとも思う。

    多和田さんの体験したワークショップでのエクソフォンな状況だけでなく、訪問した国それぞれのエクソフォニー事情も面白かった。エクソフォンな状況が生まれる素地は現在、どこにでもあるにもかかわらず、エクソフォンに寛大な国と、そうでない国があるよう。概して、母語だけでどっぷり生活できてしまう国では、エクソフォンについての理解は乏しく、評価の方法も「(自分たちの話す)○○語がお上手ですね」と、優劣の問題のみで片づけられてしまうという。歴史的な問題もあるから、解決がどうこうというわけではないけれど、もう少し寛大に考える余地もあっていいように思った…といっても、人にえらそうに言えない部分も多々あるんだけど。

    外国語に対して、型にはまってコチコチになっていた自分のアタマを、ごりごりごりっともみほぐしてくれるような、心地よい軽やかさで読み終わった。それには、多和田さんが言葉について、そのイメージを語るときの描写の素敵さもあるんだろう。ドイツ語の単語の中に見つけた面白さが、キラキラ細かい光を放ちながら流れるようで、なんだかまぶしかった。そんな楽しさが隠れているなら、よーしっ、挫折したドイツ語、もうちょっとやってみよっか(←影響されやすい)!

    • niwatokoさん
      おもしろそうですね。エクソフォン、ってはじめてききました。というか、なんか考えたこともなかった。わたしは英語を読むことだけで、しゃべったり書...
      おもしろそうですね。エクソフォン、ってはじめてききました。というか、なんか考えたこともなかった。わたしは英語を読むことだけで、しゃべったり書いたりはしないし、ほかの外国語はまったくわからないんですが。
      考えてみたら、母語じゃない言葉で創作された作品ってのもけっこうあって読んでいますよね。外国の方が日本語で書いてるものとかもあるし。
      多和田さんの小説も読んだことないんですが、興味がわきました。
      2012/11/10
    • Pipo@ひねもす縁側さん
      岩波文庫ということもあって、ちょっと硬派ですが、面白かったですよ。

      私も英語をちょっとさわれるだけで、あといくつかは初級の文法書をのぞいた...
      岩波文庫ということもあって、ちょっと硬派ですが、面白かったですよ。

      私も英語をちょっとさわれるだけで、あといくつかは初級の文法書をのぞいただけなので、単語の意味がちょこっとわかるだけですが、「エクソフォン」なんて考えたことありませんでした。この本の内容は語学学習の延長とかではなく、そことはかなり違った観点で、私なんかたどり着けないレベルの話題でしたけど、すごく新鮮でした。

      アゴタ・クリストフみたいな人の作品を読んで、「移民した国の言葉で書かなければならないのはしかたないんじゃない?」とか単純に考えてましたけど、書く言葉を選ぶって、そこにすごく深い意味があるのも、この本で知りました。

      私も多和田さんの本が何冊か脳内積読なので、ぜひ読まなければ!
      2012/11/10
  • 日本語とドイツ語の2ヶ国語で著作をあらわす筆者が、これまで訪れた世界の街での経験に寄せて、創作意欲や表現方法を語るユニークな本。
    多国籍クリエーターたちのエピソードが面白く、また、幼少時に住んでいたわけでもない国に意図的に定住し、その国のことばで作品を出す動機が深い。
    「ことば」をオールにして世界に漕ぎ出し、世界を見つめる姿勢が徹底している。兎角ヒトはあれこれ欲張ってしまうが、定点に構え、じっくり数十年かけて物事を見極めようとすることの重みを感じた。

  • 『言葉と歩く日記』を読んでから、こちらを読んだ。
    第一部はその本の趣向にちょっと似ていて、作家活動の傍ら世界をめぐる中で、さまざまな言葉に触れて思うことが述べられている。
    第二部はドイツ語にフォーカスした内容。
    こちらの方が内容が濃いし、面白い話もあるのだけれど、残念ながらドイツ語が分からないので、ピンとこないところもあった。
    さあ、いよいよこの人の小説や詩を読まねば…。

  • ヨーロッパと日本の言語を巡る状況を概観するとともに、いろんな物事が統一とか硬直に向かっていくことを危惧し、それとは全く逆の瑞々しい価値観を提示している。外国語を学び、外国語と母国語の間で考えることで、一つの文化を相対的に見ることができる。ここからはかなり教訓的な考えを取り出せるだろう。だが本書の特徴はいたるところに言葉遊びが散りばめられていることだ。この本はただ有意義なだけでなく、たたずまいそのもので芸術を表している。

  • 外国語を学ぶということはそこから広がっていく視野と思考を獲得できるものではあるけれど、母語と外国語の間で佇む人に内在するしがらみから解き放ってくれる一冊に思えた。異言語がせめぎあうその境界をむしろ楽しんでいる著者の柔軟な姿勢から、振り子のようにリズミカルに行ったり来たりできるバランス感覚を掴むことが大事なんじゃないかと思え、ここしばらく気が緩んでいた私を揺り起こし背中を押してくれるような本だった。著者の作品を手に取るようになったのはごく最近なんだけれども(本書で4冊目)、他の著書も引き続き読んでいきたい。

  • エクソフォニーというのは聞き慣れない言葉だが、副題にある「母語の外へ出る」という意味合いの筆者の造語であるようだ。多和田葉子は、在独30年に及ぶようだが、その間に日本語で小説やエッセイを(芥川賞の『犬婿入り』他多数)書く一方、ドイツ語でも創作活動を続ける(ドイツでの受賞も多数)スーパーバイリンガルな作家である。本書は、そんな彼女の言葉をめぐる、いわば思索的エッセイといった趣きのものだ。ここには様々な地が登場するが、それらの地域性は必ずしも重要ではなく、筆者はその本質においてはコスモポリタンな人だと思う。

  • 軽やかで読みやすい。母語の外に出つつ、その言語にこだわるのでもなく、あくまで境界を楽しむことを、実践している。母語/外国語を問わず言葉を大切にすること、いろんな言語に触れることの歓びにあふれている。
    単調な語学の勉強に嫌気が差しそうになったときに読み直したい一冊。

    「ハンブルク」が特に興味深かった。88頁。

    わたしがハンブルクに来たのは一九八二年のことだが、当時のわたしの耳は今のわたしの耳とは違っていたと思う。ドイツ語はすでに日本で勉強していたものの、聞き取りの能力はなかった。辞書を引きながらなら、かなり難しい本でも読めたし、文法も単語も分かっているから、こちから言いたいことは言えるが、相手の言うことが聞きとれない。赤ん坊の逆である。赤ん坊なら本は読めないし、まだしゃべれないが、人の言うことはかなり分かる。わたしが自分から一方的に作った文章は文法的に正しくても、理屈だけで組み立てたものであるから、音楽的流れはなかった。そのうちに、だんだん相手の言っていることが、すいすい耳に入ってくるようになってきた。それは、個々の単語や文節が聞き取れるようになってきたということの他に、全体の流れが音楽的につかめてきたということだろう。

  • 「90年代を代表する文学はどんな文学かと聞かれたら、わたしは、作者が母国語以外の言語で書いた作品、と答えるのではないかと思う」

    と言い切る多和田葉子氏の著作で、解説は英語を母語としながら日本語で捜索活動を続けるリービ英雄氏。
    『エクソフォニー』という表題は耳慣れないが、副題は「母語の外へ出る旅」。
    そうなれば本書のテーマは明らかだろう。
    要するに「母語を相対的にとらえる」ということになるのではないか。

    我々は当たり前のことだけれど母語に依拠して生きている。
    それはつまり、母語の世界観を前提にした考え方やものの見方しかしていないということだ。
    筆者の多和田氏はそうした我々の「思い込み」を突き崩そうとしているように思われる。
    だからこそ、多和田氏の投げかける問題は、我々の生きた方の問題として切実に迫ってくるのではないかと思う。

    非常に刺激的な本で、とてもおもしろかった。

  • 世界各都市の記憶と言葉を巡る刺激的なエッセイ。タイトルは「母語ではない言葉で書くということ」の意。日本語を外から見る、またはドイツ語に他の言語の音や記憶からの連想で新たなイメージを発見し、言葉を活性化する。例えば、RとLの発音を区別しない日本出身の著者には、Brücke(橋)という単語の中にLücke(空白)が見えるという具合に(p.52)。「からだ」や「月日」といった自分がふだん何気なく使っている日本語が、著者のセンサーを通すとがぜん解像度があがって見えてくるようで、ゾクゾクしてしまった。

    “わたしは境界を越えたいのではなくて、境界の住人になりたいのだ、とも思った”(p.39「パリ」)
    (2003)

  • エクソフォニー 母語の外へ出る旅

    Exophony
    https://en.wikipedia.org/wiki/Exophony
    "Exophony"「エクソフォニー」は「外」を表すexo-と「音、声」を表す-phonyが組み合わさった言葉。 英語やドイツ語の辞典に掲載されているわけではありませんが、 「母語の外に出た」状態、 「母語以外の言語で文芸作品を創作する」 という意味 ...


    KW:移民文学
    http://www3.rikkyo.ac.jp/research/initiative/activities/seeds/researchers/_asset/pdf/11_hamasaki_1116.pdf
    KW:エクソフォンな作家
    KW:クレオール文学
    日本で一般に「クレオール文学」という場合には、クレオール語で書かれた文. 学を意味するよりは、旧植民地の作家が旧宗主国の大言語によって書いた○○語表現文学を. さして、こう呼ぶのが普通である。

    ダカール エクソフォニーは常識
    ある言語で小説を書くということは~
    その言語の中に潜在しながらまだ誰もみたことのない姿を引き出してみせることの方が重要だろう。そのことによって言語表現の可能性と不可能性という問題に迫るためには、母語の外部に出ることが一つの有力な戦略になる。P10

    ベルリン 植民地の呪縛
    「西洋的だから正しい」の呪縛

    ロサンジェルス 言葉のあいだの詩的な峡谷
    トーマスマンがアメリカに亡命していたエピソード
    彼は英語で小説は書かなかった

    文学は論文とは違う アンネ・ドゥーデン

    彼女のパーダボルン大学詩学講座より
    schrei シュライ=叫びとschreiben シュライベン=書くが並んでいる。音的にみても意味的にみてもかくことは叫ぶことと複雑な関係にある
    実際に叫びを文字にできるのは、少しは恵まれた環境にある者だけである。~~書くことは叫ぶことではない。しかし叫びから完全に切り離されてしまったら、それはもう文学ではない。叫ぶことと書くことは切っても切り離せない関係にある。この二つの単語は、言語学的にみて語源が同じなのではなく、一人の人間が生きてきた家庭でもう離れられないくらい結びついたものなのである。

    昔なら、数年ごとに住む場所を変えるような人間は「どこにも場所がない」「どこにも所属しない」「流れ者」などと言われ、同情を呼び起こした。今の時代は、人間が異動している方が普通になってきた。どこにも居場所がないのではなく、どこへ行っても深く眠れる厚いまぶたと、いろいろな味の分かる舌と、どこへ行っても焦点をあわせることのできる複眼をもつことの方が大切なのではないか。あらかじめ用意された共同体にはロクなものがない。暮らすということは、その場で、自分たちで、言葉の力を借りて、新しい共同体を作るということなのだと思いたいP32

    パリ 一つの言語は一つの言語ではない

    詩人はたった一つの言語っでしか詩をかけないパウル・ツェラン
    ツェランの詩は、音韻的ではなく、映像的である
    そして彼の詩を読めば読むほど一つの言語は一つの言語ではないと感じるP42
    本)「カタコロのうわごと」にツェラン論

    ケープタウン 夢は何語で見る?

    多言語社会は確かに「むずかしい」

    バイリンガルの子とそうでない子を比べた場合。普通に勉強している、バイリンガルの子の方が学力が劣る傾向にあるが、普通以上に勉強した場合、バイリンガルの子がずっと高いレベルに達するという統計がでているP50

    単言語人間ばかりだった時代にはできなかったことを成し遂げることができるかもしれないのである。P50

    奥会津  言語移民の特権について
    一つの母語を学ぶということは、そのほかのあらゆる可能性を殺すということになる。
    生まれたばかりの子にあらゆる言語を話す能力が潜在的に備わっているというのは素晴らしい。

    人)室井光広 本)「そして考」

    バーゼル 国境の越え方

    ソウル 押しつけられたエクソフォニー

    ウィーン 移民の言語を排斥する

    エルンスト・ヤンデル(オーストリアの詩人2000没)の放送劇「ヒューマニストたち」
    言語は壊れていくことでしか新しい命を得ることができないちうこと、そしてその壊れ方を歴史の偶然にまかせておいてはいけないのだということ。芸術は芸術的に壊すのだということをこの放送劇は教えてくれる。言葉遊びは閑人の時間つぶしだと思っている人がいるようだが、言葉遊びころ、追いつめられた者、迫害されたものが積極的に掴む表現の可能性なのだP80

    ハンブルク 声をもとめて
    なまりをなくすことは語学の目的ではない。むしろなまりの大切さを視界から失わないようにすることの方が大切かもしれない。P89

    人)田中克彦  本)「クレオール語と日本語」~発音のみならず、思想のナマリがなければ、その人はフランスの勉強をする理由はほとんどありません、そしてまたなまることがささやかながら世界の思想と人類の文化に貢献する方法なのです

    自分のなまりの特徴についてよく考えてみる

    ゲインズヴィル 世界文学 再考

    ワイマール 小さな言語、。大きな言語

    翻訳は小さな言語だけでなく大きな言語を変化させる役割ももつP102

    ソフィア 言葉そのものの宿る場所
    辞書は時に言葉をイデオロギーから解放する役割を果たす。辞書は秩序正しく言葉を整理した者のように見えるが、実はアナーキーな期間なのだ。P107

    人)野村進む 本)「脳を知りたい!」

    北京 移り住む文学
    本)「翻訳語成立事情」

    フライブルク 音楽と言葉
    もともと音楽と文学が分かれていない状態の方が普通なのかもしれないP125

    ボストン 英語はほかの言語を変えたか
    外国語に浸って数年暮らしていると、新しい言語体系を受け入れるために、母語の基盤となっている理論の一部が壊れ、変形し、新しい自分がうまれてくる。P129

    日本語やドイツ語の中にも英語が入っている。しかも、単語が外来語として入っているだけでなく、言い方そのものにも影響を与えている。そういう意味でも、一つの言語だけを話している人も、言語間の交わりや戦いを舌で受け止めながら生きていることになる。P133

    チュービンゲン 未知の言葉からの翻訳
    クリエーティブライティングWS
    ①「龍」「立」などの漢字をみて意味がわからないまま作文する
    ②さまざまな形態の文章を翻訳する
    放送劇、読経、鳥の声など
    ③外国語の風景と題し、車窓の風景で作文する

    バルセロナ 部隊動物たち
    ものを書いているとき、一つの単語にはどのくらいの時間が与えられているのだろうと考えることがある。~~~又、スピードだけではなく、なめらかに読むか、わざとつっかえながら読むかによっても意味の現れ方は違う。わざとつっかえて単語を切断することで、多義性の浮かび上がることも多い。
    「のけもの」という言葉と「の けもの」と発音した場合などがそうであるP141

    言語が情報伝達の義務から一度解放されて音楽の分野に踏み込んでいき、観ている側としては、断片のシャワーを浴びながら、ゆっくり時間をかけて自分なりの像を結んでいくことができた。そこで立ちあがってくるものは、普通の「意味」とは違って、もっと立体的なものである。原題という時代は平坦な描写や定義ではとらえられないのだから、いろいろな越えの飛び交う空間としてとらえるしかない。わたしにとって、テキストは一つのメッセージを伝える手段ではなく、次々と新しい映像を生成させるための建築物のようなものであるから、それに必要な空間と時間が舞台の上で与えられるのは好ましい。P142

    「なまり」の使われ方も面白かった。それぞれの人間が、佳子にどのような町に住み、どのような人たちとどのような会話を交わしながら生きてきたか、ということは、その人が今話す言葉の中に記憶されている。
    なまりは個の記憶なのである。P143

    モスクワ 売れなくても構わない

    本)「文体練習」レーモン・クノー言葉遊びの翻訳

    本)「W文学の世紀へ」沼野充義

    言語はそれぞれ違っているのだから、完全に正しい訳というのはありえない。
    言葉の含む情報を重視する訳者もいれば、効果を重視する訳者もいる。コンセプトや文体を重視して訳すこともできるP146

    マルセイユ 言葉が解体する地平

    第二部 実践編 ドイツ語の冒険
    1空間を世話する人
    2ただのちっぽけな言葉
    nur だけ、しか、のみ
    このように小さな言葉で人を怒らせたり、安心させたりできるのは、不思議と言えば不思議、楽しくもあるし危険でもある。

    3嘘つきの言葉
    アメリカの本屋~フィクションとノンフィクション
    ドイツの本屋~文学と実用書

    ことわざ、慣用句
    フーガを奏でる~次々嘘をついて責任逃れする
    第一バイオリンを弾く~指導的役割
    第二バイオリンを弾く~影の存在となる
    バイオリンできっちり真実を弾く~歯に衣着せずに真実を言うこと

    4単語の中に隠された手足や内臓の話
    慣用語再び
    動物の名前の入った単語で文章を書いた
    猫膳、犬天気、猿芝居
    花の名
    たんぽぽ(ライオンの歯)、三色すみれ(継母)
    Atemzug(呼吸)ーAtem(息)=Zug(列車)

    5月の誤訳
    「奥の細道」の月日
    6引く話
    7言葉を綴る
    外国語を学ぶということは、新しい自分を作ること、未知の自分を発見することでもある
    8からだからだ
    「からだ」はからっぽの入れ物?
    9衣装
    10感じる意味










    本)『言葉と歩く日記 』も読みたい

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著者プロフィール

多和田葉子(たわだ ようこ)
1960年、東京都生まれの小説家、詩人。早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業後、西ドイツ・ハンブルクの書籍取次会社に入社。ハンブルク大学大学院修士課程修了。長年ドイツに暮らし日本語・ドイツ語で執筆する。著作は各国で翻訳されており、世界的に評価が高い。
’91年「かかとを失くして」で第’34回群像新人文学賞。’93年「犬婿入り」で芥川賞受賞。’96年、ドイツ語での文学活動に対しシャミッソー文学賞を授与される。’11年、『雪の練習生』で野間文芸賞、’13年、『雲をつかむ話』で読売文学賞と、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
世界的な賞も数々獲得している。2016年ドイツの文学賞「クライスト賞」を日本人として初めて受賞。そして2018年『献灯使』がアメリカで最も権威のある文学賞「全米図書賞」翻訳文学部門を受賞している。

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