- 岩波書店 (2013年12月5日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (300ページ) / ISBN・EAN: 9784006022334
みんなの感想まとめ
人生の意味を探求し、愛と勇気をテーマに描かれた物語が展開されます。著者のやなせたかしさんは、激動の時代を経て「アンパンマン」を生み出し、その過程での苦悩や喜びを赤裸々に綴っています。彼の人生は、戦争や...
感想・レビュー・書評
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アンパンマンのアニメ化が、やなせたかしさんが70歳を間近だったとは。
アンパンマのテーマソングが、東日本大震災の時、勇気を与えてくれた記憶は鮮やかに残っている。
この本を読むと、アンパンマンが誕生するまでの紆余曲折、五里霧中の日々が浮き彫りになってくる。
1941年徴兵されて中国で宣伝ビラ(伝単)を作成.
戦後、高知新聞、三越宣伝部、そして漫画家。やなせさんが創刊した「詩とメルヘン」東君平さんとのエピソードが嬉しい。
永六輔さん、宮城まり子さん、手塚治虫さん、谷内六郎さんとの逸話も面白い。
今、NHK連ドラでモデルになっている小松暢さんとの最期の日々には胸が締め付けられる。
昨日、図書館でやなせさんの本を検索していたら、『音楽の父バッハ』という本がヒットした。
バッハについと予備知識のないやなせさんが、バッハの音楽と資料と出会い、どんな本を書いたのか。わくわくする。
やなせたかしさん、アンパンマンのような方だった。
これからも優しいヒーローが子ども達や昔子どもだった人達の心をとらえていってほしい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
先日終わったばかりの
『あんぱん』の原作とも言える
「アンパンマンの遺書」
やなせたかしさんにとっては
アンパンマンが
自分でそして子供で
あったようです
激動の時代を生きて
なんのために生まれて
何をして生きるのか
生涯の問い
答えを探しながら
長い人生
生き抜いた
ひとりの人間が
何かを教えてくれているようです
朝ドラ『あんぱん』は
ほんとにおもしろかった
主人公が愛おしかった
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audibleで聴き、バイキンマンの声優さんなのが嬉しかった。
遺書なんて気になるタイトルだけど、アンパンマンというより、やなせたかしさんの自伝という感じで退屈、、、と中盤までは思っていた。
しかし妻との結婚秘話やアンパンマン誕生あたりからはめくるめく展開で、結果的にほっこりした気持ちになる素敵なお話だった!
文章はさすがにお上手で、前半ではなぜか気づかなかったけどユーモアがあり面白くて時々くすっと笑える。
やなせたかしさんが色々なお仕事をされてきたことは知らなかったし、アンパンマンに大人たちが全く期待せず駄作扱いだったことにも驚いた。
やなせたかしさんが面白いと思うアニメや映画や、おにぎりマンの誕生秘話などが紹介されていておもしろい。
テーマソングの歌詞「なんのために生まれてなにをして生きるのか、こたえられないなんてそんなのは嫌だ」の幼児向けアニメとは思えない内容の歌詞がずっと不思議だったけど、意図的に作詞されたものだとわかって感動した。
若い頃の遊び呆けていた話や、性欲の話まであって別にそこまで知りたくない!と困惑もしたけど、やなせたかしさんが見てきた94年間を辿れて今は聴いてよかった〜としみじみ思う。
特に死期を悟ってからが長くてなかなか終わらず慌ただしくて、全く悲壮感がないのでとても微笑ましかった。
笑顔でおつかれさま!と言いたいです。
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『あんぱん』がよかったので読みはじめたが、フランクな言葉でユーモアがあって読みやすくても戦前生まれの人の話は深みがある。50歳過ぎてアンパンマンが生み出され、70歳手前でアニメ放送開始とは遅咲きに思えるが、それまでもマルチな才能は発揮されていたようだし、なにより人に恵まれているのはやなせたかしの人間性の良さなのだろう。終盤はタイトルのとおり遺書のようで、とくに文庫のあとがき的な章は亡くなった年に書かれたものというのも感慨深い。
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最愛の奥様であった暢さんが亡くなって、死を身近に感じたやなせさんが書いた自伝「アンパンマンの遺書」。1995年に刊行されたものが、2013年2月(アンパンマンTVアニメと映画の25周年)に復刻。あとがきは当時94歳のやなせさんが書いたもので、同じ年の10月に亡くなられたことを知った。暢さんを失くしてから20年も走り続けてきたんだ!
アンパンマンに込めたやなせさんのメッセージ「正義とは何か。傷つくことなしに正義は行えない」
そして、自身のテーマ「何のために生まれて、何をして生きるのか」 -
愛する妻を亡くしたやなせたかしさんが、死を身近に感じ、「アンパンマン」がどうやって生まれてきたのかが分からなくなると思ったことで書いた遺書。
遺書という名の人生を語ったエッセイのようで、やなせさんのあったかみの感じる文章に、とても穏やかで優しい気持ちになった。し、奥さんへの愛をたっくさん感じて、「のぶちゃん‥!」となった。
あとやっぱりあんぱんを見てたから、実際にドラマになった話が本当にやなせさんが経験したことをやなせさんの言葉で書かれていて、聖地巡礼してる気分だった。
あっ、これほんとに言われたんだ!みたいなのがすごく良かった。あんぱん見たいわぁ。 -
やかせたかしさんの物語。
アンパンマンは良く知っているし、子供たちもとても大好きでした。
しかし、やなせさんの事も、アンパンマンが生まれるまでの事も、何も知りませんでした。
幼少期の寂しい記憶、学生時代の経験、戦争の体験、前後の様々な職や人々との関わりがアンパンマンに繋がっていったんだなと感じました。
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
アンパンマンのテーマソングでもあり、やなせたかしさんの人生のテーマソング。 -
1993年、最愛の奥さんが亡くなって、茫然自失の日々のやなせ氏。死が急に身近なものになって、これまでの人生について、アンパンマンがどのように生まれたかを語っておかねば、とアンパンマンを通じて遺書を公開、という形で執筆。氏75歳。
戦前、戦中、戦後を生きて来て、今は付録の時期だが、付録が本編より豪華だということもある、ぼくの付録は意外によかった、と述べる。幼少期から書き起こし、戦後三越に就職しフリーになるも、あれやこれや頼まれ仕事は多彩。はた目にはマルチ人間ですごいなあ、と映るのだが、本人にしてみると、大人の漫画家、としてやってゆきたいのに一体自分は何をやっているんだろう、となるようだ。しかし、どうしてやなせ氏を指名するのか、NHKまんが学校、永六輔、宮城まりこ、虫プロ、など邂逅がすごい。
フレーベル館のアンパンマン絵本が初めて世に出るのは1973年。顔を喰べさせて顔が無くなってしまったアンパンマンが空を飛ぶ、というところがミソで、顔が無いということは無名ということ、本当の正義というものはかっこいいものではないし、自分も傷つくこと、顔が無くなって失速する、この部分が描きたかったとある。
大正8年生まれ、就職できたのもつかの間、戦争にとられ復員したら27歳。その間に弟は戦死。まさに戦後復興を担ったのはやなせ氏の年代の人だったんだなあ、と感じる。忠君愛国で教育され、戦争は聖戦で正義の戦いと言われそのとおりだと思った。が、終われば賊軍になっていた。逆転しない正義とは献身と愛だ。目の前の飢える人にパンを与えること、これがアンパンマンの原点なのだという。
メモ「ちくま評伝シリーズポルトレやなせたかし」も参考にしてます。
<起>
1919.2.6:出生。東京滝野川で生まれるが出生届は父母の地の高知県香美郡在所村(ざいしょむら)(現・香美市(かみし))に出された。(新宿区HP)
1924:5歳:父清急逝。弟千尋(3歳)は父方伯父の養子となる。母方祖母、母と高知市で暮らす。
1925:6歳:高知市立第三小学校入学
1926:7歳:2年生の時母の再婚で伯父に引き取られ、後免野田組合立尋常小学校へ編入。伯父の一番下の弟正周(中学3年)と同室で起居。父の実家は後免より奥の香美にあり祖母が一人で暮らし、弟と夏によく遊びに行った。
1931:12歳:県立城東中学校に入学。後免から高知市まで汽車通学。2年後には弟千尋も入学。
1934:15歳:4年生で高知高校を受験するも失敗
1935:16歳:5年生で美術学校師範科と京都高等工芸図案科を受験するも失敗。
1936:17歳:浪人。英語と数学の問題集4冊を暗記する。
1937:18歳:東京高等工芸学校図案科(現千葉大工学部)に入学。弟千尋は4年で受験し旧制高知高校に入学。
1940:21歳:伯父・寛死去(50歳)図案科卒業。田辺製薬宣伝部に入社。同科からもう一人入社。
(「人生なんて夢だもの」では1939年3月卒業となっている。また1940年1月、徴兵検査の招集令状がきた、となっている)
1941:22歳:徴兵検査。第一種乙種合格。小倉野戦重砲隊に所属。数か月後幹部候補生の試験を受け乙官となり、大隊本部の暗号班に所属。ある日弟の千尋が面会にやってきて海軍の特別任務につくという。これが最後の別れとなる。12月8日の開戦となり、通常は2年で招集期間が終わるがそのまま延長になる。
1943:24歳:戦地に赴くことになり中国・福州に上陸。戦闘が無いので紙芝居を作り村を回る。
1944:25歳:弟千尋がフィリピン沖バシー海峡で戦死。23歳。
1945:26歳:上海決戦ということで陸路移動。上海郊外の四(朱)渓鎮に着く。足の皮が2センチむける。夜盗が多かったので、村人は日本軍がいると安全と軍には好意的だった。敗戦。そのまま約半年四渓鎮に留まり帰国の順番を待つ。
1946:27歳:3月、佐世保に着く。高知に帰る。田辺製薬に連絡をとるも復職は無理だといわれる(「ぼくは戦争が大きらい」)。同じ暗号班だった同郷の戦友と屑屋をやる。アメリカ兵の捨てた雑誌の漫画やイラストを見るうち、3か月ほどすると絵心がわき、6月高知新聞の記者に応募し採用される。社会部から「月刊高知」の創刊に配属され、4人の編集員のなかに妻となる小松暢がいた。
<承>
1947:28歳:高知新聞を退社し東京へ。小松は一足先に東京に行って議員秘書をしていた。小松の下宿先で同居、結婚。10月三越の宣伝部に入社。猪熊弦一郎デザインの包装紙にMitsukoshiのレタリングをする。
:「独立漫画派」のメンバーとなり、漫画の投稿を続ける。投稿料は入った。新宿区荒木町15番地に二階建ての家を建てる。
1953:34歳:三越退社しフリーの漫画家となる。ニッポンビール(現サッポロビール)のCMで週刊誌に「ビールの王様」を連載。
1954:35歳:華書房から「まんが入門」を出版。M・マナエはこの本を読み漫画家を志す。
1956:37歳:芳文社「漫画タイムズ」の表紙絵を描く。1962あたりまで?
1957:38歳:「映画芸術」で連載。試写を見て絵と文を書く。「映画ストーリー」にも連載。
1958:39歳:宮城まり子にリサイタルの構成を頼まれる。「漫画読売」の仕事でインタビューしたのが縁。以後宮城まり子のステージ構成などかかわりを持つ。ひとり師匠を選べば構成、演出、作詞など多くを教わった宮城だという。
1960:41歳:永六輔が突然自宅にやってきて、作・演出のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の舞台美術を依頼される。
1962:43歳:。テレビ「NETニュースショー」の構成をする。司会は宮城まり子。その中の今月の歌で「手のひらを太陽に」の作詞をする。曲いずみたく。最初に歌ったのは宮城まり子。
1964:45歳:羽仁進から突然電話。東京12チャンネルの「ハローCQ]というアマチュア無線がテーマの連続ドラマのシナリオを頼まれる。
:NHKの番組「マンガ学校」に講師役で出演(67年まで)
1965:45歳:はじめての絵本出版「とぶワニ」岩崎書店
1966:46歳:初めての詩集「愛する詩」を山梨シルクセンター(後のサンリオ)社長・辻信太郎の勧めにより出版。ラジオのコントの仕事で使った歌。詩集は第5集まで続き、新しいファンとして中学生から大学生の女性からファンレターが届くようになる。
1967:48歳:「週刊朝日」に半年連載の100万円懸賞漫画に応募、グランプリとなる。だがこの懸賞はこの1回だけだった。この4コマ漫画「ミスター・ボオ」は現在も描き続けている。 :この頃絵本と童話を書きたいと強く思うようになる。
:文化放送の「現代劇場」でラジオドラマ「やさしいライオン」が放送される。歌ボニー・ジャックス。元々はPHPにコントとして書いたもの。・・「今まで方向のみえなかったぼくの仕事は、やっと互いに影響しあって、ひとつのかたちをとりはじめていた」
1969:50歳:虫プロの映画「千夜一夜物語」のキャラクターデザインを頼まれる。
:2冊目の絵本「やさしいライオン」(フレーベル館・キンダーおはなしえほん1969年5月/トッパンのおはなしえほん)
:「PHP」に連作童話「十二の真珠」を連載。そのなかの10月号の一話が「アンパンマン」(アンパンを配るおじさんだった)
1970:51歳:アニメ映画「やさしいライオン」が毎日コンクール最優秀動画賞受賞。
<転>
1973:52歳:サンリオから「詩とメルヘン」を創刊する。編集レイアウトすべてやなせ氏。プロ、アマの詩集のなかから詩を掲載。(2003年まで通算385号)
:「漫画家絵本の会」を作る。芸術的な絵本もいいが、もっと面白いものを、と前川一夫と話す。手塚治虫も同人となり同人としてつきあえるようになる。馬場のぼる、東くんぺい、長新太、柳原良平、多田ヒロシ、永嶋慎二など。
:「あんぱんまん」フレーベル館の絵本が初めて出る。(絵本としては3冊目)
<あんぱんまんの出版経過>
1960年代:ラジオ文化放送で5分のショートコントに登場。本人も内容は覚えていない。
1969:「PHP]に掲載の『十二の真珠』のなかの一篇として10月号に「アンパンマン」を描く。おなかのすいた人にアンパンを配るオジサン
1973:フレーベル館の保育園幼稚園配布の「キンダーおはなしえほん」10月号として「あんぱんまん」
:「詩とメルヘン」に大人向けの『熱血メルヘン怪傑アンパンマン』を1年連載
1975:書店売りのハードカバー「それいけ! アンパンマン」フレーベル館
1976:いずみたくの発動で、大人向けミュージカルとして「怪傑アンパンマン」を六本木のフォンテーニュビル地下劇場で上演。客員70人くらいの劇場。第二作目では「ばいきんまん」を登場させる。(「やなせたかし」筑摩書房)
1975:54歳:1月 雑誌「いちごえほん」創刊(サンリオ)。「詩とメルヘン」に子どもの詩の応募が増えたので子供向け詩の雑誌として。(1982.7月号まで)
1982:63歳:雑誌「イラストレ」創刊(『詩とメルヘン』1982年3月臨時増刊号として)
1984:65歳:この頃からアンパンマンのテレビ化の話が進む。NHK,日本テレビ、東京ムービー新社など
1988:69歳:10月、日本テレビで夕方5時からアニメ「アそれいけ!アンパンマン」放送開始。
:この頃妻の暢さんが乳がんと診断され余命3か月と診断される。
<結>
1990:71歳:6月、日本漫画家協会大賞を受賞
1991:72歳:春の叙勲で勲四等瑞宝章。妻と出席
:読売新聞日曜版で四色の連載「とべ! アンパンマン」連載
:11月 秋の園遊会に妻と出席
1993:74歳:9月5日、妻暢が亡くなる。75歳。
:故郷の香北町に美術館をたてることにした。
:歩いて5分の自分の住んでいる新宿区にアンパンマン・ショップをつくる。
1994:75歳:香北町(現香美市)の名誉町民となる。
やなせたかし:1919(大正8)2.6-2013.10.13(94歳)
小松暢:1918-1993.11.22(75歳)
1995.2.22第1刷(単行本) 図書館
香美市 やなせたかし先生を想う(両親の故郷)
https://www.city.kami.lg.jp/uploaded/attachment/43186.pdf
香美市立 やなせたかし記念館
https://anpanman-museum.net/
南国市 やなせたかし (伯父が医院を、生育地)
https://www.city.nankoku.lg.jp/gomenarigatou/yanase/
高知市 高知万華鏡
https://www.city.kochi.kochi.jp/akarui/mangekyo/man1610.htm
高知県立文学館 やなせたかし
https://www.kochi-bungaku.com/6345/
新宿区立図書館 (東京での住居)
https://www.library.shinjuku.tokyo.jp/database/jinbutuyukari/080/post250.html
高知新聞 やなせさんドラマに 2023.10.20
https://www.kochinews.co.jp/article/detail/690114 -
朝ドラのあんぱんに影響されて読了。
小さい頃、アンパンマンには大変お世話になりましたけど、大人?になってもう一度見てみると、歌詞とかすごく深くて考えさせられる内容だなと感じた。
そしてこの間やなせたかし展にも行ってきました!
なんのために生まれて何をして生きるのか、、
本当にそうだなって思いました。
順風満帆に見えたやなせたかしさんも数々の苦労と努力をされていたんだと改めて感じました。
今食べ物にも飢えることなく、当たり前に明日が来ると思ってしまうような、そんな環境に日々感謝をしなければいけないですね。 -
アンパンマンのやなせたかしの94歳の生涯を振り返る。奥手と言いながら何にでも挑戦。周りの人との出会いも大切に、そして多彩。中でもこの前読んだ、永六輔さんとの出会いがでてくるには、わたし自身のなかでの赤い糸を感じる。青島幸男、前田武彦、いずみ・たく、宮城まり子、そして吉行淳之介と私が物心ついたときに周りにいた人ばかり。
一つの転機になった詩の本「誌とメルヘン」1973年創刊、どんな本だったのか興味ありますな。近くの図書館で目にすることはできるんでしょうか・・一度調べてみます。 -
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先日読んだ「ぼくは戦争は大きらい」は戦争中の事を書いていたが、この本はやなせさんの人生(戦争中の事は少なめ)を書いている。
やなせさんの人生とは実に面白い。ご本人は漫画家で漫画家として食べていきたいのに、何故か一風変わった人が集まってきて、やれミュージカルの舞台装置を担当してくれだの、やれ映画の評論を書いてくれだの、リサイタルの構成やら詩集の出版やら、とにかく色々な話しが舞い込んできて、それを全部引き受けちゃう。なんで本職でもないのにそんな話が来るのかな~と不思議に思っていたようだが、人を呼び寄せるのもやはり人柄なんじゃないかな。
飄々とした文章、たまに毒も吐き、でも全体的になんだか温かい。まさにアンパンマンもそんな感じ。「なんのために生まれて、なんのために生きるのか」人生も半ばが近づいた今更だけど、私もちょっと考えてみたくなった。 -
アンパンマンの産みの親、やなせたかしさんは、多才な方で、詩人、映画や舞台のプロデューサー、広告宣伝マン、絵本作家、いろいろな所で活躍されていた事を知った。今、NHK朝のテレビ小説で、奥様の暢さんの人生がドラマになっているが、夫婦仲がとても良かったようだ。アンパンマンには、我が家の子供達も大変お世話になりました。ありがとうございました。
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オーディブルで聴きました。
朝ドラを数回(2、3回。。)見た影響で選びました。やなせ先生と北村匠海は随分違うなと思ったけど、話もどうやら全然違う。この本の内容ぽいところは後々出てくるのだろか。。
三越のあの文字はやなせ先生だったのね。何十年も前にあの筆記体の文字をアレンジするなんて、やはりセンスがすごい。
やなせ先生は謙虚なんだか、謙虚ぽく語っているのかはわからないけれど、謙虚すぎる。やさしいライオンの時点ですでに第一線の人だと思うのだけど。手塚治虫がそばにいては、おいそれと自信を持てなくなるのかもしれない。
やなせ先生も素敵だけれど、奥様も素敵。ほぼ経験のない山登りに行きたいとさえ思ってしまった。
そして誰か近しい人が癌になったら、丸山ワクチンをすすめよう。自分も含めて。最近丸山ワクチンて聞かないけれど、どうなったんだろう。私の保険でカバーしてくれるのだろうか。。
やなせ先生の世代の人の話には戦争の話が避けられない。戦後に生きることができて本当にラッキーだと思う。
ヒーローがピカピカでいるのはおかしい。人を助けるためには、自分も傷つくことを覚悟しなければいけない的なところはウルッとした。なんのバイアスもかかっていない赤ちゃんが、アンパンマンを大好きな理由は(全て丸いから、もあるかもだけれど)動物としての人間、というか、人間のすごくコアなところに刺さるからじゃないかと思う。
子どもたちがアンパンマンに魅了されてニコニコ続ける日々がずーーーっと続きますように。 -
大器晩成といわれるアンパンマンの生みの親だが、実際には壮絶な時代を生きながらいろいろ活動してきた先の誕生がある。
顔のないアンパンマンを描きたかったこと、登場してしばらくは人気がなかったのにミュージカル、テレビ放映で一気に駆け上がったこと、一躍幼児の絶大なるヒーローとなったこと。
「なんのために生まれてなにをして生きるのか」
カミさんへの鎮魂であり自身のテーマである、あらためて味わい深い人生。
64冊目読了。
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231ページ
1600円
2025年12月17日〜12月19日
遅咲きのやなせさんの生涯が綴られていた。アンパンマンとノブさんへの想いに溢れていて、朝ドラあんぱんのキャスト陣の顔を思い浮かべながら読み進めた。晩年のやなせさんがエネルギッシュに仕事をこなしている姿も目に焼きついている。 -
今をときめく やなせたかし氏の自伝
朝ドラ「あんぱん」を観続けてきて、最終週が近づいてきたいま、この本を手に取ることができてよかった。
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
アンパンマン マーチの歌詞は、子ども向けの童謡にはあり得ないような言葉が並んでいる。
やなせたかしの代表作は?と問われれば「アンパンマン」と答える人は多いと思う。私もそう思うが。しかし、アンパンマンが始まる前からやなせたかしの名前は知っていた。
やなせ氏は、どんな人生を送り、何をしてきたのか?
自伝の内容は、朝ドラの内容とオーバーラップし、現実のものとしてそこに描かれていた。
代表作のない漫画家?として、なんでもこなしてきたやなせ氏。
私たち普通の人も、自分に代表作なんてありゃしない。
そんなやなせ氏の自伝を今読むことができてよかった。
ああ アンパンマン やさしいきみは
いけ!みんなの ゆめ まもるため
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国民的人気作品アンパンマン 作者の紆余曲折の人生模様に驚き、アンパンマンが高齢者になってからの作品とは知りませんでした。
継続は力を実践した著者、大器晩成のお手本を見ているようでした。 -
♫
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
答えられないなんて
そんなのは嫌だ!
♫アンパンマンのマーチ♫
この歌を聴くたび、私は「みんなは答えられるんだろうか?作詞をしたやなせさんは答えられたんだろうか?」と思っていた。
本書には「これはアンパンマンのテーマソングであり、僕の人生のテーマソングでもある。」とある。
やなせさんがアンパンマンの最初の絵本を出版したのが53歳の時。テレビアニメが売れて、大ヒットとなったのは70歳を目前にしてからだという。それまでは、自分自身がどういう方向に進んでいるかもわからず、来た仕事はなんでも引き受けたという。
三越に入社しデザイナーとして働いた。現在でも使われている三越の包装紙。洋画家の猪熊弦一郎画伯がデザインした斬新なデザインにMitsukoshiの文字を書き入れたのはやなせさんの直筆だそうだ。
詩人として詩集を出したり、「手のひらを太陽に」の作詞をしたのもやなせさんだ。
なぜ自分に白羽の矢が立ったのかよくわからないという仕事がどんどん舞い込んできて、ことごとく成功させている。
困った時のやなせさんとも言われていたそうだが、でも本人は満足していない。漫画家として成功したいという思いが強く、”自分のやりたい事はこれじゃない”ということをはっきりわかっていたんだろうと思う。
そういう意味では、"何をして生きるのか"の答えを持っていたのだろう。
この本の構成は、やなせさんご自身の人生を、起承転結に分けて書いてある。”転”の章が54歳、”結”が70歳の時だ。無名時代が長かったと本人は言うが、それぞれのエピソードが短編小説のように続いている。
同い年の奥さんが75歳で亡くなり、すっかり気力がなくなってしまっているが、一方でアンパンマンが大ヒットし数々の賞を取っている。自身は65歳までしかライフプランを想定していなかったと言っているが、「作家は人生で作品を書くべきだ、というのがぼくの主張だ。だから自分自身の人生も、自分できちんと書かなくてはいけないと思う。」「今までに過去をふりかえってみたことはほとんどない。いつも、現在と未来だけを見ていた。」と常に前を見て前進している。この本自体が、76歳の時に執筆した本であり、奥さんと二人三脚で生きてきた人生を振り返り、今後は一人で生きていくという決意の表れだったのではないかと思う。
"初心忘るべからず"を地で行く人だ。無名時代のエピソードが晩年の布石に思えるのは、積み上げた経験値をフルに使って前進していたからだろう。
「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義は行えません」これがアンパンマンに託されたやなせさんの思いだ。アンパンマンは最初は大人向けの話だった。だが、大人よりもこどもにうけた。こどもにこどもだましは通用しないと本人は言う。だからやなせさんはそのままの思いをこどもにぶつけた。
これが、こども向けのアニメと思っていたら、思わず主題歌にドキッとさせられる所以だ。
アンパンマンを描くために生まれて
アンパンマンにたどり着くためにこれじゃないこれじゃないと色々な事をして生きてきた
そう答えられるようになった時に『アンパンマンの遺書』を書いたのではないだろうか。
さて、私は何のために生まれて、何をして生きるのだろう?よくわからない。やなせさんも自分と同じ年頃はよくわからなかったそうだから、まぁいいか。
現在にもがいていれば未来に道が開けるんですよね?やなせさん。
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一気に読み終わりました。アンパンマンのことは自分の子ども時代から知っていたけれど、ハマる程ではなかった。子どもがアンパンマンにハマって、キャラクターの名前を覚えて発語するようになったので、私も興味を持つようになった。ちょうど同時期に朝ドラ「あんぱん」が放送開始になり、ドラマも欠かさず観ている。ドラマ放送開始に合わせて、MOEや芸術新潮でやなせたかしさんの特集が組まれていたのでそれもチェックし、やなせさんの人生年表を知り、幼年期から晩年期まで、密度の濃い人生を送られてきたことを知った。雑誌の特集でも、やなせさんの人生はまとめられているのだけど、ご本人の言葉で書かれた本も読んでみようと思った。
この本のあちらこちらに散りばめられている嘘のない言葉、ユーモアが心地よい。例えば、やなせさんはサンリオとの縁がとても深いけれど、文中では、前身の山梨シルクセンターについて何度も「変な名前の」と枕詞をつけている。
晩年期になってようやく、ご自身の納得のいくキャリアに到達され、それまでの苦悩もリアルな言葉で描かれている。幼年期の経験や青年期・壮年期の多彩な仕事ぶりが、結果的に全て結実した見事な生涯だったんだなと感じた。人生は、マイナスに思える出来事も何がどう結実するか分からないので、やはり一つ一つ真摯に向き合っていくことが肝要だと思わされました。
この本が好きな人におすすめの本
著者プロフィール
やなせたかしの作品
