新編 子どもの図書館〈石井桃子コレクションIII〉 (岩波現代文庫)
- 岩波書店 (2015年3月18日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006022549
作品紹介・あらすじ
一九五〇年代半ばに欧米の図書館事情を視察し、日本の遅れを痛感した著者は、自宅の一室で小さな図書室「かつら文庫」を開いた。どんな本を、どんな年齢の子どもにすすめたらいいのか、子どもはどんな本を喜び、また本の世界に親しむことでどんな変化をとげるのか。子ども文庫、児童図書館の活動に示唆を与え続けた実践記録。
感想・レビュー・書評
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石井桃子さんが、自宅で近所の子供たちのために作った私設児童図書館「かつら文庫」(庭に桂の木があったことから)の記録、それを通して子供と本について。
子供が本(文字)の世界に入って得る利益として二点あげている。
本から得た自分の考え方、感じ方によって、将来複雑な社会で立派に生きていけるようになること。
育ってゆくそれぞれの段階で、心のなかで、その年齢で一番よく享受できる楽しい世界を経験しながら成長して行けるということ。
生まれたばかりの子どもは、目に見えるもの、耳に聞こえることなどの感覚に訴えるものをから物事を判断する。頭の中で形を記憶し、人に伝えるときは口で伝える。
やがて文字を覚えると、考えたことを書き記す用になる。
それにより考えも複雑化し、他の人に伝える手段も増えた。
しかし文字を考えのもとにする前には、子供のうちに物の形で自分の周りのものをしっかり実態としてつかみ、ものの考え方の基礎を作っておく必要がある。
あまり早く文字・言葉に入ると文字を覚えるだけで実感覚につながらない。
子供が本の世界に入ってゆくには、やさしい絵本からはじめ、やさしい昔話、はっきりした筋のあるお話に進む。
子供はまだ世界の経験が少ない、そのため文字や経験によりわかることが少ない。この頃の子供たちには、誰がどう思ったかよりも、誰が何をしたのかを時系列ではっきりと伝えなくてはいけない。そしてまだ言語表現が発達していない子供への文章は、状況がわかりやすく、時系列に合っている必要がある。
石井さんたちが始めた「かつら文庫」は完全にボランティア活動のため、最初は運営側の大人たちも試行錯誤であったり、自分たちの手でできることをしていた。
しかしその、営業ではない、手が回らない分、子供たちは自分の役割や、かつら文庫でのお約束を覚えて行くようになったという。
最初にかつら文庫ころの子供たちは、遊んだりおやつを食べたりしてしまうが、大人たちが「かつら文庫は本を読むところです」ということを教えてゆくうちにわかっていった。
まず本はお話、図鑑など分類ごとに色のラベルを貼り、一番後ろに封筒を貼って貸出カードを入れる。
子供たちは、自分で本を探し、貸出カードに名前を書き、カードを受付に渡す。
返すときは、カードを受け取り、本の封筒に戻し、そして本も同じ色のラベル分類の場所に戻す。
わたしも子供の頃は公立図書館も学校図書も貸出カード方式でしたが(今でも図書館でかなり古い本を借りると貸出カードが入ったままで、つい見てしまいますね)、さすがに「棚に返却」は自分たちではやっていませんでした。これは本の数が多いと、お話といっても作者ごとに揃えるなどの並べ方になるので、子供にやらせるより運営側がやったほうが早いですからね。
しかし小さな図書館だとまだ低学年や未就学児でも自分で本を戻せるということは、子供がいかにお約束を覚えられるのかということを感じました。
子供たちの反応を見て、大人たちがわかったことも書かれている。
まず子供たちは最初に行く場所、まだ慣れない場所は探検してここが安全だ、楽しいと分かる必要を感じたという。
それはかつら文庫ができたての頃に来てまだ勝手がわからない子供たちがみんなでトイレに列をなしたということ。しかししばらくするとトイレ行列は落ち着いた。どうやら子供たちは、ここがどんなところなのかを調べる必要があったようだ。一度ここは安心なところとわかり、くつろぐ子供たちがいると、次からやってくる子供たちはここは安全で楽しいということを感じ取るようになった。
石井さんが外国のお話を福音館との協力で出版する働きかけをしたのも、かつら文庫で外国の絵本を持ち、自分たちで翻訳しながら読んだら子供たちが夢中になったところから始まっているという。
かつら文庫を見学に来る大人たちは、そこで読み方教室などの勉強になることを期待する人もいるようだ。
しかし子供たちが自分の喜べる本を自分で探す機会、その子の成長期に必要なものをお話を通して応えてあげることがどんなに大事なのか。
本の全体的に溢れる幸福感。ただ本を読んだ、子ども図書館を開いた、ということなのに、石井桃子さんの語り口のためでしょうか。経験をしていない私でもこの幸福感に浸るようでした。
なお、石井桃子さんは「かつら文庫」からは手を引いていますが活動は続いています。
「かつら文庫」、「東京子ども図書館」は、児童と本に関わる大人の見学会や説明会も行われているということなので、コロナが落ちついたら行ってみます!
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子どもの本、読書をひたむきに見つめた本
石井桃子のかつら文庫での活動、農村での活動から見えた子どもの本や読書の問題などが書かれている。大人と子どもの考えには大きな差があることにハッとする。それにしても、現代っ子の忙しさよ。ゆっくり本が読める余裕を社会が子どもに許してほしいものだ。 -
岩波新書でおなじみの「子どもの図書館」(1965)に加筆して付記(「農村の子どもと本を読む」「このごろの「かつら文庫」」「四十年ぶりの同窓会」)を増補したもの。
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2020.5
控えめなのになんて芯の強い人。今でも子どもたちがいい本を読めるのは石井桃子さんのおかげだと思う。こういう人がいたことが尊い。こういう仕事をしないとと思う。自分の道をコツコツやり続けることで周りに自然にじんわり、でも確実に波及していく。その人がいてくれてよかったみたいな。太陽みたいな存在。石井さんの文章はわかりやすく潔い。大事なことが奥深く入る。石井さんの本、全部読みたい。 -
1965年に岩波新書で出版され、長い間子どもに本を手渡す活動をする児童図書館員や、家庭文庫主宰者にバイブルとして読み継がれてきた『子どもの図書館』が、加筆、付記を増補されて、再び手に取れるようになりました。 新書版から文庫版に版形は変わりましたが、読みやすく、図書館の児童サービスにかかわる方々にはぜひ一度は読んでおいてほしい1冊です。あとがきに東京子ども図書館理事長の松岡享子さんが『子どもの図書館』が読み継がれてきた理由として「この本が「大切なこと」をはっきり述べているからだと思う。その大切なことというのは、今日の複雑な社会で、人が人間らしく、しっかりと生きていきためには、子どものときに文字の世界にはいる必要があること、本はそのための「たのしい」道であり、同時に、子どもの精神世界を豊かにし、人間性を育むのに大きな力をもつこと、そして、子どもが自由に、質のよい本と出会える場を備えるのは大人の責任であること、等である。」と書かれています。(p307)子どもたちに本を手渡す大人の責任について、考えながら読んでもらえたらと思います。
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この本は、著者がご自宅で開かれた子どもの図書館「かつら文庫」の経緯を綴ったものです。実際に読んでみると、著者の文章は児童文学者らしくひらがなが多いので子ども向けの平易なものにみえます。しかしよく読めば読むほど、実は句読点の打ち方ひとつとっても深く選び抜かれた文章で書かれています。思わず声に出して読みたくなるような生き生きとしたリズムがあり、この本を読んで図書館で児童奉仕をしたいと志す人が増えたそうです。この本を読めば児童文学への見方が変わるかもしれません。
京都外国語大学付属図書館所蔵情報
資料ID:601962 請求記号:913.6||Ish||3 -
司書資格の課程の一つである「児童サービス論」で、参考書として紹介されていたので手に取った。
「かつら文庫」の活動を振り返り、子どもが幼児期〜成長期に本を読むこと・出会うことの大切さ、物語が与える影響力、公共図書館が果たすべき役割などが、読みやすく実感を伴った言葉で記されていて、とても勉強になった。
あとがきで、私設文庫を開いた人たちの多くが、この本をきっかけにしていると書かれていたが、確かに子どもと本に興味のある人が何かせずにはいられなくなる力がこの本にはある。
石井桃子さんの、謙虚ながらも静かに燃える志が、伝播するような本だった。
子どもに物語の面白さを知ってもらうのに一番効果的なのは読み聞かせだということを、この本の中で何度も記されていて、私も自分の子どもたちには読み聞かせを通して本の面白さを感じて欲しいと改めて思った。 -
子どもの図書館つながり
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B016.28-イシ 300430204
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子供向けの個人図書館『かつら文庫』の記録。
私は絵本や児童書の類を殆ど通っていない人間なので、子供のための図書館と聞いても余りピンと来ない。自分が子供時代に、近所にこういう施設があっても、多分、行かなかっただろうなぁ……と思う。気がついた時には親の本を勝手に読んでいたからなw
それにしても、外国の児童図書館では、司書さんが読んで棚に並べるというのは驚いた。そこまでするんだ……大変だなぁ。 -
60年前。子どもたちにとっての「文字」は、砂に水を撒くようなものだったかも。
現代は図書館も充実はしてきている。しかし、児童図書については進展しているかどうか。
弊害は「文字」以外の情報がとてつもなく多いということにあるだろうか。