僕は、そして僕たちはどう生きるか (岩波現代文庫)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006022587

作品紹介・あらすじ

やあ。よかったら、ここにおいでよ。気に入ったら、ここが君の席だよ-『君たちはどう生きるか』の主人公にちなんで「コペル」と呼ばれる十四歳の僕。ある朝、染織家の叔父ノボちゃんがやって来て、学校に行くのをやめた親友ユージンに会いに行くことに…。そこから始まる、かけがえのない一日の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 自然の一部であることを謙虚に受け入れること。
    世界のありようから目を離さないこと。
    自分の頭で考え、自分の足で立つこと。
    ああ、これは全く梨木香歩の作品だ。

    主人公のコペルは、家庭の事情でひとり暮らしをしている。
    もう3年も学校に出てこない元親友のユージンの家に、叔父のノボちゃんを連れていくことになり、久しぶりに顔を合わせるコペルとユージン。
    ユージンもうっそうと茂った森のような庭を持つ家に、ひとりで暮らしていた。
    そこにユージンの従姉のショウコや、インジャや、オーストラリア人のマークが加わり、コペルたちは世界や自分と向かい合う。

    ユージンが学校に行かなくなった理由は、コペルには思い当たらなかった。
    「なぜ?」と問いただしても、何も言わないユージンを気にしながらも、いつかコペルはユージンと本音で話すことのできない距離を感じてしまっていた。
    けれど、ユージンが学校に行かなくなった理由に自分が関与しているなんて微塵も思っていなかった。

    きっかけは小学校教師の行動だった。
    ユージンが卵から返して可愛がっていたニワトリのコッコを、学校で飼ってもらおうと連れて行ったら、命の教育の一環としてサバいて食べるという。
    ユージンはもちろん、コペルだって、その必然性のない殺戮は変だと思った。
    けれど言えなかった。
    命を守ってあげることが出来なかった。
    考え続けるユージン。
    忘れていたコペル。

    “「何かがおかしい」って、「違和感」を覚える力、「引っ掛かり」に意識のスポットライトを当てる力が、なかったんだ。「正論風」にとうとうと述べられると、途中で判断能力が麻痺してしまう癖もあった。”
    “あのとき、僕らが「つぶした」のは、単なるニワトリ一羽だけじゃない。ユージンの「心」も一緒に「つぶした」”

    教室の中でも、地域の中でも、国の問題でも、多数決で解決しきれないことはいくらでもある。
    白か黒か。ゼロか百か。
    世のなかはそんなに単純じゃないはず。

    “一人の個性を無理やり大人数に合わせようとする。数をかさにきて、一人の個性をつぶそうとする。しかも表向き、みんなになじませようとしているんだ、という親切を装って、
     こういうのって、つまり、全体主義の「初めの一歩」なんだろう。”

    自分が簡単に親友を裏切って大勢の側に立てる人間だったことを知り、衝撃を受けるコペル。
    “……泣いたら、だめだ。考え続けられなくなるから”
    梨木香歩の書く文章はとてもやわらかいのに、書いていることはとても厳しい。

    ユージンの従姉のショウコは、心も体も大きくて強い。
    “黙ってた方が、何か、プライドが保てる気がするんだ。こんなことに傷ついていない、何とも思ってないっていう方が、人間の器が大きいような気がするんだ。でも、それは違う。大事なことがとりこぼれていく。人間は傷つきやすくて壊れやすいものだってことが。傷ついていないふりをするのは格好いいことでも強いことでもないよ。あんたが踏んでんのは私の足で、痛いんだ、早く外してくれ、っていわなきゃ”

    そして
    “正面からぶつかって、玉砕するよりも、もっと、現実的に多くの人を助ける方法。とにかく生き延びて次世代のために尽くす、とか”
    私も最近、正解より最適解について考えることが多い。
    どうすることが、結果的に一番良であるのか。

    “そう、人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。人が一人になることも了解してくれる、離れていくことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな「いい加減」の群れ”

    そんな「群れの体温」みたいなものを必要としている人に、コペルはこの言葉を言う力を自分につけるために、考え続けて生きていく。

    “やあ。
    よかったら、ここにおいでよ。
    気に入ったら、
    ここが君の席だよ。”

    閉塞感が募る今の日本で、この本は若者だけではなく、大人にも読んでほしいと思う。

  • 梨木香歩は、先日『ピスタチオ』を読み終えた所。
    和と洋が、良い意味で対比的に描かれていて、これまでの作者の視点が上手く現れている。

    主人公コペル君が、不登校児ユージンや、かつて自分を救い、救うことでコペル君の自尊心をちょっぴり傷付けたショーコと織り成す物語。
    ユージンが何故、学校に行かなくなったのか。
    ユージンの敷地に何故、インジャ(隠者)が住み着くようになったのか。
    ユージンの祖母や、コペル君の母は何を思い、子どもたちに伝えてきたのか。

    様々なテーマが明らかにされるのだけれど、どこからも目を逸らせなくて、苦しくて、泣きたくなる。

    けれど、そこでの「泣いたら、だめだ。考え続けられなくなるから。」が本当に胸に響いた。
    その後、オーストラリアのブッシュマンの話が入ったことで、ユージンは遠い遠い場所から檻の鍵を貰ったのではないだろうか。
    この辺りの流れは、全てがきちんと収まっていくので非常に面白い。

    「僕」は、「僕たち」でいることを望んだ。
    それは考え続け、伝え続けることを選んだことでもある。

    理不尽な群れの流れの中で、自分を見失わないこと。
    情報を選ばされるのではなく、情報を選ぶこと。
    生きることの在り方が、ほんの少し形を帯びたように思う。すごいな。

  • 澤地久枝による解説は、あらすじベタ書きなので取扱い注意。

    群れが大きく激しく動く
    その一瞬前にも
    自分を保っているために

    029不思議な感じだ。自分の生まれる前にも世界はあて、それぞれ「譲れぬ一線」を抱えた人たちが、皆それぞれの「前線」で闘い、そのいわば「夢の跡」が、今、僕らの生きる世界なんだ。
    035「どっきりカメラ」にもつ嫌な感じは、実験している感じ。安全な場所から観察している感じ。無邪気さを隠れ蓑にして。
    056僕がユージンのために出来ることって、今ではよく分からなくなっていたのだから。
    070ユージンが自分の父親を「おやじ」と呼ぶのを聞いて、僕たちの「付き合い」が小学生の頃と同じではなくなったんだって、区切りの線が、この瞬間に、引かれたような気がした。
    097戦時中の雑誌に感じる疎外感。すなわち戦時色。
    113そういう庭園の中に、隠者っているのがいたら完璧、と思った貴族がいたんだな。
    134レイプは魂の殺人。魂を殺す実験の記録。は、ナチスや731部隊と同じ。「普通」と言われるが、大勢が声をそろえてひとつのことを言っているとき、少しでも違和感があったら。
    197インジャがダンゴムシの分類について口を挟んできて、僕たちはそれをキャッチしてあげる。大丈夫、そこに君がいることは忘れてないよ。
    202人間は、どうしたって群れの動物なんだ。ニワトリをつぶして料理→安易な熱血→集団は興奮して楽しんで→ユージンは圧力に抵抗できず。全体主義の初めの一歩。
    216ユージンはもうコッコちゃんとは呼べないのだろう。
    228命は本来、その命を呑み込む力のある別の生命力によって奪われるもの。へっぴり腰の鶏解体は失礼。
    231……泣いたら、だめだ。考え続けられなくなるから。
    248よかった、ここを、この場所を、君が守っていてくれて。
    259そう、人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。人が一人になることも了解してくれる、離れていくことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな「いい加減」の群れ。

    ユージンのおばあさん、開発のため山の自然が失われることへの抵抗。
    インジャのレイプ。
    ショウコのゆるい庇護。
    ユージンのニワトリを巡って、先生、クラスの圧力、ユージン自身の無抵抗。
    コペルのある種の鈍感さ。
    米谷さんの兵役拒否。
    ヒトラー・ユーゲントー青少年会ーボーイ・ガール・スカウトという統制された集団の美しさ。
    マークの兵役。友人の死。
    集団圧力への姿勢が重層的に示される。
    最終的に示されるのは、作品を通じて描かれたもの、そのもの。
    大丈夫、そこに君がいることは忘れてないよ。と声をキャッチしてあげる。すなわちゆるやかで温かい絆の群れ。
    説教臭い内容かと思いきや、過去から連なる現代を射抜き、現代から過去を見直し、小説の構造全体が提議された問題への解決になっているという、素晴らしい構成。
    この小説は古びることはないだろう。

    やあ。
    よかったら、ここにおいでよ。
    気に入ったら、
    ここが君の席だよ。

    003僕。コペル。14歳。この春からひとり暮らし。昆虫好き。愛されキャラ。
    003ブラキ氏。犬のブラキッシュ。独自の嗅覚世界に住む。
    003ノボちゃん。僕の叔父。母の弟。竹田登。草木染めの染織家。清浄ヨモギの場所を知らない?→僕が久しぶりにユージンの庭へ行くきっかけ。
    008父。古い言葉をよく使う。赴任した母についていく。僕が虫好きになったきっかけ。
    009母。大学教授。この春、県外に赴任。政治や暴力について公正な意見を持つ。
    020ユージン。優人。ここ3年ほど学校には通っていない。→小学校の熱血教師がニワトリのコッコちゃんをつぶす授業をすることで、集団圧力の怖さを知る。
    021ユージンのおばあさん。草木花のため自動車道への反対運動家。米谷さんに協力を仰ぐ。
    021ユージンの父母は離婚。妹を連れて母が出ていく。父(ユージンがおやじと呼ぶのにコペルはびっくり)はドバイに赴任している。
    060ショウコ。ユージンの従姉。コペルが沼に長靴を突っ込んだときに助けてくれた。さばさばした話し方。ユージンの家の庭のうち「墓場」と呼ばれる場所にインジャをこっそりと連れてきている。
    113インジャ。AV監督のエッセイを信頼しアルバイトの連絡、地下室でレイプものを撮影されてしまう。室内にいられなくなっていたところ(ここがボーイスカウトの創始者ベーデンーパウエルと同じ経験)、ガールスカウト仲間だったショウコからユージンの家の庭を紹介してもらう。僕たちとはつかず離れずの距離を保つが、ときどき話しかけてくる。
    120ショウコのおかあさん。もとガールスカウトの一員で、インジャを守る。
    121AV監督。エッセイを読んで連絡してきたインジャをレイプものに出演させる。
    147ユージンの大叔父。屋根裏の本の山のもとの主。ボーイスカウトとヒトラー・ユーゲントの関係を、のち、ユージンが知るきっかけになる。統制された集団への憧れ。(戦時中の少年読み物が冒険ものから愛国ものへスライドしていることに、コペルが気づく。)
    164イワナ屋。ノボちゃんが連れて行った山で行方不明になったユージンが、洞穴にいるのではと気づく。
    166もと良心的兵役拒否者のお爺さん。米谷さん。戦時中洞穴に隠れ住んでいた。ずっと考えていた、僕は、そして僕たちはどう生きるかについて。のち、ユージンが洞穴にいたことがきっかけで、ユージンのおばあさんに協力。
    202杉原先生。ユージンのニワトリのコッコちゃんをつぶして料理する授業。安易な熱血。ユージンが集団圧力の怖さに気づくきっかけになる。
    218マーク。オーストラリア人。ショウコの母の友人の子供。ワイルドなブッシュマン・ジョーや軍の友人で自殺したダニエルの話など。

  • 「君たちはどう生きるか」を読み終え、この本を思い出した。再読。
    あちらのスピンオフかと思ったら全然別物。
    この本の凄さを改めて認識し、それに付け加え内容の濃さと自然との共存というテ-マのひとつを再認識。若い女の子にもぜひ読んでいただきたい。
    世の中にはこんなにも若い人向けの本が充実しているのになかなか手元に届かない。どうしたら、届けられるのだろうというジレンマにまた当分悩まされそう。
    機会があれば紹介したい本の一冊に!

  • テーマとか問題意識とかいうものに、ここまで真っ正面から真剣に向き合った小説も珍しいのではないだろうか。

    説教臭い「物語」は好きではないが、そんなえり好みや斜に構えた感覚がしぼんでしまうほど、あまりにもまっすぐに「どう生きるか?」提示されて、読み手も真剣に向き合わざるを得ない。

    コペルとユージンとショウコみたいな中学生が同じ所にごろごろいたりするもんか、と思わないでもなかったけど、そういう些細なツッコミもどうでもよくなってしまった。

    ユージンの事件のときのコペルの対応、意識できないだけできっと数限りなくそのように振る舞ってきたであろう、読み手である自分。
    大抵の人は大抵の場面で善良であり、自らもその善良さを信じている。平凡に暮らしていれば、いうほど芯から嫌な奴、悪い奴なんて世の中でそうそうお目にかかることはない(ちょっと気に障るとか気が合わないとかはべつとして)。
    問題は目立った極悪人ではなく「集団」である。一人一人は善良な「コペル」であっても、「集団」から距離を置いて自分の頭で深く考えることは(突然判断を迫られたらなおのこと)とても難しい。
    (ちなみに大きな集団に対抗している小さな集団もまた集団であることを忘れてはならない、と私は思う)

    どんな人にすすめるべきか。中学生? でも中学生のころの自分が読んで、しっかり浸透しただろうか? 30過ぎた今だからこんなに身に染みるのではないか?
    読み手の体験と心持ちによると言ってしまえばそれまでだけど。薦め方もなんだか難しいような内容だ。

  •  解くことの困難な「集団と個」の関係を誠実に見つめ尽くした作品。少し教訓主義的な匂いが漂うところもあるが、これは『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)に応答する構図にしているから。いまの社会を射貫く鋭い視点。

  • 主人公の男の子二人のぐるぐるぶりが、ああうん、あるよねという感じ。
    ユージンの苦悩はわかるし、コペルに対する怒りや落胆もわかる。
    コペルが己を恥じる気持ち、おかしいと思っているのに多数の意見に飲み込まれ、それに反対を唱えることで受ける攻撃を本能的に避けて、気付かないふりをしていた自分に気づく恥ずかしさは誰でも一度は経験したことがあると思う。
    リーダー格に飲み込まれて友達を無視したり、差別を区別と嘯いたり、いろいろ。
    確かにこれは卑怯なことで、ユージンがコペルを貶めるのも正論なんだけれどもやもやする。
    本気で自分を心配している友人に対して「コペルは幸せなやつすぎるからいえなかった」って、平たく言えば「おめでたい頭のてめーに言うだけ俺のエネルギーが無駄」って意味とほとんど同意で、じゃあ、ユージンは彼を下に見ていいって根拠はなにかと言う気がする。
    あのこっこちゃん事件、確かにわかっているくせにわからない方向へ進んだコペルは卑怯だが、ユージンも意見と空気に飲み込まれやめてくれとは言えなかった。
    もし、そういったなら少なくともコペルか、コペルから話を聞くことになったであろう彼の母親なら一緒に担任と戦ってくれたことは間違いない。
    ユージンと同じような目にあったことがある。
    「皆のための教育」に私の大事なもの、そのときは自尊心をいけにえにしろと言った教師がいた。
    最後に負けたこともユージンと似ている。
    その事件を冷静に振り返られるようになっても、やはりあの教師のやったことは間違いだと思うし、傷口はとっくにふさがった。今なら、あなたのやったことは教師としてまちがっていましたと泣きも怒りもせずにはっきり言える。
    ショーコが「集団の中にいて言いたいことを言う」という生き方、これは本当に難しい。
    梨木果歩は彼女をサバサバ系という安直な書き方をしていない。
    彼女がいたらしんどい、というコペルの表現。
    彼女のようなタイプをKYとして片づける生き方を今の日本人の多くは選択している。
    強い人間と一緒にいると弱い人間はしんどい、だから排除する。彼女をデリカシーがないと落とすことで、自分の弱さを庇護するのだ。
    インジャの話も本当の対象年齢層から考えるとぎょっとするエピソードだが、某芸能ニュースで裁判沙汰になった劇の話を思い出す。
    これも多数の人間の意見に少数の声なき抗議が飲み込まれていく様に似ている、
    梨木果歩の描く『境界線』の物語。
    単なる平和の話でも、引きこもりや不良化の話でもない。
    どこで線を引くか、自分の線をどうやって守っていくのか、特にいろいろな線を自分でこれから引いていく若いひとたちが読むべき本だと思う。

  • 離婚、不登校、戦争、徴兵拒否、レイプ・・・と10代の少年少女が登場人物の中心をなしているには、この本のテーマがあまりに重く、最初はちょっとしんどい感じだった。
    読み進めるにつれて、コペル君、という名前に込めた作者の強い意志が伝わってきて、読み手もコペル君同様、たとえしんどくても思考を停止させず、考え続けるのだ、という気持ちが強くなっていく。
    この文章は2011年に書かれたけれど、きな臭い状況が濃くなっている2018年のいまこそ、この本と、元となった本『君たちはどう生きるか』の両方を読む意味がある、という思いにかられた。

    考え続けよう。

  • 吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)は、近年マンガ化されてふたたび大きな反響を呼んでいますが、児童文学などを執筆している著者のオマージュ作である本書も、吉野の本に劣らず読者に向けて深い問いかけがおこなわれています。

    吉野の著書の登場人物にちなんで「コペル」というあだ名で呼ばれる14歳の多感な少年が、学校へ行くことをやめたユージンのもとを訪れ、叔父で染織家のノボちゃんやユージンの従姉のショウコ、オーストラリア人のマークらとの対話のなかで、タイトルになっている「僕は、そして僕たちはどう生きるか」とみずからに問いかけていきます。

    ユージンの家には、彼の大叔父の集めた多くの本があり、それらの本をめぐるエピソードを通じて、戦争の時代を生きた日本人の姿と、身近な人びととの人間関係に苦しむ彼らの自身の姿がかさねられ、コペル少年はみずからのうちにも集団に同調して身近なひとの苦しみを見すごしてしまう弱さが存在していることに気づきます。しかし、そこから離れたところに身を置くことで、「僕はどう生きるか」という問いに向きあい、そしてふたたび「僕たちはどう生きるか」という問いに、もう一度出会うことになります。

    ヒトラー・ユーゲントのことをきっかけに、「ボーイスカウトと軍隊」が地続きになっていることを本書のなかで指摘している著者だけに、いくつかの問題についてはもう少し慎重な取り扱いが必要だったのではないか、と不満を抱いてしまいます。たとえば、本書に登場する「インジャ」に関するエピソードは、批判が容易なところに読者の目を向けさせており、かえって危惧をおぼえます。「ボーイスカウトと軍隊」が地続きであるのとおなじように、バクシーシ山下の仕事と二村ヒトシの仕事は地続きになっています。そしてこの問題は、インジャのエピソードについて「自分が男だってことにまで、罪悪感をもってしまうほどだ」と語るコペル少年の「罪悪感」のなかにまで、無自覚のままにするすると入り込んでしまっているように思われます。

    14歳の少年にそこまでの自覚を求めるのはむずかしいでしょうが、本書の提出している問いの鋭さを、いささか減じてしまっているように感じられました。

  • 14歳で1人暮らしをしている少年のわずか1日の物語ではあるけれど、これからの生き方を考えさせる。自分探しではなく、友人ひとりひとりの居場所を用意することが大事だと著者は訴えているようだ。そこは居心地がいい場所というのではなく、ふさわしい場所とでも言えばいい場所だ。
    自分のことだけを考えていたら世界はだめになっていく。それって今の世界じゃない?

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著者プロフィール

梨木 香歩(なしき かほ)
1959年、鹿児島県生まれの小説家、児童文学作家、絵本作家。
『西の魔女が死んだ』で日本児童文学者協会新人賞を受賞。映画化もされたこの受賞作が最も著名な代表作となる。
ほかに新美南吉児童文学賞、小学館文学賞を、『裏庭』で児童文学ファンタジー大賞、『渡りの足跡』で読売文学賞随筆・紀行部門をそれぞれ受賞。
受賞作以外の代表作として、『家守綺譚』、『沼地のある森を抜けて』、『ぐるりのこと』などがある。

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