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Amazon.co.jp ・本 (176ページ) / ISBN・EAN: 9784006022709
感想・レビュー・書評
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河合隼雄、立花隆、谷川俊太郎による対談と、各人の執筆とが収められている。
BOOKOFFオンラインで購入。
三者三様のスタンスから「読む」、「聴く」ということを論じていて面白い。
対談は噛み合っているのか噛み合っていないのかよくわからない。
2015年第1刷発行。少し前の本。河合隼雄も立花隆ももう今ではお亡くなりになっている。
立花隆はあまり好みではないし、谷川俊太郎はつかみどころがない。言ってることが共感できるのは河合隼雄くらい。
でも少し前の当代一流の心理学者と文筆家と詩人が集まっているわけだから読んでおきたかったのです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
河合隼雄、立花隆、谷川俊太郎の3人による読む、聴くことに関するアンソロジー、講演、鼎談をまとめた本。
それぞれが短い文量で、かつ、3人分なので、かなりコンパクトな文章になっていて、読みやすいが、若干物足りない気もする。
ただ、河合隼雄さんと、立花隆さんの寄稿文のあと、谷川俊太郎さんの詩が入ってくるのが新鮮で、詩集を読む時よりも鮮烈に頭に響いた。
インターネットについては、2005年当時の会話なので、この時から格段に、速さが追求され進化してきた、現代のネット文化が及ぼす影響について、お3人に語らってもらえないことがとても残念だが、河合さんのように何度も繰り返し聴き、立花さんのようにたくさんの本を時間をかけて読み、谷川さんのように言葉にならない言葉に敏感に、ゆっくりゆっくり生きていきたいと思った。 -
有名な人というか、すごい人は、本当に多読家なんだと実感した1冊。すごいなー、たくさん本を読んでいる人に私もなりたいし、でもそれはすごい人になりたいからという目的では勿論なくて、ただの娯楽として楽しみたいね。でも、やっぱり研究になると学ぶために本がある、その学びが私の興味関心だから、やっぱり読むことはやめられませんね
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2005年の講義を書籍にしたもの。
会話をそのまま文字に起こしたような文体で臨場感がありますが、文中にもあるように、その場でしか伝わらないものもあったのかなと思います。
2005年当時、まだスマホが出る前の講義ですが、すでに谷川俊太郎が
あまりに複雑で巨大すぎて、俯瞰する能力を失うのが怖いというのはちょっとありますね。そのときに俯瞰できる能力は何かというと、それは一種の、実際に生きてきた、一人ひとりの人間の経験による知恵みたいなものではないかと思います。その知恵的なものを信頼していないと、知識的なものをコントロールできないと言えばいいのか、そんな感じがします。知恵はいったいどうやって自分の中で育んでいけるのかということは結構大きな問題としてあると思います。(谷川俊太郎)
というように、インターネットを介しての情報の氾濫について、個人のリテラシーが問われるというような警鐘を鳴らしています。
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いかにこのネットの普及された情報社会で読むこと、聴くことが大事かということが書かれていました。さらさらとすぐに読むことができましたが、あまり自分には響かないお話でした。
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特に印象に残る部分は無かった。
会談にあった通り、大事なことは頭の深い部分に残ってると信じたい。 -
ビッグスリーの鼎談というところでしょうか。
立花隆の圧倒的な読書量に対して、河合と谷川がどのように攻勢するかが見もの。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/729839 -
一気に読みました。機知に富んだ本です。
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とんとんとんと読み終わる割に充実している。読むこと聴くことについてよりよくありたいなと改めて。
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読みこと、聴くことをいかに能動的な行為にできるかについて。
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2016年34冊目。
3人の巨匠が語る「読む・聞く」論。
河合さん、立花さんそれぞれの講演録、谷川さんアンソロジーの後に、3人の対談が続く。
谷川さんの「本の城壁」という話に「無数の本のもう検索しようもないどこか一頁に、それについての記述が隠されている」という言葉があり、ぞっとした。
「もう検索しようもないどこか一頁」、本好きにとってこんなに怖い言葉はなかなかない。
立花さんが膨大なインプットを少ない効率的で少ないアウトプットに帰る比率(IO比)を100対1と言っていたのが面白い。
それに対して谷川さんが「僕のインプットはゼロとも言えるし、無限とも言える」と言っているのがさらに面白い。
世界観の異なる人同士の対談はやはりいい。
河合さんはいいゆるさと思い切りのいい戦略を持っていてキャラが立つ。
読みやすいし、ちょこちょこ読み返したい1冊。 -
河合隼雄と谷川俊太郎かー。
読みたい!と思って、さささっと読んだはずなのに、レビューを残していなかったので今更に。
「読む」「聴く」という、人の意識的な受容について、なかなか興味がある。
「見る」ではなく「聞く」でもない。
そこには、何かを受け取ろうとする人の姿勢のようなものが感じられる。でも、私は一体何を「読み」、何を「聴け」ばいいんだろう?
時々、その当たり前が当たり前でなくなるときがある。
『人類に共通な巨大な頭脳みたいなイメージがインターネットにあり、その頭脳を共有できる時代だということはよくわかるんですが、そのとき、頭脳を入れている体はどこに行ったのという疑問がどうしても拭い去れないんです。……もう一つ、そのインターネットの世界は本当に意味というものに貫かれている。人間にとってイノセンスというもの、無意味というのも結構大事だと思うのですが、そういうものがインターネットにはどうも欠けているのではないかというところが一種不安としてありますね。』
『文字ができるということは便利な代わりに心の働きを限定するところがあるのです。たとえば山という字ができると、山がわかったように思ってしまう。……一つひとつの山を見て感じることができなくなってきます。ケルトはそちらのほうを発展させたのではないか。だから文字がないのではないかという考え方は面白いと思いました。』
私の持つ目や耳が確かにこころと繋がっているという、感じ。その感じを忘れてはならないのだと思う。
谷川俊太郎さんの詩が素敵。 -
空模様で明日の天気を「読む」ように、鼻や気が「利く」というのも、全身で対象に対して耳をすませるーー「聴く」ことであるように、網膜がとらえたもの、鼓膜がとらえたものは脳で総合的に処理される。
そうして、それらは、「理解」に結びつく。
そこにみえる、ある、そのものの向こう側にかすかにかがような何か。
言葉というころもをまとう前の何か。
立花氏が表層に、谷川氏が中層に、河合氏が深層にいるような印象だが、詩もこころも魂に近く、それらは洪水のような知識を浴び思考することで豊かになる。 -
2015年11月新着
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