一銭五厘たちの横丁 (岩波現代文庫 社会 12)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006030124

作品紹介・あらすじ

一銭五厘のハガキに召集され、横丁の兄ちゃんたちが出征する。ドブ板踏んで、ラッパの響きに送られて…。桑原甲子雄のカメラに収められた留守家族たちの写真を唯一の手がかりに、昭和50年東京下町をルポライター児玉隆也はひたすら歩く。将来を嘱望されながら夭折した児玉が再現した、天皇から一番遠くに住んだ人たちの戦中戦後の物語。日本エッセイスト・クラブ賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  •  「一銭五厘」とは太平洋戦争当時のハガキ料金のこと。転じて召集令状(いわゆる赤紙)のことを指している。実際には。召集令状は郵便ではなく、役場の兵事係が直接手渡していた。

     東京大空襲で焼け残った質屋の蔵から99枚の写真のネガが見つかった。太平洋戦争中、出征軍人に銃後を守る家族の写真を送るという撮影会が在郷軍人会によって開催された。昭和18年の東京の下町(いまの台東区あたり)で、兵士へ送るために桑原甲子雄さんが撮った家族の写真がそれである。写っている家族は当然ながら、年配の人(兵士の親)、女子供(同妻、兄弟姉妹、子)がほとんどである。

     昭和48年からルポライターの児玉隆也さんは、ネガから新たにプリントした写真を手に写っている人たちの消息を訪ね歩く。不明の写真も多いのだが、訪ね当てた人たちからは、当時の様子やその後の人生の歩みを聞いている。

     本が出版された昭和50年からは、既に半世紀近くも経とうとしている。昭和20年から昭和48年までよりも、昭和48年から現在までの歳月のほうが長くなっているのだ。いわば昔の人が語る昔話を聞いているような感覚に陥る。ここで語られている当時の人々の言葉は、現代とはいささか異なった精神性や思考のものとの印象を受ける。

     笑いあり涙ありのエピソードや、戦死した方、復員した方の話もある中で、戦中だけでなく戦前、前後も生活が大変だったという話も多い。 「一銭五厘たち」と称される「天皇から一番遠くに住んだ人々」の暮らしぶりが描かれており、戦争で犠牲になるのは、一般庶民だということがよくわかる。このような写真は二度と存在してほしくない。

     作者の死後(38歳没)に、第23回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。

  • 昭和18年の東京下町(いまの三ノ輪や竜泉界隈)で、出征兵士へ送るために桑原さんが撮った留守家族の写真を手に、児玉さん(たち)が昭和48年に写真に写っている人たちを訪ねる。結局は不詳のままの写真も多いけれど、訪ね当てた人たちからは当時の様子やその後の人生を聞いている。
    撮影時から30年たっている昭和48年は、いまから半世紀近くも前。昭和48年からいまへの時間のほうが長いから、昭和48年当時の人々のことばは現代のようでいて現代ではない精神や価値観で語られている感じがする。むしろ、戦中から昭和48年のほうがつながりがあるよう。昭和18年に25歳だった人は、昭和48年にはまだ55歳なのだから当然なのかもしれないけれど、机上の話では戦中は過酷で悲惨ってことになっているけど、横丁の人たちの暮らしぶりを聞くに、戦中も戦後も大して変わらない印象だったり、戦後のある時期のほうが大変そうにすら思えたりもする。庶民の暮らしってそんなもんじゃなかろうか。
    人々のことば以上に、収載されている写真の数々が雄弁。いろんなものが伝わってくるような気がする。戦争は大変だといっても笑顔で写るくらいの心の余裕はあったりするし、子どもたちの一張羅であろう外套とか洋装のデザインのおしゃれなこと。顔つきや着物の着こなしを見ると、いまと全然ちがう。昭和18年がどうだったというより、昭和18年-昭和48年―2021年という3つの時代の隔世感に思うところ多し。

  • 『日本のいちばん長い日』は、けっして悪くはなかったのだが、読んだあと、私はなにかバランスを取りたいような気持ちがあった。なんというか、この本だけだと、「天皇も苦労されたのだ」で終わりそうな気がして、でもそれは違うという気がして。

    半藤の本を読んだあと、たまたま出先で入った古本屋で、『一銭五厘たちの横丁』をみつけ、買って読む。一銭五厘とは、召集令状が送られた当時のハガキの値段だ。花森安治の本にも『一戔五厘の旗』というのがあって、むかし母がその芝居をみたというのを聞いたことがある。

    昭和18年、東京下谷区(いまの台東区)の5つの町で、出征した父や息子、兄や弟に送るために撮られた銃後の留守家族の写真。この本は東京大空襲で焼け残ったネガにうつる99家族の写真をもとに、児玉隆也が撮影場所であったと思われる町をたずね歩いて書いたルポ。桑原甲子雄は、そうした家族写真を撮ったカメラマンのひとり。児玉隆也は『淋しき越山会の女王』などの著がある人で、早世している。

    『日本のいちばん長い日』は、氏名も身分も、戦前戦後の足取りもくっきりと分かるような、そして天皇もその名を知っているような人たちの話だったが、この『一銭五厘の横丁』は、「「天皇から一番遠くに住んだ人びとの、一つの昭和史」である。天皇が「民草」とよんだ人たちの生きていた姿がそこにある。

    児玉が、かつての写真の場所をたずね歩いたのは、撮影から30年後。東京大空襲で跡形もなく焼けたといわれる町もあるその一帯で、写真にうつる人たち、そしてその写真を戦地で受け取った人たちを探しあてることは簡単ではなかった。

    児玉がひたすら歩きまわっても「不詳」のままに残る家族写真のほうが多い。本に掲載された写真には「不詳」「不詳」「不詳」「不詳」「不詳」と続く。その中で、一軒、そこからまた一軒と、写真の家族がみつかり、あるいはその家族を知る人がみつかって、児玉のノートにはその名が記されていった。出征したのは誰で、帰ってきたのかどうか、そして銃後の家族は戦中をどう暮らし、戦後どう生きてきたのか。

    この下町から、景気のいいラッパの響きに送られて、"一銭五厘たち"は出征していった。99家族の写真のひとつ、三河屋とみえる酒屋の写真を手がかりに入った三河屋で、児玉はその写真にうつっている若いおかみさんだった、今"おばあちゃん"と呼ばれる鵜飼とみさんと会う。三河屋一家では、夫の弟が出征し、戦死した。戦死の場所はわからない。

    ▼…おばあちゃんは、店が忙しかったこともあるが、町内から出征兵士が出るたびにうち振られる日の丸の小旗の行列に、一度も加わったことがない。
     「天皇の赤子といったって、心から喜んで夫や息子を送り出した人なんていないと思ってましたよ。誰だって本音は行かせたくないと思っていたんです」
     おばあちゃんは、店から二階に通じる階段にちょこんと腰をおろし、
     「そんなことをいっても、気がねせずにすむ時代でございますね、いまは」
     といった。(pp.100-101)

    留守家族の写真にうつる坊主頭やオカッパ頭のたくさんの子どもを見ながら、私は、この写真が撮られた頃に、広島や京都で似たような歳の子どもだった父や母から聞いた「戦争の話」を思いうかべた。児玉が横丁で古い写真を手がかりに聞いたような話は、父や母のすぐ近くにもあったのだろう。

    ラバウルから生還したある軍曹が、8月14日の夜に受信した陸軍大臣からの極秘電報の最初の数行をいまだに言えるという話がある。それが、『日本のいちばん長い日』とつながる。極秘電報はこう伝えていたという。「軍ハ国体護持皇土保全ノ二大目的完遂ノタメ全軍玉砕スルモナオ矛ヲ納ムルコトナシ…」。あの8月14日から15日、歴史の「もし」はあったかもしれないのだと、ここを読んで思った。

    (2/23了)

  • 留守家族の写真を手がかりに描く、天皇から一番遠くに住んだ人たちの物語。一銭五厘のハガキで生死を決定された悲しさ。

  • 人それぞれの戦争と戦後。だがあまり暗くならずに読めた。写真の持つリアリティ。文章からも人が浮かび上がる。いい本だった。ページ折りまくり。

  • 内容もさることながら、リズム感ある文章が素晴らしい。

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