- Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006030438
感想・レビュー・書評
-
超絶おもしろかった。こういうのおもしろいとか言うと、また怒られちゃうんだよな。でも、ほんとに。
ハンセン病で療養所に隔離された人たちへの聞き書きをまとめたもの。著者は鳥取の医師で学生時代から療養所に通い、同郷の人たちに話を聞いてきた。初版は1982年(昭和57年)で、らい予防法廃止(1996年)より前。登場する人たちが隔離されたのは昭和初期から20年台後半にかけて。当事者の話をまとめて読んだのはこれが初めてだ。実際に何があったのか、そのとき当事者はどう思ったのか、そういうことがわかる。もちろん、わからないことのほうがずっと多いし、自分が何を知らないのかを知らないということを忘れてはいけないけれど。
初めて知ったことをまとめると:
・無らい県運動が鳥取では昭和12、13年に行われた。
・無らい県運動以前にハンセン病は”血筋である”と認識されているケースもあった(運動の中で伝染病であるという啓蒙活動が行われた)。
・実力行使を伴って強制隔離されることはあまりなかった(出てくる唯一の例は統合失調症を患っていた人の場合)。
・最終的に本人の意志で療養所にいくのがほとんど。
・隔離されることで社会での差別的扱いからの開放感も存在し得た。
・昭和39年に全国で初めて鳥取県が里帰り運動を実施。
・プロミンの登場以降、らい予防法廃止以前にも社会復帰した人がいた。
などなど。療養所に入ることになるいきさつをいくつも読むと、やはり、その地域で生きて行くことがどうしても難しくて療養所に行かざるを得ない、ということを本人も納得して行くのが多いみたい。それだけ、周りの人が持っている忌避感・嫌悪感というのがすごかったんだろうな。それが、病気が治ってもなお続くというのは、もう理屈ではなくて生理的な、というレベルなんだろう。理屈では分かるけど納得・安心できないから、というやつ。放射能と同じ。
あとがきで著者は国の施策(らい予防法)と人々の無関心が元患者の帰還を妨げている、と書いている。確かに元患者の存在は私たちから隠されていて、努めなければ知る機会がないけれど、彼らが私たちの前に立ち現れたとき、私たちが彼らの存在を現実のものとして知ったとき、私たちが無関係ではいられなくなったとき、私たちはなんの障害もなく彼らを迎え入れることができるんだろうか。この本を読んでも決して知ることのできなかったもの、そのうちのひとつは、彼らが今どんな姿かたちでいるかということ。
ひとの中に必ずあるみにくい心を、自分で認めること。そして、それと向き合うことで、はじめて私たちは彼らを迎えることができるんじゃないだろうか。私たちの無関心は、彼らに対するものではなくて、彼らが私たちに突きつける問いに向き合わずにすむようにする方便なんじゃないだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示