ヤクザの文化人類学: ウラから見た日本 (岩波現代文庫 社会 65)

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  • Amazon.co.jp ・本 (385ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006030650

感想・レビュー・書評

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  • どうしても世評高い深作欣二の『仁義なき戦い』や、北野武の『その男、凶暴につき』をはじめとする一連のヤクザ=暴力団映画の存在価値を絶対に認めないというか、そういう映画は断固として嫌悪すべきで、また、製作に携わった人たちの見識を疑うという姿勢を一貫して持つのは、いみじくもこの本のなかで著者がいっているように、ヤクザがヤクザを知るもっとも重要な情報源が、実はヤクザ映画であり、年端もいかない年少者が、格好いいヤクザ映画を見て憧れて、そしてヤクザになることが多いという、そのことにつきるといえます。

    もっとも、私の理解では、そのヤクザ=暴力団の対極にあるのが任侠で、それは一般市民に対する暴力行為や恐喝や闇金融・覚醒剤・人身売買などの無法の限りはけっして行わず、反権力的ではあっても義理と人情を大切にして、市民を守る正義の味方というものですが、これは現在では存在しない過去の遺物であり、なんといってもその頂点は、幕末から明治に生きたあの有名な清水の次郎長ですね。

    ここら辺のことは、たまたま中学生のころに藤純子(現在は富司純子)主演の『緋牡丹博徒』シリーズを見て、密かに彼女の緋牡丹のお竜こと矢野竜子役に憧れ痺れてしまってからというもの(!)、このけったいな職業はいったい何なのかしら? と、任侠やヤクザについて飯干晃一(『仁義なき戦い』の原作者)の小説や関連文献を読み漁っては認識を深めていきましたが、幸い危機一髪でヤクザにならずに済みました。

    ところで本書は、たしかにガチガチの学問的アプローチすぎて、ヤクザのその内実に深く入り込めていないという嫌いがありますけれど、もっと著者が一般読者を意識して書くなり、エンターテインメントと言わないまでも、学術的記述の自己完結で良しとしないで、告発なり警告なりの目的意識を鮮明にすれば、もう少しなんとかなったような気がします。

    これではとうてい、1991年に出たディビット・カプラン/アレック・デュプロの『ヤクザ ニッポン的犯罪地下帝国と右翼』(第三書館)という本の衝撃度には歯が立ちません。

    その本は、本来ならA級戦犯で紋死刑で処刑されるはずが、巧妙にGHQに取り入って上手く免れて生き延びた二人、ひとりは日本船舶振興会(現在は日本財団)で競艇ギャンブルの膨大な利権をほしいままにして政治を影で動かした笹川良一と、もうひとりは、戦艦長門に乗り海軍主計少佐としてレイテ沖海戦を押しすすめ、後に総理大臣まで登りつめた仲宗根康弘が、きちんと実名で出てくるという、そして正確にも右翼まで射程に収めた本格的な論考です。

    それにしても、このヤクザに関する極めて重要な論述をものした著作が二冊とも外国人だという事実は、いったいどうしたことでしょう。おそらく、島田紳介事件(!)が象徴するように、その事象があまりにも日常に埋没している世界に生きている私たちに、日本内部にいては目に見えないことが、外国人には鮮明に手に取るようにわかるということでしょうか。

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