- Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006031466
作品紹介・あらすじ
「君がそんなことに興味があるとは知らなかったぜ。」仲間にそう冷やかされて壇に上がった、われらがファインマンさん。演題はなんと、科学の本質について。ところが、意外や意外、自由奔放に広がる話は、科学、宗教、政治から、はてはUFO、テレパシーにまで及びます。肩肘張らず、権威張らず、科学の本質を鋭く、楽しく語る、名調子の講演集。
感想・レビュー・書評
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たまにはいつも読まないタイプの本をと思って読んでみましたが、面白かったです。
半世紀以上前のファインマン先生の講演を本にしたものとのことでしたが、現代にも通じる箇所が多々あり、感心いたしました。
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《目次》
I 科学の不確かさ
II 価値の不確かさ
III この非科学的時代 -
三回の講演を基にした本書は、訳者あとがきをみるとかなり苦労したらしい、でも三回を使って、見事に違和感からのどんでん返しをするなんて、ファインマンらしいのかもしれない。二回目はどう考えたって違和感しかなく、ひょっとすると三回目の出席をやめちゃった人には誤解だけが残っちゃう可能性もあるわけだし。なかなかのものです。
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0円購入2010-06-04
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1963年にリチャード・ファインマン氏が3日間に渡って行った講演の書き起こし。科学的な態度とは不確かな事を受け入れること。科学でもビジネスでも政治でも確実なものを求められる人が多い昨今、肝に銘じておきたい。
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時間があれば
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◆この本は、ファインマンが「不確かさ」をテーマにおこなった3回の講演を記述したものである。ファインマンは、科学的だと考えられている時代のさなか、社会・宗教・政治について語りながら、この世界は「不確かさ」で、わたしたちは「何も知らないのだ」と主張する。
◆この世界は「不確かさ」だからこそ、そこから法則を見出し、さらには法則と法則を結ぶ法則を見出す科学の喜びがあるという。しかし、その発見をどのように用いるかという価値の問題は、政治、宗教などと結びついてきわめて「不確か」なものだ。著者が強調するのは、現在(すくなくとも講演当時)は、科学が発達した時代ではあっても、倫理などそのほかの面が大きく変わってはいない「非科学的時代」だということである。科学者のみならずすべての人が「不確かさ」に対する疑いの眼をもち、釣り合いのとれた均衡の感覚をもたなければ、彼らは不確かな現象というビンに勝手に貼り付けられたラベルをみて、その商品が優良品だと思い込み、粗悪品を売りつけられてしまう。著者(ファインマン)は、これを実践したが、ちょっと聴衆を驚かせてやろうと思っていたのではないかと思う(2章)。軽快な話術のなかに、不確かな世界を真っ直ぐ見つめる科学者の視線を感じる一冊。 -
さらっと読めてしまうが,内容があまり残らない感じがした.
言葉は平易なのだけど,自分には内容を100%理解するまでには至らなかった.
不確かさを改めて認識してみると,数学はなんて確かなんだろうかと思ってしまった.オイラーの等式がニアリーイコールではなくイコールでつながるという確かさには,言葉もでない. -
根底には,如何なる事象も疑念を持ち自分の頭で考えるべし,ということを訥々と語る.文明が進歩すると欠如する重要点を市井に知らしめる,これも科学者としてのあるべき一側面である.