ぼくが世の中に学んだこと (岩波現代文庫 社会 166)

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  • Amazon.co.jp ・本 (243ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006031664

作品紹介・あらすじ

故郷弘前の高校を卒業後、東京の小さな工場や印刷所で働くも、あこがれの都会生活とは程遠く、食うに事欠く低賃金。しかし、苦しいながらも温かさを失わぬ人びととの出会いが、著者を社会の仕組みに気づかせていく。労働現場に身をおき、働く人の目線から、企業・国家を告発するルポを著してきた著者が、今また露骨な収奪が復活した時代に、若い人へのメッセージを込め送る。

感想・レビュー・書評

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  • これを読んでると、いつも感じる。「わたしは恵まれている」んだと。
    恵まれる・恵まれないの差は、とても大きいと思う。それを努力でカバーするのには、時間も労力も精神力もいる。それでも無駄な時があり、あきらめねばならないこともある。
    時代を感じるが、今まさに起こっていることで、私たちが目隠しされていることでもある。

  • 電車の中で本書を読み終わり、静かに本を閉じて、なにげなく顔を上げてみれば、周りはスマホをいじっている人だらけ。
    生産の前に消費などありえず、誰もが持っている小型の端末だって、当然つくっている誰かがいる。
    何処で、誰が、どんな現場で、どんな思いでつくっているのか想像したことのある人が、果たして一体何人いるのだろうかとふと考えてしまう。

  • 著者の鎌田慧(1938年~)は、底辺労働者などの社会的な弱者の立場に拠ったルポルタージュを数多く執筆している社会派ルポライター。
    本作品は、1983年に出版され、1992年にちくま文庫で文庫化、2008年に岩波現代文庫から復刊された。
    本書は、著者が青森県弘前高校を卒業後、ルポライターとして認められるまでの自伝的記録である。
    著者は上京後、8ミリカメラを作る町工場の見習工、謄写技術を教える学校に付属する印刷部門の見習工、出版・印刷会社の労働組合の連合(職業ではないが)を経て、一旦早大文学部露文科に在学した後、更に、鉄鋼の専門紙(業界紙)の記者、ちいさな雑誌社の編集者を経験して、フリーライターとなる。そして、フリーライターになった後も、対馬の公害問題の取材、八幡製鉄所、トヨタ自動車、旭硝子の船橋工場で季節工を経験する。
    そして、そこで学んだことは、「日本の高度成長がつづき、列島改造時代といわれていた。全国の農村から、おびただしい数のひとびとが都会にでてきて、ビルや橋や高速道路をつくり、工場の底辺部ではたらいていた。日本の繁栄をじっさいにささえたのは、このひとたちだった。およそ半年間、ひとによっては一年中、彼らは家族と別れて、殺風景なプレハブづくりの飯場や独身寮で生活する。新日鉄やトヨタで知ったことなのだが、いちばんひどい仕事をおしつけられるのは、このひとたちなのである」、「このひとたちは、けっしてめぐまれていなかったが、みんな冗談好きの仲間おもいのひとたちだった。・・・ぼくは、そのひとたちの眼をとおしてものをみ、そのひとたちのことばをとおしてものを考えることができた」、「格別、ぼくのような職業につかなくとも、さまざまな場所で、自由に、つまりはひとを支配したり、ひとに強制したり、あるいはひとから強制されたり、自分の意見をいわなかったり、あきらめてしまったり、そんな生き方でない生き方をしているひとがいる。いい会社にはいって出世することだけを最大の価値にしたり、人生の目標とさえしなければ、さほどむずかしいことではない。生活するのは、さほどむずかしいことではない。むずかしいのは、生き方である」ということなのだという。
    そして最後に、「この本の読者のなかから、どんな苦しいときでも、その苦しみを仲間とわかちあい、明るく生きている多くのひとのいることを知り、自由におおらかに生きていく年若いひとたちが、ひとりでも、ふたりでもでてくれれば、著者としての本望である」と結んでいる。
    時代は移っても、社会には富と権力を握る強者と、日の当たらない弱者が存在する。
    著者が言う「むずかしい生き方の選択」を如何にするのか、自分で考えるための材料を本書は提供してくれる。
    (2007年9月了)

  •  著者の鎌田氏は、社会的弱者の立場からルポルタージュを数多く執筆しているジャーナリストです。
     1960年代、日本の高度成長期の製造業の現場は、過酷な労働環境下にありました。鎌田氏は、自ら工員としてそれら工場の労働現場に入り込み、その実態をレポートしました。
     本書は、その鎌田氏の若き日の実体験の紹介であると同時に、現代の若者に対する熱きメッセージのプレゼンテーションでもあります。

  • 著者がどんな経緯で、ルポライターとしての人生を歩むようになったか、キッカケになった体験や人との出会いのエピソードが綴られた自伝の色合いが強い一冊。後半、ライターとしての活動が始まってからは、著作の内容についての記述や引用も多い。まだ読んでいないものについてはつい、改めて購入したくなってしまう。
    著者の生きてきた時代ならではの事柄と、現代に至っても何も変わっていない、むしろ悪化している点、などがハッキリと分かり興味深い。

  •  私を含め、現代生まれの若い世代が、「我々はどんな時代に生きているのか」を考えるうえで、非常に有益な著作。
     本書の中で著者の鎌田慧氏は、日本が成熟した資本主義社会へと至るまでの発展段階を、自らの経験談をもって示している。
     それは、我々が理解したつもりになっていた資本主義社会の姿は単なる虚像にすぎなかったのだと気づかせてくれる。
     しかし、彼の示すこの資本主義社会の実像こそ、目を背けてはならない、直視すべき現実なのであろう。

  • いまの日雇い派遣を思わせる当時の「労働下宿」。

    ら集団就職のために過ぎなかった著者が、工場の過酷な労働条件の中でっ組合運動に目覚め、工場を離職、大学へ入り直し業界紙記者を経てフリーライターとして公害など社会問題に関わっていく過程を著者みずから語る。期間工として工場に潜入したり、土地に住み込んで生活者の視点から現場を見つめるなどルポルタージュ法も。

  • 話し…蒲田が歩んできた労働者としとしての話し。高度経済成長でのトヨタやら新日本製鉄やら。そして最終的に労働組合や、対馬での公害の話しに展開されていく。基本的になぜこの道に進んだかということが述べられている。

    感想…今仕事をしている身として、そして仕事を探している身として勉強になる。仕事を通して人間とは?生きるとは?そういうことを考えさせる。
    筆者の出稼ぎ労働者からフリーライターに至るまでの大まかな流れ。
    オレも工場で働いていたから、話が分かることが多かった。もちろん今とは違いハンパじゃなく働かされていて、その辺りは同情の余地がなかった。

    ロボット?囚人?
    労働をして金をもらうということはそういうことなのであろう。
    感情などはあまり関係なく、扱う身、雇う側としてはロボットみたいな人間が一番いいのではないだろうか。
    今、自分が働いている見地から、もっと自分のいるところを知るべきだし、もっと自分がいたいところを探さねば。
    そして何より筆者も一生懸命探していた。

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著者プロフィール

鎌田 慧(かまた さとし)
1938年青森県生まれ。ルポライター。
県立弘前高校卒業後に東京で機械工見習い、印刷工として働いたあと、早稲田大学文学部露文科で学ぶ。30歳からフリーのルポライターとして、労働、公害、原発、沖縄、教育、冤罪などの社会問題を幅広く取材。「『さよなら原発』一千万署名市民の会」「戦争をさせない1000人委員会」「狭山事件の再審を求める市民の会」などの呼びかけ人として市民運動も続けている。
著書は『自動車絶望工場―ある季節工の日記』『去るも地獄 残るも地獄―三池炭鉱労働者の二十年』『日本の原発地帯』『六ケ所村の記録』(1991年度毎日出版文化賞)『ドキュメント 屠場』『大杉榮―自由への疾走』『狭山事件 石川一雄―四一年目の真実』『戦争はさせない―デモと言論の力』ほか多数。

「2016年 『ドキュメント 水平をもとめて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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