マンガは哲学する (岩波現代文庫 社会 183)

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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006031831

作品紹介・あらすじ

マンガという形式でしか表現できない哲学的問題がある!自我論などで若者に人気の哲学者が、手塚治虫、藤子・F・不二雄、萩尾望都、楳図かずお、永井豪、赤塚不二夫、岩明均などの名作マンガを、相対主義、言語ゲーム、時間論、自我論、神の不在証明、超人論など現代哲学の観点から縦横無尽に読み解いていく。史上まれにみるマンガによる現代哲学入門。

感想・レビュー・書評

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  • 高校生の頃「〈子ども〉のための哲学」で開眼させてくれた人による、マンガで哲学本。
    セレクトされている作品も好みのものが多いのだが、ちょっと体調に合わず……時間がたっぷりある人向けだなと感じた。
    not for me とは思わないが、コンディションが悪かった。

    解説は萩尾望都先生。



    作品紹介・あらすじ
    マンガという形式でしか表現できない哲学的問題がある!自我論などで若者に人気の哲学者が、手塚治虫、藤子・F・不二雄、萩尾望都、楳図かずお、永井豪、赤塚不二夫、岩明均などの名作マンガを、相対主義、言語ゲーム、時間論、自我論、神の不在証明、超人論など現代哲学の観点から縦横無尽に読み解いていく。史上まれにみるマンガによる現代哲学入門。

  • マンガのセレクションがすばらしい。といっても、内容自体は哲学メインである。ある種の哲学性をもった作品にばかり触れている。だが、永井の哲学というのは、生きた哲学である。つまり、知識をひけらかすようなそういった意味合いでの哲学では決してない。そうではなくて、自然とわいた疑問に答えようとするもの、いや、それよりも、自然とわいた「問い」そのものである。芸術家全般はやはり感性が優れている。それは知識によって死していないものだ。だから、感じたものを表現しようとするのだけれど、それは往々にして問いになることが多いのだろう。そして、自分なりにその問いへと答えを与えようとする。といった観点から漫画を読むと非常に面白いのだが、どうにも、エンターテイメント性を追求したものばかり読んでいたので、そういったある種の芸術性をかねた漫画というものにあまり触れられていない。漫画を読むことをやめてしまったのも、もしかすればそういった面があるのかもしれない。

    ■世界を<中心化された世界>として見る。それは、<わたし>に対して、である。ちなみに、どこからどこまで同じであれば、わたしは<わたし>たりえるか?と考えると、これは実は否定される。どこからどこまで一緒でも、わたしは<わたし>たりえない。一緒だから<わたし>であるのではなくて、ただ、<わたし>であるだけなのだ。ちなみに、<いま>も同様に考えられる。どうすれば、いまが<このいま>たりえるのか?と考えれば、どこからどこまで一緒と考えてもやはり同じにはならないのだ。結局、<このいま>こそが<いま>であるとしかいえないのである。とくるのが、永井の中心思想、あるいは、哲学観である。だが、永井は、この次元<>を乗り越えたとあとがきに書いてある。その意味がいまいちわからないのだが、自分なりに考えるとこういうことになるだろうか?

    我々が、<世界>と言うものを考えたとしても、それは、我々が考えた<世界>でしかない。つまり、<我々のうちにある世界>でしかない。だが、いわゆる<共通世界>なるものが存在するには、我々は我々の外部に出なければならないのではないか?さもなければ、共通世界といっても、それは<わたしのうちにある共通世界>でしかなくなる。そして、我々が外部に出られるとすれば、つまり、<わたし>も<世界>も全て虚構によって構成されることとなる。それならば、もはや、<>は必要ない。わたしはわたしであり、世界は世界なのである、といった具合だろうか?永井の、本著以降の著作に触れてまた考えをめぐらしてみたい。

  • 哲学者永井均の本はこれまで何冊か読んで来た。また永井の前には哲学者中島義道にある時期嵌っていて、今でも興味があるが、積読中。つまり哲学のスタートは中島で、その嵌り方はとても尋常ではなく、そして哲学の分野に興味を持つようになった。

    暫くして永井均の存在を知る。この中島と永井の2人はお互いを知っている。中島は偏屈で、永井は正統的という感じ。哲学できるのは才能だと思うし面白そうだと思うけど、歴史に名を残してきたのは、欧米の哲学だし、日本でも独自の哲学はあるが、世界的には枝葉末節なのかなと思う。

    さて、本作は、「マンガを哲学する」だが、要するに哲学的問題で、活字ではなく、マンガでしか取り扱えない哲学的問題があるということだ。取り上げられたマンガは、半分位名前を知っているものであったが、知ってるだけでほぼ読んでいないので、本作でマンガの要点が分かりお得な気がした。漫画はもう読めない。子供の頃は、週刊少年ジャンプの黄金期だったが、中学生位から読む嗜好も変わり、今では全然読む気が起こらない。

    下記引用、数字はページ数

    88 哲学とは、要するに、なぜだか最初から少し哲学的だった人が、本来のまともな人のいる場所へー哲学をすることによってー帰ろうとする運動なのだが、小さな隔たりをうめようとするその運動こそが、おうおうにして深淵をつくりだしてしまうのである。

    124 われわれが知っている道徳的な善悪というものは、ごくふつうの状況で、ごくふつうの人がする行動の基準として役立つようにしかできていない。

    あとがき 
    232 哲学は、他にだれもその存在を感知しない新たな問題をひとりで感知し、だれも知らない対立の一方の側にひとりで立ってひとりで闘うことだからである(この闘いの過程や結果は世の中の多くの人々からは世の中ですでに存在している問題に対する答えの一種と誤解されてしまうのではあるが)。

    234私には、現存するある特定のマンガ作品に依存しないではうまく表現できない特殊な哲学的な問いがあったのである。

  • あえて踏み込みが浅くしてあるが、それがかえっていい味というか、言及元の漫画を読んでみようという気にさせられる。
    そして漫画を読んでみると、永井先生のキレキレっぷりに驚嘆させられる。
    永井先生の本は、何事に対しても素手で立ち向かっている感じがして、いいなぁ。

  • 藤子・F・不二雄から多重人格探偵サイコまで、縦横無尽に漫画の中に潜む哲学を掘り起こす一冊。
    永井均がよく題材に挙げる存在論が特に厚く掘り起こされている印象。サラッと読む分には面白いが、哲学書として読もうとするとやや内容は薄めかもしれない。
    ただ沢山の哲学的ささくれは内包されているので、これから先へ進むかは読者次第。

  • 人生について考える、マンガの紹介としてはいいけれど、ちょっと内容が物足りないかも・・もう少し丁寧に1作品づつの魅力を語ってほしかった。

  • 会社の本棚にあったので読んでみた。

    この本にあった漫画を読みたいと思ったし、ああこういう読み方もあるのかと思う漫画もあった

  • 1章 意味と無意味

    食欲を満たす代わりとして性欲を満たす世界。売買春はダメで売買食が良い理由……
    やはり、羞恥心が関係してくるのかな「気楽に殺ろうよ」

    皆が今の世界を良いと思っているからマイノリティ(異物)は排除されるのだろう。「流血鬼」

    「カイジ」限定ジャンケン

    2章 私とは誰か?

    諸星大二郎「子供の遊び」

    p189「禅はいろいろなものの捨て方を教えてくれるが、それは捨てるべき何か巨大なものの処理に困っている人にしか役に立たない」

  • マンガと哲学という絶対に面白い組み合わせへの期待を裏切らない一冊で大興奮だった!裏表紙の説明文に惹かれ手に取ると序文で既に大共感。すごくよくわかる。こんがらがる問題を噛み砕いた言葉と的確な引用で深めていく。マンガ入門にも哲学入門にも最適!

  • 読んだことがある漫画に新たな視点をもてて新鮮だった。

  • 自分の興味に合わなかった。

  • めちゃめちゃよかった。藤子・F・不二雄信者の私にとっては、タイトルだけで手に取ったのでまさか解説一覧にあるとは、という気持ちでいっぱい。

    漫画の不可思議な設定を哲学的に解釈すると、という視点が斬新だった。

    同じ言語を使用しているが、意味はまったく違う 伝わるのに伝わらない これって私たちの日常生活でもよくあることだよなぁと思う
    誰もがわかる簡単な言葉だけで喋ることができるようになりたいものだわ

  • 漫画の内容を知らなくてもあらすじはざっと瞥見されており、漫画解釈と哲学への開けを相即にした比較的とっつきやすい好著だと思う。著者が漫画に特有の(文学にはない)技法について語る文章がどこかにあるが、そうだなあ、なるほどなあとため息をつくばかり。≪私≫という概念を用いるだけで、なんだか様々な世界を見せられたような気分だ。

  • これは名著だと思う。

  • s.2023/5/27
    p.2009/4/20

  • 蔵書整理で手放すので、再び出会い読む日もあるか

  • 哲学の一般的問題を漫画に即して理解する内容なのかなって思ったら、永井節全開で少し期待外れでした。永井さん自身はすごく面白いので、彼の思想は彼の本気の本で読もうと改めて思いました。漫画に詳しい人ならこっちから入ってもいいのかなと…。

  • 漫画ブックガイドかと思ったら、哲学書だった。考えてみりゃ当たり前か。もちろん、ブックガイド的側面もあるんだけど、前提としての哲学の素養・興味が無ければ、殆ど心に響くものがない。畢竟、本作からピックアップした作品は皆無。残念といえば残念。

  • 素人がやるとへたな感想文かわけわかったような精神分析用語でやっつけてしまうような方向になるかもしれないのを、見事に哲学している名作と言えます。テーマを根源的な問いに置き換え考え抜くというのが哲学的な姿勢というのだなとわかりました。個人的には「半神」を取り扱った章が秀逸。萩尾望都さんの解説もいいです。

  • 諸事情で入手。

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著者プロフィール

1951年生まれ. 専攻, 哲学・倫理学. 慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位所得. 現在, 日本大学文理学部教授.
著作に, 『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房, のち講談社学術文庫),『転校生とブラックジャック──独在性をめぐるセミナー』(岩波書店, のち岩波現代文庫), 『倫理とは何か──猫のインサイトの挑戦』(産業図書, のちちくま学芸文庫), 『私・今・そして神──開闢の哲学』(講談社現代新書), 『西田幾多郎──〈絶対無〉とは何か』(NHK出版), 『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店), 『ウィトゲンシュタインの誤診──『青色本』を掘り崩す』(ナカニシヤ出版), 『哲学の密かな闘い』『哲学の賑やかな呟き』(ぷねうま舎), 『存在と時間──哲学探究1』(文藝春秋), 『世界の独在論的存在構造──哲学探究2』(春秋社)ほかがある.

「2022年 『独自成類的人間』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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