作詞入門: 阿久式ヒット・ソングの技法 (岩波現代文庫 社会 192)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006031923

作品紹介・あらすじ

『また逢う日まで』『津軽海峡・冬景色』『北の宿から』『時の過ぎゆくままに』など五千曲を作詞した稀代のヒットメーカーの処女作。言葉の達人はいかに時代の芯を解剖して、既成概念を突破したのか。ヒットの秘訣とは何だったのか。日常生活のなかで最初に試みるべき点から指南した本書は、作詞家のみならずすべての創作家とその志望者に役立つ実践的仕事論。

感想・レビュー・書評

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  • 作詞に限らず言葉を使って何かを作ろうとする人には大いに参考になる本。トレーニング法も書いてあってなるほどと。でも冒頭には「だれでもなれるわけじゃない」「作詞に方程式はない」ともある。読んだ後で何を受け取るか、読者が試される本。

  • やっぱ歌の歌詞が一番華やかだったのは70年代ソング、阿久悠が生きていた時代なんだよなあ。
    90年代くらいからどうしようもないのが出てきて段々薄っぺらくなっていった気がしてしょうがなかったが、その理由は最後の解説でよくわかったかも。
    プロの作詞家っていなくなったね。少なくとも厚遇はされていない。
    いやそれ以前に歌が世間から消えつつあるこの現状。
    ヒットソングという言葉ももう笑いしか出ない世の中になっている。

  • 宇宙戦艦ヤマト、ペッパー警部、八代亜紀の舟唄、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」、数々の名曲を生み出した阿久悠の仕事術。

    とにかくすごい。
    時代感、人々の感性を
    理論的に分析し、時代時代の心を掴む
    作詞をどう実現したのか、
    惜しげなくノウハウを公開。
    (超人的努力を要するけど、、)

    もし、生きていたらこの人は
    令和の日本の歌を作っていたんだろうな
    と感じた。

  •  A面には、売らなければならないという絶対責任がある。それ故に、さまざまな制約を強く受けている。それにくらべ、B面は、今のところ、全く自由の身なのである。
     なぜ、これを、音楽の解放区として活用しないのだろうか。A面を書いた作家が、ぜひ音楽的実験を試みたいというなら、そうさせないのか。タレントが、今はまだその時機ではないが、近い将来必ずこういう傾向のものに取り組まねばならないというようなもののテストの場に、どうして与えないのか。
     また、いきなりコマーシャルなA面に起用するのは危険だが、その音楽センスを試してみたいという新人作曲家の力試しの場に、どうして解放しないのか。
     考えれば、活用方法はいくらでもあるのである。

     恋は栄養ではなくヒ素のようなものというのが、日本人の恋感覚なのである。だから、どうしても真正面から恋に取り組んだ歌というのは陰湿におちいりやすい。愁嘆場、修羅場である。だから、この場合、どうしても、恋とガブリ四つの歌はやめたかったのである。
     たいへん残念なことである。日本という国民性が、もし、ブリジット・バルドーのような女性の行き方を認めるものならば、こんな悩みはしなかったであろう。
     ぼく自身は、いろんな恋を経験して、そのたびに人間的にも大きく、そして、きれいになっていく女の子が大好きである。「あいつは遊んでしょうがないよ」などと、たとえ、悪くいわれても、事実、きれいになり、豊かになっていれば、それで素晴らしいことなのである。ただ、日本には、まだそういう女性はいない。そして、まだ、日本人は、そういう女性をほんとうには認めない。

     歌謡曲の詩には、常に新しいということが要求される。新しいということは、今までになかったということである。今までにあったかなかったかを知るためには、現在使われているさまざまな形、約束事を知っておかなければならない。そして、今までになかったということの意味を知らなければ、決して新しいものは生み出せない。
     今までになかったということは、未発見ということの他に、あってはいけないという理由も含まれているのだ。
     アマチュアが新しいと称するものは、たいてい後者であることを考えておいたほうがよい。
     常識はつまらない。しかし、非常識はなおつまらない。超常識であるために、基本編をおさらいしてみたいと思う。

     形式というものは、それにしばられている間は実に腹立たしいが、自由につかいこなせるようになると、こんな強力な武器はないということを知っておいたほうがいいと思う。

     物事を見る時、物事を考える時、必ず裏からも見てみる習慣を身につけよう。

     歌謡曲とは完全にリアクションの芸術だといえるかもしれません。送り手がいかに意欲的であり情熱的であっても、リアクションがないかぎり何の価値もない。毎日、ひとつでもふたつでも、はねかえってくることを祈りながらボールを投げ続ける。そのうちいくつかはねかえってきて、はじめて作詞家として充実感を感じる。そういう構造だと思います。では、ボールをぶつける時、はねかえしてくる壁とはなにか。それは時代の飢餓感だと思うんです。
     いまなにが欠けているんだろうか。いまなにが欲しいんだろうというその飢餓の部分にボールが命中したとき、歌が時代を捉えたといっていいでしょう。「言われてみてはじめてわかりました」とか、「わたしも実はそうだったのよ」という、死角に入っていた心のうめき、寒さ、これがつまり時代の飢餓感です。しかもいま、飢えているもの、欲しいものがよく見えない。かつては見えたんですよ。飢えとは文字通り飢え、不足は文字通り不足だったのだが、腹が満たされ、生活が整い、時間にも余裕が生まれてきて、豊かだなどといわれると、もう見えない。しかし、何かしら飢餓は存在している。この見えない飢餓にボールをぶっつけて、ああ、それそれといわせるのが歌なんですよ。
     いま僕はこんな風に言っているんですが、歌とはつまり、「時代の中で変装している心を探す作業」であるとね。愛も、幸福も、悲しみも、淋しさも、怒りも、痛みも、何かの事情で隠れてしまっているのが現代なんじゃないか。少し化粧を落としてみたり、少し脱いでみたりしたら、そうすれば少し楽しく、少しのびのび心を開けるんじゃないか、歌はそれをやれるはずだし、やるべきだと思うわけです。変装してるんですよ、みんな。

  • 70年代の音楽シーンを一切風靡した阿久悠氏。

    ノウハウ本は基本的にあまり読まない。
    作詞のノウハウ本など余計に読まない。

    この著書はノウハウというよりは、氏の作詞に対するスタンスを主に扱っており、作詞や作曲づくりって楽しいなぁと、楽しさをより味わえたことが、読了後の満足感だ。

  • よっしゃ!
    やる気でた!

  • 2013年1月11日読了。1972年に刊行された本に90年代に追記が入ったもの。「入門」とタイトルにはあるが、「やれるもんならやってみろ」という、阿久悠による挑戦状と取るべきか。歌謡曲の詞は、作るときに呻吟したり推敲するようなものではない。テレビでも本でも映画でもとにかくハンパなくインプットを増やし日常的にそれを自分の中でそれを熟成させる、かつ仕事の依頼を受けるために作詞以外の仕事もとにかく量をこなす・・・という作業があってはじめて、この人のアウトプットの量・質・現在の地位が実現されたのだな。まあ、この人のように「日本の大衆全体を相手にする」詞を書くのでなければ、また違ったやり方もあるのだろうが。詞において「自分を表現したい」というような欲求はNG、大衆が求めるものを貪欲に嗅ぎつけ、さらにそれを超える・大衆自身が気づいていない欲求を詞によって提案できる、というのが歌謡曲のすごさであり、この仕事の醍醐味なのか。

  • 相手に届くということは、同感でなくてもいい。反発であっても構わない。何か、相手の興味を引く物でなければ、商品とは言えないのである

    一つの物語を詞にするにも、長編形式で全部を語るのか、その中の象徴的な1シーンだけを書くのか。どちらかに決めなければいけない。どちらがより効果的なを考えるわけだ
    「ざんげの値打ちもない」は長編で、「また逢う日まで」は情景である

    一人称か三人称かというのも、テクニックの一つである。三人称というのは、初めから、物を見る目が三人称になっていなければできない

    カムバックソングに不可欠な要素は、爆発力だと思う。シミル歌よりタタク歌の方が適している

    白い蝶のサンバ ポップアート
    蝶、白い イメージが人によって取り方が変わるのがいい

    カムバックソング
    捨てるもものと残すものを考える、全部捨ててしまうと今までのファンが逃げる

    ざんげの値打ちもない シナリオのト書きを歌詞にする

    ピンポンパン体操
    長くて子どもが覚えられない歌→レコードを買いに走る
    いろんなコマーシャルソングを入れる おもちゃをいっぱい与える

    四行詞
    77、75、75、75
    起承転結、3段論法、3すくみ
    四行をどう活用しているのか研究してみると面白い

    五行詞・六行詞
    四行詞にサビを加えたもの 大きなクライマックスを盛り込むことができる
    三人称で書いていたものに突然サビ部分で、一人称の主人公の叫びを入れるとかできる

    二十四小節形式・三十二小節形式
    二十四小節:ABA、AAB、ABC Aメロ Bメロ Cメロ
    二十四小節:AABA、AABC、ABAC

    時代の飢餓感を見極め、捉えること
    時代の満たされない部分を補ってやるものが歌

    テーマ
    「人間とは何か」を描く。人間に何を対面させるのか。社会なのか、自然なのか、運命なのか、歴史なのか、業なのか、悦楽なのか

    詞というのはなるべく早く原稿用紙から脱出させてやるべき。それにはため息つく前に、いろいろと動くこと


    歌とは時代の中で変装している心を探す作業

    コンセプトが新しくて、そのままじゃまだ通じにくいから安心材料として演歌の小道具を入れる ex. 北の宿から
    逆にコンセプトが古すぎるので、定型を重視しつつも、いわゆる演歌では使わない小道具だとか、使わないフレーズをどれだけ入れるかという勝負もある
    イメージを共有するための装置としての情緒の定番

  • ・心構えからテクニックまで


    ・作詞は文学ではない
    マーケティングを心得ていたこと、また、メディアとしてのテレビの事情・仕組みを把握していたことが強みだったのでしょう。

    ・実働18時間
    ・映画主題歌
    ・ご当地ソング
    ・CMソング
    ・物事を裏側から見る
    etc

    参考にさせていただきました。

  • 12/07

  • 主に、歌謡曲についての記述であるため、必ずしも、現在のJ-POPと呼ばれる音楽すべてに通じるものではないだろうが、阿久悠の「作詞」に対しての考え方や感覚が上手く表現されている。

    ここでいう「作詞」とは、「ヒット曲をつくる」ということが大前提となる「作詞」である。だが、「作詞」といっても、その前段階(一部)となる企画や構成いう部分が内容のほとんどを占める。

    その部分が、「作詞」において最も重要だということだろう。

    また、本書の中では、作詞家の役割や作詞の基礎知識・テクニックに加え、実際のヒット曲の製作過程ということまで含まれている。

    ヒットメーカーの考え方や感覚に触れることが出来る本ということだけでなく、幅広い意味での「作詞本」として価値があるだろう。

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著者プロフィール

1937年兵庫県生まれ。明治大学文学部卒業。82年『殺人狂時代ユリエ』で横溝正史賞、97年菊池寛賞、99年紫綬褒章、2000年『詩小説』で島清恋愛文学賞、03年正論新風賞を受賞。2007年、逝去。

「2018年 『君の唇に色あせぬ言葉を』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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