- 岩波書店 (2010年7月16日発売)
本棚登録 : 570人
感想 : 30件
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784006032050
みんなの感想まとめ
テーマは、日本の未来に対する警鐘とその背景に潜む歴史的な考察です。著者は戦前の視点から、現代社会の問題点を鋭く指摘し、教育や社会構造の変化がもたらす影響を考察します。読者は、現代の若者に対する懸念や、...
感想・レビュー・書評
-
なかなか耳が痛い内容だなというのがまずは最初の感想です。筆者は100年以上前に生まれたザ戦前の人だなという考え方というところはありますが、改めてこういった方が書いた本を読むと読書っていいなという風に思える。普段であれば古い考え方だと一蹴してしまうところだけれど、戦前は戦前でしっかりとした考え方をしているし、そしていかに自分の考え方は今の教育によってできているのかということを痛感した。現代人に対する筆者の捉え方は現代人からみても確かになと思えるところがあり、それが数十年変わっていない。そして今後も当面変わらないのだろうという感覚がある。
大学、エリート思想に関する考え方は私も同じようなことを考えたことがあり、通ずるものがあった。一方アジア共同体やイギリスに関する捉え方は違和感があった。今の中国とうまくやっていけるという感覚は簡単には持てないし、帝国主義の各国は皆反省すべきでイギリス賞賛は若干違和感がある。本書では考え、議論して、行動することを推奨しており筆者への批評も望むところなのだろうと思う。
今後の日本を考える上でぜひ一読の価値ありです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
最初の印象は、生臭い「徒然草」のようだったのだが、読み進むうちに、かなり熱を孕んだ遺言のようなものに見えてきた。
50年後の社会は、現在の小学生が官僚トップに、中学生が財界トップに、大学生が政界のドンになることを想像すれば、どの程度の社会になるのか見える・・・これは結構キビシイ見方であり、「いつの世も若者は頼りない」ということに過ぎないのかもしれないが、精神も金融も産業も教育も、このままでは荒廃していくという森嶋先生の警告は、感覚として頷いてしまう人が多いだろう。
解決の方策として、欧州共同体ならぬ東洋共同体を提言する。アメリカはいざとなると日本ではなく中国を取るであろうという洞察は、イギリス仕込みの素直な解釈であろう。そうなる前に日本としての打ち手は?というのが難問だ。安倍さんに聞かせたい話ではないか。うなずける点もあるが、。中国や韓国との間に日本が問題意識を共有できることができるかは疑問。
あと、英語をよく使う人の文章によくあるように、明快で大ぶりな文章。 -
「…二〇五〇年の場合には,都会でも田舎でも人々は同じ教育を受け,しかも日本は[徳川時代と比べて]階級差の少ない社会になっている。その上その時の日本の住民の資質は良くないと予想される。(この点が本書の焦点である。)エリートも牽引車ももやは存在しない。だから人々は経済的に恵まれていればいるほど,安逸を打ち破ろうとはしないであろう。彼らはむしろ何もしないで安楽死を願望するとすら考えられる。(p.vii)」
この書き出しからすれば,日本国民が奮起しなければ政治の没落の罠から脱出できないということになる。ホントにその通りだ。しかし,「アジア共同体の形成」が有効なのかは判断に窮する。
とはいえ,かなりしっかりした思考の持ち主であることは間違いない。「日本人は歴史的危機に何度も立ち直ってきた。今後もできる。日本人とはそういう民族だ」という主張にしばしば出会ってきたが,この論が成り立つのは「日本人の質的同一性」が担保されていなければならない。
*****
没落は政治から起こることもあるし,経済から起こることもある。日本はかつて政治は三流,経済は一流といわれたが,経済が破綻した現在でも,海外が日本に期待しているのは依然として経済であって,政治ではない。経済と政治の結びつきは種々であり得る。日本が没落するのは,今度の場合も明治維新の時と同様,政治からである。それは日本の伝統なのだろうか。(p.v)
…私はもはや高校二年生の若者ではなく,社会科学者のベテランに名をつらねている。情緒的に反応することは,ベテランには禁じられていることである。出来るだけ冷静に,客観的に,私のことをどこに間違いがあるかを検討し,どこが間違っていたかを第三者や私自身に納得的に説明できるような形で,分析をすすめなければならない立場に,私はいる。(p.9)
マルクスは経済が社会の土台であると考えるが,私は人間が土台だと考える。経済は人間という土台の上に建てられた上部構造にすぎない。それ故,将来の社会を予測する場合,まず土台の人間が予想時点までの間にどのように量的,質的に変化するかを考え,予想時点での人口を土台としてどのような上部構造――私の考えでは経済も上部構造の一つである――が構築できるかを考えるべきである。(p.12)
人口史観で一番重要な役割を演じるのは,経済学ではなく教育学である。そして人口の量的,質的構成が決定されるならば,そのような人口でどのような経済を営み得るかを考えることが出来る。土台の質が悪ければ,経済の効率も悪く,日本が没落するであろうことは言うまでもない。私はこういう方法にのっとって,没落を予言したのである。(pp.14-15)
動物の場合は,死んで往くものと生まれて来るものに殆ど差はないから,集団の質はほぼ一定である。しかし文化を身につけている人間は,死んで往くものが身につけていた文化と異なった文化を身につける子供が生まれてくるから,集団の質は変わってくる。(p.20)
[イギリスの]候補者は党の公約を理解し,説明できないければならない。公約は,政治,経済,文教,福祉等,国民生活のあらゆる面にわたるから,公約をマスターするだけでもかなり勉強する必要がある。イギリスでは政治家は,大学にしばしばきて講演会を開くし,大学の研究会にも参加する。学生は意地の悪い質問をするから,自党の公約の裏の裏まで理解していなければ,とっちめられてしまう。
戦後教育を受けた人達と政界の距離は,彼らと実業界との距離よりはるかに大きい。多くの日本の若い人は政界に背を向けてしまい,政治家の家に生まれた二世だけが人材の主要補給源になっている。その結果政界は国民からますます離れた世界になり,彼らが国民の意志を代表していないことは,外国でも周知である。こういう状態は国を格付けする場合に,決してプラスにならない。その上,政党や政府から,新発想の行動計画が発案されることはないのだから,政治に無関心でも取り残されることはない。(pp.29-30) -
数理経済学者として高名な筆者が、日本の将来に関する危機感とそれを回避するために求められる改革の方向性を論じた本。初版は1999年に出版されているが、2050年頃までの日本を視野に入れたとても射程の長い本になっている。
マルクスは社会は経済という土台の上に建てられた上部構造であると述べたが、筆者はその経済も人間という土台の上に建てられた上部構造であると考えていた。その意味で、本書は経済学者である筆者がその下部構造について考えることで、自らの研究対象である経済も含めた人間社会のあり方をより深く考察しようとした本であるとも言える。
そして筆者は、その土台としての人間は歴史の中で移り変わっていくとし、人口動態こそが将来の社会のあり方を知る上での基盤になると考えた。例えば2050年の日本を考える際には、その時代は1990年代に小学校生活を過ごした子供たちが政治や経済の中枢を担う時代であると捉えるのである。この考え方は、数十年以上先の社会の制度や経済指標などを現在の延長上で予測するよりも予見性が高い将来像を描くことができるように思う。
そして、V. パレートの社会理論を援用しながら、戦後の日本の各世代でどのようなタイプの人間が主流をなしているかを考察することによって、2050年までの日本の社会の方向性を考察している。
パレートは人間の基本要素を、「新しい組合せを見つけ出そうとする意欲」、「個人よりも全体を優先させようとする性向」、「自分の身と財産を保全しようとする傾向」など6つの類型に分ける考え方を提唱した。それぞれの人間はこれらの中の1つないし複数の特性を持つが、時代によって代表的な特性は変化する。
筆者は戦後の教育がエリートの存在を否定し、平等主義の中に無気力な若者を育てる方向に進んでしまったということを主張している。このことが産業におけるイノベーションを低下させるということも問題であるが、筆者はそれ以上に政治におけるイノベーションが生まれないことに危機感を抱いている。
政治におけるイノベーションとは、国家像や社会のあり方に関する大きなビジョンを描き、それを実行するプログラムを組み立てる能力であり、このようなビジョンを持った政治家がいなければ、国は経済的にも社会的にも徐々に衰退していくことを余儀なくされる。
本書の執筆時点でも戦後から50年が経過しており、戦後教育を受けた世代が日本社会の中枢を占める時代となっていたが、そのことがバブル崩壊などの経済現象よりもより深く日本の停滞の背景になっていると筆者は考えている。そしてそのような停滞から抜け出すために、高等教育の改革を提言している。
筆者の教育改革の要諦は、大学教育にエリートを育てる役割を取り戻すことであり、そのために大学の最初の2年で専門教育を終え、それ以降の課程はより少数の学生を対象にした総合的な課程とするいうものである。専門課程と総合課程(教養課程)を逆転させるという発想はこれまで聞いたことがなく、非常に大胆なものであると感じた。
また、人間の育成ということだけでなく、政治的イノベーションの実例として、「東北アジア共同体」という構想も筆者は提唱している。これは日本、韓国、中国を中心とした東北アジアの諸国で欧州のような共同体を構築するという構想である。
東北アジアの政治環境、経済情勢、さらには軍事的なバランスは大きく変動しているため、1990年代の提言は現在においては見直しが必要な部分が多いと思われる。しかし、日本だけでは世界経済の核となるには規模が小さく、アジアの他の国家も含めた経済圏、政治システムを作る必要があるという視点は、時代を超えて考察されていかなければならないテーマであると感じた。
全体を通じて筆者の危機感が強く伝わってくる本であるが、それだけではなく人間が経済や社会の下部構造であり、将来を見通すためには人口動態をよく分析する必要があるという指摘など、考えさせられる視点がある本であった。 -
2021年7月読了。
-
1999年に2050年を見通す。
日本人が没落するのは、1940年体制に甘やかされて、自主自立を忘れたから。終身雇用、年功序列。企業別労働組合。仲良しクラブ。在野の精神欠如。歴史問題を直視しない幼稚なナショナリズム。国際感覚のなさ。 -
この問いをもったすべての人にとって、没落中の日本人として何ができるのか、自ずと答える必要を感じさせてくれる好著。
-
あの森嶋先生が90年代末に書いた2050年を見すえた書。
正直、読後感は悪い。
森嶋先生自身、「経済学、社会学、教育学、歴史学など取り混ぜた社会科学領域での一種の学際的研究-私がかつて交響学的社会科学と呼んだもの-」を歯に衣着せぬ語り口で、日本の没落を論証している。
人口の分裂、精神・産業・金融・教育の荒廃、、、
教育の荒廃についての具体的提案ついて、大学進学率を12-15%に押さえるとか、大学と専門部を分けるということは過激に見えて実はそのくらいしないと没落は防げない状況なのかもしれない。
また、「唯一の救済策」として提案されている「東北アジア共同体」構想を提案するには今のタイミングは最悪と言える。
森嶋先生が「没落論」で無視しているという天災地変として東日本大震災が起こった。このことが日本を日本人を変える「外生的要因」になるのかどうか。 -
-
1999年に2050年を予測してなぜそのときにこのままだと日本が没落し、また没落しないための希望について書かれているが、2050年をまたず、現在の状況はこの本で予想されている状況に大変似通っている。
現在の日本の停滞ぶり、あるいは没落への坂を下り始めた状況の原因が何であるかを知りたい人はこうして文庫としても出たので手に取ってみるべきだろう。 -
1980年高齢者が最低クラスだった、2010年にはトップクラスになっている。
しかも老人が伝統的な日本文化を身につけていて、生まれてくる若者が欧米文化を身につけている文化交代は集団の質を激変させる。
官僚出身でない政治家はぱっとしない。
日本のような儒教国では一は教育のあるものとないものに分けられる。
政治家に最も近い類型は宗教かである。日本で全体のことを考える人たちは宗教に走るであろう。
日本が今、必要としているのは記憶力に優れた知識量の多い人ではなく、自分で問題を作り解決できる人。 -
教育とアジア圏
-
本書が書かれたのは1998年、今から28年前のことである。
1998年というと平成バブル(1989-1990代初頭)が弾け、日本全国に不況が蔓延し切った頃である。
私は、そんな最中に社会に放り出された(もとい、大学を卒業し、社会人となった)。
確かにその頃からすでに日本は没落し始めていたので、本書も当時の空気感の中で描かれた本だという評価もできよう。
ただ本書の面白いことは、1998年の時点で2050年の日本が没落していると予言しているところである。
また日本は、いわゆる「失われた30年」を経験し、未だその渦中にあると言ってもいい状況である。
しかし、そもそも1989年の段階で30年も不況の辛苦を喘ぎ続けると誰が予想しただろう。
学校でも、不況と好況は交互に訪れると聞いていたので、いつか景気は好転すると思っていたが、まさかの想像を絶する長いトンネル。
最近ではインフレだの株価が71,000円突破(2026年6月19日現在)の史上最高値などのニュースが喧しいが、一般庶民にはなんの関係もなく、物価高に見合った賃上げはお預けとなっており、むしろ生きづらくなってきた。
「失われた30年」は、まさに自分の社会人として過ごした期間とピッタリと符合するが、正直あっという間だった。
この勢いでは、この先の20年もあっという間に過ぎ、その頃には著者の言うように日本は更に没落している可能性が非常に高いと思う。
では、これを打開する方策はあるのだろうか?
これについて著者は、「東北アジア共同体」の創設を唱える。
これはすなわち、中国、韓国、台湾、香港などとEUのような経済共同体を創設するということである。
高齢化が著しく進行している日本は、今後単体ではどうにも立ち行かなくなるとわたしも考えているので、なかなかトリッキーだとは思いながらも、概ね著者の主張に賛成である。
しかし、このような共同体がすんなりと出来上がるかといえば、それはそんなに簡単ではないだろう。
これは著者も自覚的で、太平洋戦争における中国・韓国へ日本が行った残虐行為の清算といういわば外的な問題がある。
要は、未だに日本をよく思わない人たちがアジアには多く、その人たちの反対が予想される。
一方、国内においても、このような残虐行為を認めようとしない右翼的思想の人たちが少なからず存在する。というか、ここ数年でかなりその手の思想の人間が増えたような気がする。
高市氏が総理大臣になり、しかも一時は70%もの支持率があったことや「日本人ファースト」を掲げる参政党の躍進などにその傾向を見てとることができる。
そしてこのような人たちは、非常に排外主義的で、他のアジアの国々と共同体をつくることなど全く理解できないであろう。
個人的にはこのような排外主義や極端な右翼的思考は、教育の退廃が招いた結果と考えているが、著者も新しい歴史教科書をつくる会などをバッサリと切り捨てている。
このように内外に障害のある共同体構想ではあるが、沈みゆく日本の再生の一手段として、真剣に考えるべき提言だと感じた。
-
2050年に日本はどうなっているかを予見した書籍。
森嶋氏は没落すると考え、それを防ぐために東北アジア共同体を作ればよいと提案する。政治的イノベーションを起こさないと駄目だと。
考えさせられる点が多多あったが、政策立案者にこそ読んで欲しい書籍だった。
大学の3、4年での専門教育を1、2年で行い、3、4年で教養教育を行う。1、2年を修了した者にも、4年の教養教育まで終えた者にも同じ学士の資格を与えて、大学教育の短縮化を図るなど興味深い提案もあった。
本格的な大学は日本には5校もあれば良いとも言っている。
本当に知的に成長するのは、10代後半までだとも言っている。
評者は自分が学者として身を立てられなかったのは、不毛な10代後半を過ごしたせいかという気がして悲しかった。 -
非常に示唆に富んだ批評だった
-
90年代に読みたかった。
-
1990年代末に2050年を見据えて書かれた本。その後の日本が向かっているよう。
-
まさに「悪党ヤクザナショナリスト」が牛耳るジャップは没落中。
利害に対して自己中心的で、自分の主張がなく常に多数派に与し、拝金主義的で快楽主義。まさに維新政治ですやん。
みるみる没落している2023から読む1999の書はいと楽し。 -
まず驚くのは、出版された年が今から20年以上も前にもかかわらず、現状の日本社会の問題点を的確にあぶり出したところだ。著者の森嶋通夫は、社会の土台として、人間の存在が重要だと繰り返し説くが、なかでも教育を注視する。ここを適切に修正しないと、長期的に見て日本は衰退を免れないという。
森嶋は、現代の大人たち(この場合、戦後教育を受けた大人たちを指す)が知識の丸暗記に長けている一方で、価値判断や論理的思考が欠けていると批判する。また、戦後教育の影響で、日本社会には社会的信条や倫理的規範、すなわちエートスが頽廃していると批判する。それが抽象的な、超越的なものに対する義務感や責任感の欠如、倫理上の価値や理想などの抽象的な考えへの無関心を招くという。詰め込み教育の批判は、ゆとり教育が招いた結果を見ると疑問を呈してしまうが、エートスについては今の日本の問題の本質を捉えている。すぐに役立つことや効率が重視される一方で、先ほどあげた抽象的なもの、たとえば哲学や宗教が軽視される現状を見ると、同意せざるをえない。
それだけではない。森嶋は人間の労働を担う機械やコンピュータの利用に警鐘を鳴らす。それは、機械の導入によって、人間が機械に従属する立場となり、疎外感を招くためである。これは、今後普及されるであろうAIに対する弊害という見方もできる。
ここまで、日本が衰退する要因を見てきたが、森嶋は批判するだけだなく、衰退を少しでも防ぐための案を出す。それが、本書の後半で言及される「東北アジア共同体案」である。これは、日本と価値観の近い中国や韓国などと連携することであり、これが日本の没落を防ぐ唯一の救済案だと主張する。そのためには、戦前で悪化した隣国の関係を清算しなければならないと結論づけて本書は終了するが、昨今の国内政治や国際情勢から見て、この案の実現は難しいだろう。
この本が好きな人におすすめの本
森嶋通夫の作品
