チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006032258

作品紹介・あらすじ

1986年の巨大原発事故に遭遇した人々の悲しみと衝撃とは何か。本書は普通の人々が黙してきたことを、被災地での丹念な取材で聞き取る珠玉のドキュメント。汚染地に留まり続ける老婆。酒の力を借りて事故処理作業に従事する男。戦火の故郷を離れて汚染地で暮らす若者。四半世紀後の福島原発事故の渦中に、チェルノブイリの真実が蘇る。

感想・レビュー・書評

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  • このドキャメンタリー文学を読み終わった後、何も感じるものがなかったという人はいないと思います。いえ、正しくはそんな人が1人でもいてはいけないと思うのです。
    時々、何も知らない方が幸せなのかもしれないと思ってしまいます。知るということは、ともに何かを背負うことになるんじゃないだろうかと。それは国によれば今まで信じてきた大義が覆ることかもしれないし、個人に降りかかる恐ろしい事実に絶望するしかないかもしれない。それでも、人として生きている以上は、知ることに躊躇してはいけないんだと、この本を読んで思い直したのです。
    この本には巨大原発事故に遭遇した人々の悲しみや衝撃の声が詰まっています。事故後チェルノブイリ人とよばれることになってしまった人々。防護服もなにもないまま命令に従い事故処理作業に従事した男たち。汚染地に留まり続ける老婆たち。戦火の故郷を離れて汚染地で暮らす若者たち。子どもを産むことが罪と言われる女たち。笑顔を忘れた病弱な子どもたち……事故が起こるまで幸せに暮らしてきた普通の人々が語る言葉にまさる真実はないと心が震えました。国家が国という面目を守るために、そこに住む人々にどれだけ酷いことをしてしまったのか。それを信じることが当たり前の世の中で生きてきた人々はどれだけ重い十字架を背負うことになったのか。彼らのほとんどが、話すことに躊躇します。それでも、語りはじめる真実に目を背けちゃいけないと思いました。
    25年後に起きてしまった未来の物語「フクシマ」原発事故から、わたしたちは未来のために何を学ぼうとしているのだろう。わたしはちゃんと理解しようとしているのだろうか。

  • 「チェルノブイリは、第三次世界大戦なのです」
    1986年4月に起こった未曽有の大惨事、チェルノブイリ原子力発電所の事故とは一体何だったのか? それによって(当時は旧ソ連だった)ベラルーシやウクライナ、東欧の人々がどうなったのか? 本作は事故処理に挑んだ人たちとその家族を中心にさまざまな声をひろい、丁寧に伝えたドキュメントです。

    ベラルーシ共和国は1991年に旧ソ連から独立した人口約1000万の小さな東欧の国。東にロシア、南にウクライナ、西にポーランドが位置している森の豊かな国です。チェルノブイリ原発はウクライナにあって、ベラルーシには一基もありません。しかし国境近くにそれが存在していたことや、あたりの地形や気象、大きな河川の存在や人口分布などもあったのでしょう、その被害をほぼ一手に担ってしまったなんとも過酷で不条理な事態に胸がつまります。

    チェルノブイリ原発事故によって、485の町と村が喪失。5人に一人が汚染された地域に住むことを余儀なくされ(210万人、そのうち70万人が子ども)、被害がもっとも甚大だったゴメリとモギリョフ州では死亡率が出生率を20%も上回っている状況。大気中に5000万キュリー(1キュリーは370億ベクレル)の放射性核種が放出し、そのうち70%がベラルーシに降り注ぎ、国土の23%はセシウム137で汚染されました(ちなみにウクライナは4.8%、ロシアは0.5%)。大気中に放出された物質は、わずか1週間で北半球のみならず、全地球に広がる大惨事となりました。

    「わたしはチェルノブイリの本を書かずにはいられませんでした。ベラルーシはほかの世界の中に浮かぶチェルノブイリの孤島です。チェルノブイリは第三次世界大戦なのです。……国家というものは自分の問題や政府を守ることだけに専念し、人間は歴史のなかに消えていくのです。革命や第二次世界大戦の中に一人ひとりの人間が消えてしまったように。だからこそ、個々の人間の記憶を残すことが大切なのです」

    当初、ソ連政府はパニックや機密の漏洩を恐れて事故を公表していません。施設周辺住民の避難措置も取らなかったため、住民らはその事実をまったく知らないままごく普通の日常生活を送っていたよう。それによって高線量の放射性物質を浴びて多くの人々が被曝していることに驚愕してしまいます。

    戦争にしても国家的プロジェクトにしても、そこに共通するのは、国家や政府にとって不都合な情報は、国民を無視してひた隠しにされ、あるいはたやすくねつ造されたりコントロールされてしまう、ということなのでしょう。もちろん外国に限ったことではありません。

    チェルノブイリ事故から25年後の2011年、福島第一原子力発電所の事故が起こり、その周辺の人々の生活に多大な影響を及ぼしています。それからわずか7年。いまだ原子炉建屋に近づくことさえできず、事故処理も難航して泥沼化しているというのに、九州をはじめとして原発が稼働しつづけていますし、ほかでもあらたに稼働させようとしています(しかも全国の核ゴミ処理さえできない始末)。
    ここにきて人類が共有するべき記憶は加速度的に薄れ、まるでドミノ倒しのように広がりながら、しまいにはゼロになっていくようで、わたしはひどく薄ら寒い。

    「なにかを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません」

    本作には作者の抒情的な言葉はありません。それでもアレクシェービッチの放つ言葉の力に多くの人が圧倒されるのは、彼女が伝えようとしていることが人類の想像をはるかに超えたものだから、というだけではありません。その言葉の陰に秘められたアレクシェービッチの詩情に触れ、それが湧き出す魂の磁場に入って共鳴することができるからだと思います。作者のなかをくぐってきた言葉には、ある種の大きな真実があります。彼女の言葉はもはや祈りにも似た静寂な鎮魂歌のようで、ただただその言葉の前にひれ伏してしまいます。

    暑い8月が訪れると、日本には二つの原爆投下の記憶が巡ります。「チェルノブイリは、第三次世界大戦です」、未来の世界戦争と何らかわりのないことを作者に言わしめたベラルーシの人々のはかりしれない苦悩や東欧さらには世界の人々とともに、人類が共有する広島・長崎の記憶にも想いをはせたい。そんな敬虔な温もりを与えてくれる本に出合いました。

  • チェルノブイリの被害者やその家族の話を記録している。日常生活の中に音もなく静かに入ってきて、静かに人間を壊していく放射能。共産主義の同調圧力や、何も問題はないと言い続けた首脳部の罪もさることながら、それよりも普通の人々が普通に愛していた人々や日常を突然壊される身も世もない悲しみが心に残った。言葉にすると陳腐だが、ただその人への愛を語ることが、何より失ったものの大きさやこの事態の非日常さ、恐ろしさを雄弁に語っていると思う。最後の「孤独な人間の声」の、最愛の夫を失った女性の話が切ない。

  • チェルノブイリの原発事故の経緯は語らない。なにがまずかったのか、誰が悪いのかも語らない。語られるのは事故に巻き込まれたひとたち、遺族や、病気になった人や、故郷を失った人たちの、失われたものへ、胸をえぐられるような愛惜だ。告発でも、提言でもない本書は、だから「祈り」としか呼びようがない。

    それで正しいのだろうと思う。何かがまずかったのなら、それをなんとかすればまずくはなくなるだろう。誰かが悪かったのなら、そいつをなんとかすれば問題はなくなるだろう。
    そう思うのは無理はない。
    でも、スリーマイルで起き、チェルノブイリで起き、フクシマで起きた。いずれ4回目が起きるだろう。世界のどこかで。
    チェルノブイリの祈りは、どこに届くのだろう?

    8年前に読んでいたら「でもロシアだからなぁ」とどこかで言い訳めいたことを考えていたかもしれない。それももうできない。

    人々が戦争と比べるのにショックを受けた。危険地域に戻って住んでいる人の中には「戦争よりはまし」と考えているひともいる。どんだけ?

  • 2015年のノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシェービッチ。彼女の著作『チェルノブイリの祈り』を読んで衝撃を受けた。ノーベル文学賞が、受賞作に選んだ著作をある種の意図をもって世の中に広める役割を担うのであれば、彼女の受賞は正しい選択と言ってもいいのではないかと思う。

    この本は、著者がチェルノブイリに関わった人々、原発の従業員、科学者、党官僚、医学者、兵士、移住者、帰還者(サマショールと呼ばれている)、農民、インテリ、など様々な人の語りを記録し、1986年の事故から10年後の1996年に発刊されたものである。そのフォーマットは、ドキュメンタリーという分野に属すると言っていいだろう。しかし、文学の役割が、言葉によって言葉によってでなければ伝えることができないことを伝えるというものだとすると、正にこれこそが文学と言えるだろう。映像でもなく、科学的調査報告でもなく、文字芸術としてしか伝えることができないメッセージがそこにはあり、だからこそ本の形にまとめられて出版されることの意義がある。

    チェルノブイリの事故は、ソビエト連邦体制の中でその崩壊のときとともに起きたことで、おそらくその悲劇性を増すこととなった。それに反対する人はおそらくはいないだろう。 著者は「二つの大惨事が同時に起きてしまった」と言い、社会主義の崩壊という社会的な大惨事とチェルノブイリという物理的な大惨事という「ふたつの爆発が起きた」という。政治的システムの動作不能が相俟ってその悲劇は増幅されることとなった。住民のパニック抑止を優先し、知らしむべからずという方針を取ることとなった政府組織。「知りながら害をなすな」という倫理に背き、住民を避難させず、配備されているヨウ素剤の配布を怠ったベラルーシ政府。国への忠誠と奉仕の精神を利用して、チェルノブイリに送り込まれた兵士たち。また様々な人の告白の言葉には、ウクライナ・ベラルーシの土地に刻まれたかつての戦争の傷跡を感じ取ることができる。彼の地は、独ソ戦での激戦地であり、その過去の悲劇は深い記憶として人々の中に刻まれている。また、事故対応のために招集された兵士たちの中にはアフガン戦争を経験したものも多数含まれていた。チェチェン紛争やタジキスタンの民族紛争を逃れて、この地にたどり着いたものもいる。そういった様々な人達の語りを綴っていく。そういった中で自ずと、ベラルーシという国の行く末、子供たちの健康への懸念が浮かび上がる。あの日からわれわれは「チェルノブイリ人」になったという人々の眼前に「チェルノブイリ」はまったく新しい現実としてそこにあるのだ。

    本を読み終えて、福島の後でさえ自分はチェルノブイリについて何も情報を確認していなかったことにも少なからずショックを受けた。 2011年3月11日の前、もしくはその後に、この本を読んでいたら、自分はあのとき同じような精神状態にあっただろうか。自分は、何かを知ることを心の底では避けていたのだろうか。

    「何度もこんな気がしました。私は未来のことを書き記している…。」と書いて、副題に「未来の物語」と付けたアレクシェービッチの想いは、福島の事故に対してどのように届いたのだろうか。福島で起きたことと、チェルノブイリで起きたことを短絡的に結び付けることには、少なくない抵抗感がある。広島・長崎とチェルノブイリとを短絡的に結び付けることもそうだ。それでも、放射能というものが与えてしまった影響に向き合うとき、それらを知ってしまった今となってはある種の覚悟を必要とするものになったと言わざるをえない。


    この本を読みながら、かつて見たホロコーストの記憶を膨大な長さのインタビューで綴ったドキュメンタリー映画『ショア』のことを思い出していた。この本を読みながら、かつて読んだ水俣病の患者やその家族の話を独特の語りで綴った『苦海浄土』のことを思い出していた。村上春樹が地下鉄サリン事件の被害者やその家族にインタビューをした『アンダーグラウンド』のことも思い出していた。多くの悲劇があり、そこに関わった人の語りを中心に据えたドキュメンタリー的手法はそれぞれの著者により採られたものだが、悲劇を表現するにあたり通底する必然性のようにも思う。


    まずは、最初に置かれた消防士の妻が語る物語を読んでほしい。そして、「見落とされた歴史について - 自分自身へのインタビュー」の内容を慎重に読み進めてほしい。そこからはもうその先を読まざるを得ない気持ちになるだろう。


    ---
    『苦海浄土』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4062748150

  • 2015年ノーベル文学賞受賞作家。
    他人事ではなくなったチェルノブイリ原発事故についての、ドキュメンタリー作品。

    夫が「人」から「モノ」に変わってゆく痛々しさが、何とも言えない。
    ボロボロと崩れ欠けてゆく身体に、どうして触れることが出来るんだろう。
    人が人でなくなってゆく様は、何度読んでも拒否してしまう。

    残された人が一様に「話したくない」と揺れるのは、村上春樹『アンダーグラウンド』を彷彿とさせた。

    自分たちは情報でしかなく、生きてはいない。

    今、日本にいる私にとって、フクシマがなければきっとこの本を読むことはなかった。
    そう考えると、人間は虚しい生き物だと思う。
    犠牲は未来を作らなかったのだから。

  • 英語版からの感想。

    86年のチェルノブイリ原発から10年後に書かれた本である。作者はジャーナリスト。足掛け3年にわたって、ウクライナやベラルーシでチェルノブイリ事故に関する経験を語る人々(チェルノブイリ経験者、というような名前で呼ばれる人びとの声を集めた、オーラルヒストリー・・・口述記録っていうんだろうか。日本語で翻訳も出ているが、今こそ多くの人が読むべき本だと思う。
    86年のこの事故で、原子力発電は終わるべきだったんだろう。実際、そういう見方もあったんだろうけど(そういう口述もあった)、2011年には福島の事故。結局、何もかわらなかった。

    チェルノブイリは、もはや単なる事故ではない。この本で語る人のなかに、「チェルノブイリはドストエフスキーなみのテーマ」みたいな表現をしていた人が居て、まったくその通りと思った。つまり、人間の営みというか、人間性・社会そのものを根本的に見つめなおし、問い詰める問題提起そのものであるということだ。皮肉にも、チェルノブイリについてあまり多くのことが語られてこなかったのは、そういう理由からではないかと思う。あまりに問題が深く広範なのでなので、誰も総括して語ることが出来ない。もちろん文学のような象徴的なものとして表れることもない。現実が文学を凌駕するという表現がぴったりくる。誰しもがうまく語ることが出来ない歴史的事実。

    チェルノブイリもフクシマも、文化も政治体制も事故の様相も違いながら、類似点もなんと多いことか。ソ連政府の事態の隠蔽、沈静化への大量の兵士・ボランティアの投入、除染への取り組み・・・福島の事故で見てきたことと同じ。住民はなにもわからないから、ただただ上の指示に従うだけ。平静を装って不安を隠し、病に倒れたらそれを受け入れる。多くの人は、放射能と結びつけることもしないかもしれない。

    人間は、生物としても、社会的動物としても、自分たちが作り出した放射性物質の前には無力だ。物理の力には悪意もなく、私たちはただ無防備に遺伝子がそのエネルギーに影響されるだけである。
    しかし、人はそれでも生きていかないといけないので、それぞれのやり方でチェルノブイリと折り合いをつけていくのだ。もうどうしようもない。だから、諦めるか、意味を見出すか、ひたすら逃げるか・・・結局はまとまった見解などなくて、人それぞれ、個人個人で向き合っていくしかない。それはとてもとても孤独な戦いだ。チェルノブイリを体験した人たちは、みなそんな風に戦ってきたのだ。

    3.11以降、日本で「福島の事故はチェルノブイリとは違う(その理由は、爆発の様子が違うとか、規模が違うとか、主に「科学的な」知見からのそれらしいコメント)と、どれほど言われたことか。それは、ただ単に、私たちはチェルノブイリを経験することはないだろうという根拠のない楽観的な見方にすぎなかったんだろう。経験したことのないことには、どう対応していいのかわからない。政府や企業も含めて日本中、3.11以降はそういう感じで8ヶ月が過ぎたように思う。そして、多くの人々はいまだ、何も起こらなかったかのように、または福島の影響を過小評価したり、単に諦めたりしている。何らかの危機感を持ちながらも、どうしていいかわからないというのが普通なのかもしれない。

    私たちはどうしたらいいのか?
    著者は最後に、この本で語られることは(過去のことであるにもかかわらず)それは未来のことである、というようなことを書いている。
    私たちはチェルノブイリを経験した、経験している人々の声から何を思うか、何を学ぶのか?チェルノブイリはつまり、フクシマである。私たちはどう生きるのか?そういう根本的な問いを持たずにはいられない。

    この本は、最初と最後の話者の独白は、チェルノブイリ現場に入って消火・除染作業に当たった作業員(英語ではLiquidaterと呼ばれる)の妻たちによるものである。
    愛する夫が作業にあたったあとに死ぬという苦しみ。消防員の妻は面会謝絶になった夫のそばに規則を破ってでも死ぬまでの16日間、通い続ける。除染作業に参加して数年後に亡くなった夫の妻は、一年かけてゆっくり死に向かう夫の看病を続けた。どちらも死の物語でありながら、愛の物語であり、こういう例がそれこそ無数にあったのかと思うととても泣かずには居られない。原発事故は、科学の話だけではない。普通の人々にとっては、チェルノブイリは愛の喪失(故郷の土地に対する愛、大切な人に対する愛、などなど・・・)の物語である。失ったものはもう二度と戻ってこない。それが原発事故による放射能の一番の恐ろしさであると思う。

  • 冒頭に放射能物質と化した夫を愛し続けた妊婦の話がある。愚かと言うは愚か。30年ほど前、アウシュビッツ収容所に関する本を読んで人間の悲惨の極北と思ったが、ここには別の極限がある。憎悪ではなく無思慮あるいは原子エネルギーを制御できると思った傲慢によって起こった地球規模災害。英雄的行為により人類の破滅は食い止められた、本当に?除染は不可能。危険を無視して生きる人々。「未来の物語」いつかは人類も地球も滅びる。「人間は大地から生まれるもので生きている」。原発はタバコを吸い有限の化石である石油を消費するのと同様に死に至る愚行か。死の受容。絶望。
     「石棺」なんとハードな言葉だろう。その石棺も老朽化し外部に覆う棺が作られるという。ツタンカーメンの幾重にも被われた墓のように。福1では「デプス取り出し」技術も目処が立たないのに「予定」されている。取り出して、何処に置くかさえわからないのに。更地信仰。人が住んだ場所に更地はあり得ない。

  • ・家のドアはぼくらのお守りなんです。家族のだいじな宝物。このドアのうえにぼくの父が横たわった。どういう風習によるものか知らないし、どこでもこうするわけじゃないが、母が話してくれた。「ここじゃね、亡くなった人はその家のドアに寝かせなくちゃならないのよ」。父は棺が運ばれてくるまで、ドアに横たわっていた。ぼくは一晩じゅう父のそばにいた。父が寝ていたのがこのドアなんです。朝まで玄関は開いたままでした。また、このドアにはてっぺんまでギザギザが刻みこまれている。ぼくの成長のあとが記されているんです。一年生、二年生、七年生、軍隊に入る前。横にはぼくの息子と娘の成長のあと。このドアにぼくらの全人生が記録されている。どうして残していけるだろうか!

    ・-まあ、思い出したくもない!恐ろしい。私らは、兵隊たちに追い出されたんですよ。軍隊の車がつぎからつぎへとやってきたわ。自走砲よ。高齢のおじいさんが寝たきりで、死にそうだったの。どこにいけっていうのかしら?「わしは、ほら、起きて墓にいきますよ。自分の足でな」と泣いていました。家の補償金がいくら支払われたと思います?見てください。ほんとうに美しいところなんですよ。だれがこの美しさにお金を払えるかしら?保養地ですよ!

    ・-招魂祭にはみんなわれさきにと帰ってきますよ。ひとり残らず。だれもが先祖の供養をしたいんだよ。警察は名簿を見て通してくれるが、18にならない子どもは入れてくれない。ここにきて自宅のそば、自宅の庭のりんごの木のそばに立つのは、ほんとうにうれしいことなんです。人々はまず墓地で泣き、それから自分の家へと向かいます。家でも泣きながら、祈るんです。ろうそくを立て、塀に抱きついておる。墓の囲いに抱きつくようにして。家のそばに花輪も置く。木戸には白い飾り布をかけるんです。神父さまがお祈りをあげる。「兄弟姉妹のみなさん、忍耐強くあってください」

    ・ぼくは汚染地にいた日々を思い出したくないのです。自分のためにあれこれいいわけを思いついて、扉を開けたくないのです。ぼくはあそこで、どこで自分がほんもので、どこでにせものであるか、理解したかったのです。

    ・じつにいろんな質問がでましたが、ひとつだけ脳裏に刻みこまれている。おとなしくて口数の少なそうな男の子でしたが、赤くなり、くちごもりながら聞いたのです。「どうしてあそこに残っている動物を助けちゃいけなかったの?」。ぼくは答えられなかった。ぼくらの芸術は人間の苦悩と愛に関することだけで、すべての生き物のことじゃない。人間のことだけなんです。ぼくらは動物や植物のところ、このもうひとつの世界におりていこうとしない。なのに、人間はあらゆる生き物にむかってチェルノブイリをふりあげてしまったんです。

    ・ある学者との会話を覚えているんです。「これは何千年にもわたるんです」とかれは教えてくれた。「ウランの崩壊、ウラン238の半減期ですが、時間に換算すると10億年なんですよ。トリウムは140億年です」。50年、100年、200年、でもその先は?その先はぼくの意識は働かなかった。ぼくはもうわからなくなったんです。時間とはなにか?ぼくがどこにいるのか?

    ・いまヤロシューク大佐が死にかけています。化学者で線量測定員でした。屈強な男でしたが、からだが麻痺し寝たきりです。彼は腎結石もあり、石を取らねばなりませんが、ぼくらの団体には手術代をはらう金がない。ぼくらの団体は寄付でなりたっており、貧乏なんです。国は詐欺師ですよ、この人たちをみすててしまった。この人たちが死ぬと、通りや学校や軍の部隊に彼らの名をつける。でも、これは死んだあとです。ヤロシューク大佐は汚染地を歩きまわり、汚染の最高地点の境界線を定めた。つまり生きたロボットとして完全に利用されたのです。大佐はこのことはわかっていたんです。しかし、歩いた。

    ・放射線とはいったいなにか?だれも聞いたことがなかった。ぼくはちょうどここにくるまえに民間防衛部の講習を受けて、30年前の情報を与えられていた。致死線量がが50レントゲンというやつ。教わったのは、衝撃波を頭上でやりすごし、ダメージを受けないたおれ方。被爆とは。熱線とは。ところが、地域の放射能汚染がもっとも被害をもたらす要因だということは、ひとことも話してくれなかった。ぼくたちをチェルノブイリまで引率してきた職業将校たちもほとんど理解しておらず、知っていたのはウォッカを多めに飲まなくちゃならん、放射線に効くからということだけ。6日間ミンスク郊外に駐留し、6日間飲んでいた。

    ・朝、ひげをそる必要があったか。鏡をのぞくのがこわいんです。自分の顔を見るのが。ありとあらゆる考えが顔にでてましたから。そもそも住人がまたここにもどってきてくらすなんてとても考えられない。それなのに、ぼくらは屋根のスレートを交換し、屋根を洗い流している。なんの役にも立たない作業をしていることは、何千人もの者みなが百も承知です。それでもぼくらは毎朝起きては、同じことをする。無学のじいさんが迎えてくれる。「お若いの、こんなよからぬ仕事はやめなされ、さ、テーブルについて一緒に昼めしを食べなさらんかね」

    ・あなたのご質問にお答えします。なぜ、私たちは知っていながら沈黙していたのか、なぜ広場にでてさけばなかったのか?私たちは報告し、説明書を作成しましたが、命令には絶対に服従し、沈黙していました。なぜなら、党規があり、私は共産党員でしたから。汚染地への出張をことわった所員がいたという記憶はありません。それは党員証を返すのを恐れたからではなく、信念があったからです。まず、私たちは公平な良い暮らしをし、わが国民は最高であり、あらゆるものの規範であるという信念があった。この信念が崩れさったため、梗塞を起こしたり、自殺をした人が大勢います。レガソフ・科学アカデミー会員のように、心臓に弾丸を撃ちこんで。なぜなら、信念を失い、信念を持たないままでいるなら、もはや参加者ではない。共犯者なんですから。弁解の余地はありません。私は彼をこのように理解しています。

    ・最初の数日、いろんな感情が混じりあっていました。いちばん強かった二つの感情を覚えています。恐怖といらだちです。すべては起こってしまったのに、情報はいっさいありませんでした。政府は沈黙し、医者はひとことも語ろうとしません。地区では州からの指示を待ち、州ではミンスクから、ミンスクではモスクワからの指示を待っていたのです。
    長い長い鎖。その先端ですべてを決定していたのは数人の人間です。私たちは身を守るすべがなかったのです。こういうことを当時いちばん強く感じていました。私たちの運命、何百万人もの運命を決めようとしていたのはほんの数人の人間なんです。またほんの数人の人間が私たちを殺すかもしれなかったのです。偏執狂でも、犯罪者でもない、原発のごくふつうの当直運転員が。それがわかったとき、私は非常にショックを受けました。

    ・あの四月の暖かい雨。七年間あの雨を覚えています。雨粒が水銀のようにころころころがっていた。放射能って色がないんですって?でも、水たまりは緑色や、明るい黄色でしたよ。となりの家の人がこっそり教えてくれました。ラジオ<自由>がチェルノブイリ原発の事故を伝えていたと。私はまったく意に介しませんでした。頭から信じていました。
    もしなにか重大なできごとがあれば、国民に知らせてくれるはずだと。特殊設備も、特殊信号も、シェルターもあるんです。警告があるはず。私たちはそう信じきっていたのです。
    私の内はあたかも二人の人間がいるかのようです。チェルノブイリ前の私とあとの私。でも、いま<前>の私を完全に正確な形で再現するのはむずかしい。私のものを見る目が変わってしまいましたから。

  • 「祈りはひそかに唱えるものです」

    チェルノブイリ原発事故の処理作業で、夫を亡くした女性のこの一言が、この本全体を貫く色調かもしれません。

    冒頭で語られる消防士の妻が立ち会うこととなる、壮絶な夫の最期の描写には戦慄を覚えました。

    甚大な災禍に直面した人々の魂の鎮魂碑。ともいうべき作品ではないかと思います。

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