戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (498ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006032951

作品紹介・あらすじ

ソ連では第二次世界大戦で百万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った。しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった-。五百人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞受賞作家のデビュー作で主著!

感想・レビュー・書評

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  • この本は、もっと多くの日本の人たちに読まれるべき本である。
    本書は、第二次世界大戦に従軍したソビエト連邦(現ロシア)軍の元女性兵士約500人から聞き取りを行った証言集である。

    本書はいわゆる独ソ戦における従軍記的なものであるが、現実論として第二次世界大戦におけるヨーロッパでの戦闘については日本人にはあまり知られていない。
    日本人は、自国が敗戦国であり、広島・長崎における原子爆弾の被害、東京大空襲での被害、沖縄戦での悲惨な状況等、多くの戦争悲劇を子供の頃から学んでいるが、他国における戦争被害というものはあまり教えられない。

    ちなみに第二次世界大戦で戦争犠牲者(軍人、民間人両方合わせて)が最も多かった国はどこかご存じだろうか?
      日本?ドイツ?それともイギリス?

    これはデータを見ると、ある国が突出して多いことが分かる。
    それはソビエト連邦である。
    ソビエト連邦の第二次世界大戦での犠牲者は約2600万人。ちなみに敗戦国のドイツは約680万人、同じく日本は約310万人である。

    ソビエト連邦の被害者数は日本と比べると約8倍の数値なのである。
    なぜこれほどまでソビエト連邦の戦争犠牲者数は多いのだろうか。ソビエト連邦は第二次世界大戦の戦勝国であるにもかかわらずである。

    これは地理的要素が大きく関わっているのだろう。
    ソビエト連邦はドイツ軍の侵攻を受けた1941年からソ連軍がドイツの首都ベルリンを陥落させた1945年までの4年間、そのほとんどの期間、自国の領土が戦場となっていたのである。
    例えば、310万人の犠牲者をだした日本であるが、日本国内で兵士同士の戦闘が行われたのは約20万人の犠牲者を出した沖縄戦のみであり、本土での犠牲者は原子爆弾や空襲などによる犠牲者が多く、白兵戦での犠牲者はほとんどいない。

    一方、独ソ戦のほとんどの期間、自国内が戦場となったソビエト連邦は、常に自国内で兵士同士が殺し合い、またその戦闘に多くの民間人が巻き込まれた。

    一番わかりやすい例をあげれば、1942年6月~1943年2月の間に戦われたスターリングラード(現ボルゴラード)の市街戦では、当時スターリングラードの人口約60万人が戦闘後は約1万人までに激減したのである。

    このような過酷な戦争をしていたソビエト連邦であるが約100万人もの女性が従軍していたことはあまり知られていない。
    どこの国でも女性が看護師や衛生兵、軍医として従軍したということは多くあるが、このソ連軍の女性兵士はそういった職種だけでなく、ごく普通の兵科(機関銃手、狙撃兵、工兵、戦車兵、高射砲兵、戦闘機パイロット等)として従軍していたのである。
    数多くの10代の女性、17歳、18歳くらいの女の子が自ら志願して従軍していた。
    しかも、彼女たちは後方勤務ではなく、最前線の最も危険な戦場を希望していたのである。

    こういった状況になった原因はいろいろな要素が組み合わさっていると思われるが、実際、先ほどあげたような過酷な戦争状態で男性が物理的にいなかった。つまり、ほとんどの男性は既に戦争に行ってしまい、もう、女性しか残っていなかったということも大きな理由だろう。
    ある村では男性が全くおらず、女性しかいないという状況であったという。

    兵士として従軍した数多くの女の子たちであるが、当然、戦場では女性だからと言って弾丸が避けてくれる訳はなく、当たり前のように簡単に女性兵士たちは銃弾に倒れていった。
    彼女たちのインタビューを読むと、あまりに『死』が当たり前となり、「どうやって死ぬか」という話題しかなかったという。
    例えば、ある若い女性兵士は、戦友の若い女の子の兵士が泥や土にまみれて汚らしく死んでいる姿を見て、『自分はこんな風には死にたくない。お花畑の中できれいに死にたい』と強く思ったという。

    今の日本には、小説にも漫画にもアニメにも若い女性が戦闘で戦うという状況を題材にした物語が数多くある。
    もちろん僕は女性差別主義者でも過激なフェミニストでもないので女性が軍人になるということには反対はしない。
    我が国の自衛隊にも多くの女性隊員が存在しているし、彼女たちが必死に仕事をしている姿には頭が下がるばかりだ。

    しかしながら、『女性が兵士として戦闘に参加する』ということがどういうことなのか、僕は本書を読むまでは本当には理解できていなかった。

    過酷すぎる第二次世界大戦の地獄を生き残り、戦勝国の兵士となって、本来なら「英雄」となるべき若き女性兵士たちの多くは、戦後、いわれのない差別を受けた。特に同じ女性から・・・。

    戦争に行かなかった女性から彼女たちは
      「女だてらに戦争なんかに行って・・・、銃を撃って敵を殺したって言ってるけど、本当のところはどうなんだろうね。私たちの夫や息子たちとよろしくやってたんじゃないのかね」
    と、それこそ従軍慰安婦であったかのような扱いを受けたのである。
    またドイツ軍の捕虜となり、生き残った女性兵士に対しては、それこそ「犯罪者」的な扱いが待ち受けた。

    当時のソ連軍兵士は捕虜になることが禁じられており、捕虜になったイコール、敵のスパイになったと見なされたのだ。

    彼女たちの多くは、戦後、自分たちが従軍していたということを誰にも言えず、戦中に受賞した勲章やメダルはこっそりと隠し持っていたという。そして長い間、彼女たちは自らの体験を心の奥底に仕舞い込んでいたのだ。

    本書の著者であるスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチは同じ女性として、彼女たちの心の傷を一つ一つ理解しながら、必死に彼女たちから証言を得ていった。
    元女性兵士の多くは証言を拒否し、アレクシェーヴィチ氏は門前払いを受けたことも多かった。
    しかしながら、心の奥底にしまっていたあふれる思いをぶちまけた女性も数多くいたのだ。

    この本は、そういった彼女たちの心からの叫びをまとめた本なのである。
    まさに心が揺さぶられる物語が詰まっている。
    本書は、『日本国民必読の書』とまでは言えないかもしれないが、できるだけ多くの人に読んでもらいたい一冊であることは間違いない。

  • 先に読んだ『チェルノブイリの祈り』では、原発事故に関わった市井の人びとへのインタビューを並べることで、複数の個の視点によってその事実の重さを複層的にわれわれに伝えたスベトラーナ・アレクシエービッチ。同書に描かれていた事故対応をして放射線障害で亡くなった消防士とその身重の妻の話が、HBOで制作され日本ではスターチャネルで配信された連続ドラマ『チェルノブイリ』でもひとつのエピソードとして挿入されていたが、改めて心を揺さぶられた。ノーベル文学賞受賞もさもありなんと得心した。

    本書『戦争は女の顔をしていない』は、そのチェルノブイリ原発事故の前年の1985年に刊行された彼女のほぼ初めての著作である。ゴルバチョフがソ連共産党書記長の座についたのがその1985年。それまでは、大祖国戦争の負の側面を見せるその内容のために、何年も当局から出版を止められていた。ゴルバチョフのペレストロイカによって刊行が可能になった本書は、その後すぐにソ連で200万部以上も売れたベストセラーになったという。
    本書の形式は、『チェルノブイリの祈り』と同じように一般の人びとへのインタビューでの「声」を織り上げたものになっている。『チェルノブイリの祈り』で心揺さぶられたこのフォーマットは、そのずっと前からすでに彼女のものだったのだ。本書は、他の多くの戦争を扱った本とは違い、全体を提示しようとしない。また、何か明確な結論めいたものを提示することもない。ただ、多くの視点を並べることにより、かつて実際にあった時間と場所を彼ら自身の言葉によって浮かび上がらせるのである。そうすることでしか再現できないことが確かにあるのだ。著者がインタビューをした相手の数は五百人を超えるという。そして、そのインタビューについて次のように語る。「一つとして同じ話がない。どの人にもその人の声があり、それが合唱となる。人間の生涯と同じ長さの本を書いているのだ、と私は得心する」― もし「歴史」というものがあるとすると、それは一つではない。それどころかそこに生きた人の数だけ無数にあるのだ。

    この本の主人公は、第二次世界大戦で特に熾烈を極めた独ソ戦の戦場に駆り出された旧ソ連の女性たちである。まさしく総力戦となったソ連では、男たちの手だけでは足りず、百万人を超える女性が兵士として戦場に赴いたという。国のために命を捧げることが尊いこととされた教育のために、このインタビューに出てくる多くの女性たちは周囲どころかときに軍の方からの反対を押し切って戦場に赴いた。彼女たちは驚くほど多くの場合に、自ら熱意を持って戦争に参加している。召集令状が来たら、それを歓喜の気持ちで受け取っているほどだ。彼女たちの考えでは、ヒトラーは祖国に牙をむく憎むべき敵で、ナチスにモスクワを、スターリングラードを、わが大地を蹂躙されるなどあってはならず、何を犠牲にしたとしてもまず祖国を敵から守らなければならないのだった。しかし、戦場は男のものであった。女性用の下着はなく(驚くほど多くの人がこのことに言及している)、生理用品もなく、何もかも整っていなかった。

    そして戦後、男たちの勝者としての勇ましい語りの中で、彼女たちの声は強く抑圧され、まったく社会の目と耳に触れないところに押し込まれていた。

    「わたしたちが戦争について知っていることは全て「男の言葉」で語られていた。わたしたちは「男の」戦争観、男の感覚にとらわれている。男の言葉の」

    「女の言葉」は、男や多くの人がいる中では、出ることのない言葉であった。それは固い鎧の下に隠されて、抑制されていたため、個と個の間でのゆっくりとした静謐な時間の中でやっとふと出てくるようなものだった。その言葉は、著者が若い(当時30代)女性であったことと、何より聞き手としての能力と使命感により汲みだされたのだろう。その言葉により、戦争のより重層的な相貌が読み手に伝わってくるのである。

    悲しいことに、戦場に赴いた彼女たちが戻った社会の中では、その時代に女性に求められた貞操観念を男たちに囲まれた中で容易に当然のものとして破っていたものとみなされ、それが隠すべきことであるように扱われた。ベルリンまで進軍し、その後意気揚々と村に戻った女性は、三日後には未婚の妹たちの結婚に影響があるという理由で家を出ていくように母から言われた。結婚相手の親から、夫の妹たちの嫁の貰い手がなくなると言われて、泣かれ罵られたものがいた。女たちの戦争が描かれなかった大きな理由のひとつはそこにあったことは想像に難くない。偏見の中で、その勝利の栄光は、隠すべき恥へと変わっていたのだ。戦後、待ちわびたその勝利の後にも「彼女たちには二つ目の戦争があった」のだ。『戦争は女の顔をしていない』というタイトルには、戦争が誇るべき女性らしさに反しているという意味とともに、女たちの誇られるべき貢献が、少なくとも男たちと同じようには、表に出ることがなかったということも意味しているではなかろうか。
    帰還した人の中には、足をなくした人もいる、脳挫傷を負うなどして身体的障害を負った人がいる。もちろん、精神的な傷を負った人はもっと多い。自律神経が破壊された人。生理が来なくなって、子どもを産めなくなった人。二十歳やそこらで髪が白くなったという人も一人や二人ではない。それでも、それらの傷が戦場で負ったものであることを示す書類を捨ててしまい ― それがあれば傷痍軍人として補償が受けられた ― 戦争に行ったことを隠して生きてきた。またはいっそ社会から隠れて生きてきた人も多い。

    「戦争のあとで、あれだけおびただしい涙が流されたんだから、すばらしい、美しい生活が始まるのだとみなが思っていたわ。勝利のあとでみんなとても優しくなって、愛し合うにきまっている。みんなが兄弟姉妹のようになるだろうって。この日をどれだけ待ち望んでいたか…」

    事実はそうではなかったのだ。

    ある高射砲指揮官の軍曹であった女性の言葉。
    「男たちは戦争に勝ち、英雄になり、理想の花婿になった。でも女たちに向けられる眼は全く違っていた。私たちの勝利は取り上げられてしまったの。<普通の女性の幸せ>とかいうものにこっそりすり替えられてしまった。男たちは勝利を分かち合ってくれなかった。悔しかった。理解できなかった。前線では男たちの態度はみごとだった。いつでもかばって大事にしてくれた。戦争がおわっても女性に対する態度は変わらないんだと思ってたわ」

    その女性は最後にお手製のパイと、著者が行くべき女性たちの連絡先のリストを渡してこう言った。
    「みんな、あなたに会うのを喜ぶよ。待ってるよ。どうしてか教えてあげよう、思い出すのは恐ろしいことだけど、思い出さないってことほど恐ろしいことはないからね」

    彼女の言う通り、多くの女性たちがその口を開いた。著者は、自らのインタビューの体験について、次のように語る。
    「何か理解できるのではと覗き込んでしまったら、それは底なしの淵だったのだ。今は、多少の知識は得たものの、疑問の方はもっと多くなり、答えはさらに足りなくなった」
    そう、「女たちが語ってくれたことには、とてつもない秘密が牙をむいていた」のだ。

    本書の中には多くの語られたエピソードが出てくる。その言葉は心を打ち、何かを知ったような心地にはなる。しかし、そう思うことはほとんど思い上がりで不遜なものですらある。
    「戦争の映画を見ても嘘だし、本を読んでも本当のことじゃない。違う…違うものになってしまう。自分で話し始めても、やはり、事実ほど恐ろしくないし、あれほど美しくない。戦時中どんなに美しい朝があったかご存じ?戦闘が始まる前…これが見納めかもしれないと思った朝。大地がそれは美しいの、空気も…太陽も…」

    著者は次のように語る。
    「話を聴いたあと家に帰りながら、「苦痛というものは孤独なもの」と思うことがあった。出口のない隔絶された世界だと。また、「苦痛」とはある特殊な知識だとも感じた」

    自分を含めて読者はその「苦痛」を彼女たちと同じように「知る」ことは決してない。著者が知識として得たことにも到底及ばない。それでも、そのわからなさを前にしても、そうだからこそ、著者によって選ばれてそこに刻み込まれた言葉は読まれるべき言葉なのである。

    著者が「人間は戦争よりずっと大きい」というとき、それは事実自明なものとして人間が戦争よりも大きいのだということを意味しない。それは、人間が戦争より大きなものであるべきだという願いであり、そうであるという信念であり、祈りでもあるのだ。


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    『戦争は女の顔をしていない』は2020年になって突然コミック化された。そのおかげで、この本も電子化されたのかもしれないと思うとありがたい。それにしても、なぜ最近になって、『独ソ戦』が新書大賞2020に選ばれたり、この本のコミック化がされたり独ソ戦への注目が高まっているのだろう。

    いずれにせよ『ボタン穴から見た戦争』『アフガン帰還兵の証言』『死に魅入られた人びと』『セカンドハンドの時代』といったアレクシエーヴィッチの他の著作のkindle化が個人的には強く待たれる。

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    『チェルノブイリの祈り』(スベトラーナ・アレクシエービッチ)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4006032250
    『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(大木毅)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4004317851
    『戦争は女の顔をしていない 1』(小梅けいと)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4049129825
    『ボタン穴から見た戦争――白ロシアの子供たちの証言』(スベトラーナ・アレクシエービッチ)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/400603296X

  • 第二次世界大戦の独ソ戦で、ソ連軍に従軍した女性たち500人以上へのインタビューから成る一冊。
    発掘された女性たちの声は想像を絶するもので、戦争という巨大な化け物の残酷で常軌を逸した側面を浮かび上がらせる。でも、女性兵士へのインタビューより、印象に残るのは前書きに相当する冒頭の『人間は戦争よりずっと大きい』だ。

    「人間は戦争の大きさを超えている。人間のスケールが戦争を越えてしまうような、そういうエピソードこそ記憶に残る。そこでは歴史を越えたもっと強いものが支配している。わたしは視野を広げて、戦争という事実だけではなく、人が生きるとは、死ぬとはどういうことなのか、その真実を書かねばならない。」

    こうした義務感に駆られた背景、そしてインタビュー前の不安と葛藤、インタビュー後の思いなどが錯綜しながら赤裸々に独白のような形で綴られる。膨大な数のインタビューが本書の最大の価値ではあることは疑いもないけれど、文庫本41ページに及ぶこの著者独白にはそれに劣らない価値が確実にある。

  • 第二次世界大戦のソ連で従軍した女性たちの体験を、70-80年代に聞き取りした本。
    ネットでマンガ化されたと聞いて好奇心で手にしたら、思った以上に重たい内容だった。
    タイトルどおり、女性へのインタビューということが本書の特徴。戦闘体験そのものの記憶だけでなく、女性であるがゆえに味わった体験を合わせて聴くことで多面的なリアルを感じさせる。
    男性なら、従軍希望に取り合ってもらえず、従軍しても後方勤務に回されることがあっただろうか?それが不満で、有能さアピールのため必要以上に気負ったりしただろうか?それでも微妙に庇われたりアイドル扱いされただろうか?戦場に適応してゆく自分や仲間の変化に悩んだだろうか?恋した兵士の死に立ち会うことがあっただろうか?また復員後、従軍体験ゆえに批判されたり結婚の障害になったりしただろうか?
    たぶん男性には男性のそういう体験があるだろう。けれども「わたしたちが戦争について知っていることは全て『男の言葉』で語られていた(p4)」というように、特に戦後のソ連の社会では、あるべきとされる語り方の枠から外れることが許されにくい状況だったはず。あえて取り上げられにくい女性の声を集めた意味がそこにあるのだろう。
    本の主体は証言集だが、証言を聴き取ることの意義や著者の姿勢を述べた前書き「人間は戦争よりずっと大きい」は、歴史の証言について考える時につい思い出しそうな名文に満ちている。
    「人間は戦争の大きさを越えている。人間のスケールが戦争を越えてしまうような、そういうエピソードこそ記憶に残る。(p8)」
    「こういう会話では少なくとも三人の人がそれに加わっている。今語っている人、その出来事があったときそのただ中にあった本人、そしてわたし。(p10)」
    「語り手たちは証言者であるだけではない、証言者というよりもむしろ役者であり、創作者であったりする。(p11)」
    個人的には身内の戦争体験等から、ソ連についてはあまり戦争で被害をこうむった側というイメージが無かった。しかし戦争をする以上、こういう体験をする人は両国に存在する。

  • 「英雄譚的戦記」から外れる、「余りに生々しい戦場の記憶」を聞書きしている本書の内容は、ソ連時代に波紋を拡げてしまったようだが、これが登場した少し後の“グラスノスチ”(情報公開)という風潮や、体制の転換等の経過が在って、殊に「従軍女性達の戦後の苦悩」のようなことは時間を経るに連れて集まった話題のようだ。大変に貴重な内容を含む労作だ。
    この作品は「人類の記憶」として「遺すべきモノ」を集めて綴った力作で、価値在る作品に出逢えた。多くの方に薦めてみたい一冊となった…

  • 第2次大戦東部戦線にソ連軍として従軍した女性たちへのインタービュー集。あまり語られることのない女性視点からの戦場の様子は生々しくソ連時代の本国ではなかなか出版することができなかったというのも納得。
    語り手の殆どは徴兵ではなく志願兵で、さらにその多くが軍からは当初断られながらも並々ならぬ熱意で入隊を許可された経緯がある。また、戦時下の悲惨な状況に対する嫌悪は強いけれど、あの戦争そのものを否定するような語り手は殆どいない。
    これは東部戦線がソ連にとって侵略戦争ではなく防衛戦であったことが大きいのだと思うが、先日観た第一次大戦の英国軍を兵卒視点から語ったドキュメンタリー映画「彼らは生きていた」などを見て感じた戦争に対する感覚の違いがヨーロッパの人々と日本人とではあるように感じられてならない。それが戦勝国と敗戦国の違いなのかどうかは判らないが。
    これを読んで、ソ連と戦った、ドイツ国防軍の兵士たちの話が読みたくなった。何か良い本はあるのだろうか?

    コミカライズの方を先に読んだのだが、漫画は原作の印象的な場面を上手く切り取って漫画化したなという印象。でも、絵になりそうな場面の多くはすでに漫画化してしまっているので、続巻はどうするんだろうとちょっと心配になった。

  • 2015年ノーベル文学賞を受賞したジャーナリストの主著。知らないことの罪さえ感じさせられるような、旧ソ連で対独戦に関わった女性たちの体験談。
    女性兵士も含め百万単位の女性が従軍したソ連。スターリン思想に裏打ちされた祖国愛と義憤、あるいは憎悪に背中を押され、今なら中学生の女の子まで志願して前線へ赴いた。そこで「人間性」から最も遠い残忍さで身体や精神を損壊しあう戦場に巻き込まれていく。友や恋人、耳目や手足、夫や親や子どもを時に目の前で失っても、将来の平穏を信じて戦った彼女たちは、勝利を得た故郷で、「不具者」として、「男ばかりの戦場で何して来たかわかったもんじゃない女」として、迫害された。夜の闇、飛行機の音、血や肉の手ざわりに何十年も孤独に脅えながら、相互監視的な政治体制も相まって、彼女たちの思いは何重もの恐怖に覆われて口は重く閉ざされていた。インタビューの旅の中で、語り手は、聴き手は、何百回涙を流したことだろう。「今日が最後かもしれない」という思いで眺めた朝もやの風景は、どんなに美しかったことだろう。

  • 「これは私が話しているんじゃありません、私の悲しみが語っているんです。」(本書p379)

    戦争についてこれまで多くのことが語られてきたが、その語り手の大半は男性である。自らの従軍体験、政治活動等がそのベースにはあるが、そのとき女性は何をしていたのか?

    2015年にノーベル文学賞を受賞したウクライナ出身の女性作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのデビュー作となる本書では、500人以上の女性の語りに基づき、旧ソ連の女性たちを主語とした戦争体験がまとめられている。看護婦や医師といった立場だけではなく、自ら兵士や斥侯、パイロットとして戦争に関与した彼女たちの語りからは、戦争の悲しさだけではなく、戦争から戻ってきた後に世間から白い目で見られるという二重の悲しさが浮き彫りになる。

    500ページ弱の本書では、本当に多様な体験が語られるが、最も印象的なものを1つ。戦場で戦死した若者を弔うために、ある母親が戦場に来て自身の息子に弔いの言葉を投げる。そして、その場所では他にも同年代の若者が複数戦死したことを知り、彼らに対しても息子同様の温かい言葉を投げる・・・、このシーンは本当に胸を打つ。

  • 彼女らが戦っているのは国や敵兵でなく、戦争そのものなのだろう。さらにこの本からはその戦争がまだ続いているのだと感じ取れる。一度争いを経験すると、その争いは人の心に住み続ける。そして、争いが住み続ける限り、その人にとっての戦争は終わらないのである。また、これは他人事ではない。私達は誰しも争いを経験していて、心に争いが住んでいる。もちろん自分も例外ではなく、これからは自分も、自分の中に争いがあるということを意識して生きていかなければならないのだと考えさせられた。

    【2016.07.13】

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    再読【2020.08.24】

    女性視点での戦争の実感を、インタビューを元に書いている。

    男性視点で語られる勝利や勲章の話が戦争の後日談を作り上げるが、この本ではそれらを外側から見た女性視点での話が中心になっている。

    1つ1つの話がヘビーなので、読み終わった後に感情を消化する時間が必要。

    戦争を経験していない人から見たら、戦争はどこまで知っても遠い世界の話だが、経験した人からは日常生活の一部。男性視点の英雄が生まれる物語は日常とは離れているが、女性視点での戦争に関する物語は淡々と日常生活の一部であった戦争を語っているなと感じた。

  • ジェンダーの壁、ナショナリズムの圧力の凄まじさ、イデオロギーの威力が刻印されている。

    どの話も切なく、取り返しがつかない。特に、精神障害の娘さんが産まれた人の話。何重にも差別されていて、そこには祈りしか残されてなくて。。。

    服装や死に様への感じ方を読むに付け、人間にとって尊厳がどれほど大事なのか。死んだら終わりというのは、どれほど不謹慎な思想なのか。自分の考えの浅はかさが打ち砕かれた。

    それにしてもトラウマの固まりのような話だ。話して、不調になった人も多かっただろう。

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