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Amazon.co.jp ・本 (278ページ) / ISBN・EAN: 9784006033163
作品紹介・あらすじ
周囲の環境を圧倒して屹立する超高層ビルなど20世紀型の「勝つ建築」は,いまやその「弱さ」を露呈している. これからの建築はもっと様々な外力を受けいれる「負ける建築」の途を探るべきではないか. 新国立競技場の設計に携わった著者の,20世紀の建築史や現代思想,アートへの幅広い関心と独自の建築哲学がうかがえる論集.
感想・レビュー・書評
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軽いエッセイかと思ったら、どうして骨太の建築社会論である。彼の主張を知れば、ブランドとして隈研吾を消費している人たちは猛省しなければならない。
経済システムの一部として建築がどのように機能してきたか、簡単ではないながら、理解できてきたように思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
新国立競技場を設計するのだから著者は、言わば「現在日本で最上級の一般評価のある建築家」である。ただ、それももはや7年前。
その著者が20~30年前に書いた評論を集めた書。
理論も考察も一見、前時代的だが、本書の評価はそこにはない。
これは、日本の現在の建築/アートの価値基準に至る道筋、あるいは現段階の「目指す世界」がどこの座標にあるか、を分析するための「歴史書」なのである。
前半は19~20世紀中盤までの建築の歴史を追っている。この部分には特筆するものはなく、重要なのは後半。90年代中盤から2003年辺りまでの著者のリアルタイムな批評部分である。そこには現在の真骨頂である「木造」評価の兆しも書いてある。
「なるほど、こうやって今(2025年)の建築/アートの雰囲気が醸成されたのだな」と認識できる面白さがある。
「負ける建築」とはようするに、コンクリートなどの暴力的に頑丈で、威圧感があり、変更や補修が容易ではない「勝つ建築(と、その乱立社会の失敗)」そして「勝つ建築家(権威主義者・えばった人々)」の逆を目指そうというもの。
この文庫版では著者自身のあらたなあとがきが加わっている。この時点で新国立競技場を「勝ち取って」いるのだが、本人はこれを「勝ち」と表現せず「時代の転換点」と言っている。しかも「もしかすると今後建築家はいらない」と言い、自らの建築が度々壊れるのを補修しているため「修理屋」と揶揄されるのも良しとしている。なぜなら修理は結構楽しいし、より良いものに修復して、人々から感謝されるから、と。
ロバート・ヴェンチューリはアヒル型の建築とか、看板建築など建築論で唾棄すべきととらえられているものこそ建築家が挑戦すばき、と考えた(彼の建築は日光にある)。隈は銀座四丁目の三愛ドリームセンターの悲惨さ、奇妙さからそれを思い出した166
「弱く」「そこそこにだらしなく」「そこそこに不自由」「そこそこな状態のまま」「中心も境界もなく」「曖昧なもの」それが木造である。それを到達できないか夢想する211
エンクロージャー(囲い込み・壁がある・排他的)と対極の建築を探りたい。都市の中に閉じた領域を作るのではなく、都市の中に小さな建築を無防備にさらし、都市に対し無惨なほどに建築を開いていく。239 -
近現代の建築の挫折史を、(著者の主観で)社会・経済・材料・思想・風俗などの角度から批判的に解説した一冊。
そういう歴史が建築の「負け」を規定しているということではなくて、先輩たちはどうして挫折してしまったのかとか、自己矛盾に陥ってしまったのかとかいうことを、そもそも建築なんていうのはそれ自体が大変「強く」「傲慢」なものなので、それをわかった上で建築家は謙虚でいなくてはならないんだ、ということが理論的に述べられているように思いました。
この考え方はその初出の折りには、建築の専門家の間では(たぶん)かなり煙たがられたのではないかと思います。それでも現在氏が高い評価を受けていることは、その考え方に多くの人が賛同しているからなのでしょう。
(あるいは、著述での主張・思想をある程度現実的なレベルまで調整して、実務にあたっているのかもしれませんが) -
東2法経図・6F開架:B1/8-2/316/K
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