居候匆々 (旺文社文庫)

  • 旺文社 (1984年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784010614037

感想・レビュー・書評

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  • 百閒先生は『ノラや』と『冥土』を読んで以来ですが、久しぶりに見てみようと思い積んであったこちらを。
    新聞小説ということもあり短く章立てされており、人物描写もコミカルで楽しく読んでいたのですが、なんと掲載紙(時事新報)が休刊となり、尻切れトンボで突然終わる笑
    作者あとがきで、作者自身も残念なそぶりを見せていますが、その後別紙で再開するとかもしないところがいかにも先生らしい笑
    内容は百閒先生自身が教鞭を取っていた時期に体験した学校での騒動を戯画化した作品で、なかなか名作になりそうな予感でしたが中途で終わってしまったのはとても悔しく感じます。
    編集者あとがきにて、この連載についての裏話的なものもおもしろく読ませてくれていますが、なにより挿絵を担当した風船画伯こと谷中安規先生のその後の顛末が物悲しく、寂しくなりました。
    追加掲載(にしてはほぼ半分の分量)の座談会は、百閒先生は司会役に徹しているので、百閒味としてはやや物足りない感じ。

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著者プロフィール

内田百閒(うちだ・ひゃっけん)1889―1970
岡山県生まれ。本名・栄造。15歳のときに親友・堀野寛と出会い、堀野を通じて読書の趣味に目覚める。翌年、夏目漱石の『吾輩は猫である』上篇を読み、漱石に傾倒。19歳のころには俳句熱が高まって、俳諧一夜会や苦渋会という句会を結成。岡山近郊の百間川から俳号を「百間」とした。1910年、東京帝国大学文科大学へ入学。翌年2月に、静養中だった漱石を訪ねる。漱石の面会日「漱石山房」に出席するようになり、小宮豊隆、津田青楓、森田草平、芥川龍之介、久米正雄などと知り合う。以後、陸軍士官学校や法政大学で教鞭をとる。1920年には、作曲家・筝曲家の宮城道雄に知遇を得て親交が続く。同年、幼少期より寵愛を受けてきた祖母の竹が死去。1922年、はじめての著作集『冥途』を稲門堂書店より刊行。翌年、関東大震災に遭い、『冥途』の印刷紙型を焼失してしまう。1933年に三笠書房から『百鬼園随筆』を刊行してから、『冥途』の再劂版や第二創作集『旅順入城式』(岩波書店)、『百鬼園俳句帖』(三笠書房)などを刊行。その他、『贋作吾輩は猫である』(新潮社)、『ノラや』(文藝春秋社)など多数の書籍、作品を発表する。1965年には、これまでの功績を評価され芸術会員に推薦されながらも「いやだから、いやだ」とそれを辞退。それからも『麗らかや』『残夢三昧』(いずれも三笠書房)などを著す。多くの名筆を世に刻み、1971年4月20日に逝去。

「2023年 『シュークリーム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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