かもめが翔んだ日

  • 朝日新聞社 (2003年10月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (296ページ) / ISBN・EAN: 9784021000812

みんなの感想まとめ

経営者の苦悩や成長を描いたこの著書は、リクルート創業者の生い立ちから企業の成り立ち、そしてダイエーへの株式譲渡に至るまでの道のりを、江副浩正氏の視点で綴っています。彼の天才的な発想でリクルートを大企業...

感想・レビュー・書評

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  • 【概要】
    リクルート創業者の江副浩正氏の①生い立ち②リクルートの成り立ち③ダイエーへ株式譲渡までが、江副氏の目線で書かれた著書。

    【内容・詳細】
    天才的な発想でリクルートを鮮やかに大企業へと成長させる江副氏の手腕とともに、後半では経営が傾いたリクルートが会社も人も自分の手から離れていくかのような孤独さ、切なさすら感じとれる一冊である。

    当時の生々しい会話内容などが原文ままではないという注釈はあるもののリアルに再現されているのが特徴である。
    ※なお、リクルート事件に関しては触れられていない。

    【こんな人にオススメ】
    ・リクルート(江副氏)の生い立ちを知りたい。
    ・経営者の苦悩、リアルを知りたい。

  • ・買った経緯
    独立したい〜!と思ってたら時期
    ・買った理由
    ベンチャーの歴史とかこれからを感じたかった。
    ・のこってる感想
    なぜかブルーハーツ思い出す。

  • ①リクルートの草創期と、②江副氏によるダイエーへの株式譲渡(そして引退)の内幕、の2本立て的な内容。

    起業家の下積み時代に、広告の営業そして唯一の趣味になったスキーをつうじて内向的で地味な性格だった江副氏が徐々に変わっていくさまが興味深い。
    同社の特徴である社内ベンチャー的な仕組みについて、氏は「私にはカリスマ性もなく、会社が大きくなるにしたがって経営が辛くなってきた。だからなるべく任せようと思った」と述懐している。今どきのありがちなリーダーシップ論とは対極に見えつつ、一方で最も先取りしていたともいえる。

    総じて、1980年代のビジネス常識・倫理はいろいろな意味で今とは大きく違うものだったのだなというのが読後感。著者がそれをブレークスルーしていった風雲児であり、昭和史を代表する経営者の一人だったことは間違いない。

    バブル前後を振り返る歴史教科書としても価値のある一冊であった。

  • リクルートの創業者江副浩正氏の著書。生い立ちとリクルートのこと、ダイエーへの株譲渡への一部始終のドキュメントと3部構成になっています。

    大学新聞での広告事業を譲り受けて起業した江副氏がアメリカの就職冊子リキャリアをみて、企業への招待を大企業はほぼ無償で創刊して事業を軌道に乗せ、様々な情報誌を発行していく同社ですが、PC制や事業プランコンテストのRINGなどは色々な情報を取得した中から施行したものであるとかドラッカーに強く影響を受けていることも本書を読んで知りました。

    あとリクルートコスモスとファーストファイナンスの人の思惑が複雑に絡んでそれに対する江副氏の葛藤は凄まじいものがあると感じました。各社社長、役員、マスコミ、同社社員、中内氏と様々な方の思いが交錯するなかでリクルートらしさを失わせない判断をしたことが今日の姿に繋がっていることを感じたと同時に今話題となっているダイエーの中内氏の懐の深さとダイエーの躍進を感じて、時代の変遷というものも読み取ることができました。

    読んで感じたのはカリスマとして扱われる氏が幾多の失敗をしてることや同社の社員から学びとっている描写が多く、非常に他者からの影響を強く受けている印象を受けました。

    日軽金ビルを取得してから同社の知名度があがったこと、企業への招待を創刊するときや読売が参入してきて住宅情報に危機が訪れたりと幾多の危機を乗り越えてきたり、その後1兆2000億もの借金を江副氏なくして返した同社が今般の上場でどういう軌跡を描くのか楽しみになる一冊でした。

  • *****
    江副さんの生い立ちからリクルートの成長の軌跡、
    そしてリクルート株を手放すまでを本人が綴っている。
    リクルート事件には触れていない。
    *****
    起業家精神豊かなリクルートのDNAは、自社が生き残るために必然的に生まれてきたものだったのだろう。そのために必要な制度仕組みは合理的に作ってきたに違いない。その制度仕組みに魂を入れられたのは、江副さんや他の創業メンバーの生き方そのものにあった、はずである。
    *****

  • 本書はリクルートのファウンダー江副氏の回顧録であるが、まるで経済小説のような話の展開にフィクションでは?と感じてしまった。特に後半のコスモスとFF(ファーストファイナンス)の不良債権の対応とダイエーの中内氏への株譲渡の話は緊迫感があった。関係者は全員リクルートのためを思っているけれど、立場が違えばそれぞれ考えも異なる。このような場面でリーダーとしてどのような決断をしたのか、江副氏の分析はとても参考になった。

  • リクルート事件によって、リクルート及びリクルートコスモスのイメージが悪化、それに加えてバブル崩壊も追い打ちとなり、リクルートはダイエーに身売りされることになった。かもめが翔んだ日とは、リクルートのシンボルマークがリクルートからなくなったことを指す。

    リクルート創業者江副に対する検察の強引な捜査手法は、その自白の信憑性や人権に対する侵害の疑義が向けられるきっかけともなった。堀江貴文の検察批判に伴い、このリクルート事件の顛末に再度注目が集まっている。

  • ★広告、土地、ダイエーとのかかわりが赤裸々に★江副ウイークの締めは最初の著作で。広告をニュースにする「リクルートブック」のビジネスモデルはいまの「ホットペッパー」に貫かれている。かつては取り次ぎを通さない販路を開拓するために本の売り上げをそのまま書店に渡しており、リクルートにとってはもともと販売収入はゼロだったと知った。
     社風は良く言えば外資系の実力主義、悪く言えばサークルの乗り。20年ほど前に会社をのぞいたとき、垂れ幕がひしめいていたのを思い出した。合わない人は徹底して合わないだろうが、こういう社風を作り上げたこつは分かるようで分からない。江副氏自身はそれほどカリスマがあるわけではなさそうに見えるのだが、実態は随分違うのだろうか。その後のリクルートの急成長でもカリスマがいる風ではない。大企業病に陥らないのはすごい。フィードバックの徹底や車内に小さなプロフィットセンターを作ることがそれほど機能しているのか。
     コスモスやファーストファイナンスの苦境からダイエーに支援を求めたときの悩みは生々しい。依頼をほぼ丸飲みした中内氏の太っ腹には驚かされる。ちょうどこのころ(94年)に見た江副氏はあまり元気がなかったが、事件以上にこの問題の処理でやつれていたのかと今になりようやく知った。
     全体を通して、江副氏はバブル崩壊前までは土地・建物で含み益を膨らませ、その後手痛い目にあったことが分かる。だからこその土地に関心が高いのだろう。創業初期には株でもうけたことも知った。

  • ■概要
    リクルートの創業者、江副浩正氏の自伝。
    3章構成で、1章は子ども時代から東大時代、2章は大学卒業後、リクルートの立ち上げと発展、3章は「ダイエーへの株譲渡」というタイトルで、
    リクルート事件後の出来事が記されています。

    ■仕事に活かせる点
    「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という社訓、それから
    「外酒、外飯」(極力社外の人と飲み/食事に行くこと)という言葉が記憶に残りました。

    「就職情報誌」という新しいメディアを作り出していく過程や、リクルートが独自の求人や取組みを行なっていくことで着々と成長を遂げていく様子は、
    仕事の悦びを感じさせるものでした。語り口が淡々としているのが少々もどかしいくらい、熱い思いやエネルギーを持っている方なんだろうなと思います。(さわ)

  • リクルートのDNAが出版されるまでは希少本として
    amazonで数千円で売り買いされていた本。
    江副さんの生い立ち〜R事件〜ダイエーへの株式譲渡までを
    描いた自伝的内容。
    個人的に現在Rで働いているのはこの本を読んでしまったから。
    そんな因縁(笑)深い本です。

  • リクルート創業者江副さんの著書。
    リクルートと江副さんの歩みがわかる。

  • 事業家の考え方が何となくわかる1冊。コンサル系の薀蓄本の5倍は面白い。

  • リクルート江副会長の自伝的1冊。会社って何だろうとかしみじみ考えちゃいます。

  • リクルート創業者の自伝。リクルートに興味のある人ならば面白く読めるだろうが、そうでない人にはイマイチだろう。非常に情に篤く、リクルートをいい会社にしようという気持ちがヒシヒシ伝わってくる。文章はめちゃめちゃうまい。

  • リクルート事件で執行猶予付き有罪判決を受けた江副さんが、その確定を期に、自らの半生を回顧することとした自叙伝。生い立ちからリクルート創業〜リクルート事件までが書かれていてとても面白かった。

    以下、自分用メモ。

    東大新聞の広告取りの仕事を掲示板で見かけてやることにした。
    なかなか上手くいかなかったある日、丸紅の会社説明会が東大であることを知り、丸紅の人事に東大新聞に告知広告を載せないか提案したらokが出た。

    この広告で大勢の学生が集まり、人事は喜んだ。

    以後、就職説明会の案内があるたびにその会社に告知広告の営業に行った。

    当時は東大生が就職するのは東京の企業が多く、関西の企業に就職する人が少なかったため、住友商事、伊藤忠、住友銀行、三和銀行、川崎製鉄などの関西の企業は説明会を開くことが多く、告知広告の受注をしていた。


    通常のサラリーマンの3倍近くもこの広告営業のコミッションで大学時代から稼いでたため、正社員にはならず、フリーランスでこの広告営業の仕事を続けた。

    早稲田、慶應、一橋、京大の大学新聞も扱った。


    創業時は大学の2年先輩の森稔さんが西新橋に作った森ビルの屋上の物置小屋を借りた。

    森ビル発祥の地がリクルート発祥の地でもある。

    当時は、鉄鋼、造船、化学、銀行などの位が高く、広告や不動産の地位は低かった。

    しかし、GNPが二桁成長を遂げる岩戸景気の時期だったことも相まって、新卒初任給が1.2万の時代に、100万円の利益を手にした。
    翌年には北大から鹿児島大まで、北から南まで40ほどの大学と専属契約を結んだ。

    就職シーズンは睡眠時間は4-5時間。土日も関係なく朝から晩まで仕事をし、夕食を食べ、銭湯に行ってまた仕事という生活。

    関西の企業が広告主に多かったので夜行列車で大阪への出張も頻繁だった。

    1960年、対米輸出が急増し、どのメーカーも採用数を増やしていたため、業績絶好調。

    株式会社大学広告、という社名が起業した際の社名。

    大学時代の先輩から、
    「アメリカでは学生にこのような本が配られている」
    と送られてきたのが、就職情報ガイドブック「キャリア」という雑誌。
    履歴書の書き方や面接の受け方、就職のための記事、その後に求人広告が200社ほど。
    それをモデルにした。
    特に表紙はこだわり、本屋で様々な雑誌を見て学んだ。

    結果的に表紙のデザインは、亀倉雄策という博報堂の日本を代表するグラフィックデザイナーに依頼し、以後、数多くの情報誌の表紙のデザイン、リクルートのシンボルマーク、外装デザイン、安比高原のスキー場開発やホテル建設などでサポートしてもらった。

    求人広告の本のタイトルは「企業への招待」

    だが、これは思ったほど上手くいかなかった。
    川崎製鉄にいっても、住友金属に行っても、三和銀行に行っても、「同業他社が出すなら出す」という程度の反応だった。
    これまで売れていたのは自分に対しての信頼ではなく、大学新聞という媒体への信頼だったことを痛感したらしい。
    就職シーズンまで時間が無かったこともあり、苦肉の策で、無料掲載をさせてほしいと営業した。
    それでも断られた会社もあったが、了解してもらえた無料掲載する会社が40社ほどあった。

    ただ、出版を依頼していた大日本印刷への頭金がこれまでの蓄えと有料掲載の会社の頭金だけでは払えないため、芝信用金庫に融資にお願いに行った。
    ただ、取引実績が短く担保がないので難しいと言われた。
    しかし、森稔さんと親しい仲であることを話すと表情が変わり、森ビルの事務所を借りる際の保証金で払った60万円を担保にすれば融資できるかも知れないということになり、森さんにも承諾してもらい融資が実現した。
    この融資がなければ事業は頓挫していた。
    その恩義から、リクルートの営業報告書に記載する取引金融機関の筆頭を芝信用金庫にしていたそう。
    そうして大日本印刷から創刊号が届き、これを大学の就職部に置いてもらった。

    大学生からは感謝の声が届き、掲載企業へも学生からの入社案内請求のハガキが大量が届き、感謝された。
    ただ、先ほどの通り金策に苦しむため、来年以降もこれを続けるか躊躇ったが続けることに。

    前年に掲載した会社はすべて有料で参画、新たな参画企業も加わり、掲載社数は倍増。
    金策の苦労も無くなり、売上は4倍に増えた。

    ある日、アルバイトの学生が、
    神田の古本屋が「企業への招待」を100円で買い取り、200円で売り、中央や明治の学生が買っていることを知った。

    昭和38年(1963年)、創業から3年、企業への招待の創刊から1年経った時、
    日本リクルートメントセンターに社名を変更。
    のちの昭和59年、1984年にリクルートに社名を変えた。
    年目、新卒採用を始めた。
    当時は初任給は全産業、ほとんど同じで、上下5%ほど、職種でも差がない状態で、
    また男女や学歴などでも差があったため、
    学歴や男女で差別なく、かつ大手より30%ほど高い初任給を設定した。
    すると、4人の採用枠や2000人が応募してきた。
    能力適正テストを行ったら、大卒の上位100人中95人は女性だった。
    結果、大卒高卒それぞれ4人ずつを採用した。
    このような採用を続け、リクルートは女性学生や大卒高卒で差別をしない給与水準の高い会社、という評判を得た。

    営業を行っていた際、各企業が学科別でどの学科の学生を求めているか見える化したら分かりやすいのでは、という意見を採用し、採用したい学科別一覧を作ったところ、学生と会社に好評を得た。
    のちに住宅情報を創刊したときも、地域別や沿線別に求める物件が検索できるようにした。

    ある時、企業への招待(リクルートブック)のインタビューで松下幸之助に訪問した際、支社長、営業マン、カメラマンなど4名を同行させたら、
    「おたくは5人もインタビューに来るなんて儲かってまんなぁ」と言われたらしい。

    情報の共有、社内報
    「日立造船様より企業への招待受注」などのビラを壁に貼っていてサークルのノリだった。
    週刊リクルートという社内報を発刊し、個々人の成績も発表。
    やがて壁のビラは天井からぶら下げる垂れ幕に変わる。
    創業10年目に、高卒一期生の福西七重さんが、「リクルートと私」という社史を作ったのが好評で、翌年から月間社内報「かもめ」を発刊。
    社員皆経営者主義の実践には「経営に関わる情報はトップも新入社員も共有すべき」という理由で社員が経営を語り合うメディアにした。

    昭和40年、創業5年目ごろからは、
    四半期ごと(のちに半年ごと)に、じっくりT会議という役員合宿を開いた。
    分不相応な立派な宿を選んだ。非日常の贅沢な空間に身に置くことで、豊かな発想が生まれるという考えから。
    夕食後には共に酒を飲み、リクルートの将来について語った。
    誰をどの仕事に配置するかという仕事が一番のテーマだった。
    人事担当役員の大沢さんとは特に議論を交わした。
    印象的なのは昭和44年春のT会議で、新人ばかり採用してると視野が狭まるという理由で、日経新聞の全面に中途採用の求人広告を出したいという議論らしい。
    大企業が神とされる時代に、当時の規模は200人。
    広告からは400人が応募に来て結果2人が採用になり、1人はすぐ辞めた。
    実質、1人の採用に800万かけた。
    こんなにコスパが悪いことはない。800万なんて聞いてない、こんな大きな広告はいらなかった、ホワイトスペースは必要だ→商品広告にはいるかもしれないが求人広告には要らない、などと批判された。

    3時間の議論の末、結果、江副さんが謝った。

    これに対して1番批判的だった池田さんで、
    のちにビーイングやとらばーゆ、フロムエーなどを伸ばす方だが、
    フロムエーはホワイトスペースがない費用対効果の高い媒体になった。
    その後、住宅や中古車でも展開をする際、コピーや地図を全面に使い費用対効果を高めることに寄与した。
    この日経の求人広告の失敗が、のちの情報誌の成功に繋がった。

    ソニーの盛田昭夫さんは「大学と企業の間には大きな谷があり、学生は企業のことを知らない」とよく言われていて、リクルートではそうならないように内定者研修にも力を入れた。
    7,8人のグループに分け、社内の人間を自由に取材させた後、リクルートの入社案内を4日間の合宿で作るというもの。
    多様な仕事、企業風土を写真や図表にまとめ、人事マネの前で発表させて、コンペ形式で優勝チームも決めた。
    企業風土を知ると共に学生と社会人の違いを知る機会となった。
    これによって辞退する内定者も出たが、入社後のギャップは少なくなった。

    リクルート事件で逮捕された年、1000人近い内定者がいたが、辞退率は5%だった。
    内定者研修でリクルートのことを良い会社だと認知してたからそれが出来た。そうで無かったらみんな辞退してただろう。

  • 20年前、リクルートは色々ありつつも革新的で輝いていた会社だった。「元リク」と呼ばれる出身者が各分野でエースになっている憧れの会社だった。その創業者の本なので期待したが、期待が高かったのか、思ったほど面白くない。有名な「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」が出来た経緯はさらっと書かれ、リクルートはほぼ触れず、後半はダイエー参加になるまでの苦悩が延々と描けれるが、優柔不断な旧態会社のおじさんのようで、まったくリクルートらしくもない。当時の内情を関係者に暴露するための内輪本なのだろうか。おなじ暴露ならリクルート事件のほうが面白かっただろう。

  • 事件のみならず、事業的にもスキー電話FFなどいろいろやっていろいろ失敗している

  • 09'0711

    リクルート発足〜事件を自伝チックに

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