- Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022501424
感想・レビュー・書評
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4-02-250142-1 300p 2005・2・28 1刷
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連休中に三浦半島を訪れる機会ができたため、知識を深めようと手にとってみた本。
著者の「街道をゆく」シリーズは有名なので、まずは身近な土地から読み始めようと思いました。
これはエッセイの部類に入るものなのでしょうか。
著者の随筆調の紀行文は初めてでしたが、思ったよりも読みづらく感じました。
著者の文章の流れや、視点を移すテンポと、自分の感覚がどうも合わないようです。
この人のエッセイは苦手かもしれません。
彼の思惟のままにとりとめなく話が流れていくという感じで、それに追いついていくのが結構大変。
興味のあり処がずれると、知りたい箇所にあまり言及されず、特に興味のないところを詳細に語られるという、意志疎通のできないはがゆさがもどかしく感じられました。
日中は三浦半島を散策し、夜には磯子のプリンスホテルで執筆したということが、繰り返し語られます。
土地の地形的な話を期待していましたが、やはり彼の興味は歴史的事項に絞られるようで、鎌倉幕府メインに話が運ばれていきました。
つまり、はじめは伊豆半島に幽閉された頼朝の話からはじまり、房総半島を経て、ようやく三浦半島の話へと動いて行くわけです。
タイトルは「源頼朝の足跡を訪ねて」でもよさそうに思いました。
地理ものではなく歴史ものと考えれば、それなりに有意義に読めます。
平家に命を助けられた彼は、生涯、父たちの供養をして過ごすと約束をしていたとのこと。
それが命拾いの条件とはいえ、朝夕看経して、僧以上に僧の暮らしだったそうです。
俗体だった彼。なぜ平家は出家させなかったのか、謎です。
流人生活の20年間、一日も欠かさず般若心経を19回、念仏を千百遍唱えたという話には驚きます。
それだけで半日が終わりそうですね。
挙兵時には、もはや読経も念仏も出来ぬと思い、尼に代わりを頼んだという彼。
彼にはドライで残酷なイメージを持っていますが、神仏への信心深さが伝わってくるエピソードです。
公家主体の完成された身分社会の中で、武士の棟梁としてひるまず向かっていくことは、相当大変なことだったのだろうと想像できました。
北条政子の強さは、武家として、絶対的公家の権力に気持ちの上で屈しなかったところにあるのだと考えると、彼女が兵士に及ぼした不思議な影響力も納得できます。
また、奈良時代以来、黄金は東北地方から産出したそうです。
黄金文化で奥州藤原氏が栄光を極めたというのは、今は夢のような歴史。
藤原氏に黄金の寄進を求めるために、歌人の西行が陸奥(みちのく)に使いに出されたということも知りました。
しばられるもののない流浪の歌人ではなく、政治のしがらみに関与していた人物だったとは。
西行は、旅の途中に鎌倉で頼朝に出会ったとのこと。
それも、気まぐれではなく、奥州から奈良へ黄金が輸送される段階に、道中の安全を保証してもらうという理由を持った、やはり政治的な理由からでした。
歌人で僧侶であっても、自由に生きられたわけではなかったんですね。
鎌倉の八幡宮は、源氏の氏神であり、若宮というのは、京都の石清水八幡宮と比べて新しいからだというのも、この本で知りました。
個人的には、かねがね不思議な地名だと思っていた金沢区泥亀が、その土地を新田開発した医者が持っていた雅号によるものとわかってスッキリしました。
結局、三浦半島の街道については、よくわからないままでしたが、頼朝の挙兵を助けた地元の三浦一族の話などが詳しく紹介されており、地理ではなく鎌倉幕府の成りたちについての知識が深められました。 -
週間に朝日連載されていた歴史&紀行エッセイです。あるていど年配の人ならおなじみの作品ですが、最近の若い人はどうなんでしょうか(自分もまだ若いですが)。本作には、1995年3月24日号~11月10日号掲載分が収録されています。副題にあるように、今回は、源頼朝が幕府を開いた鎌倉と、その政権と大きな関わりをもった三浦半島の豪族・武士たちの盛衰が取り上げられています。また、ペリー来航以降の幕末の混乱の末に、海軍が置かれた地でもあるため、旧海軍への言及も多いのが特徴です。