インディアナ、インディアナ

  • 朝日新聞社 (2006年5月9日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (236ページ) / ISBN・EAN: 9784022501875

みんなの感想まとめ

深い喪失感や孤独をテーマにした物語が、静かに心に響く。主人公ノアの優しい声が語る人生は、切れ切れのエピソードを通じて徐々に浮かび上がり、彼ともう一人の無垢な魂との美しい軌跡が描かれる。読者は、夜空に星...

感想・レビュー・書評

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  • 読書会に参加しました。みなさまありがとうございました。

    ===

    ノアという男がいる。どうやら老人だ。農場に一人で住んでいて、マックスという男が面倒を見ているようだ。
    ところどころで、オーパルという女性からの手紙が差し込まれる。愛を伝え、会いたいと伝える。オーパルは遠くの精神病院に入れられてるようだ。この手紙が実に哀切極まりない。
    冒頭でノアが聖書に書き込まれた親族の生没年の書き込みを見る場面がある。そこには、この先出てくるノアの父母のヴァージルとルービー、祖父母、そして妻オーパルの名前がある。

    ノアがいるのは、母方の一族が代々住んでいたインディアナの農園だということが分かってくる。
    ノアは幼少期から幻を見たり声を聴いたり、自分同士で会話をする。手紙は簡単なものしか書けず(ノアの手紙は平仮名表記が多い)、仕事もすぐに首になる。はっきりとは書かれないがノアには精神障害があるようだ。だが彼の見る幻は現実が元になっていることが多い。ノアが生まれるずっと前に焼け落ちた小屋を見てその小屋で過ごしたり、畑のど真ん中に曾祖母が叩き壊して畑に埋めた振り子時計を見る。ノアの曾祖母は、自分の娘婿(ノアの祖父)がインディアン戦争で死に、戦地に夫を追っていた娘(ノアの祖母)が後を追うように病死した時に、時を殺すために振り子時計を敲き壊したのだ。

     ※インディアン戦争(1622年から1890年)は、北アメリカで白人入植者とインディアンとの間で起きた植民地戦争のこと。武器の違いなどにより結局は白人入植者による大量虐殺、民族浄化、強制移住などが行われた。(現代に至るまで、インディアンたちの強制移住問題や土地の返還要求は続いている。)
     ノアの母方曾祖父母の時代であり、ノアの一族が減少する要因となった。曾祖母は「あのしけたしょうもない戦争」「インディアン相手のあの度し難い愚行」と呼んでいたらしい。

    ノアは、人が死ぬ姿、隠したものの場所、殺人の証拠なども見ることがあり、地域の保安官に相談されることもあった。
    ノアは保安官に「お礼というなら、オーパルを出してほしい」と望むが、管轄違いで叶えられない。
    物語の全体を通してノアが見る物(千里眼のような感じ?)の描写は、幻想的でありもう手が届かない寂しさも感じられる。本の表紙にもなっている「畑に立つ大きな振り子時計」は、読んでも不思議な感覚を覚えるくらいだ。

    「これは50%の物語だ。」
    漂うような雰囲気で進む物語。ノアが中心人物ではあるがノアの回想や意識の流れというわけではない。私が感じたのは、これはノアの一族の走馬灯のようなものなのではないだろうか。ノアの一族は、インディアン戦争により栄えたが、その後は衰退していった。残ったのはノアだけだ。聖書に名前を書き込む余白もあと二人くらいだろう。
    小説の語り口は、もう消える一族を土地が思い出しているように流れるようで漂うようだ。はっきりとはしない事実も多いが、土地の記憶なら人間である読者に詳しく説明しなくて仕方あるまいと思って読み進める。

    ノアの父のヴァージルは、ノアが生まれる前は自由奔放な生活を送っていた。当時は珍しかった映画を見てり、飛行機に乗った。ふらっと家を出て女遊びやギャンブルに明け暮れることも多く、ノアの母ルービーは怒ったり祈ったり心労に耐えなかった。だがノアが生まれてからは農場に落ち着いて暮らすようになった。
    ヴァージルの語りも独特なものだ。公園のイベントで飛行機に乗ったことを「俺は天国に行ってきたんだぜ、すごくきれいで、なぁんにもなかったね。存分に見てきたぜ」と楽しみ、ノアの祖父母の死を「戦争で死ぬ男たちはほぼ一方の側に限られる用になっていて、そうしたほぼ一方側の男の事情の結果としてほぼ一方の女子供だけがさまざまな原因で死ぬようになっていた。要するにそのころ死ぬのはもっぱらインディアンばかりだったんだ。それにもかかわらず、反対の側つまり我々の川の男が一人死んだ。やがて、やはり反対側の女が一人死んだ」などという。

    だがヴァージルは老年になってからはほとんど口を利かなくなっていた。どうやらノアとの確執があったらしい。
    年老いたノアは屋根裏部屋に積まれる物たちを見回す。一族の遺したもの、壁に留められているオーパルからの手紙と、オーパルには届かなかったノアからの返事。

    ノアとオーパルと出会ってすぐに結婚を望んだ。しかしノアにもオーパルにも精神疾患があることから、正式な結婚は双方の家族にお預けになっていた。
    農園で暮らし始めた二人だが、平安は束の間だった。
    オーパルの発作により、オーパル自身とノアの命が危険に晒される。
    ヴァージルの判断により、オーパルを彼女の親族の近くの精神病院に入れ、ノアとは面会謝絶にされる。オーパルは精神病院では、電気や氷風呂によるショック療法を繰り返されていたようだ。
    心を痛めるノアは、病院から出す努力を繰り返すが叶えられない。
    何年も経ち、病症が緩和されたオーパルは療養所に転院となる。所内で知り合った人々に「インディアナの農場にいる夫のノア」のことを話す。そしてその人々は次々にノアを尋ねてくるようになった。
    最後に来たのがマックスだったのだ。
    オーパルは、精神病院でノアの息子のマックスを産んでいたのだ。

    ヴァージルも、ルービーも、オーパルも今では農園の隅の墓にいる。
    オーパルとは生きて会うことはできなかった。ずっと会いたいと願い、ずっと「自分の妻だ」と言い続けていた。
    ノアはマックスと静かに暮らしている。
    ノアは一族の最後の人間だ。ノアが見るものは土地の記憶のようだ。かつてあったもの、かつていた人たち。今残っているのは思い出ばかり。しかし土地は覚えている。ノアは覚えている。たまに微笑むこともある。

    ===
    始終漂う寂しさ、哀切さ。
    状況ははっきりと書かれないので、私は「これはノアの一族が消えるときに一族の土地の記憶が走馬灯のように流れているのだろう。土地が思考主なら人間である読者にはっきり説明しなくても仕方あるまい」と思って読んでいたので、後半になってオーパルとのこととか書かれると「なんだ、説明できたんかーーい!」とむしろびっくりした 笑
    それでもはっきりと明かされないままのことも多いのでやっぱりこれは土地の記憶なんだろう。だからこそきっとノアが死んでもこの語りは終わらず、土地は記憶の中にノアも加えるのだろう。

    そういえば冒頭で「日本産の水中花」が出てくるのですが、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』一巻のマドレーヌを紅茶に浸す場面でも「その匂いを嗅いだ途端に、日本産の水中花が花開くように記憶が蘇った」と記載しているんですよね。『失われた時を求めて』では鮮やかに開いた記憶のたとえだが、『インディアナ・インディアナ』では水中花は開かない。記憶は漂い続ける。
    日本産の水中花って日本の代表的工芸品扱いだったのか?ジャポニズムが流行っていた時代?

    =読書会メモ=
    ・北米文学は死者が近くにいる
    ・テーマは弱さと時間
    ・登場人物たちは突飛な行動をしているのに、あんがいまとも。全ての人間が普通に会話が成り立っている
    ・人は、心を救うものとして神話を必要とする
    ・ノアの回想が中心だが、ノアの言葉ではない。ノアの一人称でもない。むしろノアの一人称だったら何を語ったのか
    ・癲癇、統合失調症
    ・美しい言葉で語られるが案外に過酷。フォレスト・ガンプっぽい。

  • 成層圏まで澄み切った夜、短波ラジオのダイヤルを少しづつ回して周波数を合わせていくと、遠い遠い異国からのメッセージを受け取れるという。

    心静かに本書に向き合うと、ノアの寂しげで優しいヴォイスがページの向こうから微かに聴こえだす。
    まだ夜明けには遠く、外は暗い中で語り始められた物語は切れ切れで、最初は上手く掴めない。それでも朝の光に照らされて全てが語り終えられた時、ノアという男の人生が、星を結んで星座が象られるかかのごとく浮かび上がってくる。それは長い離別の中でも求め合った、二つの無垢な魂が残した美しい軌跡。そして失われてしまったものへの癒すことができない痛切な哀惜。

    古い顔を二つ大切に並べ終えて、ノアは鋸を手に椅子に座っている。このまま彼は小屋を出て、畑の先へ行くのだろうか。
    ノアの深い喪失の想いを受け取って、本書を閉じる。


  • 長い一文の魅力は魔法みたいで繰り返される言葉はゆっくり私の閾値を掴んでは放った。白い雲へ昇る迷子みたいな孤独の余白。見えない手探りなものもいつか霧が薄れる。不思議な実力の著者。純粋な心の綺麗な手紙が切ない。

    難解だった。優しく温かく表現されているけれど、精神面を慮ろうとすると頭がブリーズして受け容れるのにゆっくり考えなければ理解できない部分があった。何度も読み返し文章を味わうことをしながら時間をかけて読み終えた。

    読めてよかった。この世界観を知ることができてよかった。

  • 時計の振り子がゆっくりと左右に大きく振れて、向こう側がうっすら透ける扇形の白い幕を広げては閉じてゆく。そこへ描き出されるのは水底に沈んでいた記憶の断片で、明確で鮮明な輪郭をもった水彩画の趣がある。ときおり血が迸る。炎が吹き上がる。憤怒と悲嘆が垣間見える。失われた物と喪われた人の面影ばかりがひるがえってひらめく。けれども、その一幅一幅がどうしようもなく美しくて私の目には涙が滲んでしまう。
    いとしいノア。いとしいオーパル。
    二人が交わした色褪せない言葉の花びらが瞼の裏で止まない雨のように降りしきっている。

    私はこれまで起きた出来事をできるだけたくさん覚えていたい。それが繋がるのが明日なのか一カ月後なのか十年後なのかわからない。そのいつかのために覚えていたい。

  • 訳者の柴田さんが絶賛したという1冊。柴田さんの翻訳のおかげで読みやすくはあるけど内容は難しい。

  • 物語の背景や人間関係が分からずに話は進んでいくのに、ノアの喪失感だけはハッキリと最初の1ページ目から伝わってきた。静かで流れるような文章がとても気に入って、図書館で借りたのに自分でも本を購入してしまった。とてもとても美しい愛の物語。

  • なかなかの問題作でした。お話の肝を掴めないというかなぁ。優しい文章が永延とつづくんだけど何が起きているのかわからないという。たぶんこの文章世界が主人公ノアさんを象徴しているからなのかもしれない。ノアさん精神を病んじゃってるんですよ。

    そうなんですよ、このノアさんったら村上春樹『海辺のカフカ』のナカタさんなんですよ、たぶん。指がなかったり、新鮮な野菜を味わったり、人に見えないものが見えてしまったり。さらには納屋まで焼くという念の入れよう。

    さすがに「おおい!」とツッコミ入れたくなったんですが、春樹さんと対談してましたレアードさん。これは「どこまで村上春樹を書けるか」チャレンジなんですね。そしてそれはかなり高いレベルで成功しています。だってその肝ったら『ノルウェイの森』のワタナベくんと直子さんの物語の焼き直しだから。ゆえにこれは(も)100パーセント恋愛小説です。

  • 空に漂っているノアの記憶が書かれたメモを一つ一つ捲っていくように、読者の私達も美しくも物哀しい散文の中で漂う。朧げに見えていたノアと周りの人達が後半で急速に明確になっていく。
    一体に誰に何が出来たのだろう。ノアにもヴァージルにも。ノアの願いは、マックスと一緒に作った面で、細やかではあるが叶えられたことだろう。

  • 非常に通好みの小説、という感じでした。
    「優しい鬼」がものすごく良かった、ということと、柴田さん訳で安心、というのがなければ、たぶん途中で投げ出していたかも。読む順番が書いた順番と逆で良かった。

    このレアード・ハントという作家は、作品の設定(人間関係とか時代とかバックグラウンドとか)を意図的に小出しにして、細部をパズルのように見せていきながら、ゆっくりゆっくり全体像を浮かび上がらせていく作家なんだなぁ、というのがこの2冊で分かるのだけど、でも、この「インディアナ、インディアナ」は、さすがに出し渋りすぎだろー!と思った。
    7章あるんだけど、6章目か7章目までいかないと、事実関係がほんの一部しか分からない。「優しい鬼」もたいがい事実関係が分からないまま引っ張られたと思ったけど、こっちに比べればめちゃくちゃ親切だったと、今は思う。

    そして、その最後の方がとてもいいの。
    頑張って読んだかいがあったと思う。今まで読んできたパズルがゆっくり像をなしていって、ゆらゆら揺れていた影絵たちの意味が分かる感じ。
    一方で、ノアの悲しみの理由が分かることで、それまでの困惑が一気に悲しみに変わって押し寄せてきちゃうんだけど。

    ノアとオーパルの二人の出会いの場面を読んでいると、特殊な能力だとか、頭がいいとかよくないとか、そういうものって、幸せなひとときとはなんの関係もないんだなぁ、と思う。

    あとがきを読んで、著者の経歴を見てちょっと驚いた。
    インディアナに思い入れがあるみたいだから、そこで生まれて、人生のほとんどをそこで過ごした人なのかと思ったら、全くその反対だった。シンガポールで生まれて、ソルボンヌ出て国連報道官? ええ? と単純にビックリした。

    読んでいる間はかなり困惑させられるんだけれど、でも、ちょっと癖になる作家かもしれない。

  • 心を少し病んだ男が思い起こし、錯綜する過去と今。
    ひどく不穏な感情に満たされているけれど、そこに私たちは美しさも感じる。

    廃墟の美のような。

  • まだ新しいのに絶版なんですね
    『優しい鬼』がとても好きだったから、探してみたらすでに絶版で中古でなんとか手に入りました。

  • たしかに読んだのだが、ほとんど忘れてしまった。柴田元幸氏のあとがきが秀逸。

  • ①文体★★★★★
    ②読後余韻★★★★★

  • レアード・ハントがプロットよりヴォイスの作家であること、本書は「情で読める」が実験的な手法を使うことを改めて実感する。ネバーホームで女性兵士だったヴォイスが、ここでは”普通”ではない精神のカップルとなり、じんわりと愛と喪失のドラマが浮かび上がってくる。

  • 断片的な物語の重なりから、ノアたちに起こったことや、マックスが何者なのかがはっきりしてくると、何度もページを戻って読み返したくなり、交わされた会話や、淡い記憶のエピソードにもう一度ジンときた。

  • 主人公のノアの記憶の中をゆっくりと行ったり来たりしながら、人物の関係性や過去が次第に明かされていく。
    問題を抱えた人間の純粋さや生きにくさが哀しいが、この物語は、とても美しい。

  • 切れぎれの回想、現在のノアの心理、ノアの父ヴァージルや母ルービーをめぐる一連の奇妙な逸話等々…。年老いて病んだ男の人生の喪失感とユーモアが美しい、人気翻訳家が惚れ込み、ポール・オースターも絶賛の本邦初翻訳小説。

    友人に勧められた作家/訳者だが、勧められた作品が図書館になかったので、同じ作家/訳者の違う作品を読んでみた。残念ながら何の魅力も感じず、久しぶりに途中で断念。
    (E)

  • -思い入れの深い訳書を挙げて下さい
    たくさんありますが、レアード・ハントの『インディアナ、インディアナ』を挙げます。僕が翻訳した中でも、とても美しく、悲しく、素晴らしい本です。そして、一番売れなかった本のひとつです。

  • どこを切ってもきれい。あとがきで、柴田さんが数年前、これだと思ったアメリカ作家3人にケリー・リンク、ポール・ラファージ、レアード・ハントを挙げているけれど、そのなかでも情感を揺さぶる鼓動をいちばん強く感じた。モノクロの風景の中に、ぽつんと取り残されたような寂寥感。透明度の高い文章に、ゆったりと浸る感覚。ちょっと不思議な手触り。もちろん、いい意味で。

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