- Amazon.co.jp ・本 (345ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022501974
感想・レビュー・書評
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2019/10/20
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■□■はじめに・・・■□■
ちょうどこの本を読んでいたころ、作者の坂東眞砂子さんが死去したのを知りました。
坂東さんの地元密着型の伝奇ホラーが面白く、新刊を楽しみにしていました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
さて、『天唄歌い』の内容です。
倭国寛永のころ、財政難に苦しむ薩摩藩はその解決策を求めて琉球へ使者をだしました。薩摩藩士と通訳の主人公亥次郎です。彼らが乗った栄寿丸は、嵐に巻き込まれて難破。亥次郎をはじめ、その舟の乗客5人の男は、小さな島へ流れ着きます。その島は村長と天からの声を皆に使える唄歌いが支配していました。漂流者は島人にとっては、「あの世から流れ着いた犬」でした。その犬は倭人ばかりでなく、南蛮人や唐人、韓国人もいました。倭国ではキリシタンや南蛮人は毛嫌いされているのに、この島ではお互いが同じ「犬」の境遇です。亥次郎は通訳だったので唐語も南蛮語もでき、それがお互いの情報交換に役だちました。先輩の漂流者からの情報をもとに、亥次郎も徐々にこの島における自分たちの境遇を知って行ったのです。漂流者たちは、島で生活することは許されると、残り物の食べ物などを恵んでもらい、島人の生活さえ干渉しなければ、自由にのんびりと過ごすことができました。のんびりとした毎日のなか、島人とは言葉が通じないので、亥次郎は少しずつ島人の言葉を学んでいきました。ある日、亥次郎の仲間の薩摩人2人が漂流した帆船を修理をして島を脱出します。そして作物が豊富な島を占領しようと、薩摩の船隊5せきが島へやってくることに・・・。
漂流者を助け島での生活を許す平和主義の島人。こんな島が本当にあるのかと思いながら読んで行くと、やがてこの物語が亥次郎の「漂流記」であったことが明らかになります。
現代になり、亥次郎の末裔・「ぼく」は、鹿児島県の実家で亥次郎が書いた「霊島漂流記」を見つけました。興味を持った「ぼく」は、亥次郎の漂流した「霊島」を探し始め、ついに南海の「多魔島」を探り当てます。そこが本当に実在する亥次郎が流れ着いた島なのでしょうか。訪れた「ぼく」は遠い遠い昔の出来事の余韻が島に残っているのを確信しました。
巫女の存在で成り立つ南の孤島。そこで智恵を絞って生きていく漂流者たち。
宗教の違いや民族の違いも、漂流してしまえば皆同じ境遇です。言葉が通じないと確かに動物が吠えているように聞こえるのだなあと
なんだかおかしく、思いました。冒険にあこがれた頃を思い出させる、一味ちがった坂東作品でした。 -
これも孤島ものというのだろうが。この著者独特の薄暗い蔵の奥のような雰囲気が根底にある。どろどろとした歴史と熱帯の幻想が混在する世界。
表向きの歴史は政治を牛耳る男たちの作りだしたもの。しかしその闘争と断絶の土台には、語られない女たちの歌が脈々と受け継がれ歌われている。
…いいな。木や草になった人たちは、どこへいってしまったのだろう。 -
さすが、坂東眞砂子さん。物語に引きずり込まれました。画像が浮かぶんです。映画みたいに。
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薩摩藩の命で琉球統制に向かった亥次郎らは、船が遭難して奇妙な楽園(=南の島)に流れ着く。
楽園の民は奇妙な言葉を話し、流れ着いたよそ者を「犬」と扱う。戸惑いながら亥次郎が島での暮らしに慣れたころ平和な島に悪霊(=薩摩藩)がやってくる。
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消滅してしまう楽園(もしかしたら存続している?)や、楽園から取り残された賢正、賢正が残したルエダの墓標…面白くて一気に読み終えたあと鈴木光二「楽園」を思い出した。もちろん全然違う話だけど。
坂東作品(中〜長編)は、主人公がラスト「取り残される」パターンが多いのね。木原敏江漫画のようです。だから好き。