いじめはなぜ防げないのか 「葬式ごっこ」から二十一年

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  • 朝日新聞社
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レビュー : 9
  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022502674

感想・レビュー・書評

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  • <閲覧スタッフより>
    「東京/中野区・鹿川君事件」で知られる「葬式ごっこ」を起点に、事件当事者たちへの20年後のインタビューと取材、考察を展開。いじめはなぜ起こるのか、それを防ぐ方法はないのか。20年という時を経てもなお無くなるどころか変質を遂げる「いじめ」を追求する。
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    所在番号:371.42||トミ
    資料番号:10183315
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  • 今年3月に中学1年生の女の子がいじめを苦に自殺したが、学校側の対応に問題アリと報道されていた。遺族と学校に深い溝が生じていて、それは学校側の誠意ない対応が原因と・・・何十年経っても変わらないのだなぁ。。。
    そして、自分の子供を公立中学に通わせるか否か、考えちゃうな・・・と思った。

  •  表紙の絵が最初、何かなと思っていたが、これが葬式ごっこだったと読んでいて分かった。いじめられた子を死んだと仮定して、色紙にメッセージを募っていく。ここには教師のもある。この直後、いじめられた子は死を選ぶが、こういうことが日常茶飯事で行われること自体、常軌を逸している。なぜいじめはなくならないのだろうか。
     本書の中では、学校と教育委員会の「いじめ隠し」の実状や裁判に至ったケースなども欠かれているが、やはりメインは、当時のクラスメイトの証言である。8年後、今事件を振り返って、どう思うかということを数人に話を聞いている。
     一人一人思うことがあるが、中でも岡山くんの証言が際立っている。この事件のあと、自分のしたことに悩み、後悔し、現実から逃げていたいう。「自分が弱い人間であることを知られるのが死ぬほどいやだった」というのは思春期特有の感情だろう。そして、20歳ころになって、自分のしたことをそのまま認め、余計なことで自分を弁解するよりも、自分が感じ、苦しんだことを少しでも、いじめをなくす方向に役立てたいと思うようになったと。苦しみ、悩み、自分を追いつめ、そしてようやく乗り越えたことによって、やっと自分がこれからの人生をどう生きていくかを見つけたという。そして、怖いものは何もない。自分が弱い人間であることを隠す必要がなくなったからだと。
     自殺を前に、いじめを行った側にも何らかの衝撃が残る。後悔、反省、自責、仮定、あるいは無関心。いじめはあってはならないが
    閉鎖された空間での異常な雰囲気に誰もが逃げられないというのが彼らの証言から感じた。事件が昭和60年のことだが、そこから20数年経っても、同じようないじめが巧妙に形を変え、各地で行われている。マスコミの二項対立の過熱報道によって日々偏った報道され、「いじめられた子の無念さ、気づかなかった学校が悪」という構図が支持される。そしてまた同じことが繰り返されていく。何の解決にもなっていない。いじめについて、その在り方、考えて自体を考え直すことが求められているのではないかと思った。
     
     
     

  • 読んでてシンドかった。
    本当に中学校って、生き残りをかけた過酷な場所。
    自分も経験してきてるし、「たまたま」「運よく」生き伸びただけって思ってる。
    これから我が子が、その年頃になるのかと思うと気が気じゃない。
    絶対に大丈夫な人なんていない。
    何がきっかけで被害者に、もしくは加害者になるか解らない。
    ただもう、祈るばかり。

  • そばにいたのに、何もできなかった
    無力な自分を思い出す

  • 「葬式ごっこ」として知られる「鹿川くん事件」から20年。再びいま全国を「いじめの波」が襲っている。当時いじめていた側の子供もいまは「いじめ」に直面している子たちの親となっている。本書は「現代的ないじめ」の原点ともなっている「葬式ごっこ」を起点に、綿密な取材と考察、当事者への20年後のインタビューなどを収録、いじめはなぜ起こるのか、それを防ぐ方法はないのかを徹底的に追求する。

  • 実際に有った事件をもとに書かれています。

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