犬身

著者 :
  • 朝日新聞社
3.56
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本棚登録 : 496
レビュー : 98
  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022503350

作品紹介・あらすじ

あの人の犬になりたい。そして、人間では辿り着くことのできない心の深みに飛び込んで行きたい-『親指Pの修業時代』から14年。今、新たに切り開かれる魂とセクシュアリティ。

感想・レビュー・書評

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  • 自分の魂の半分は犬だと思っている女性が、心惹かれる女性の犬になりたいと願う話です。至極シンプルながら非常に変態な話なので万人に勧められる本ではないです。
    犬になりたい。考えた事は無いですがなるなら猫がいいかなあ。犬好きだけどもしなったら結構不自由な気がします。
    この主人公は好きな人といる為という訳ではなく、そもそも自分が人間でいる事に向いていないと感じています。犬、という存在に親愛以上の憧れを抱きます。
    変身願望というのは色々あるので、どこかに彼女のように本当に犬になって飼って欲しいと思っている人もいるんでしょうねきっと。
    ほのぼのではなく黒い話だし気持ち悪いんですが、犬は可愛いので読み切っちゃったなあ。読後感は悪くないです。

  • 設定が面白くて、どんどん読み進めてしまった。ただ奇をてらっただけではなく、愛の形に可能性を探るため、実験的にあつらえたシチュエーションのようだった。
     発表当初は評価が分かれたそうだが、「主人公の房恵(ふさえ)に感情移入しづらい」という意見があったのではないだろうか。作中には他に朱尾(あけお)という、狂言回し的な役割のキャラクターが居る。彼もまた理解し難い趣味を持っており、人間味に欠ける…というか、人間なのかどうかすらあやふやである。しかし、天から巨大な手を伸ばすように房恵の状況を変えてしまう力や、そうしたときの愉快犯っぽい仕草は、筆者が姿を借りて物語の中に現れたかのようで、わたしはときどき彼の目線から一緒に他の登場人物達を観察している気分になった。

    そんな朱尾が”狼”というペルソナを持っていることは、意味ありげで興味深い。第2章からは、彼の主人公に対する態度が豹変する。急に見下し始めたわりには、「わたしは房恵さんの下僕ですね」なんて言ってた頃より、さらに甲斐甲斐しく世話を焼くようになる。浮世離れしたところは相変わらずなのだが、柄にもなく親身になっているようなのが、なんとも滑稽で、微笑ましく、主人公を応援する身としては心強くも思えた。房恵の魂を手に入れたも同然ということで、所有物への責任感が芽生えたのだろうか。それとも、狼だから、犬になった彼女へ、同属としての情を抱いているのか。

    この作品では、犬と人間の関係が、人間同士の関係との対比で語られている。言葉を解する人間と比べ、犬とは一見分かり合うことが難しいように思えるが、その実、偏見や都合の良い曲解で分かったつもりになることが無いぶん、直に向き合えるとも考えられる。

     わたしにこの作品を薦めてくれた友人は、性同一性障害(あるいは房恵が自称する”種同一性障害”)について、「自分が何者なのかというよりむしろ誰にどう愛されたいかという、願望に依るところもあるのかも」と言っていた。自分の種や性別に不満は無くても、他人が持つ自分への印象と、自分が認識する自己との間にギャップを感じた経験を持つ方は、沢山居らっしゃるのではないだろうか。嫌われたときはもちろん、好きになってもらえたときでも、勘違いされていたら素直には喜べない。

     房恵は犬を無条件で愛している。犬に仲間として認められたいと願っている。その気持ちは、梓(あずさ)という、同じように犬を愛する人物との出会いで、彼女から犬として愛されたい、という気持ちにシフトしていく。要するに、あまりにも一途に犬を愛しているので、愛される犬が羨ましくなってきたのではないか。

     犬の体を手に入れた房恵は、飼い主となった梓に、偶然にも”フサ”と名付けられ、理想の愛され方を享受する。しかし、人間のままでは決して立ち入らなかったであろう私的な生活の中で、梓が、一番身近な人間からの無理解に苦しんでいたことを知る。梓が受けた暴力は勝手な解釈で正当化され、保護者たるべき存在は加害者の言葉を妄信する。弱り果てる梓を目にし、フサも心を痛める。

     このような事態が予測されていなかったわけではない。まだ人間のころ、房恵は、彼女を犬に変身させようとする朱尾にこう尋ねている。

    「梓さんは男運ないみたいだし友達も少ないっていうし、実は幸薄い人かも知れないでしょ。(中略)梓さんのケアをしてくれる?」

    朱尾の答えはこうだ。

    「それはわたしではなく、あなたの役割でしょう。可愛い犬にしかできないことを徹底的に実践してください」

     後に房恵がしたのは、まさにこの通りだった。愛らしさを振りまき、自らも(性別などとは無関係の)無償の愛で応える。人間だったころ、房恵自身が犬にされて嬉しかったことである。

     物語はハッピーエンドを迎える。だが問題が解決したとは言い難い。犬になれない我々が対人で傷ついたら、逃げ出すか殺すかしか無いのか。房恵が人付き合いの素晴らしさに目覚めるシーンは皆無である。「やっぱりわたし、人として人と向かい合ってみる!」などと言いながら人間に戻ったりはしない。逃れがたい人間関係に悩む人は、読んで絶望を感じるかもしれなくて、そんなところも評価が分かれる原因になっているのかもしれない。

  • 犬好きをこえて自分が犬なのではないかという疑問をもちいき続けてきた女性が不思議な人物の力で犬になる話。犬になったからといって犬の世界の話ではなく犬になった人間の目線から一人の人物を深く知ることとなる話。

    序盤の人間の姿の印象が全くない。これは作者の意図した部分なのだろうか。人間の頃の外観についての描写が極端に少なかった気がする。

    犬にならなければ知らなくてよかったことばかりで、もう人間ではないからどうする事もできない歯痒さが読んでいても伝わる。

    どうしようもないだろう?とある人物は他人事のように言うが本当にそうなのだろうか。

    生々しい性描写を受け付けない人もいるだろう。特に女性はきついと思う。ただ途中まで読んで読むのをやめてしまわないでほしい。

    知ったきかっかけはラジオアバンティ。
    二日間の休みで一気に読んだ。

  • 犬になりたいと願った八束房恵は天狼のマスター、朱尾と犬になる変わりに死んだら魂をゆずるという契約をかわし本当に犬になってしまう。

    これだけだとファンタジーなのですが梓の家庭のドロドロ近親姦……
    気分が自然と沈んできます…

    最後は魂をあげるなんて取引は悪魔との契約じゃないか絶対ろくなことにならん…と思って読んでいたらちょっと光が差した終わり方でよかったです

  • セミ状態(寡作)の松浦先生・・・
    松浦先生にしては、けっこうソフトなので、
    初心者にも読みやすいかと。

  • 主人公の犬になりたい、気持ちに最初は、共感出来ず、そんな事ある???って、感じで、なかなか馴染めなかったです。
    でも、読んでいるうちに、自然に引き込まれ、フサの気持ちになり、犬になった、幸せと、気持ちを思うように伝えられない、悲しみを、感じ、スムーズに入ってきだしました。

    ただ、彬と梓の関係性があまりにも、悲惨で、途中で気分が、悪くなりました。


    最後は、献身+犬身で、よく纏まっていて、多幸感に包まれました。
    今度は、フサと、梓が、本当に幸せになってくれたら、いいなあ^ ^
    そんな事を願いながら、本を閉じました。

    • kenken9さん
      献身+犬身
      ネタばれ?
      献身+犬身
      ネタばれ?
      2019/12/19
  • 犬になりたいという強い欲求を抱える人間・八束が、バー店主である朱尾という得体のしれない男を仲立ちに(魂とひきかえに)、あるとき、理想の飼い主・梓の飼い犬フサになることに、文字通り成功する。
    しかし内側から見た梓の私生活はとても健全なものとは言えず……

    主人公フサの欲望がそもそも倒錯しているために、多様な欲望の距離感が測れなくなる。たとえば梓の苦しむ近親相姦も、犬の眼から見れば相対化される。どんな欲望も元をたどれば形容しがたい一つの原初的な欲望にたどりつく、その一つの形にすぎないとさえ思われてくるから怖い。

    とはいえ、梓はそれに、苦しんでいる。であるからには、その苦しみを取り除いてあげたいと、フサは梓の守護神として寄り添い続ける。

  • 犬が特に好きでもなく、ましてや犬になりたいなんてこれっぽっちも思ったことない私ですが、何故か引き込まれ忘れられない一冊になった。
    主人公が犬になり、犬の生態に馴染んでいく様はまるで経験したかのように生々しい。生々しくも美しい。美しいのは一心にこうなりたい、こうでありたいと願う心なのか。

    この本を読んで以来、犬を見ると不思議な気持ちになる。

    あなたはもしや?

  • 好きな人の飼い犬になって可愛がられたいという欲望を持つ女性が、その願望を叶える小説。
    というと非常に変態的な話のようだが、その割にあまり厭らしい感じがなくさっぱりしたファンタジー娯楽小説。松浦理英子の小説は『親指Pの修業時代』[ https://booklog.jp/item/1/4309407927 ]以来だが、扱うテーマの割にどこかさっぱりして不潔感がないのは持ち味なのだろうか。
    ペットと飼い主という関係は、言われてみると不思議。側に置く理由は愛でしかないが、血縁でも性でもなく、常に側にいてしかも肉体的に愛撫しあう関係だ。
    しかし主人公の愛する梓は血縁と性において現在過酷な体験をしているため、いずれとも次元の異なる愛である犬との絆だけが救いとなっている。「けんしん」が「献身」に繋がるのもポイント。
    ちょうど少し前に読んだこの本[ https://booklog.jp/item/1/4309416217 ]にも通じるテーマ。ただし読後感は、本書の方が圧倒的に良い。

  • 犬身
    人物
    - フサ 元人間(房江) 両親は共になく、久喜と冴えない生活を送っていたが、かねてよりの希望により、犬となり、献身的に梓に仕える
    - 梓 陶芸家 ゆがんだ家庭の中で兄からの性的虐待を受けて育つ。最終的に兄を殺して刑務所送りとなる。
    - 彬 梓の兄。傲岸不遜なサイコパス。離婚歴あり。幼少時より、梓に性的な奉仕を強いる。
    - 母 兄にべったりで、夫との関係は薄い”女帝”。最終的に彬と梓の関係を知り、その後死去。
    - 朱尾 狼人間。フサエとの契約により、彼女を犬にする。腕のいいバーテンだがニヒリスト。

    ストーリー

    - かねてより、人間より犬になりたかったフサエは、朱尾献により犬となり、梓に飼われる身となる。しかし、玉石家はいびつな家庭環境であった。母や梓に基本的に無関心であり、兄にべったり。その兄は幼少時より、梓に性的な奉仕を強いていた。
    - 父親の失踪、玉石家の経営するホテルの改装、兄の台頭、母の梓への無関心or嫌悪、そしてブログで兄が梓のふりをして、性的虐待の様子を自分に都合のいいように書いたことにより、母がその事実を知り、最終的には梓が兄に手をかけることとなった。

    <抜粋>
    灰色っぽい毛をベースに黒毛がまばらに混じった独特の毛色で、しっぽを巻き上がっていなくて垂れていて、けっこう大きな犬だった。

    近くで見るといのは予想以上に大きく、背中の高さはフサエの腰くらいまであった。

    光の当たり具合で灰色の毛の所々が銀色にきらめいた。

    意外にも犬は撫でさせてくれず、口角をあげた柔和な表情のままフサエの先に立ち、一定の距離を保ちながら

    犬は急に気分が変わったのか、鼻すじに深い皺を寄せて低くて太い威嚇のうなり声をたてた。

    蜜月というものは多いうものか、とフサは思った。あずさは始終いとおしげに房を見ている。写真を撮るだけではなく、大きさを記録するためか画用紙に寝かせて輪郭の型をとったり、スケッチブックに写生したりするのは、仔犬の姿かたちを美術家ならではのやり方でより深く味わっているのだろう。

    人間だったころは「自分に自信を持つ」とか「自分を好きになる」といったよく耳にする言い回しの意味はほとんどわからなかったのだけれど、犬になった今まさに自分が好きで自信に満ちた状態なので、跳ねのけられるんじゃないかなどという心配を一切せずに、まっすぐにあずさに向かっていき、前足をあずさの体にかけることができる。あずさが房の毛をまさぐれば、完全に受け身になってあずさの愛撫に浸りたくて、腹を上に向け、ひっくり返り「もっと」と促すのだが、そういう振る舞いもあずさに愛されていると信じられないなら不可能だった。

    好きで信頼している相手に面倒見てもらうことがこんなに気持ちの良くなるものだなんて、と房は驚いていた。人間だったころには想像もしたことがなかったけれど、ご飯を出してもらったり危ないまねをしないように見守ってもらうことな気持ちよさは、心の喜びばかりではなくて、撫でられたり 抱かれたりすることの感覚的な気持ちよさとそう遠くない。相手にすべてを任せて愛情をうけるという意味では二つのことは重なるし、事実、世話をしてもらうと直接ふれられてはいないのに、胸のときめきが体中に広がって見えない手で撫で廻されているような心地になる。

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著者プロフィール

1958年愛媛県生まれ。「葬儀の日」で文學界新人賞、「親指Pの修業時代」で女流文学賞、「犬身」で読売文学賞を受賞。「最愛の子ども」で泉鏡花文学賞受賞。

「2019年 『文学2019』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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