犬身

著者 :
  • 朝日新聞社
3.54
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本棚登録 : 420
レビュー : 91
  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022503350

感想・レビュー・書評

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  • 設定が面白くて、どんどん読み進めてしまった。ただ奇をてらっただけではなく、愛の形に可能性を探るため、実験的にあつらえたシチュエーションのようだった。
     発表当初は評価が分かれたそうだが、「主人公の房恵(ふさえ)に感情移入しづらい」という意見があったのではないだろうか。作中には他に朱尾(あけお)という、狂言回し的な役割のキャラクターが居る。彼もまた理解し難い趣味を持っており、人間味に欠ける…というか、人間なのかどうかすらあやふやである。しかし、天から巨大な手を伸ばすように房恵の状況を変えてしまう力や、そうしたときの愉快犯っぽい仕草は、筆者が姿を借りて物語の中に現れたかのようで、わたしはときどき彼の目線から一緒に他の登場人物達を観察している気分になった。

    そんな朱尾が”狼”というペルソナを持っていることは、意味ありげで興味深い。第2章からは、彼の主人公に対する態度が豹変する。急に見下し始めたわりには、「わたしは房恵さんの下僕ですね」なんて言ってた頃より、さらに甲斐甲斐しく世話を焼くようになる。浮世離れしたところは相変わらずなのだが、柄にもなく親身になっているようなのが、なんとも滑稽で、微笑ましく、主人公を応援する身としては心強くも思えた。房恵の魂を手に入れたも同然ということで、所有物への責任感が芽生えたのだろうか。それとも、狼だから、犬になった彼女へ、同属としての情を抱いているのか。

    この作品では、犬と人間の関係が、人間同士の関係との対比で語られている。言葉を解する人間と比べ、犬とは一見分かり合うことが難しいように思えるが、その実、偏見や都合の良い曲解で分かったつもりになることが無いぶん、直に向き合えるとも考えられる。

     わたしにこの作品を薦めてくれた友人は、性同一性障害(あるいは房恵が自称する”種同一性障害”)について、「自分が何者なのかというよりむしろ誰にどう愛されたいかという、願望に依るところもあるのかも」と言っていた。自分の種や性別に不満は無くても、他人が持つ自分への印象と、自分が認識する自己との間にギャップを感じた経験を持つ方は、沢山居らっしゃるのではないだろうか。嫌われたときはもちろん、好きになってもらえたときでも、勘違いされていたら素直には喜べない。

     房恵は犬を無条件で愛している。犬に仲間として認められたいと願っている。その気持ちは、梓(あずさ)という、同じように犬を愛する人物との出会いで、彼女から犬として愛されたい、という気持ちにシフトしていく。要するに、あまりにも一途に犬を愛しているので、愛される犬が羨ましくなってきたのではないか。

     犬の体を手に入れた房恵は、飼い主となった梓に、偶然にも”フサ”と名付けられ、理想の愛され方を享受する。しかし、人間のままでは決して立ち入らなかったであろう私的な生活の中で、梓が、一番身近な人間からの無理解に苦しんでいたことを知る。梓が受けた暴力は勝手な解釈で正当化され、保護者たるべき存在は加害者の言葉を妄信する。弱り果てる梓を目にし、フサも心を痛める。

     このような事態が予測されていなかったわけではない。まだ人間のころ、房恵は、彼女を犬に変身させようとする朱尾にこう尋ねている。

    「梓さんは男運ないみたいだし友達も少ないっていうし、実は幸薄い人かも知れないでしょ。(中略)梓さんのケアをしてくれる?」

    朱尾の答えはこうだ。

    「それはわたしではなく、あなたの役割でしょう。可愛い犬にしかできないことを徹底的に実践してください」

     後に房恵がしたのは、まさにこの通りだった。愛らしさを振りまき、自らも(性別などとは無関係の)無償の愛で応える。人間だったころ、房恵自身が犬にされて嬉しかったことである。

     物語はハッピーエンドを迎える。だが問題が解決したとは言い難い。犬になれない我々が対人で傷ついたら、逃げ出すか殺すかしか無いのか。房恵が人付き合いの素晴らしさに目覚めるシーンは皆無である。「やっぱりわたし、人として人と向かい合ってみる!」などと言いながら人間に戻ったりはしない。逃れがたい人間関係に悩む人は、読んで絶望を感じるかもしれなくて、そんなところも評価が分かれる原因になっているのかもしれない。

  • 犬になりたいと願った八束房恵は天狼のマスター、朱尾と犬になる変わりに死んだら魂をゆずるという契約をかわし本当に犬になってしまう。

    これだけだとファンタジーなのですが梓の家庭のドロドロ近親姦……
    気分が自然と沈んできます…

    最後は魂をあげるなんて取引は悪魔との契約じゃないか絶対ろくなことにならん…と思って読んでいたらちょっと光が差した終わり方でよかったです

  • セミ状態(寡作)の松浦先生・・・
    松浦先生にしては、けっこうソフトなので、
    初心者にも読みやすいかと。

  • 犬好きだと自分が犬になってしまいたいとまで思えるようになるのだろうか? あたしは犬嫌いだからそこのところの気持ちはわからない。
    自分の好きな人に飼われてみたい、人と人とのつながりではなく人と犬という主従関係に安定、安心感を見出すのだろうか。
    いくら好きな人とはいえ、飼い主とその犬ってね〜、ちょっと考えられない。ただひたすら甘えるってことなのか? 人には吐露できないことを聞くことができるという満足感!?
    いやいや、あたしは対等でありたいな。

  • 犬は良いものだ。哺乳類はだいたい好ましく思い、ヒト以外なら寄っていってさわる(ヒトにもたまにさわる)が、犬は別格だ。そこいらの犬を撫でるたびに思う。犬は素晴らしい。好きだ。犬のほうもたいてい私を好いてくれる。相思相愛である。

    言語は不自由だ。言語は面倒だ。言語は不確かだ。寄っていってさわれば済むことを延々と遠回りして伝えなければならない。もちろん私は言語に救われ、守られている。寄られたくない、さわられたくない相手のほうがずっと多い。けれども、愛においてほんとうに言語は無力である。

    だからといって、愛の対象と接触に関する合意を形成すればめでたしめでたしかといえば、そんなことはない。愛と接触はすぐセックスに結びつけられてしまう。セックスは重要だけど、愛のほんの一部しかカバーしない。なんなら暴力にも簡単に接続する。接触イコールセックスみたいな人を見ると絶望する。まじかよと思う。人間には性欲と同時にも別々にも発動する「皮膚接触欲」があると信じている。

    それなら犬になってしまえ、というのが本書の内容である。主人公は言葉を捨て、人間の身体を捨て、犬として愛する人のもとへ行く。さんざっぱら言語は無力だと言ったあとでなんだが、すごい選択だ。だってさー、やっぱ、おはなしとかセックスとかしたいじゃん、好きな人と。

    主人公はそんなものより犬の身となって愛する人と暮らすことを選ぶ(犬になるという選択肢があるのはもちろん小説だからです)。いわく、性同一性障害ならぬ種同一性障害。作者の松浦理英子は長らく性・性器と愛の結びつきのステレオタイプに異を唱えてきたが、本作でとうとう種を超えた。

    犬となった主人公と飼い主となった愛する人とのあいだにはクリティカルな問題が起きない。問題は飼い主の原家族、すなわち兄と母にある。こいつらがほんとうにろくでもない連中で、読んでるあいだ中、キーッてなる。私なら十代のうちに相手を殺すか自分が家出する。でも主人公の飼い主はそうしない。人間が人間に暴力を振るわれ続けたときの選択肢は殺すか姿をくらますかしかないという考えに異を唱えるように。キーッてなる。

    ドロドロの家族関係はもちろん犬の愛について描くための装置だ。犬は無力だ。犬は言語を持たない。犬は財力や社会的地位を持たない。それらを用いて愛する人を助けることができない。助けることができないなら、愛しても無駄なのか。力がなければ愛に意味はないのか。その回答は、最終章で示される。

    犬は良いものだ。とても良いものである。

  • 犬が好きすぎて、自分は本当は犬なんだとか、犬だったら良かったのにとか思いつつ生きていて、遂には犬になって大好きな人間のもとで生きる女性の話。
    飼い主となる女性にもいろいろあるし(少し分かる部分があるのがまた…)、主人公を犬にした狼人間も謎だけど、なんとなく憎めなくて、可愛くて、好きな話。
    悲劇的な状況に陥るのに、ラスト幸せだし。

    全体的に、あまり相手の気持ちに踏み込まないというか、表面的な付き合いの人間ばかりだけど、あまりにも近すぎる関係がうっとうしく感じられる話が多いから、たまにはいいかと。

  •  犬をこよなく愛するに留まらず、「犬化願望」を持ち、自己を「種同一性障害」とまで真剣に考える女性主人公、八束房恵。同年代の女性、玉石梓の犬になりたいという衝動を持ち、「Bar 天狼」のマスター、朱尾献の不思議な力により房恵は雑種の白い子犬「フサ」に変身し、梓に飼われることになる。
     中島敦『山月記』然り、フランツ・カフカ『変身』然り、この類の変身譚は主人公の内面を象徴する生き物へとその姿を変貌させる。本作も例に漏れないが、先に挙げた二作とで明らかに異なる点がある。それは「主人公の変身願望の有無」である。本作の主人公、八束房恵は異常と表現されても無理がない程の犬への憧れ、むしろ人間であることへの違和感を抱いている。気が付けば否応なく変身していた李徴やグレーゴルとは違い、房恵には変身するか否かの選択権が与えられていた。自覚と覚悟を伴った異種への変身。房恵は忠誠と快楽に満ちた犬としての新しい生をフサとして生きる。
     本のタイトルや「あの人の犬になりたい」という帯などから、変態的要素の濃い小説であることを覚悟して本書を手に取った。しかし読んでみると、本書はどちらかというとファンタジー要素の方が強く、少し拍子抜けしてしまった。読みやすくアレルギー反応を起こす読者も少ないとは思うが、生々しさやエグさの奥にある特有の妖艶さ、美しさというものは感じられなかった。房恵を犬に変える朱尾という人物も、始めは不気味な印象を受けるが、ラストはパンチが足りない。読みやすさに偏った結末のような気がしてしまった。

  • フサが梓に対してする愛情表現、例えば犬はアイコンタクトが苦手だけど飼い主なら平気だとか、体を押し付けるだとかが、我が家の愛犬の行動と同じで、愛犬がこんな風に思っていてくれたのかと嬉しくなった。
    舞台は狗児市という架空の街だけど、なんとなく今住んでいるところと近い気がするし、実際に行ったことのある場所も出てきたりして親近感が湧いた。
    魂がどうのとかなんだかんだ言って、結局登場人物の中で朱尾が一番思いやりを持っている気がした。
    2015/1/20

  • 2014/8/18読了
    長かった…

  • 好レビューが多いので、自分の感想は公開しない。
    松浦らしい作品です。

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