犬身

  • 朝日新聞社 (2007年10月5日発売)
3.53
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Amazon.co.jp ・本 (512ページ) / ISBN・EAN: 9784022503350

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

主人公が犬になりたいという独特の願望を抱く物語は、最初は理解しがたいものの、次第にその心情に共感を覚えさせられます。犬としての幸せや、自分の気持ちを伝えられない悲しみが描かれ、読者は主人公の内面に深く...

感想・レビュー・書評

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  • 主人公の犬になりたい、気持ちに最初は、共感出来ず、そんな事ある???って、感じで、なかなか馴染めなかったです。
    でも、読んでいるうちに、自然に引き込まれ、フサの気持ちになり、犬になった、幸せと、気持ちを思うように伝えられない、悲しみを、感じ、スムーズに入ってきだしました。

    ただ、彬と梓の関係性があまりにも、悲惨で、途中で気分が、悪くなりました。


    最後は、献身+犬身で、よく纏まっていて、多幸感に包まれました。
    今度は、フサと、梓が、本当に幸せになってくれたら、いいなあ^ ^
    そんな事を願いながら、本を閉じました。

    • kenken9さん
      献身+犬身
      ネタばれ?
      献身+犬身
      ネタばれ?
      2019/12/19
  • 自分の魂の半分は犬だと思っている女性が、心惹かれる女性の犬になりたいと願う話です。至極シンプルながら非常に変態な話なので万人に勧められる本ではないです。
    犬になりたい。考えた事は無いですがなるなら猫がいいかなあ。犬好きだけどもしなったら結構不自由な気がします。
    この主人公は好きな人といる為という訳ではなく、そもそも自分が人間でいる事に向いていないと感じています。犬、という存在に親愛以上の憧れを抱きます。
    変身願望というのは色々あるので、どこかに彼女のように本当に犬になって飼って欲しいと思っている人もいるんでしょうねきっと。
    ほのぼのではなく黒い話だし気持ち悪いんですが、犬は可愛いので読み切っちゃったなあ。読後感は悪くないです。

  • 設定が面白くて、どんどん読み進めてしまった。ただ奇をてらっただけではなく、愛の形に可能性を探るため、実験的にあつらえたシチュエーションのようだった。
     発表当初は評価が分かれたそうだが、「主人公の房恵(ふさえ)に感情移入しづらい」という意見があったのではないだろうか。作中には他に朱尾(あけお)という、狂言回し的な役割のキャラクターが居る。彼もまた理解し難い趣味を持っており、人間味に欠ける…というか、人間なのかどうかすらあやふやである。しかし、天から巨大な手を伸ばすように房恵の状況を変えてしまう力や、そうしたときの愉快犯っぽい仕草は、筆者が姿を借りて物語の中に現れたかのようで、わたしはときどき彼の目線から一緒に他の登場人物達を観察している気分になった。

    そんな朱尾が”狼”というペルソナを持っていることは、意味ありげで興味深い。第2章からは、彼の主人公に対する態度が豹変する。急に見下し始めたわりには、「わたしは房恵さんの下僕ですね」なんて言ってた頃より、さらに甲斐甲斐しく世話を焼くようになる。浮世離れしたところは相変わらずなのだが、柄にもなく親身になっているようなのが、なんとも滑稽で、微笑ましく、主人公を応援する身としては心強くも思えた。房恵の魂を手に入れたも同然ということで、所有物への責任感が芽生えたのだろうか。それとも、狼だから、犬になった彼女へ、同属としての情を抱いているのか。

    この作品では、犬と人間の関係が、人間同士の関係との対比で語られている。言葉を解する人間と比べ、犬とは一見分かり合うことが難しいように思えるが、その実、偏見や都合の良い曲解で分かったつもりになることが無いぶん、直に向き合えるとも考えられる。

     わたしにこの作品を薦めてくれた友人は、性同一性障害(あるいは房恵が自称する”種同一性障害”)について、「自分が何者なのかというよりむしろ誰にどう愛されたいかという、願望に依るところもあるのかも」と言っていた。自分の種や性別に不満は無くても、他人が持つ自分への印象と、自分が認識する自己との間にギャップを感じた経験を持つ方は、沢山居らっしゃるのではないだろうか。嫌われたときはもちろん、好きになってもらえたときでも、勘違いされていたら素直には喜べない。

     房恵は犬を無条件で愛している。犬に仲間として認められたいと願っている。その気持ちは、梓(あずさ)という、同じように犬を愛する人物との出会いで、彼女から犬として愛されたい、という気持ちにシフトしていく。要するに、あまりにも一途に犬を愛しているので、愛される犬が羨ましくなってきたのではないか。

     犬の体を手に入れた房恵は、飼い主となった梓に、偶然にも”フサ”と名付けられ、理想の愛され方を享受する。しかし、人間のままでは決して立ち入らなかったであろう私的な生活の中で、梓が、一番身近な人間からの無理解に苦しんでいたことを知る。梓が受けた暴力は勝手な解釈で正当化され、保護者たるべき存在は加害者の言葉を妄信する。弱り果てる梓を目にし、フサも心を痛める。

     このような事態が予測されていなかったわけではない。まだ人間のころ、房恵は、彼女を犬に変身させようとする朱尾にこう尋ねている。

    「梓さんは男運ないみたいだし友達も少ないっていうし、実は幸薄い人かも知れないでしょ。(中略)梓さんのケアをしてくれる?」

    朱尾の答えはこうだ。

    「それはわたしではなく、あなたの役割でしょう。可愛い犬にしかできないことを徹底的に実践してください」

     後に房恵がしたのは、まさにこの通りだった。愛らしさを振りまき、自らも(性別などとは無関係の)無償の愛で応える。人間だったころ、房恵自身が犬にされて嬉しかったことである。

     物語はハッピーエンドを迎える。だが問題が解決したとは言い難い。犬になれない我々が対人で傷ついたら、逃げ出すか殺すかしか無いのか。房恵が人付き合いの素晴らしさに目覚めるシーンは皆無である。「やっぱりわたし、人として人と向かい合ってみる!」などと言いながら人間に戻ったりはしない。逃れがたい人間関係に悩む人は、読んで絶望を感じるかもしれなくて、そんなところも評価が分かれる原因になっているのかもしれない。

  • 献身しているのはフミなのか梓なのか、もっとほかの誰かなのか。
    犬になりたい願いの根本は人間で居ることの違和感である気もするし、犬に対する好意である気もするし、犬になって人間とは違う絶対的な安心感の中で可愛がられたいという欲望である気もするし、その全てであり、そのどれでもないようにも感じる。
    他人によって自分の立ち位置が揺れてしまうことは多いけど、自分が何者であるかは自分の中にだけあって誰にも左右される物ではないのかもしれない。
    朱尾さんの章によって性格がガンガン変わって本質が見えない感じが好きだった。

  • 思っていたお話とは違い、なかなかハードな内容でした。
    世の中にはこんな気持ち悪い奴も居るんだろうなぁ・・・。
    ハッピーエンド?で良かった良かった。

  • 犬好きをこえて自分が犬なのではないかという疑問をもちいき続けてきた女性が不思議な人物の力で犬になる話。犬になったからといって犬の世界の話ではなく犬になった人間の目線から一人の人物を深く知ることとなる話。

    序盤の人間の姿の印象が全くない。これは作者の意図した部分なのだろうか。人間の頃の外観についての描写が極端に少なかった気がする。

    犬にならなければ知らなくてよかったことばかりで、もう人間ではないからどうする事もできない歯痒さが読んでいても伝わる。

    どうしようもないだろう?とある人物は他人事のように言うが本当にそうなのだろうか。

    生々しい性描写を受け付けない人もいるだろう。特に女性はきついと思う。ただ途中まで読んで読むのをやめてしまわないでほしい。

    知ったきかっかけはラジオアバンティ。
    二日間の休みで一気に読んだ。

  • 犬になりたいと願った八束房恵は天狼のマスター、朱尾と犬になる変わりに死んだら魂をゆずるという契約をかわし本当に犬になってしまう。

    これだけだとファンタジーなのですが梓の家庭のドロドロ近親姦……
    気分が自然と沈んできます…

    最後は魂をあげるなんて取引は悪魔との契約じゃないか絶対ろくなことにならん…と思って読んでいたらちょっと光が差した終わり方でよかったです

  • セミ状態(寡作)の松浦先生・・・
    松浦先生にしては、けっこうソフトなので、
    初心者にも読みやすいかと。

  • 普段私はミステリー小説ばかり読む。起承転結がはっきり分かるからである。この手の本を読むのは久々であり、斜め読みをしつつ完読。最終的にはなかなか面白かった。
    犬だからこそ発見した事実があったものの、犬だから当該事実に介入できず、健気に犬としての務めを果たすしかない点に関して、主人公はもどかしく感じていた。私自身、犬になりたいという気持ちはさらさらなく、序盤で主人公が色々と犬になる魅力について語っていたがイマイチピンと来なかった。その理由のひとつは、犬が人間界に介入するには制約があるためである。主人のために動くのが忠犬であるが、犬はごく一部の言葉しか分からない。

    主人公はいざ犬になってから色んな壁に当たる。人間のままであっても、家族間のトラブルや事件を解決するなど難しい。
    人間(玉石梓)がそれほど暗いものを抱えていると主人公は知らなかった。久喜以外に深く関わった人間がいないからなのかもしれない。人間の誰しもが秘密を抱えて生きているが、どんなに親しくても知らない方が互いにとって良いことがある。玉石梓からすれば、第三者に秘密を知られたことは精神的苦痛となるであろう。
    主人公の脳みそは人間だが、身体は犬である。朱尾が人間の思考力を残したまま犬にしたため、主人公は普通の犬が背負うことのない苦悩を抱えることになる。
    朱尾はもう一度主人公に犬としての命を授けるのだが、契約は絶対厳守の人間界と朱尾の世界は違うのだろうか。朱尾の独断で捻じ曲げられるのだろうか。朱尾が結局何者なのか、魂を取られたあとは具体的にどうなるのか、肉しみとは何が意図されているのか、牡犬にしたのは主人公へ疑いをもっていたからなのか、ブログを書いていた人物は誰だったのか等、謎が残る。

    種同一性障害という言葉が作中に登場した。性同一性障害という馴染みのある言葉の種バージョンである。主人公の自認は犬だが、バカにされるので誰にも言わなくなった。
    私は××同一性障害ではないため、種同一性障害というものを理解し難かった。自分がこうであると思っているだけではダメなのだろうか。誰かに認証されなければダメなのだろうか。
    誰かと認識がズレるというのは、些細なものから大きなものまで、生きていれば必ずしも体験するものである。
    主人公は犬にならなくても、誰かを主人として認識し、人間のまま、その人へ忠誠心を持って生きていくこともできたはずである。しかし、人間として生きながらえている間、そのようなことをしようとしていない。
    犬には犬の可愛さ、人間には人間の可愛さがあると思うのだが、自分に与えられたカードで戦うのではなく、朱尾と契約を交わし、人間を辞めたのである。結果、満足しないまま犬生を閉じることになる。
    犬になり、主人として希望していた人間の心の支えとして共に過ごし、主人の悩みの種である家族が死に、最後まで忠犬として主人のために存在していたならば、満足できたのではないだろうか。
    主人公は自分の思い描いていた犬生と大きくギャップを感じたために魂を渡そうとしなかった。
    種同一性障害を解消したにもかかわらず、そうなのだから、何かを我慢しながら生きていかないといかないという苦しみはどんな姿になっても変わらないのである。
    主人公は最後、もう一度命を与えられたが、フィクションだから成り立つのであって、現実はこういかないだろう。

  • 長いけど、おもしろいのと可愛いのと先が気になるのとで一気読みした。
    「誰かの犬になりたい」っていうと、フェティッシュな感じがしてしまうけれど、そういうことではない、というアテンションを様々なエピソードや登場人物たちの会話を通して細やかに入れてくれている。ギリギリまで「いや、ここまで細心の注意を払って『性的なことじゃない!』って言われるともはやフラグじゃないの??」と思わせてしまうハラハラ感もおもしろい。
    犬と飼い主の関係。主従ではなく、性的なものでもなく、愛玩物でもない、名前のついていない、でも痛烈なほどそこにある関係を堪能しました。

  • 日常に倦んだ、その瞬間。
    人外の性は、顔を出す。

  • 犬に変身した人間の話でした。

  • ふむ

  • 犬好きが高じて、「飼い方」や犬種の本に始まり、犬が登場する、また犬にまつわる小説を数多く読んできたが、これはかなり奇異な一冊!
    主人公は犬自体がもちろん好きなんだけど、
    自分が犬になって『あの人の犬になりたい』

    「こういうわたしにセクシュアリティというものがあるとしたら、それはホモセクシャルでもヘテロセクシャルでもない、ドッグセクシャルとでも言うべきなんじゃないかと思う。

    「好きな人間に犬を可愛がるように可愛がってもらえれば、天国にいるような心地になるっていうセクシュアリティね」

    登場する兄と母親をはじめとする家族には
    胸くそ悪くなるが読後感はよかった。

    なんせ、ところどころ、
    犬の気持ちを代弁するような場面、描写が
    犬好きにとってはいい。

  • 犬身(上) (朝日文庫)
    by 松浦 理英子
    そういえば、日本では概して嫌われる 腋臭 も、知らない人や嫌いな人のものは不快きわまりないけれども、久喜の腋から流れ出す匂いはいやではなかった、むしろ 金木犀 の香りに似ていて好ましかった、久喜の外見も細くて堅くてみずみずしい樹木みたいだった、とも房恵は思い出す。久喜本人は長い間気がついていなかった腋臭を、房恵は学生時代暑い季節になると楽しんだものなのに、久喜が卒業して出版社に就職するとデオドラントということを教えないわけには行かなかった。世の中房恵のように久喜の腋臭が好きだという人ばかりではないのだから、教えるのが親しい者のつとめだと考えたのだ。

    久喜ともいっときほどの深いつき合いはなくなった。学生時代は毎日のように会い、電話をかけ合い、連れ立って映画やコンサートに出かけ、さまざまな事柄を話し合った。最も仲のいい女友達以上に久喜とは長い時間を過ごした。旅行にまで一緒に行った。決して恋人同士ではなく、まわりのみんなも久喜と房恵のことはきょうだいのようなものと見なしていたし、実際房恵は久喜に恋心など抱いたことはないが、あまりにもべったりくっついていたので、暇な時にふと実験でもするように体を組み合わせたことはある。一度や二度ではない。それで房恵は久喜の匂いに親しんだ。

    人間の姿になったのは、きっと犬だった時に悪いことをしたからだ。犬がどんな悪いことをするだろう? 犬の仲間に対しての悪いことに違いない。熊とか猪とか野犬狩りの人間とかの外敵が群れに迫っている時、分別のつかない仔犬が不用意に飛び出して自分だけではなく自分を守ろうとした母犬や、その他何匹かの犬を死に至らしめる、というふうな。ああ、確かにこれはひどい、悪いことだ。罰として人間に変えられてもしかたがない。

    一生言い続けられるかどうか断言はできないけれども、あのインド旅行から八年、三十歳になっても房恵の自己認識は変わらず、年を 経れば経るほど、自分が人間には「馴れ親しんだ感じ」以上の好意を持てなくて、犬に対しての方が情熱的になる、という確信が深まって行く。ただ、種同一性障害という病気を思いついた当初の喜びはとっくに薄れ、今では、じゃあ種同一性障害のわたしはいったいどうしたら満足の行く生き方ができるんだろう、と考えては、何も思い浮かばず気落ちするようになっている。

    性同一性障害であればさしあたっては性転換手術が目標になるのだろう。けれど、種転換手術は技術的に不可能だし、かりに犬になれたとしても、室内飼いでまともな食事を与えてくれ散歩にもきちんと連れて行ってくれる立派な飼主に恵まれればいいけれど、ろくでもない人間に飼われて虐待されたりいばられたり繫ぎっ放しで放置されてはつまらない。野良犬として気ままに生きようにも、日本にいてはすぐに保健所に捕えられ殺処分されるのが落ちで、幸せになれるとは思えない。

    実現可能な希望としては、将来犬と一緒に暮らしたいというものがあるにはあるけれど、それで犬になりたいという願いが 叶うわけではないから、本質的な解決にはならない。でも、このままだらだらと人間として過ごして行くのなら、形の上では普通の人間と同じように、人間の男とつがいになって一家をかまえ、家庭に犬…

    それも決して悪くない。悪くはないけれど、そんな幸福しか望めないのがわびしい。人間として生きているわたしの人生はとてもわびしい、と房恵は思い、いや、もしかすると、犬が好きで犬になりたいというような特性がなかったとしても、わたしの人生はわびしくつまらないものかも知れない、と思い直す。ことに今は生活に全く活気がない。仕事は 覇気 をなくした久喜が指揮するものだから、知恵の絞りがいのない…

    道広は笑いを含んだ声で返しただけで、久喜の女の趣味の悪さについて突っ込んだ話をしようとはしなかった。道広の女の趣味はいいのだった。結婚した時道広は、飼っていた二匹のハムスターとともに妻との暮らしを始めたのだが、やがて妻はハムスターの毛のアレルギーになった。鼻水や眼の充血くらいではすまず頭痛や発熱などの重い症状が出て、見るからにつらそうだったのに、妻は自分も動物好きだったこともあり、ハムスターをどこかにやってくれとは決して言い出さず、ハムスターが自然死するまで二年間、体の不調に苦しみながら面倒を見続けたのだという。

    「種同一性障害者の妄想を語ってしまいました。気持ちが悪かったらごめんなさい」 「全然気持ち悪くなんかないですよ」

    梓のことばを聞いてようやく意味がわかり、房恵は黄色い肉片を受け取った。わたしを犬扱いして食べろと差し出したわけじゃないんだ、とはっきりわかって、自分の誤解に笑い出しそうになった。同時に悲しくもなった。そんな錯覚を起こしてしまうほど自分が梓に犬としての慕情を寄せていることを思い知ったからだった。この先梓への慕情をいったいどうすればいいのか、全くわからなかった。ナツは生温かい息を吹きかけながら房恵の手から羊の耳を取って食べ、房恵は掌にナツの口の湿り気を感じて心温まりもしたのだけれども、胸の一部分がちくちくと痛み続けていた。

    深い意味のないことば遊びめいたやりとりだったけれども、何となく身内意識に似たものが生まれて、房恵と朱尾は顔を見合わせて微笑みを交わした。しばらく忘れていたけれど、心を許した女友達との無駄話は確かこんなふうに楽しいものだったような気がする、と房恵は思った。いや、普通の女友達は朱尾ほど気を遣ってサービスしてはくれない。ふかふかのソファーに身を沈めたような、こんなにゆったりとした心地にさせてくれる人を、何にたとえればいいだろう。執事、さもなければ、慈母だろうか。

    戸惑いも顔をよぎりはしたが梓はほっと緊張を解き、視線を伏せて溜息のような笑いを漏らした。ナツがどうして進まないのかと言うように二人の間に割って入り、梓を見上げた。梓はナツに微笑み、何か言いそうに口元を動かしながら顔を上げかけた。その時、鋭い口笛の音があたりに響き渡った。房恵と梓とナツは口笛の聞こえて来た方角に頭をめぐらせた。左手の一段低い道沿いにある〈天狼〉のあけ放した扉の前に、朱尾が立っていた。

    顔をよく見ようとしたのか、赤い頰の熱さを調べようとしたのか、梓は手を伸ばし房恵の顔にかかった髪を指で押しやった。房恵の眼前にナツの鼻面や頭を撫でる梓の手つきが浮かんだ。梓の方も何か感じるところがあったのか、伸ばした手をそのまま房恵の頭の側面にあて、軽くすべらせた。掌が上下するだけではなく、指先が髪をとかすような細かい動きをした。撫でられているのだとわかると、房恵は気持ちよさに眼が 眩んだ。 「ほんとだ。ナツの毛の手触りに似てる」梓は微笑みながら言った。「犬化の始まり?」  房恵は人間のことばを話せるような状態ではなかった。そのかわりのように、扉口でナツが待つことに飽きたのかワンと啼いた。梓は房恵の肩越しにナツを見た。

    「作者デヴィッド・ガーネットは同性愛、もしくはバイセクシュアルだったようですよ」  房恵は呼吸を整えてから尋ねた。 「バイセクシュアルって、この場合、人間と狐の両方が好きだということ?」  しゃがんだまま見上げると房恵の視線は朱尾の腹までしか届かず、顔を合わせようと体を反らすとバランスを失ってよろめいた。 「とぼけないでください」  そっけなく答えた朱尾の腹は微動だにせず、ニット・ベストに覆われているのにとても冷たい感じがした。房恵は体勢を立て直し、土手の上の薄黒い空に眼をやった。 「性別を障壁と感じない者だからこそ、種の違いを超える愛情を書くことができたのかな。でも、そういう見方は素朴過ぎる気もする。同性愛もしくはバイセクシュアルの人がみんな、伴侶が狐になっても愛せるとは限らないだろうし」

    「しかし、ヘテロセクシュアルのイメージに固執するタイプの男女が思いつくような話ではないことは、確かでしょう」 「それはそうね。だけどまあ、同性愛でも異性愛でもバイセクシュアルでも、動物好きの人なら思いつく可能性はあるんじゃない?」 「あなたは同性愛もしくはバイセクシュアルではないんですか?」  朱尾の方に顔を向けると、朱尾の足は思ったよりも近くにあった。灰色の薄手のウール地に包まれたすらりとした足は、しゃれて見えてもよさそうなのに、何やら凶暴な動きをしそうな野卑な気配がまとわりついていた。 「違うと思う。同性とセックスすることを想像しても抵抗はほとんど感じないけれど、積極的にしたいわけでもないから。異性とだっておんなじだけどね。わたしはセックスでときめいたことは一回もない。性行為に執着はないの」

    「だけど、玉石梓さんには同性愛的な感情を抱いているのではないですか?」 「どうかな」房恵は野卑に心に踏み込んで来た朱尾の足を睨んだ。「表面的にはそう見えるんだし、むきになって否定しようとは思わないけれど、あの人の犬になりたいというわたしのファンタジー…

    「しかし、性的な触れ合いとそうでない触れ合いの境界線は曖昧ですからね」 「うん、それには同意する」 「それに、あなたは体は人間だ。魂も半分は人間でしょう。人間として反応する部分は大きいはずですよね」  朱尾がなぜこうも執拗に問い詰めて来るのか房恵には不思議だったけれど、うんざりして立ち去らない限り、次々に飛んで来る蠅を追い払うように朱尾の質問に答えるほかはなかった。 「その通りよ。こういうわたしにセクシュアリティというものがあるとしたら、それはホモセクシュアルでもヘテロセクシュアルでもない、これは今自分でつくったことばだけど、ドッグセクシュアルとでも言うべきなんじゃないかと思う。好きな人間に犬を可愛がるように可愛がってもらえれば、天国にいるような心地になるっていうセクシュアリティね。そして、犬だから相手の人間の性別にはこだわらない、と。これで納得してもらえる?」

    朱尾はしゃがんでいる房恵の隣に来て、房恵と同じ方向を向き壁にもたれた。 「ドッグセクシュアルですか」 「何ならバカセクシュアルと言ってもいいよ」 「いやいや、ドッグセクシュアルという概念は興味深いんですけどね、それははたしてセクシュアリティの名に値するのか、という疑問が浮かびますね。だって、あまりにも基本的な快楽ではありませんか、撫でられて感じる気持ちのよさって。子供だったらそれだけの気持ちよさで満足するでしょうけどね。たいていの人は、いわゆるノーマル、アブノーマルを問わず、成長するにつれもっと他の快楽にも目覚めて行くものだと思うんですが、あなたには快楽の基本形しかないと?」 「そうみたいね。人間としては成長しなかったのかも知れない」 「ただ、あなたはまだ三十歳でしょう。世の中には遅咲きの人もいる。これからまだまだ変わって行く可能性があるわけですよ」

    「同性愛とかバイセクシュアルに?」 「それだけじゃない。いろいろ考えられますよ。マゾヒストとか幼児プレイ愛好者とか」  房恵はがっくりと首を垂れた。 「朱尾さん、わたしをからかってるの?」 「申しわけない。からかう気持ちも少しありました。しかし打ち明けた話、わたしは見きわめたいんですよ、あなたの玉石さんへの気持ちは犬…

    時計を見ると九時過ぎだった。出かけよう、と思い立って房恵はブルゾンをはおった。まずは喫茶店かファミリー・レストランでブランチでも食べるつもりだった。けれども犬渡橋まで自転車を走らせるとふと梓に会いに行きたいという気持ちが芽ばえ、梓の家の方角にハンドルを切った。梓に時間があるのは日曜の午後と聞いているので、午前中に訪ねるのはひどく迷惑なことかも知れないけれど、犬が一匹家のまわりをうろつくくらいかまわないだろう、と途中までは楽観的に考えていて、いや、人間の姿をした者がうろついては異常者扱いされてもしかたがない、と思い直したのが、梓の家に通じる丘の坂道の下だった。

    「そう。へたな人間よりは可愛い犬の方が誰かの役に立つ場合がある」 「わたしもそうだったな。人間よりも犬の方に喜ばされたし癒された」 「犬は得ですよね。人間がいくら知恵を絞っても誠意を尽くしてもなかなか他人に与えられない喜びを、生まれつきの特質だけで意図せずに与えることができる」 「楽でいいよね。人間だったら、むきになって他人にお節介を焼くのは醜く見えることすらあるけれど」  和気藹々 と話しているうちに、朱尾は組んでいた腕をほどきカウンター・テーブルの縁に両手をついた。 「だからもう、あなたは犬になってしまいなさい」

    ああ、そうだ、と房恵は深く納得した。犬になればわたしは自分が犬に与えてもらった喜びを梓に与えることができる。それがどんなに素晴らしいものか、わたしにはわかる。犬になって人間では辿り着くことのできない梓の心の深みに飛び込んで行きたい。会話や性行為に頼るのではなく、犬と人間の関係に特有の、気持ちと気持ちをじかに重ねるような交わりを、梓としたい。想像しただけで房恵の胸は昂奮に打ち震えた。これほど自分を刺戟することばを口にしてくれた狼人間への感謝さえこみ上げて来た。

     朱尾が 諾々 と従ったのも、上に立ったつもりでいるからこそという感じがしないでもなかったが、表面的には丁重に遇されているので房恵は細かいことを気にするのはやめた。それに、契約を交わして以来、朱尾がどんなに怪しく気味が悪くても、小説や映画の登場人物のように底知れない力を持っているのだとしても、朱尾が房恵の魂をほしがっている限り、朱尾は房恵に心底から憎まれるようなふるまいはできないだろうと思えて、房恵の心にも朱尾に対してゆとりというか自信が生まれていた。だから、こうして朱尾とドライブしているのははっきりいって楽しかった。

    久喜が口ずさんだのは北原白秋の一節だった。大学の卒論が久喜は白秋、房恵は梶井基次郎で、二人はお互いの採り上げる作家を読み合い熱心に意見交換したものだった。楽しかった思い出に微笑んで、房恵は言った。 「うん、悲しまないでね」  久喜はうなずいて窓の外に向き直った。その後ろ姿に心の中で、また会おうね、人間の姿で会うのはこれで最後だけれど、と声をかけ、房恵は犬の眼社を後にした。

     梓は人間の幼児に話しかけるように盛んに犬に話しかけるタイプではなかったけれども、仔犬のフサに名前を憶えさせるためなのだろう、フサを連れ帰ってから数日はしきりに「フサ」と呼びかけた。梓の声は甘く響くアルトで、その声で呼ばれると甘い響きが耳から入って体の隅々にまで神経を震わせながら行き渡るような感じがした。初めのうちフサは人間だった時の癖で、呼ばれると顔だけ向けて梓の次のことばを待った。呼ばれたら嬉しそうに飼主のもとに行くのが仔犬というものだと思い出してからはそうしたが、思い出すまでにかかった時間を、梓はフサが自分の名前を憶えるのにかかった時間と受け取ったことだろう。

    こうして梓とフサの暮らしが始まった。梓の赤い車の中にも家の中にも先代犬ナツの匂いが濃く残っていたけれど、リビング・ダイニング・ルームにあったナツ用のマットレスはもうなくて、替わりに木製の囲いが置かれ、囲いの中には四つ折りにした毛布と陶製の二つの器とトイレット・シートが並べられていた。そのあたりの壁にはひときわ強くナツの匂いがすり込まれていて、それを嗅ぐと由緒正しい梓の犬の座をナツから引き継いだんだと意識せずにはすまず、ナツと同じように梓を楽しませなければ、とフサは決意を新たにするのだった。

    好きで信頼している相手に面倒を見てもらうことがこんなに気持ちのよくなるものだなんて、とフサは驚いていた。人間だった頃には想像したこともなかったけれど、ご飯を出してもらったり危ない真似をしないように見守ってもらうことの気持ちよさは、心の喜びばかりではなくて、撫でられたり抱かれたりすることの感覚的な気持ちよさとそう遠くない。相手にすべてまかせて愛情を受けるという意味では二つのことは重なるし、事実、世話をしてもらうと直接触られてはいないのに、胸のときめきが体中に広がって見えない手で撫で回されているような心地になる。

     朱尾のもとにいた時期にうっすらと予感した通り、梓の前で排泄したり梓に排泄物をかたづけてもらったりすることさえ、早々に甘美な愛情の交換と感じられるようになった。最初のうちこそ便意を我慢して便秘や 膀胱炎 になるかと思われたけれども、一度踏ん切りをつけてしまえば、これでもう隠すものはなくなったという解放感も訪れて、ますます梓と親密になれたという気もした。今では梓がいそいそとトイレット・シートを取り替える姿を眺めて幸せを感じるのだった。

    「繁殖」という予想外のことばに、フサは笑い出しそうになった。わたしが他の犬と性交する? それはいくら犬好きでもできない、少なくとも今のところは。梓も笑っていた。 「全く考えたことはないですね。フサの仔を産んでくれる 牝 犬 の心当たりもないですし」  わたしの仔を産む牝犬? どういうことだろう、と疑問を抱いたフサに考えさせる間も与えず、朱尾は梓との会話を進めた。 「じゃあ、去勢するんですか?」  反射的にフサは、「去勢」という表現は間違ってる、牝犬の場合は「不妊手術」というのが正しい、とひとり頭の中で学校の先生のように 添削 した。ところが、梓も朱尾のことばを受けて言った。 「去勢した方がいいんでしょうか。 牡 犬 を飼うのは初めてなんで、迷ってるんですよ」

    「ないだろう、問題なんて。おまえは自分のセクシュアリティを〈ドッグセクシュアル〉と称して、『可愛がってもらう相手の性別にはこだわらない』と言ったんだぞ。それなら自分の性別だってどうでもいいんじゃないのか」 「でも、三十年間文化的・社会的には女だったし、自分のことは普通に女だと思ってたのよ。こんなふうに突然牡の体を持たされたら、種同一性障害から今度はそれこそ性同一性障害になりそう」 「おまえ、思いついたことを適当に口にしてるだけだろう。笑わせるなよ。おまえの魂ほど社会習俗の影響を受けてない魂を、わたしは見たことがないぞ。根本的に性別なんか気にもしてなかったやつが、牡犬の体を持ったからって性同一性障害になんかなるもんか。だいたい犬の体になるのを恐れなかったくせに、性別が変わったくらいでどうしてそんなに動揺するんだ?」

    去勢手術については、フサとしては受けることに特に抵抗はなかった。犬と性交をしたり子孫を残したりするつもりはないのだから、睾丸はなくてもいい。むしろ睾丸があると、成犬になってから牝犬に興味のあるふりをしたり、性交の 代替 行為で人間の脚にとりついて男性器をこすりつけたりして見せなければならなくなるので、取り除いてもらった方が煩わしくなくてよい。  体にメスを入れるのは気持ちがいいことではないけれど、世の中には急に盲腸炎を起こして仕事やら何やらを休まなければならなくなるのを恐れて、まだ炎症を起こしていない盲腸を切除してしまう人間もいるし、手術が五分程度ですむのなら、横向きに生えた親知らずを抜く手術の方がよほど重いといえるし、考え方によってはそう深刻に捉えるほどのことではないとも思える。どのみちフサは梓の決断に従うだけだった。

    「まあいいさ。犬なんて、一度どっちが上に立つか教えとけば面倒はないからな」 「わたしの犬なのよ。変なことはしないで」

    朱尾の感想だった。その場では「またそういうことを言う」と返したのだけれど、後で考えたら、たいせつな相手と楽しみに出かけるのだから、恋人同士ではないにせよ梓との散歩を「デート」と呼ぶのはそう的はずれではないようにも思えた。まあ呼び方や朱尾の 揶揄 は大して気にならなかったのだった。

      夫は自分がツルリンの面倒を見ないのは、「男親が息子に触り過ぎると同性愛者になる恐れがあるから」だと言う。   いったいどこの世界の学説だろう。

    「はい。母は男が好きなんです。セクシュアルな意味ではなくて、男の存在そのものが好き。男の容姿も腕力も経済力も社会的地位も全部好きで、息子はいちばん身近な男だからもうべったりなんです。兄の世話を焼いたり甘え合ったり頼ったりするのが、温泉や指圧やエステティークよりも気持ちいい人なんですよ。わたし、ひどいことを言ってると思いますか?」

    「で、母は女が嫌いです。同性は敵か邪魔者で、仲よくするとしたら他の女たちに対抗し身を守る目的で便宜上組んだ仲間とだけ、というタイプですね。娘のわたしのこともほんとうは好きじゃないと思います。本人に訊いたら『そんなことはない』って否定するでしょうけど」

    犬身(下) (朝日文庫)
    by 松浦 理英子
    「恋愛感情だか何だかわかりません。言えるのは、わたしにとって八束は異性同性を問わず、これまでの生涯で最も心を許し親密になれた人間だったということです。わたしはもともと男の集団の中にいるよりも、女の友達とカフェで話してることの方が楽しいという男なんですけど、八束と一緒にいるととりわけ楽でした。文学や映画の趣味も合って会話も面白かったですし。これが男同士だったら、あるいは女同士だったら、いつかそれぞれ異性と結婚して自分の家族をいちばんたいせつにするようになるんでしょうけど、わたしと八束は幸いにも男と女なので、恋愛感情を抱き合っていようがいまいが、結婚してずっと一緒にいることができる。だからわたしは、われわれが男と女の組み合わせであったことを 僥倖 と思ってたんです。ところが、八束の方はわたしと結婚する気は全くなかったんですね。あいつは人間よりも犬に興味があったから」

    「他の何かか。そうかも知れないなあ」久喜は回想する眼つきになった。「いちばん恋人同士に近い仲だった時期だって、どこか違ってたんだよな。男と女だから当然こういうことをするだろうと思うことをやってただけで。あれはあれで悪くなかったけれど」  あんまりそういうことを事細かに喋らないでほしい、とフサが気を揉んでいると、朱尾が口を出した。 「ほんとうは 豹 とライオンの組み合わせなのに、豹同士かライオン同士のようにつき合ってしまった、というお話でしょうか?」 「それはうまいたとえですね。でも、わからないや」 「豹とライオンだったら子供ができるんだよね」道広が言った。 「レオポンですね」梓が応じた。

    「そう、組み合わせによっては 近似 種 の間に子供ができる」朱尾は言った。「だからほんとうは豹とライオンなのに、自分たちは同じ種だと思い込んで結婚したり子供をつくったりしているカップルも、この世にはたくさんあるのかも知れませんね」 「それでうまく行ってれば何の問題もないですよね?」と道広。

    「それもあるだろうが、書いたことが不特定多数に読まれると、現実として承認されたような感じがするんだろう。自分の幻想が支えられて、いっそう快楽が強くなるというわけだ。人間の性欲は面白いな。ナルシシスト、オナニストですら完全に自己完結することはできなくて、他人の視点を必要とするんだからな。それが架空の他人の視点であっても」

      1月 13 日   昨日の日記の最後の2文、何気なく書いたのだけれど、案外と意味深長かもしれない。 10 代から 20 代の前半にかけて、私が最もそばで過ごすことが多かったのは、父でもなく母でもなく兄だったのだ。  ところが、一月十三日を最後にブログの更新はふっつりと途切れたのだった。三日たち、五日たち、一週間が過ぎても日記は進まなかった。フサは声なきことばに期待を込めて、朱尾に話しかけた。

    「わたしには恋愛感情もないし、人との触れ合いへの欲求もあんまりないし、変なふうに育っちゃったなって思うわ」  声が優しいだけに話している内容がいっそう痛切に聞こえ、フサが感傷的な気分になったところへ未澄の 科白 が降って来た。 「触れ合いへの欲求がないのは、犬とばかり触れ合って欲求を使い果たしてるからじゃない?」  失礼な、人と犬との触れ合いを人間同士の触れ合いの代用みたいに語るなんて、とフサは 憤慨 したが、梓は別にむきにもならなかった。

    変だと思うかもしれないけれど、あなたに教えたあのブログを読むと、   「こんないやらしいことばにやられないようにしなくちゃ」と   闘争心のようなものを搔き立てられるの。   生きるための 糧 はとんでもない所からも拾えるものね。   最近は更新がないから闘争心も萎え気味だけど、   かわりに兄のステレオでヒップホップを聴いて心を鍛えています。

    「おれがこんな自分にうんざりしてないと思うか? そんなおめでたいアホに見えるか? おれみたいな変態は死んだ方がいいって何度も考えたよ。でも、自分じゃなかなか死ねないからな。わかるか? おれだってずっとつらかったんだ」

    そんな意義深い細部の一つとして、この作品のもっとも美しい挿話を紹介しておく。前後関係は省略するが、第二章「犬暁」の最後から二つ目の断章である。とりわけ、「ふと気配を感じて頭を上げると、暗闇の中で映える銀色の毛の狼が四本の肢をすっと伸ばしたきれいな姿勢で立っていた」で始まる部分のなまめかしさは、尋常のものではない。夜の暗さにつつまれたまま、小犬のフサはだまってそのあとを追い、草叢をかきわけて小高い丘に達したところで、せせらぎのほとりで足をとめる。その冷たい水が、フサの乾いた喉を潤す。やや距離を置いた地面に横たわる狼は、目をかすかに光らせながら小犬を見つめている。たったそれだけのことなのに、そこには驚くほど豊かな細部が拡がりだしている。『犬身』を二七八ページまでたどった者は思わず息を吞み、トライアングルからは思い切り離れた場所で、松浦理英子がまぎれもない小説家だとつぶやくことしかできない。そのつぶやきとともに、人は、五〇五ページまで続く言葉の「なめらかなあられもなさ」を、時間をかけて味わいつくそうと覚悟を決める。

  • 犬になりたいという強い欲求を抱える人間・八束が、バー店主である朱尾という得体のしれない男を仲立ちに(魂とひきかえに)、あるとき、理想の飼い主・梓の飼い犬フサになることに、文字通り成功する。
    しかし内側から見た梓の私生活はとても健全なものとは言えず……

    主人公フサの欲望がそもそも倒錯しているために、多様な欲望の距離感が測れなくなる。たとえば梓の苦しむ近親相姦も、犬の眼から見れば相対化される。どんな欲望も元をたどれば形容しがたい一つの原初的な欲望にたどりつく、その一つの形にすぎないとさえ思われてくるから怖い。

    とはいえ、梓はそれに、苦しんでいる。であるからには、その苦しみを取り除いてあげたいと、フサは梓の守護神として寄り添い続ける。

  • 犬が特に好きでもなく、ましてや犬になりたいなんてこれっぽっちも思ったことない私ですが、何故か引き込まれ忘れられない一冊になった。
    主人公が犬になり、犬の生態に馴染んでいく様はまるで経験したかのように生々しい。生々しくも美しい。美しいのは一心にこうなりたい、こうでありたいと願う心なのか。

    この本を読んで以来、犬を見ると不思議な気持ちになる。

    あなたはもしや?

  • 好きな人の飼い犬になって可愛がられたいという欲望を持つ女性が、その願望を叶える小説。
    というと非常に変態的な話のようだが、その割にあまり厭らしい感じがなくさっぱりしたファンタジー娯楽小説。松浦理英子の小説は『親指Pの修業時代』[ https://booklog.jp/item/1/4309407927 ]以来だが、扱うテーマの割にどこかさっぱりして不潔感がないのは持ち味なのだろうか。
    ペットと飼い主という関係は、言われてみると不思議。側に置く理由は愛でしかないが、血縁でも性でもなく、常に側にいてしかも肉体的に愛撫しあう関係だ。
    しかし主人公の愛する梓は血縁と性において現在過酷な体験をしているため、いずれとも次元の異なる愛である犬との絆だけが救いとなっている。「けんしん」が「献身」に繋がるのもポイント。
    ちょうど少し前に読んだこの本[ https://booklog.jp/item/1/4309416217 ]にも通じるテーマ。ただし読後感は、本書の方が圧倒的に良い。

  • 犬身
    人物
    - フサ 元人間(房江) 両親は共になく、久喜と冴えない生活を送っていたが、かねてよりの希望により、犬となり、献身的に梓に仕える
    - 梓 陶芸家 ゆがんだ家庭の中で兄からの性的虐待を受けて育つ。最終的に兄を殺して刑務所送りとなる。
    - 彬 梓の兄。傲岸不遜なサイコパス。離婚歴あり。幼少時より、梓に性的な奉仕を強いる。
    - 母 兄にべったりで、夫との関係は薄い”女帝”。最終的に彬と梓の関係を知り、その後死去。
    - 朱尾 狼人間。フサエとの契約により、彼女を犬にする。腕のいいバーテンだがニヒリスト。

    ストーリー

    - かねてより、人間より犬になりたかったフサエは、朱尾献により犬となり、梓に飼われる身となる。しかし、玉石家はいびつな家庭環境であった。母や梓に基本的に無関心であり、兄にべったり。その兄は幼少時より、梓に性的な奉仕を強いていた。
    - 父親の失踪、玉石家の経営するホテルの改装、兄の台頭、母の梓への無関心or嫌悪、そしてブログで兄が梓のふりをして、性的虐待の様子を自分に都合のいいように書いたことにより、母がその事実を知り、最終的には梓が兄に手をかけることとなった。

    <抜粋>
    灰色っぽい毛をベースに黒毛がまばらに混じった独特の毛色で、しっぽを巻き上がっていなくて垂れていて、けっこう大きな犬だった。

    近くで見るといのは予想以上に大きく、背中の高さはフサエの腰くらいまであった。

    光の当たり具合で灰色の毛の所々が銀色にきらめいた。

    意外にも犬は撫でさせてくれず、口角をあげた柔和な表情のままフサエの先に立ち、一定の距離を保ちながら

    犬は急に気分が変わったのか、鼻すじに深い皺を寄せて低くて太い威嚇のうなり声をたてた。

    蜜月というものは多いうものか、とフサは思った。あずさは始終いとおしげに房を見ている。写真を撮るだけではなく、大きさを記録するためか画用紙に寝かせて輪郭の型をとったり、スケッチブックに写生したりするのは、仔犬の姿かたちを美術家ならではのやり方でより深く味わっているのだろう。

    人間だったころは「自分に自信を持つ」とか「自分を好きになる」といったよく耳にする言い回しの意味はほとんどわからなかったのだけれど、犬になった今まさに自分が好きで自信に満ちた状態なので、跳ねのけられるんじゃないかなどという心配を一切せずに、まっすぐにあずさに向かっていき、前足をあずさの体にかけることができる。あずさが房の毛をまさぐれば、完全に受け身になってあずさの愛撫に浸りたくて、腹を上に向け、ひっくり返り「もっと」と促すのだが、そういう振る舞いもあずさに愛されていると信じられないなら不可能だった。

    好きで信頼している相手に面倒見てもらうことがこんなに気持ちの良くなるものだなんて、と房は驚いていた。人間だったころには想像もしたことがなかったけれど、ご飯を出してもらったり危ないまねをしないように見守ってもらうことな気持ちよさは、心の喜びばかりではなくて、撫でられたり 抱かれたりすることの感覚的な気持ちよさとそう遠くない。相手にすべてを任せて愛情をうけるという意味では二つのことは重なるし、事実、世話をしてもらうと直接ふれられてはいないのに、胸のときめきが体中に広がって見えない手で撫で廻されているような心地になる。

  • 犬好きだと自分が犬になってしまいたいとまで思えるようになるのだろうか? あたしは犬嫌いだからそこのところの気持ちはわからない。
    自分の好きな人に飼われてみたい、人と人とのつながりではなく人と犬という主従関係に安定、安心感を見出すのだろうか。
    いくら好きな人とはいえ、飼い主とその犬ってね〜、ちょっと考えられない。ただひたすら甘えるってことなのか? 人には吐露できないことを聞くことができるという満足感!?
    いやいや、あたしは対等でありたいな。

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著者プロフィール

1958年生まれ。78年「葬儀の日」で文學界新人賞を受賞しデビュー。著書に『親指Pの修業時代』(女流文学賞)、『犬身』(読売文学賞)、『奇貨』『最愛の子ども』(泉鏡花文学賞)など。

「2022年 『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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