性犯罪被害にあうということ

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022504210

作品紹介・あらすじ

2000年8月31日、性犯罪被害にあった。生まれてから24年間、住み慣れた街で。その日から変わってしまった身体・考え方やものの見方、家族や恋人・友人との関係…。被害者にしか語れないリアリティー。

感想・レビュー・書評

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  • amazonのレビューなども読んだが、私は著者の表に出ること、加害者への言葉、仕事選択や試行錯誤を私は非難する気にはなれない。犯罪・性犯罪の被害者と被害者家族、周囲の人たち、そして家族や周囲の人たちとの対立と孤立感。価値観や信頼、期待、裏切り、誤解、、、様々なことを考える。文の量や容易さから中高生、そして保護者の方にも読んで欲しい。加害者と言うより性犯罪への憤りはあるし、なくなって欲しいと切に願う。無関係ではなく、私達がどうすべきなのか考えていきたい。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「私達がどうすべきなのか」
      思春期の保健体育の授業で(遅い?)、身を守るコトが必要だと、、、
      「私達がどうすべきなのか」
      思春期の保健体育の授業で(遅い?)、身を守るコトが必要だと、、、
      2014/04/22
  • 「被害者」になるというのは、他人事ではなく、すぐ隣にあるものだ。昔から、「被害者」がなぜ、自分を責めたりするのかがわからなかった。しかしながら、いろんな犯罪被害者の本を読むといつも思うのだ。それを裁決する側ですら、信じられない言葉を吐く人たちが多いということ。ましてや、「性犯罪被害」というのは、まったく「被害者意識」をもっていい状況にあると、同性である私は思う。アダルトものがネットで普通に見られる現代ならば、なおさら、勘違い男は増え「強姦されて(「レイプ」という言葉より、「強姦」のほうが伝わりやすい)感じるだろ」というまったく頓珍漢な感覚をもった犯罪者が出るのもわかる気がする。
     手軽にアダルトビデオ類を若いころから見られるようになった現代。「作り物」ということを知らず、快楽のみで見ている人が多いのだ。いつ被害にあってもおかしくない「被害者」というもの。そして「加害者」というのも目に見えないがいろんな形でいる。
    この本に限ると、性被害にあったことをいうことで驚かれるということ。恥じることではない。しかし、その心境は被害にあったものでなければわからないのも真実。彼女が手記として残した功績はすばらしい。彼女も書いているように、女性が読むだけではなく、男性側も彼女や大事な人がそういう場面にあったときにどういう気持ちでいるのか、またどういう処置(病院等)をすればいいのか、読むといいと思う。非常に身近な犯罪だけに、裁判でもまったく取り合われない件数が、いまだに多いのにはがっかりする。
     実名や写真を出した彼女の勇気(としか書きようがない)は、素晴らしいものという他ない。一方、少なくとも彼女へ犯罪した二人の男がいまだに捕まらず、街を闊歩しているかと思うとぞっとする。

    付け足せば、彼女の心の葛藤、家族や彼の葛藤がうまく書かれていて、彼女のもがきながらも前進する強さに私は読後感をよくしました。

  • 性犯罪被害に遭ったという悲惨な過去を背負い続けること、
    その気持ちを本を通してというかたちであっても
    垣間見る機会が持てるということは
    この著者の勇気があってはじめて可能となる。
    まず、その事実に感謝を表したい。

    であるのだが、、、
    読み進めていくと別の意味で異質な体験をしていくこととなった。

    まえがきによると著者は
    「被害者ってこんなに苦しいんです」と訴えている
    ととらえられることがもっとも遺憾、なのだそう。
    ある意味では著者の思惑通り、読んでいて著者の身勝手さばかりが
    気になってしまう。

    恋人や肉親、のちに通うカウンセラー養成機関の講師にいたるまで、
    自分の望んだ反応を示さない相手に対して容赦なく批判し、つっぱね、
    ときには面と向かって罵倒する。

    人は相談を受けた時、沈黙を恐れるあまり
    ベストではない受け答えをしてしまうこともある。
    そういったことを著者は許すことができないようだ。

    たとえつらい経験があったとしても、
    人はこれほどまでに他人の善意を無下することができるものなのだろうか。
    社会を批判し、「こんなこと私はわかっている」と毒づき、
    被害を受けた後に事情をわかった上で結婚した相手に一方的な我儘から
    離婚をつきつける。

    読み進めていくと、
    「性犯罪被害者だから」荒んでしまった、というよりは
    幼い頃からしばしば両親から暴力を受けていた、ということが
    それら身勝手な言動の要因であるように思えてきた。

    そういう意味では、この本のタイトルは適当ではないといえる。

    事件当時別れたばかりだった元恋人を巻き込み、
    その後ほどなく知り合った男性と同棲、など
    周囲に構ってもらうことでアイデンティティを感じる著者は
    今ひとつ一般的な「被害者」イメージとかぶってこない。

    その後、自分の身勝手を棚に上げて
    社会を変えよう、という目的を抱き始める。

    他の種類の犯罪被害を考える活動についても言えることだと思うが、
    被害経験者⇒上位、
    経験者に都合のよい意見を持つ人⇒中位
    経験者にとって都合のよくない人⇒下位、
    となりがちで、閉ざされた学問のようになり客観的公平性がみえない。

    「経験したのは私だ」のひとことで全てが終わってしまう。

    終盤にくると、「親にはどうせ言ってもわかってもらえないから
    言うのをやめた。そうしたらうまくいくようになった。」とある。
    はたして著者は何を伝えたかったのか?
    ただ「どうせわかるわけがない」と言いたいだけだったら
    それは何のためにもならない自己満足だろう。

    このタイトルをみて本を手に取った人にとって、
    恐らく知りたいことは「一般的に性犯罪被害者に対して
    どういう助けが必要なのだろう」ということだと思う。
    その答えにあたるような部分はついに見つからなかった。
    「私という個をわかってよ」という酔客の居酒屋での主張のようだ。

    さて、著者はその後、
    経験を生かして弁護士会で法律相談を受ける職を得ることになったそうだ。
    現在は性犯罪被害者支援の活動をしているとのこと。

  • 書かれている内容は非常に重い。でも、読みやすい。
    法律や裁判として、あるいは病理としての性暴力について読む前に読んでおくとよいかもしれない。
    居間にさり気に置いておいたら中学生の子供たちが読んでいた。中2女子のほうは、ちょっとびっくりしたのか最後までは読めなかったみたいだけど、「夜道は危ない」と百回言うよりいいかもしれない。中学1年男子には、AV等から勘違いの知識を仕入れる前に読んでもらってよかったと思う。最初はエッチなことを書いてあるんだろうという興味で読んでも、そういうことじゃない、レイプでは女性は喜ばないということを、脳みそのどこかにひっかけてくれるんじゃないかなと思う。

  • 概要
    24歳のときに見知らぬ男に強姦された著者が,実名と素顔を公表し,事件とその後のことを記したノンフィクション。

    事件のこと,事件当時・事件後の精神・心理状態,家族・彼氏・友人との衝突,自分と同じ性犯罪の被害者や彼女を支援しサポートしてくる人々との出会い,筆者が性犯罪被害者の支援に関与するに至った経緯などが本書で語られている。

    感想
    性犯罪に加害者側として関与することが多い弁護士として,本書を読んだ感想を書きたいと思います。

    私は,強制わいせつや痴漢(迷惑防止条例違反)の被疑者弁護はしたことはあるものの,強姦はまだ関与したことがありません。もっとも,当番弁護士や被疑者国選の名簿に登録しているので,いつかは強姦罪の被疑者の弁護をすることになると思います。本書を通じて被害者の心情や事件が被害者に与える痛みを知りました。このことは性犯罪の刑事弁護のあり方に影響を与えると思います。

    例えば,被疑者が強姦を認めていて,示談を望んでいる場合には,被害者と実際にお会いすることになると思います。本書を読んでいたか否かで被害者との接し方に違いがでると思います。

    被害者と示談をするには,被疑者・被告人が深く反省していることが大前提になることが多いです。本書を読ますことで被疑者等の内省を深めるきっかけになるかもしれません。そもそも私が本書の存在を知ったのは,とある裁判員裁判のレポートでした。その裁判の弁護人は,本書を被告人に差し入れて読ませたことで,被告人の反省を深めることができたと報告していました。この報告を読んで,本書を読んでみたい,読んでおかなければならないと思いました。他方,私が司法修習生のときに関与した連続強姦事件の被疑者の場合は,本書を読ませてもうまくいかなかったそうです。

    被告人が強姦を否認している場合は,弁護人にとって厄介な葛藤が生じることになると思います。なぜなら,被告人が否認している場合,証人として法廷に立つ被害者に反対尋問をしなければならないからです。もっとも,被告人の言い分が信用できて,被害者の供述が信用できないと強く思える場合には,被害者とされる女性への反対尋問に躊躇はないかもしれません。他方,被告人の言い分をどんなに善意解釈したり,検討に検討を重ねても,弁護人の立場からしても不合理・不自然であり信用できないが,被疑者等が否認を貫く場合に,被害者に対し徹底した反対尋問ができるか正直なところ疑問です。そうするのが弁護人の職務であるから躊躇してはいけないのだと思います。でも,躊躇してしまいそうです。

    最後に,仮に親しい人が性犯罪の被害に遭った場合についてのことも。私も筆者の周りの人々のようにどのように接すればよいのかわからず悩んでしまうと思います。ただ,筆者は,被害者の気持ちが解らなくても,分かろうとしてほしいと何度も訴えています。なので,被害者の気持ちを分かろうとする努力ができたらと思います。

    強姦の被害者が筆者と同じような思いを抱いているかはわかりません。それでも,ある一人の被害者の思いを知ることができてよかったと思います。『性犯罪被害とたたかうこと』も読みます。

  • タイトルからして一語一語選び抜いた組み合わせなのだろう
    何よりも
    冷静で素直な気持ちが
    丁寧な文となって現されていることにうなずいてしまう

    真実とはこういうものなのだろう

    最後に思ったことは
    例えひよった上で納得してしまった支配と依存の関係でも
    それがどれほど人間の心とその関係を蝕むかと言うことだった
    改めて痛烈に思い知らされた

    体験とか経験は自ら求める冒険によるものでなければならないこと
    理解でなく確かな納得が必要なのだと言うことだった

    諦めとか二者択一とかで吹き溜まりに追い込まれた自分の気持ちなど
    ごまかしてでしかない
    本当の納得にならないということは形にならないモヤモヤとなって
    一人一人の心に溜まり社会にも蓄積して鈍感なしてしまうのだろう
    それが支配者にとってまことに都合の良いものになるのだと言うことも見えてくる
    更に痴漢を含めるとすさまじい数になりそうだ
    現代社会が作り上げてきた文化を踏み付けにした文明社会というものが
    天に吐いた唾のように己を侵していることを痛感した
    その両立するべきものの破壊は計り知れない毒に化学変化して襲い掛かり
    自らの共食いをあざけっているようだ
    狂気としか言いようがないなどと他人事になっていられない

    強姦と痴漢は似て非なるもので比べられないほどに雲泥の差があるのだということも改めて考えさせられた
    恐ろしいことに自分にも覗き趣味が潜んでいることを知っている
    これも社会現象にそっくり当てはまりそうだ
    社会をバラバラにして部分だけを分けて見て絆創膏でごまかしていると
    とんだパラドックスが待っていると言うことだ
    氷山の一角から全体を見抜く訓練をしなければならないと
    つくづく思わされた

  • p.97 目にみえないことは、理解できないという。
    P.113 私は生きている事で、身近な大切な人に迷惑をかける....。
        理解もしてもらえない....。
        生きていていけない。私の存在は迷惑で、それに気づくため
    に私はレイプされたのか。
    P.159 もしかすると、警察、検察、市民は「痛み」ではなく「傷     み」と誤解しているのではなからうかと思うのです。
        その差はどこにあるかというと文字通り「痛み」は当事者に     しか解らないもので「傷み」は社会的に回復可能な損傷とい     う風に、明確に違いがあると思います。
        その「痛み」がなんで解らないかというと、やはり「教育」    ではないかと思います。
    P.161 「お友達に針を刺したらダメよ」と、大人は子どもに教え     る。それと同時に、「誰かの心に傷をつけるようなことを    してはいけない」「人が嫌がることをすると、された人は    身体的にも傷つく。それは外傷だけではない。吐き気や震    え、思考停止など、気持ちへの影響もあり得る」というこ    とも教えるべきではないだろうか。
        本来、「お友達に針を刺したらダメよ」という言葉の真意    には「お友達に針を刺すと、そのお友達は痛いだけじゃな    く、そのとき感じる”恐怖”っていうものによって、ずっと苦    しい思いをすることになるのよ」ということまで含まれて    いるはずなのである。それを、どれだけの人が理解してい    るのだろうか.....。
    P143 被害にあったと人に話すことが”恥ずかしいこと”なんだとい    う圧力を感じた。


    性犯罪被害者の、心の叫びがきこえてくるように感じた。
    また、加害者への許せない気持ちもたえずあふれでた。

  • 当事者の小林さんの言葉が並ぶからこそ、他では感じられないものを感じられる。

    時間とともに、自分なりに変化をしていく過程がよくわかる。

    時間とともに、まわりの人間の考えにも目がいくようになっていくのを読むと賢い人だなと思う。

    性犯罪というものが、被害者だけではなく、その周りの人間関係にまで想像もできないおおきなひびを作り出す特殊な犯罪だということが、非常によくわかる作品。

    こういう傷を少しでも和らげるケアの場がちゃんと整備される社会になってほしい。

  •  性犯罪被害者として、シンポジウムで実名を出し、被害の経験を語った小林美佳氏が、被害からの7年間を綴った手記。
     事件後の感情、価値観、体調の変化や、二次被害、周囲とのすれ違いが詳細に記載されている。特に、被害者の心情や葛藤がとても丁寧に記されており、泣いて、吐いて、日記に「死にたい」と綴る日々の辛さが伝わってくる。
     一人でいる時間は事件のこと以外考えられず、社会生活の場では「いつもと変わらない日常」をこなすことで精一杯だった彼女が、やがて自分の力で立ち上がる姿に勇気付けられる。彼女は、理解しあえる被害者に出会い、カウンセリングの場を見つけ、心理カウンセラー養成学校に通い、そして、法律相談対応業務に転職し、自助グループ運営を手伝うまでになったのだ。
     自分に出来ることを考えては行動してきた小林美佳氏の生の声が綴られた、性犯罪被害者への“理解”を広め、深めることに強く貢献する一冊。

    『性犯罪被害とたたかうということ』も合わせて読むと彼女の活動も、性犯罪被害者への社会の関心もより広がり、彼女がより素敵な方に成長しているのが覗えます。
    本書に関わらず、被害者の手記を読んで感じるのは、人それぞれ被害に対して感じることも、反応も、行動も、違っているのだなということです。被害者は一様でなく、個性のある一個人なのだとつくづく思います。

  • もっと早くこの本に出会いたかった。

    性犯罪に遭ったあと、自分が自分でいられなくなる恐怖。
    こんな風に考えるのは私だけだろうか?
    同じような被害者はなにを思うのだろうか?
    毎日果てしない疎外感を抱きながら過ごした。
    残念ながらこの本や被害者が集うサイトに当時は辿り着けなかった。

    私はなにも恥ずかしいことはしてない。
    やっぱりすべて私が悪い。
    どちらをとっても残酷で、毎日泣いた。

    警察は何も教えてくれない。
    そう、あの精神状態で自分を護る術を見つけ出さなければならない。

    著者の理解者であるりょうちゃん。
    恐らく彼女の体験と私の体験は似ていると思う。
    裁判は辛い。
    絶対に薦めない。
    私も全く同じことを思った。

    事件の10日後に発売されたこの本の存在を、もっと早く知っていたら。

    一人でも多くの方がこの本を手に取ってくれることを願います。

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著者プロフィール

【小林美佳】日本ヘルスケア歯科学会認定歯科衛生士

「2016年 『歯科臨床会話フレーズ275』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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