- Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022504210
作品紹介・あらすじ
2000年8月31日、性犯罪被害にあった。生まれてから24年間、住み慣れた街で。その日から変わってしまった身体・考え方やものの見方、家族や恋人・友人との関係…。被害者にしか語れないリアリティー。
感想・レビュー・書評
-
amazonのレビューなども読んだが、私は著者の表に出ること、加害者への言葉、仕事選択や試行錯誤を私は非難する気にはなれない。犯罪・性犯罪の被害者と被害者家族、周囲の人たち、そして家族や周囲の人たちとの対立と孤立感。価値観や信頼、期待、裏切り、誤解、、、様々なことを考える。文の量や容易さから中高生、そして保護者の方にも読んで欲しい。加害者と言うより性犯罪への憤りはあるし、なくなって欲しいと切に願う。無関係ではなく、私達がどうすべきなのか考えていきたい。
-
性犯罪被害に遭ったという悲惨な過去を背負い続けること、
その気持ちを本を通してというかたちであっても
垣間見る機会が持てるということは
この著者の勇気があってはじめて可能となる。
まず、その事実に感謝を表したい。
であるのだが、、、
読み進めていくと別の意味で異質な体験をしていくこととなった。
まえがきによると著者は
「被害者ってこんなに苦しいんです」と訴えている
ととらえられることがもっとも遺憾、なのだそう。
ある意味では著者の思惑通り、読んでいて著者の身勝手さばかりが
気になってしまう。
恋人や肉親、のちに通うカウンセラー養成機関の講師にいたるまで、
自分の望んだ反応を示さない相手に対して容赦なく批判し、つっぱね、
ときには面と向かって罵倒する。
人は相談を受けた時、沈黙を恐れるあまり
ベストではない受け答えをしてしまうこともある。
そういったことを著者は許すことができないようだ。
たとえつらい経験があったとしても、
人はこれほどまでに他人の善意を無下することができるものなのだろうか。
社会を批判し、「こんなこと私はわかっている」と毒づき、
被害を受けた後に事情をわかった上で結婚した相手に一方的な我儘から
離婚をつきつける。
読み進めていくと、
「性犯罪被害者だから」荒んでしまった、というよりは
幼い頃からしばしば両親から暴力を受けていた、ということが
それら身勝手な言動の要因であるように思えてきた。
そういう意味では、この本のタイトルは適当ではないといえる。
事件当時別れたばかりだった元恋人を巻き込み、
その後ほどなく知り合った男性と同棲、など
周囲に構ってもらうことでアイデンティティを感じる著者は
今ひとつ一般的な「被害者」イメージとかぶってこない。
その後、自分の身勝手を棚に上げて
社会を変えよう、という目的を抱き始める。
他の種類の犯罪被害を考える活動についても言えることだと思うが、
被害経験者⇒上位、
経験者に都合のよい意見を持つ人⇒中位
経験者にとって都合のよくない人⇒下位、
となりがちで、閉ざされた学問のようになり客観的公平性がみえない。
「経験したのは私だ」のひとことで全てが終わってしまう。
終盤にくると、「親にはどうせ言ってもわかってもらえないから
言うのをやめた。そうしたらうまくいくようになった。」とある。
はたして著者は何を伝えたかったのか?
ただ「どうせわかるわけがない」と言いたいだけだったら
それは何のためにもならない自己満足だろう。
このタイトルをみて本を手に取った人にとって、
恐らく知りたいことは「一般的に性犯罪被害者に対して
どういう助けが必要なのだろう」ということだと思う。
その答えにあたるような部分はついに見つからなかった。
「私という個をわかってよ」という酔客の居酒屋での主張のようだ。
さて、著者はその後、
経験を生かして弁護士会で法律相談を受ける職を得ることになったそうだ。
現在は性犯罪被害者支援の活動をしているとのこと。 -
書かれている内容は非常に重い。でも、読みやすい。
法律や裁判として、あるいは病理としての性暴力について読む前に読んでおくとよいかもしれない。
居間にさり気に置いておいたら中学生の子供たちが読んでいた。中2女子のほうは、ちょっとびっくりしたのか最後までは読めなかったみたいだけど、「夜道は危ない」と百回言うよりいいかもしれない。中学1年男子には、AV等から勘違いの知識を仕入れる前に読んでもらってよかったと思う。最初はエッチなことを書いてあるんだろうという興味で読んでも、そういうことじゃない、レイプでは女性は喜ばないということを、脳みそのどこかにひっかけてくれるんじゃないかなと思う。 -
タイトルからして一語一語選び抜いた組み合わせなのだろう
何よりも
冷静で素直な気持ちが
丁寧な文となって現されていることにうなずいてしまう
真実とはこういうものなのだろう
最後に思ったことは
例えひよった上で納得してしまった支配と依存の関係でも
それがどれほど人間の心とその関係を蝕むかと言うことだった
改めて痛烈に思い知らされた
体験とか経験は自ら求める冒険によるものでなければならないこと
理解でなく確かな納得が必要なのだと言うことだった
諦めとか二者択一とかで吹き溜まりに追い込まれた自分の気持ちなど
ごまかしてでしかない
本当の納得にならないということは形にならないモヤモヤとなって
一人一人の心に溜まり社会にも蓄積して鈍感なしてしまうのだろう
それが支配者にとってまことに都合の良いものになるのだと言うことも見えてくる
更に痴漢を含めるとすさまじい数になりそうだ
現代社会が作り上げてきた文化を踏み付けにした文明社会というものが
天に吐いた唾のように己を侵していることを痛感した
その両立するべきものの破壊は計り知れない毒に化学変化して襲い掛かり
自らの共食いをあざけっているようだ
狂気としか言いようがないなどと他人事になっていられない
強姦と痴漢は似て非なるもので比べられないほどに雲泥の差があるのだということも改めて考えさせられた
恐ろしいことに自分にも覗き趣味が潜んでいることを知っている
これも社会現象にそっくり当てはまりそうだ
社会をバラバラにして部分だけを分けて見て絆創膏でごまかしていると
とんだパラドックスが待っていると言うことだ
氷山の一角から全体を見抜く訓練をしなければならないと
つくづく思わされた -
当事者の小林さんの言葉が並ぶからこそ、他では感じられないものを感じられる。
時間とともに、自分なりに変化をしていく過程がよくわかる。
時間とともに、まわりの人間の考えにも目がいくようになっていくのを読むと賢い人だなと思う。
性犯罪というものが、被害者だけではなく、その周りの人間関係にまで想像もできないおおきなひびを作り出す特殊な犯罪だということが、非常によくわかる作品。
こういう傷を少しでも和らげるケアの場がちゃんと整備される社会になってほしい。 -
もっと早くこの本に出会いたかった。
性犯罪に遭ったあと、自分が自分でいられなくなる恐怖。
こんな風に考えるのは私だけだろうか?
同じような被害者はなにを思うのだろうか?
毎日果てしない疎外感を抱きながら過ごした。
残念ながらこの本や被害者が集うサイトに当時は辿り着けなかった。
私はなにも恥ずかしいことはしてない。
やっぱりすべて私が悪い。
どちらをとっても残酷で、毎日泣いた。
警察は何も教えてくれない。
そう、あの精神状態で自分を護る術を見つけ出さなければならない。
著者の理解者であるりょうちゃん。
恐らく彼女の体験と私の体験は似ていると思う。
裁判は辛い。
絶対に薦めない。
私も全く同じことを思った。
事件の10日後に発売されたこの本の存在を、もっと早く知っていたら。
一人でも多くの方がこの本を手に取ってくれることを願います。
思春期の保健体育の授業で(遅い?)、身を守るコトが必要だと、、、
思春期の保健体育の授業で(遅い?)、身を守るコトが必要だと、、、