- Amazon.co.jp ・本 (333ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022505316
作品紹介・あらすじ
この山荘は、遊び始める前から、すでにルールが発生している。真夏に炬燵。ケイバ、顔、それはなんでしょう、軍人将棋…魅惑的な日々の「遊び」が、ひと夏の時間を彩ってゆく、大人の青春文学。朝日新聞連載の本格長編小説。
感想・レビュー・書評
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長嶋有はひいきの作家だが、ここ2、3年の作品からはなんとなく遠ざかっていた。久々に読んでみた最新刊である本書は、長嶋にとって初の新聞連載小説、しかも天下の『朝日新聞』(夕刊)に連載されたものである。
私が新作から遠ざかっていた間に、長嶋は第1回大江健三郎賞を受賞し、旧作は次々と映画化され(『サイドカーに犬』『ジャージの二人』)、果ては大朝日に小説を連載……。しばらく見ない間に出世したなあ。
が、そんなに出世しても、長嶋有は相変わらず長嶋有だった。この作品は、彼以外の誰にも書き得ない驚愕の“脱力小説”である。
『ジャージの二人』の舞台にもなった(とおぼしき)山荘で、長嶋の分身である(と思われる)小説家・ナガヤマコモローとその仲間たちが、夜ごと興じるクダラナイ遊びの数々。その様子を、ただ延々と綴った小説なのである。
登場する「遊び」は、どれも作者が考案したオリジナルなものだ。
たとえば、麻雀牌を馬に見立てて行なう競馬ごっこ、独自のルールにアレンジした「軍人将棋」、サイコロを振って出た目にしたがい各自の架空の恋人を作っていく遊び、「ダジャレしりとり」などなど……。
みな、独創的で面白そうではあるけれどクダラナイものばかり。それらを、登場人物たちがじつに楽しそうにプレイする。延々と、ダラダラと……。それ以外には、ドラマティックな出来事など何も起こらないのである。
それでも、ディテールには長嶋有ならではの才気が随所に輝いていて、けっしてつまらなくはない。つまらなくはないが、読後に何も残らないし、感動もしない。ディテールの積み重ねだけで成り立っている小説で、テーマもストーリーもない(!)。
ある意味、ものすごく実験的な野心作である。『朝日新聞』連載小説という檜舞台で、よくまあこんな大胆な取り組みを行なったものだ。保守的な層の新聞読者から、連載中にクレームの投書が殺到したのではないか。「あの、わけのわからない連載小説はいったいなんですか?」と……。
最終盤、つまり新聞連載の最終回近くに、主人公のコモローがこんなふうに言う場面がある。
「オレが新聞連載することがあったら、もう、サスペンスあり、大恋愛あり、次の日が待ち遠しくてたまらない感動巨編を書くね」
その真逆の小説を連載しておきながら、最後の最後に、自らの分身である作中人物にこんなことを言わせるあたり、人を食った態度がなかなか痛烈。この作品によって、今後彼に新聞連載を頼もうと思う人は絶無になっただろうが、私は長嶋という作家を大いに見直した。
ただ、この小説が面白かったかといえば、それはまた話がべつ。もう一度読み直したいとはとても思えない。330ページにわたってくり広げられる“長大な無意味”は、読み通すのがしんどかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
どこで知ったのか忘れたが、面白かった。大人の青春物語と紹介されており、思わずうなずいてしまった。暇な大人たちが山荘で繰り広げる独創的なゲーム。確かに青春時代は、持て余した時間をたわいもない事で潰していたなぁと懐かしく思い出した。
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これが新聞の連載小説?受け入れられない人多かったんじゃない?事件が起こるわけでもなし。紹介されるゲームがいちいち面白すぎてすぐにでも誰かを誘ってやりたくなる。ニヤニヤ笑って読了。
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「俺が寝た後に、皆がものすごく楽しい遊びとか会話をしていたら悔しいじゃないか」
文庫化を待ったが待ちきれずハードカバーで読了。
著者の持ち味が凝縮された作品。
コモローは著者で、ヤツオは古道具屋を経営するヤスローさんがモデルなんだろうなあ。
夏だけ機能する別荘にあつまってオトナがわちゃわちゃ遊んでいる、ただそれだけなのに、いとしくてたのしくて安心する。
とりわけ事件もない、不変。
麻雀牌でやる「ケイバ」
サイコロの出目で、性格出身地職業口癖趣味特技、見た目のパーツや声まで決める「顔」
質問の最後だけ(世界が明日で終わるならどうしますか→「どうしますか」の部分だけ)がお題となり、それに対して答えを持ち寄り、質問の全貌を明かしてみんなで楽しむ「それはなんでしょう」
どこで、だれが、なにを、どうしたゲームのように短冊折りにした紙に書いていく「タンカ」
などなど、大人の遊びは尽きない。
虫が嫌いな私なのに
仲間に入って夜更けまでだらだらと遊びたくなる。
そこには熱気とか活気とか青春とかはこれっぽっちもなくて、
ただただ「遊ぶ」というスタンスがいい。
何かする方も、みる方も、どっちもいい加減なこの家で行われている夏の暮しは、たぶん、誰しもが憧れてやまない。 -
2年前に買った本(ようやく読んだ)
夕涼みながら、縁側でだらだらと読みたい本だと思いました。
山荘に集まる人達の、次の瞬間には本当にどうでもよくなるような会話や、細やかな生活の描写がとても楽しい。
自分もその場所にいるかのような気持ちになる。
娯楽の無い山荘で楽しむ為に作られた「手作りゲーム」が素敵。
「顔」や麻雀を使った「ケイバ」やってみたいなあ。
お話の中で3年も時間が経過しているのに、そこでの生活の様が何も変わらない(集まっている人もぜーんぜん変わらない)のもいい。
何にも始まらないけれど、そこには圧倒的な生活がある。
些細だけれど贅沢な日々。
長嶋有のお話には、おかしみと愛らしさが溢れているなあと再確認した一冊でした。 -
何度も読んで、遊んで、また読んで。
あの家に、行きたいので、
また読む。 -
最高!
手元にサイン本あるよ!(間接的にもらったものだけど)
長島先生とお友達になりたい!って切実に思う!
サイン会に出かけられたら口説いてみたい。 -
2020年8月30日読了
Library -
同じ長嶋有の「ジャージの二人」でも古い山荘が物語の舞台となっていましたが、その夏の間の山荘暮らしのみに特化して描き込んだ小説です。
300ページを超える長編ですが、何のドラマも盛り込まれていません。
シリアスな要素も全くなし。
山荘のホストであるナガヤマ家の親子と、その友人である職業も年齢もバラバラの人々が、布団も洗濯物も乾かず、虫だらけで、鼠も住み、五右衛門風呂のある古い山荘で、束の間の夏休みをまったりと過ごす様子をただただ描いていきます。
ナガヤマ家の長男で小説家であるコモローの友人である久呂子が語り手となっていますが、視点は山荘とその周囲という範囲から一歩も出ていきません。
しかも昼間の営みはほとんど省略されていて、夕食から深夜遅くまでの間、毎夜繰り広げられる「遊び」と、古い山荘独特の生活ルールと、登場人物の間で交わされるユルイ会話がメインになっています。
この「遊び」というのが、この小説の最大の見せ場。
中学生が休み時間や修学旅行の宿泊先でやるような、紙とエンピツがあればできてしまうチープでオリジナルな遊び。
これを大の大人がワクワクしながら時間をかけて熱中する様が、ときにイラストも交えたルール解説とともに詳細に描写されます。
思わず自分でもやってみたくなってしまうマニアックさ。
読んでいて、ついニヤついてしまう自分に気付きます。
なんだか学生時代のサークルの合宿の雰囲気とか思い出してしまうユルさ。
こういう芸風の小説は好みというわけではないんだけど、不景気で世知辛い世の中、年度末の繁忙期に現実逃避するにはもってこいと言えるかもしれません。 -
106:遊びに熱心な大人たちのゆるーい日常。日常の適当さに比べて「遊び」部分が真剣すぎておかしい。だから何、とつっこまれると困るけど、長嶋作品特有の不思議な笑いがあります。軍人将棋は実に面白そうだ!