セゾン文化は何を夢みた

  • 朝日新聞出版 (2010年9月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784022505385

みんなの感想まとめ

文化の成り立ちやその背景を深く考察する本作は、著者が自身の経験をもとにセゾン文化の意味を探求しています。戦後からバブル景気にかけての日本の社会情勢と文化の関わりを描き、読者にとっては興味深い視点を提供...

感想・レビュー・書評

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  • ele-king別冊アンビエント・ジャパンで参考文献にあげられていて気になり、手に取る。個人的には、2000年代に、リブロポートの本を読んだり、ナディッフに行ったりしたことはあったけれど、セゾン文化がピークの頃には残念ながらふれることができなかった。その自由で、何か最先端の文化が生み出されそうな空気というのは、今の時代から見ても憧れるものがある。ボードリヤールやフーコーやコジェーヴを語ることと、洋服や本やテーブルを売ることがつぎ目なしに連続していると信じられる空気。客と店員が作家や作品について話し込むことは珍しくなかったアール・ヴィヴァン。あのころの西武流通グループ全体に共有されていた「演劇的振る舞い」「演じる」という意識。そういったきらびやかな一面に反して、「この穀潰しが」といった視線…この国の人びとの、直接お金を生まないものに対する感情嫉妬と羨望と軽蔑と憎悪――とも通底しているのかもしれない(セゾングループの凋落後、堤清二に向けられた批判の根もそこにあると著者は考えている)、といった点もおさえられている。◆美術館は道楽でもなければ販促の道具でもなかった。もっと積極的に、百貨店のなかで現代美術を紹介することによって何かが生まれると信じていたのではないか。価値あるものを並べるのではなく、何が並べることによって新たな価値を生み出そうとした、と言い換えてもいい。「それが本業にも必ず反映されるはずだと思っていた(略)」(p.110)◆セゾン文化とは何だったのか。(略)壮大なる同床異夢、と言うことはできないか。 堤/辻井と彼のまわりに集まってきた、スタッフやクリエイター、芸術家、批評家、観衆、そして消費者、すべてが、 《セゾン文化》の名のもとで、少しずつ違った夢を見ていたのではないか(p.272-274)◆決して、何も残らない虚像ではなく、関わった多くの人にさまざまなものを残したし、文化的な貢献も少なからずあったんだよ、ということが語られているように思った。◆「武満徹をめぐる15の証言」2007小学館、獅子文六「箱根山」(…西武と東急の戦争を題材)、ジャック・プレヴェールあたりは手に取りたいと思った。そして堤清二/辻井喬という人にすごく興味がでてきた。

  • バブル時代にもてはやされた「メセナ」という企業文化の功罪。前提としての堤家の因縁(横溝正史風)。堤氏は何を考えていたのか、何を感じていたのかを近づけそうで近づけない距離から模索する一冊。
    あの時代の空気をギリギリ十代のうちに感じることができたことはその後の自分に与えた影響を考えると、本当に価値があったと思う。そしてもっともっと体感すればよかったとの後悔もある。

  • 堤清二って、不思議な経営者なんだなぁ

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784022505385

  • 辻井喬が消費社会に対する卓越した先見性を持っていたことは本書を読めばはっきりとするのだが、わからないのは「セゾン文化」とまで称されるにいたったイメージ戦略を構築しながら、なぜセゾングループが他の百貨店に先駆けていち早く転落していったのか、だ。無印良品という遺伝子を残したことでよしとするのか。

  • 大学入学を機に上京し、以来西武百貨店、リブロ、コミュニティカレッジ、イルムスといったセゾン系にお世話になったもんで、楽しく、割とスリリングに読みました。ここに書かれている時代よりずっと後になってからのことですが、へえ、そんな時代があったんだ、という印象です。

  • 西武文化とは無縁です。僕の地域には西友があります。西武優勝バーゲンぐらいです。それは、鉄道であり、セゾンではありません。ラジオで紹介されていたので、購入しました。面白かったです。ただし、大満足というわけではありません。焦点を絞るべきではなかったのか。例えば、展覧会に関する部分です。フリーの評論家がコミットできた唯一の美術館だった。公立の場合、学芸員が独占します。西武の場合、素人でした。そのため、外部の評論家に頼らざるえませんでした。これ自体はいいのです。問題はここからなのです。一つの展覧会に絞ってかけなかったのでしょうか。そうすれば、予算も伝説であることがわかります。入場者数もわかります。堤清二さんのインタビューは長すぎるかな。そんなところです。

  • 西武解体とともに泡と弾けたセゾングループが行った「文化事業」、セゾン文化について、自身もセゾングループの一員であった著者が、様々な人たちにインタビューをし、「セゾン文化とはなんだったのか」を考える本。

    戦後復興、安保闘争、経済成長からのバブル景気、なんかは全部つながった日本の出来事で、それによって文化は成り立っていくもんなんだなあ、とか感じられて面白かったです。
    左翼的志向から文化教育方向に動くってのは、当時の知識人としてはまあ常識的な動きであって、
    今現在、それが全く理解できないことをとても不思議に思う。
    政治とか志向しちゃいけないって決まりがあったかのようだよな、俺ら世代のこの政治と思想についてしゃべらなさって。

    調子にのって内容とあんまり関係ないこと書きましたが、俺はこの本読んでそんなこと考えました。

  • 自分は、バブルの記憶もなく、セゾン美術館閉館の年(1999)に上京した人間なので、直接その時代を知らない。しかし、東京で暮らすうち、セゾン文化を出自とする先人の多さに驚き、本書を読んでみた。
    登場するアーティスト・文化人の顔ぶれに、まず、圧倒される。堤清二個人をなしに、セゾン文化は生まれなかったが、セゾン文化自体は様々な思惑を持ったそれぞれが勝手に形成していた、という理解で良いだろうか?
    また、企業が営利以外で社会に働きかける事の是非についても考えさせられる。企業が文化活動をする事が、いかに困難を伴うか……。「直接お金を生まないものに対する感情──嫉妬と羨望と軽蔑と憎悪」があった事を指摘する記述が印象に残った。

  • 西武美術館(池袋店12F)は博物館法を適応される正式な博物館ではなかった
    1989 別館1,2Fに セゾン美術館に解消 博物館法にのっとった公式な美術館となる
    堤さん パルコの増田さん 百貨店の紀国憲一さん

  • 今は失われてしまったけれど、たしかにそこに存在していた何か。
    そういうものに心惹かれて手に取った一冊。

    当時のセゾン文化を知るには私は幼かったけれど
    それでも、母に連れられて池袋西武をぐるぐると廻った
    記憶はあったなぁと振り返る。

  • 途中は流し読み。Nadiffはセゾンだったのか。
    楽しい時代だったのだろうな・・・現代において、こういう「新しい」ものってなんなんだろう?

    セゾン美術館と旧ソ連の話が興味深かった。
    軽井沢の美術館に行きたい。

  • “80年代はスカだった”という言説を聞いたことがありますが、成熟消費社会において、モノからコトへの意識変革がなされたのは、やはりこの時期だったのだと思います。その中でセゾンはその時代のトリックスターの役を果たしたのだと感じました。文化は産業化しうるのか?芸術は経営と対立するものなのか?その問い掛けが繰り返されるのですが、一方でアップルのスティーブ・ジョブスの死のニュースが飛び込んで来た時、「文化産業」という存在は違った形態で実現されてしまっているんだな、とシミジミしてしまいました。

  • 大阪で生まれ育ったため、セゾン文化というものがイマイチ分からなかったので勉強のために購入。改めて http://ja.wikipedia.org/wiki/セゾングループ を見ると、現代のカルチャーに大きな影響を及ぼしたのがよく分かる。「自立した有権者をつくるのは、日常生活から自立性をプロモートするしかない」という堤清二の言葉、物が溢れすぎる今の時代に痛々しいほど響く。

  • セゾンに郷愁を覚えるくらいの大学生活を過ごしていたのだなと懐かしく思う次第。

  • 80年代後半からセゾン文化の崩壊は始まっていたとはいうものの、90年代前半学生だった自分は六本木WAVEでバイトをし、シネヴィヴィアンで映画を観、足繁くリブロに通うことでこれまでに経験したことのない何かを確実に吸収した。その時はまったく意識していなかったが、そういう意味で自分もセゾン文化の影響を受けた一人だ。
    HMV渋谷の閉店、ミニシアターの相次ぐ閉館、電子書籍の登場による出版・書店への影響が叫ばれる一方で新たな個性を持つ書店が現れていることなど最近の出来事は大きな環境変化下のこととはいえ、何かセゾン文化の終焉の延長および再生のような気がしてならない。(とは大袈裟かもしれないけど、HMV渋谷閉店のニュースを聞いた時は六本木WAVE閉店のデジャヴのような気がした。)

    しかし堤清二という人は興味深い。経営者にして小説家・詩人、元共産党員。ロシアとの交流のくだりは抜群に面白い。もうあのスケールで文化の情報発信を企業として取り組める経営者は出てこない気がするし、今の時代に同じこと・やり方は必要ないかもしれない。でもこの時代に適した形でセゾン文化的なものの再生が可能ならばもう一度ワクワクしたい。セゾン文化的なものなんてどこにも確かなものなんてないのだけど。

  • セゾン美術館付属の書店で働いていた永江朗が書いた自分とセゾンの歴史。バブルの象徴ともみなされ、ニューアカブームなどもあり80年代を席巻した西武の文化事業を内部で働いている人間の視点から、関係者の証言を得て書いている。非常に多くの人間が登場するが、趣旨としては堤清二、パルコの創設者・、西武ニューアートの創設者・の三角関係で西武文化事業が生まれたとの見解。最後は堤清二との対談となる構成。確かに清二の古い価値体系を壊し、新しい価値体系を作りだそうとする意欲、権力への反感、卓越した世界観はコメントからも十分に伺いしれる。清二の元に集まったさまざまな人間がいろいろなものを生み出した。それがセゾン文化ではないかというのが永江の見解のようだ。

  • セゾン劇場のジーンズシート、シネヴィヴァン六本木で観た映画、無印良品、NADiff…大学生になった頃にはバブルはとっくに崩壊していたけれど、それでも知らず知らずのうちにセゾン文化の恩恵(?!)を受けてきたんだと知る。
    無印良品の章、堤清二/辻井喬氏へのインタビューの章が特に興味深かった。

  •  渋谷駅で「おいしい生活」のポスターを見た衝撃以来、なんとなくくらしとはビイシキをもっていると気分の良い、素敵なものになるのかも、という直感・イメージを持って早や30年近く。
     その直感・イメージの中核でもあるはずの「セゾン文化」とは何か、興味をもって読んだ。
     当事者の語る言葉の面白さ、臨場感がある。その頃感じたかっこよさのにおいも感じる。やはりその結末には答えはなかった。けれども十分。文化なんて語りつくせない。それを感じたにおい、感じる要素がなんであったか、が大事なんですもの。

  • 自分は何に拠っているか、考える。意識はしていなくても、何かに衝き動かされた誰かの吐いた息を吸って何かを得たつもりになって成長した気分になってそしてそんなことが繰り返し繰り返し少しずつあって、ああ、いまの、いまのところの自分になっているのか、と考えたりもする。
    いまの、現代美術だら現代音楽だらサブカルチャー/メインカルチャーの関係性だらを考えるときに、それらの場所でいま一線を張っているひとらが影響を受けているだろう、と思われる「セゾン文化」なるものについて書かれた本。

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著者プロフィール

1958年生まれ。ライター。書籍輸入販売会社のニューアート西武(アールヴィヴァン)を経て、フリーの編集者兼ライターに。90~93年、「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。その後はライター専業。「アサヒ芸能」「週刊朝日」「週刊エコノミスト」などで連載をもつ。ラジオ「ナルミッツ!!! 永江朗ニューブックワールド」(HBC)、「ラジオ深夜便 やっぱり本が好き」(NHK第一)に出演。
おもな著書に『インタビュー術!』(講談社現代新書)、『本を読むということ』(河出文庫)、『筑摩書房 それからの40年』(筑摩選書)、『「本が売れない」というけれど』(ポプラ新書)、『小さな出版社のつくり方』(猿江商会)など。

「2019年 『私は本屋が好きでした』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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