- Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022506344
作品紹介・あらすじ
生誕一〇〇年、父として、男としての太宰治の実像がいま明らかに。
明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子の感想・レビュー・書評
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太宰の代表作、斜陽のモデル
といわれた日記を書いた母太田静子。
2人の間に生まれた娘治子。
しかし、生後半年で父太宰が自殺。
父親の顔を知らずに育ち、
「斜陽の子」と呼ばれた著者が、
発表する渾身の書。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
太宰ってナルシストで嫌な奴だったんだなーという感想しかない。
それでも、何人もが一緒に死のうとするんだから、なにか魅力があったのか、母性本能が強い女を見つけるのが上手いのか。
死にたいなら独りで死ねよ…と思った。 -
「斜陽」のモデルとなった太田静子の娘、太田治子のエッセイ。
太宰は太田静子の日記が欲しかった。
静子は太宰の赤ちゃんを産みたかった。
日記をどうしても手に入れたかった太宰は、芝居がかったセリフで静子を誘うが、自分の方から愛の告白はしない。その卑怯さ、打算が娘の冷静な視点で語られる。
面白かった。また、斜陽がほとんど静子の日記の書き写しだとは初めて知った。 -
太田治子さん。
数奇な人生を辿る人。
結局彼女は、
父を、太宰治をどのように思うのだろう。
それはきっと、彼女自身も説明できないんじゃないだろうか。
複雑と、一言で片付けるにはあまりに複雑。
感情移入は、全くできなかった。
誰も恨めないし、誰の味方もできない。
ただ、
「〜だという」
「〜だと思う」
「〜のような気がする」
という伝聞や推測の多い文中で、
本当のことがなにひとつわからない。
この物語のなかでの太宰治は、
何の魅力も感じない。
読後感が、とても微妙だった。 -
太宰はずるい男だなあ。「斜陽」が太田静子の日記を流用したとは…でも、そんなずるい男に惹かれる女性がいるのだなあ。
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太宰治と太田静子の物語を娘の太田治子が書く。
よく考えるとすごいことだよ。
へなへなした、ダメな太宰治がたくさん出てくる。
一方でずるくて狐みたいで。
色々な顔をもった男だったんだな…。 -
太宰の婚外子である著者が描く父と母太田静子、或いは『斜陽』の完成まで。著者の母が創作上役立つかもしれないと思い太宰は日記を書く様に薦める。著者の祖母の死ぬまでが描かれたその日記と静子との恋愛関係の終わりを元にして書かれた『斜陽』。静子は言う、「私は身も心もすべてを太宰に投げ出して、太宰の中で生かされる自分をみいだしてみたい」と。著者の母と太宰への愛憎に揺れる気持ちと、「日記が欲しい」「赤ちゃんが欲しい」と花いちもんめの様にして産まれたと感じている著者が哀しい。自分の芸術の為に利用し去っていく太宰は酷薄だ。
ナイス! -
ううん、やっぱり太宰むかつくのう。
しかしそんな男に惚れてまう気持ちも分からんでもない。フッ。
静子、正妻の美知子、一緒に沈んだ富栄。
一番なりたないのはどう考えても静子やなあ。 -
2009年は作家太宰治生誕100周年で日本中が太宰ブームに沸いた。私は太宰治にそれほど思い入れはなく、作品をほとんど読んだことがない。『人間失格』『走れメロス』『黄金風景』くらい。傑作といわれる『斜陽』も読んだことがない。実は『斜陽』は「恋人の太田静子の日記をそのまま写した箇所も多い」のだそうだ。この衝撃の事実を知り、ゴシップ的な興味から本書を手に取った。私は、「太宰が盗作をした」と糾弾するつもりはない。この本は、太宰と太田静子の間に生まれた娘、太田治子の視点から父母の恋愛を描いている。その点で興味深いものがあった。
両親の思い出の地である神奈川県の下曽我を、治子が娘とともに訪れるところから本書は始まる。『斜陽』のモデルとなった静子であるが、治子によると、『斜陽』は静子の日記をそのまま引き写したところも多いという。静子は、太宰を師と仰ぎ自らも文学で身を立てたいという夢を持っていた。しかし、太宰への愛ゆえに「子供のようにそれは大切にして綴ってきたものだった」(p18より)日記を太宰に渡したのである。静子は「私は、身も心も日記もすべてを太宰に投げ出して、太宰の中で生かされる自分をみいだしたいと考えたの」「……私は、太宰を通して太宰の作品の中で生きていくことになるだろう」(p104より)という女だった。
私は文章を書くのが好きだ。自分の書いた文章は宝物であり、大切な子供のようなものという静子の気持ちが理解できる。素人の稚拙な文章ではあるが、もしそれが他人の作として世間に発表されたら悲しい。
「人間は恋と革命のために生れて来たのだ。」
この一節は、オリジナリティがあり、綺麗な言葉だと思う。しかし、 『斜陽』の中で象徴的なこの言葉も、そのまま静子の日記からひきうつしたものだという。(p30より)
太田静子という人物、どういう人なのだろう?自分の子供のような日記を男に差し出し、男がそれによって名声を得て得意がっている姿をみて、悔しくなかったのだろうか?相手に身も心も捧げてしまう、彼女はそんな恋をする女性だったのだ。 -
太宰治と太田静子の婚外子として生まれた太田治子さん。
彼女が、母の文箱を開き、母が残したメモと大宰が書き送ってきた手紙に、数十年ぶりに日の目を見せます。
長く読むことを拒んでいたそれらの文書によって、『斜陽』という作品が書かれた謎を読み解いていきます。
「小説と現実を一緒にするのはおかしい」という人がいる。しかし、大宰治は、小説を現実につなげて文学に殉じた小説家であった。小説と現実が同じものでなくてはいけないと念じていたのだと思う。
大宰のその信念によって、生まれてから大人になるまで、大変な迷惑を被ったのが太田治子さんなのでしょう。
お嬢様育ちの文学少女であった太田静子に、大宰が興味を持ったのは、彼女の境遇がチェーホフの『桜の園』のアーニャのようであり、彼女の母、「太田きささま」が、没落を受け入れられない帝政ロシアの貴婦人ラネーフスカヤのようだと直感したからでした。
『桜の園』のような小説を書きたいと思った大宰は、その参考資料にするために、静子に日記を書くことを勧めます。
それからの大宰と静子の関係は、愛のように見えて、実は静子の日記を手の入れたい大宰と、日記を切り札にして大宰の心をつなぎ止めたい静子のかけひきなのではないか。
そう疑わずにはおれない太田治子さんによる検証が、この本の骨子です。
もし、本当にかけひきの材料として生み出されたのであるなら、自分という存在はなんなのだろう。
はじめてのデートで静子に、「あなたは今日からひとりじゃない。僕の命をあずけます。だから責任が重くなるんだよ」
歯の浮くようなセリフを吐いた大宰には、そのとき妻子がいました。
あなたの方の責任はどうなのですかと問いかけたくなるのである。
太田治子さんは、ときに呆れ、ときに怒りながら、大宰が小説『斜陽』を書くために、静子の日記を手に入れる首尾の一部始終を追います。
そして、その日記との交換条件で自分は生を得たという、認めざるを得ない事実に突き当たります。
「生まれてすみません」じゃなくて、「生んでしまってすみません」だろう。
赤の他人の私ですら、治子さんの代わりにツッコミたくなります。
しかし、治子さんは、自分が生まれた翌年に、母とは別の愛人とともに自殺した無責任な父を、文学に殉じた尊敬すべき作家として、最後には肯定する自分に気づきます。
太田治子さんの思いが「明るい方へ」向かっていることに、ひとまずホッとしました。
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