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- Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022506344
感想・レビュー・書評
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私が子供の頃、近くの倉庫会社にその母子は暮らしていた。女の子はいつもボーッとして行動はのろのろしていた。
大人たちは『シャヨウの子よ』って言っていたので、私はボーッとぼんやりしてなんだかドン臭いことを「シャヨウ」というんだろうと思い込んでいた。
このエッセイには母静子さんは常に「ボーッ」として夢見る夢子さんのようだったと何度も記されている。
そうか!本人も認める母子共に「ボーッ」だったのだと。
治子さんは、母静子さんがあの「斜陽」のモデルではなく、太宰の話題作(代表作ではないよな)の共同制作者なのだ・・とこのエッセイで位置づけたい様子。静子さんの存在や日記が、太宰のヒントにはなっただろうが、それは違うだろう。太宰と静子さんの文学的素養は格段に違う。無理だということが書き連なる思い出話から見えてくる。
静子さんは太宰にとって、ちょっと奇妙でしつこいファンのひとりであり「赤ちゃんが欲しい」などと自分の世界を押し付ける自己チュウの女であったろうと感じる。
太宰が、太田治子は私の子・・という「証」の紙をしたためた場にいた人が、そのとき太宰の顔は明るく微笑んでいた・・というエピソードが紹介されている。自分の父と母は共に「明るい方へ」向かっていたとする娘の心情は理解できる。
しかし太宰は自身のデカダンの結果を自嘲した苦笑いではなかったか。
「明るい方へ」というタイトルはいいな!でも無理があるよ。
太田母子は「斜陽のモデル」を矜持として生きてきた、それを越えることはない。詳細をみるコメント0件をすべて表示